九六式陸上攻撃機(Mitsubishi G3M、Type 96 Land-based Attack Aircraft)

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2010/01/12(火)
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九六式陸上攻撃機(96しきりくじょうこうげきき)三菱G3Mは大日本帝国海軍(以下海軍とする)の双発爆撃・雷撃機。九六式艦上戦闘機と並んで日本の航空技術が欧米と同等のレベルまで進んだことを示した最初の機体。当時としては驚異的な航続性能を有し、日中戦争から太平洋戦争の初期まで第一線で活躍した。なお海軍の命名法によって急降下爆撃ができない本機は爆撃機ではなく攻撃機とされた。通り名は中攻、後継機は一式陸上攻撃機。なお、連合軍のコードネームは「Nell 」である。

設計の経緯

ワシントン海軍軍縮条約は加盟国の主力艦(戦艦・巡洋戦艦)の保有量に制限を設けたが、結果として廃艦となる新造主力艦を改造した大型空母の出現を招いた。このことは航空母艦と艦上機を取り込んだドクトリンの複雑化を招き、空母増勢という新しい方面の軍拡を招きかねないことから、ロンドン条約では航空母艦の保有量にも制限がかけられた。しかしながら、いったん出現してしまった空母の存在は「敵空母による日本本土空襲」の潜在的脅威でありつづけたこともあり、日本海軍では昭和10年(1935)の第二次ロンドン海軍軍縮会議では空母全廃に持ち込もうとして失敗した。このような経緯の中で日本海軍は、陸上基地から発進して敵艦船(主として敵空母)を攻撃できる「沿岸用攻撃機」の装備を図った。

この当時、海軍機メーカーの中で大型全金属機の製作能力をもっていたのは広海軍工廠(広廠)と三菱内燃機であったため、まず広廠で「七試特攻」(「七空攻撃機」とも呼称される、後の九五式陸上攻撃機)の開発に着手、次いで三菱に「八試特偵」1機の試作が発注された。八試特偵は1934年(昭和9 年)に計画が変更され7.7ミリ機銃二挺を搭載する「八試陸上攻撃機」へと改称された。さらにこの試作の成果を元に九試陸上攻撃機が計画され、三菱内燃機株式会社名古屋航空機製作所に発注された。設計主務者は八試特偵と同じ本庄季郎技師。九六式陸上攻撃機として兵器採用された。大型陸攻である広廠九五式陸攻が「大攻」、中型の九六式陸攻は「中攻」とみなされた。

技術面の特徴

長距離攻撃機として、空気抵抗と燃費の低減に重点を置いて設計された。

* 金星エンジンの採用:金星エンジンは、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー社よりライセンス生産権を買収した。
* 引き込み式主脚:日本軍用機での採用第1号、飛行時の空気抵抗を大幅に削減する。
* 沈頭鋲(ちんとうびょう)の全面採用:同上(採用は同じ三菱製の九六式艦上戦闘機と同時)

金属板の締結に使われる鋲は、金属板表面に丸い頭が出っ張る。高速で飛ぶ航空機ではこれが空気抵抗の原因となるので、頭の出ない特殊な沈頭鋲を使用した。この結果機体表面は平滑に仕上がった。

* 自動操縦装置と方向探知機
* 可変ピッチプロペラ:ハミルトン・スタンダード製。低速時と高速時でプロペラのピッチ(羽取り付け角)を変え、プロペラ推進効率を最適化する装置。

なお胴体をスマートな形にしたため機内に爆弾倉を設けることができず、空気抵抗となる爆弾や魚雷は胴体下に吊り下げられた。また爆撃機特有の機首ガラス張り窓を廃したため、前下方の防御火力がゼロとなった。

運用と戦果

日中戦争では航続性能を生かして、設計本来の目的ではない、対地爆撃に多用された。まず台湾や九州の基地を発進し、東シナ海を越え、第二次上海事変で孤立する現地部隊を支援する爆撃を行い、帰還した。これは渡洋爆撃として国内に大きく宣伝された。その後基地を中国本土に進め、中国奥地の漢口や重慶等の都市を爆撃した。渡洋爆撃初期から敵地上空で敵戦闘機による損害が続出し、長距離護衛戦闘機の必要性が真剣に検討され、十三試双発陸上戦闘機、後の月光の誕生につながった。なお零戦も陸攻の護衛に活用されたが、それは結果に過ぎず、長距離護衛のために開発されたというのは俗説であり、誤りである。

太平洋戦争では、1941年(昭和16 年)12月8日の開戦当日から連日 台湾を発進してフィリピンのアメリカ軍飛行場を爆撃し、短期間にアメリカの航空戦力を壊滅させた。さらに12月10日のマレー沖海戦では、一式陸上攻撃機と協同でイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈し、戦艦に対する航空優位を印象付けた。

しかし、1942年(昭和17 年)2月のジャワ沖海戦では魚雷が間に合わず、大きな戦果を上げられなかった。また5月の珊瑚海海戦では敵艦に命中弾を与えることが出来ず、効果的な対艦攻撃が出来なかった。1943年(昭和18 年)1月のレンネル島沖海戦では夜間雷撃を成功させシカゴに2本、ウィチタとルイスビルに各1本(共に不発)の魚雷を命中させている。なお、「空の神兵」として国民に広く知られる事となる日本海軍空挺部隊を運搬したのも、九六式陸攻の輸送機版である九六式陸上輸送機である。1942年(昭和17 年)1月11日にセレベス島のメナドに二波408人を降下させたのは延べ45機、2月20日に西ティモールのクーパンへ二次に渡り700人を降下させたのは28機の九六式輸送機であった。その後は徐々に第一線を後継機に譲り、輸送などの後方任務につくことが多かったが、末期には老朽を押して対潜哨戒や夜間雷撃といった任務で、再び一線に立った機体もまた少なくない。

さらに詳しく → 九六式陸上攻撃機  雷撃機  



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(2001/11)
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