日中戦争 (1937-1938)

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2010/01/12(火)
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日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)の間に日本と中華民国との間で行われた戦争(事変)。大日本帝国が定めた正式名称は支那事変である。本項では通称である日中戦争を用いる。戦後の日本では日中戦争(にっちゅうせんそう)と表記されることが多いが、大日本帝国時代に定められた呼称は支那事変。また日華事変との表記も見られる。現在の中華民国や中華人民共和国での呼称は中国抗日戦争もしくは八年抗戦である。また英語ではSecond Sino-Japanese War(第二次中日戦争)である。

経緯

日本は建国間もない満州国の安定を図ることを目的として、北支駐衛権確保のため満洲と中国の国境に軍隊を移駐、1933年5 月には日華の間で塘沽停戦協定が結ばれ華北に非武装地帯が設けられた。その後、 1936年1月から1937年4月に北支処理要綱が作成され北支分治工作が行われた。この工作は国民党政府から主権を切り離し第2の満洲国を作ることを目的としたものではなく、

(1) 華北に親日満の地帯を作ること
(2)華北の物資を確保しソ連侵略の際には日満支が協力して戦うための支援基地とすること

を主眼とした政治的工作で、河北省の宋哲元・商震・万福麟、山東省の韓復、山西省の閻錫山などの諸軍閥と関東軍(一部の将校)の間での利害関係の一致で進められた。なお当時関東軍参謀だった瀬島龍三は「満洲を建国したことで朝鮮半島が安定したが、満洲国が建国したばかりで不安定だったことから満洲の安定を図るために満洲と中国の国境ラインに軍隊を移駐したところで中国勢力と衝突した」と述べる。

一方、当時の北支は国民政府による搾取や重税から北支の諸軍閥や市民の中で不満が高まると共に満洲の急速な発展を目の当りにし、蒋介石の影響力は後退、 1935年6月には白堅武が豊台事変を起こし親日満政権を樹立を図ろうとクーデターを起こしたが失敗、10月には国民党の増税に反発し農民が蒋政権・国民党を否認、可憐誅求に反発し自治要求を求め香河事件が発生するなど河北省・山東省・山西省などで民衆の政治・経済的不満が高まり、自治運動が高まってきていた。

1935年11月、中華民国政府では英国の支援のもと幣制改革が行われ、銀本位制・通貨管理制を導入し現金回収が行われたがこの時、北支将領は現金の南送を拒否するなど中央からの離脱傾向にあった。1935年11月25日、殷汝耕が冀東防共自治委員会を非武装地帯となっていた地域に組織し中央離脱、自治宣言をしたが、蒋介石はこれを認めず、他の北支軍閥が同じように独立を宣言をしないように1935年12月に宋哲元を委員長として華北・チャハル2省と北平と天津を基盤として冀察政務委員会を創設した。

宋は就任の挨拶で民意尊重、日華親善、反共姿勢を宣言。当初、冀東防共自治委員会は同委員会が同じ性格の自治政権組織と考え、合流を考えたが実際には国民党政府行政院直属機関であることがわかりこれを断念、12月25日に冀東防共自治政府を成立させ自治姿勢を示した。このように華北には日本・国民党政府・諸軍閥の駆け引きにより、反共・親日の冀東防共自治政府政権と反共・親日国民政府直属の冀察政務委員会の2つの異なる自治政権が誕生しやがて両者は対立を深めていく。

蒋介石(軍事担当)と汪兆銘(外交担当)率いる国民党の政策は当初、第一に共産党勢力の駆逐、第二に外国勢力との問題解決を方針に一面抵抗・一面交渉のもと行われていたが、汪が1935年11月に狙撃され負傷し、療養のため離脱。1936年12月12日には蒋介石が部下の張学良によって拘束される西安事件が発生するとコミンテルンが仲介となり対共姿勢から対日姿勢への転換と中華民国と紅軍の間で国共合作が結ばれる。蒋は日本との対決姿勢を固めると共に1937年7月7日、当時華北に駐屯していた日本軍との間で起きた盧溝橋事件を発端に中国全土で存亡をかけた徹底抗戦(ゲリラ戦)を展開していくことになる。

盧溝橋事件後に本格的な戦闘が行われても、1941年12月に太平洋戦争が勃発するまで両国は宣戦布告をおこなわなかった。これは「大日本帝国と中華民国が互いに宣戦布告しておらず公式には戦争状態にない」という状態を、事変の勃発当初から日米戦争の開始までの4年間、双方が望んだからである(宣戦布告をおこなった場合、第三国には戦時国際法上の中立義務が生じ、交戦国に対して軍事的な支援をすることは、中立義務に反する敵対行動となる)。宣戦布告は、これ以上の国際的な孤立を避けたい日本側にとっても、外国の支援なしには戦闘を継続できない蒋介石側にとっても不利とされた。なお、日本軍が駐兵していた法的根拠は義和団の乱の講和条約である北京議定書に基づいている。

日中戦争の被害

日本軍の犠牲者数

* 45万5700人(1937-1945)

中国勢力の犠牲者数

共産党政権維持のための反日プロパガンダも加わり、中国側の「日中戦争の犠牲者数」は日々成長している。特に1950年以降国内で中国政府が起こした大躍進政策での大量餓死(死者は推計2000万-5000万人)、文化大革命での大虐殺(推計3000万-7000万人)、天安門事件などへの国内批判の払拭と中国の対日政策のため、反日教育の一環として大幅に犠牲者数が増えていった。そのうち、当時の中国人口よりも犠牲者数が増えるのではないかと揶揄する歴史家もいる。蒋介石が終戦時発表した抗日戦の中国側死傷者数は438万人。終戦当時の公式文書「対日戦争勝利の成果」には「中国側の戦死者131万人、戦傷者 176万人(総計308万人)」とある

日中戦争年表

1937年(昭和12年)

* 2月2日 - 第二次西安事変
* 2月2日 - 日本、広田内閣から、林内閣へ。
* 2月15日 - 中国、三中全会(国民党第五回中央執行委員会第三次全体会議)で、対日戦発動案が提議される。
* 4月16日 - 日本、第三次北支処理要綱を制定。
* 4月 - 中国国民政府、税警団を青島方面に派遣。緊張が高まる。
* 5月 - 汕頭事件。
* 5月 - 蒋介石、ドイツ政府に高射砲、魚雷、機雷の提供を要請。
* 5月31日 - 日本、林内閣から近衛内閣へ。

1937年(昭和12年)

* 7月7日 - :盧溝橋事件(北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国国民党軍が衝突。日中戦争(支那事変)の勃発)

* 7月11日 - 近衛文麿内閣、関東軍・朝鮮軍・内地師団の華北派兵、および現地解決、不拡大方針を閣議決定。
* 7月11日 - 近衞内閣、「北支派兵に関する政府声明」において、事件を北支事変とし華北へ出兵することを発表。
* 7月11日 - 重篤となった田代皖一郎支那駐屯軍司令官に代え、香月清司中将を新司令官に親補。
* 7月11日 - 関東軍の独立混成第11旅団と独立混成第1旅団、朝鮮軍の第20師団に華北派遣が発令され、支那駐屯軍に編入。
* 7月11日 - 現地停戦協定成立。それに伴い内地師団動員は見合わせ。
* 7月13日 - 大紅門事件(北平(北京)大紅門で日本軍トラックが中国兵に爆破され日本兵4人死亡)。
* 7月17日 - 蒋介石、盧山において「最後の関頭」演説(日本の出方次第では徹底抗戦する意志を表明)。
* 7月17日 - 五相会議で現地停戦協定の交渉期限を19日までと決定。
* 7月19日 - 盧溝橋事件の停戦協定の細目が成立。
* 7月19日 - 蒋介石、現地停戦協定には中央政府の承認が必要(譲歩的として現時点では非承認)とし、日中両軍の同時撤退案と外交交渉を通告すると共に広く「最後の関頭」を宣言する。
* 7月20日 - 蘆溝橋城の中国軍が日本軍に対して一斉射撃。日本軍が蘆溝橋城壁に反撃をする。
* 7月20日 - 条件付ながら内地師団動員を閣議決定
* 7月21日 - 参謀本部、内地師団動員を一時見合わせ。
* 7月25日 - 郎坊事件(鉄道駅で国民革命軍が日本軍を襲撃し戦闘が勃発)。
* 7月26日 - 広安門事件(中国軍の諒解を得て広安門居留民保護に駆けつけた日本軍が広安門で中国軍より銃撃を受ける)。
* 7月27日 - 内地師団動員を下令。第5師団・第6師団・第10師団を支那駐屯軍に編入。
* 7月28日 - 日本軍(支那駐屯軍)、華北で総攻撃を開始。
* 7月29日 - 通州事件(中国軍の冀東防共自治政府保安隊が日本軍特務機関・日本人居留民(朝鮮系日本人を含む)に対して行った虐殺、強姦、放火事件)。日本国内で反中感情が高まる。
* 7月29日 - 日本軍(支那駐屯軍)、北平・天津地区を制圧。
* 8月9日 - 日本軍(関東軍)、察哈爾省攻略開始(チャハル作戦)。
* 8月9日 - 大山中尉殺害事件。
* 8月13日 - 包囲していた中国軍と国際租界の日本海軍陸戦隊の交戦が開始される(第二次上海事変)。
* 8月13日 - 日本海軍、渡洋爆撃命令を発令。
* 8月14日 - 中国空軍機による上海租界空爆により各国民間人に大きな被害。
* 8月15日 - 第一次近衞内閣、戦争目的として「暴支膺懲」を表明。
* 8月15日 - 日本陸軍、上海派遣軍編成命令。
* 8月15日 - 日本海軍、南京への渡洋爆撃開始。
* 8月15日 - 中華民国は全国総動員令を発し、大本営を設置して陸海空軍総司令に蒋介石が就任、戦時体制を確立す。
* 8月21日 - 中ソ不可侵条約締結(ソ連の軍事援助)。
* 8月22日 - 共産党軍の国民政府軍への編入。西北地域の紅軍を国民革命軍第8路軍に改編(八路軍)。
* 8月25日 - 中国共産党、『抗日救国十大綱領』を発表
* 8月31日 - 支那駐屯軍を廃止、北支那方面軍・第1軍・第2軍編成。
* 8月末 - 上海派遣軍、上海上陸開始。
* 9月2日 - 日本、北支事変を支那事変と改称。
* 9月5日 - 日本海軍、中国大陸沿岸の封鎖を宣言。
* 9月9日 - 陽高事件(山西省の陽高で、関東軍が中国人を虐殺)。
* 9月13日 - 国民政府、日本軍の行為を国際連盟に提訴。
* 9月14日 - 日本軍(北支那方面軍)、北平・天津より南進を開始。保定攻略。
* 9月22日 - 共産党国難に赴く宣言と蒋介石談が放送される。通称「第二次国共合作」と呼ばれる。
* 9月28日 - 国際連盟、総会で日本軍による中国の都市への空爆に対する非難決議を満場一致で採択。
* 10月2日 - 日本軍(北支那方面軍)、太原攻略開始(山西作戦)。
* 10月5日 - 国際連盟、諮問委員会で日本の軍事行動を九カ国条約・不戦条約違反とする決議採択(翌10 月6日、総会でも決議)。
* 10月5日 - 米国のルーズベルト大統領、シカゴで侵略国を批判する「隔離」演説。
* 10月10日 - 日本軍(第1軍)、石家荘占領。
* 10月12日 - 華中の紅軍を新四軍に改編。
* 10月17日 - 日本軍(関東軍)、包頭を占領(チャハル作戦終了)。
* 11月2日 - トラウトマン駐華ドイツ大使による和平工作始まる(トラウトマン工作)。
* 11月3日~11月15日 - ブリュッセルで九カ国条約会議開催、日本を非難する宣言採択。
* 11月5日 - 日本軍(第10軍)、杭州湾に上陸。
* 11月7日 - 中支那方面軍編成。
* 11月8日 - 日本軍(北支那方面軍)、太原占領。
* 11月9日 - 蒋介石、上海から撤退命令。
* 11月12日 - 日本軍、上海を占領。
* 11月19日 - 日本軍(中支那方面軍)、蘇州攻略。
* 11月20日 - 日本、大本営設置。
* 11月20日 - 国民政府(蒋介石)、南京より重慶へ遷都。
* 11月22日 - 〔F〕日本、内蒙古に蒙疆連合委員会を樹立させる(後に蒙古連合自治政府)。
* 11月27日 - 日本軍(中支那方面軍)、無錫攻略。
* 11月29日 - 日本軍(中支那方面軍)、常州攻略。
* 12月1日 - 大本営、中支那方面軍に南京攻略を許可(南京攻略戦)。
* 12月10日 - 日本軍(中支那方面軍)、南京攻撃開始。
* 12月12日 - 中国(国民党)軍南京防衛司令官の唐生智大将が南京から逃走。
* 12月13日 - 南京陥落、日本軍が南京城内へ入城。「南京大虐殺」。
* 12月14日 - 日本、北京に中華民国臨時政府を樹立させる。
* 12月17日 - 日本軍(中支那方面軍)、南京入城式。
* 12月18日 - 日本の陸海軍合同慰霊祭を南京故宮飛行場において挙行。
* 12月23日 - 南京で自治委員会が設立、治安はかなり回復する。

* 12月27日 - 日本軍、済南を占領。

1938年(昭和13年)

* 1月1日 - 南京において南京自治委員会の発会式が挙行される。
* 1月10日 - 日本軍、青島を占領。
* 1月11日 - 御前会議、「支那事変処理根本方針」を決定。
* 1月16日 - 近衞文麿、「国民政府を対手とせず」の声明(第一次近衛声明)。トラウトマンによる和平工作打ち切り。
* 2月7日 - 中ソ航空協定締結。
* 2月14日 - 中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍を廃止、中支那派遣軍編成。
* 3月28日 - 日本、南京に中華民国維新政府を樹立させる。
* 4月1日 - 日本、国家総動員法公布。
* 4月7日 - 大本営、徐州攻略作戦(徐州会戦)を許可。
* 5月10日 - 日本軍、廈門を占領。
* 5月15日 - 中国軍、徐州放棄。
* 5月19日 - 日本軍(北支那方面軍・中支那派遣軍)、徐州占領。
* 6月 - 中国軍による黄河決壊事件により民間人の被害は数十万人。
* 7月11日~8 月10日 - 張鼓峰事件(日ソ武力衝突)。
* 8月22日~ - 日本軍(中支那派遣軍)、武漢三鎮を攻略開始(武漢作戦)。
* 10月12日 - 日本軍(第21軍)、バイアス湾上陸(広東作戦開始)。
* 10月21日 - 日本軍(第21軍)、広東占領。
* 10月27日 - 日本軍(中支那派遣軍)、武漢三鎮を占領。
* 11月3日 - 近衞首相による「東亜新秩序」声明(第二次近衛声明)。
* 11月12日 - 中国軍により長沙大火が起され、人口50万の都市が潰滅。
* 11月 - 援蒋ルート(ビルマルート)完成。
* 12月4日 - 日本軍、重慶爆撃開始。
* 12月20日 - 汪兆銘が重慶を脱出。
* 12月22日 - 日本、近衞首相が近衛三原則を発表(第三次近衛声明)。

1939年(昭和14年)

* 2月10日 - 日本軍、海南島上陸。
* 3月初め - 日本軍、海州など江蘇省の要所を占領。
* 3月27日 - 日本軍、南昌占領。
* 4月 - 中国軍、華南で春季反撃作戦。
* 5月初め - 日本軍、襄東作戦。
* 5月11日 - ノモンハン事件勃発(日ソ武力衝突)。
* 6月13日 - ソ連、国民政府に対し1億5000万ドルの借款を供与。
* 6月14日 - 日本軍、天津のイギリス租界を封鎖。
* 7月26日 - 米国、日米通商航海条約廃棄を日本に通告。
* 8月23日 - 独ソ不可侵条約締結。
* 9月1日 - 欧州で第二次世界大戦勃発。
* 9月15日 - ノモンハン事件停戦協定成立。
* 9月下旬 - 日本軍、贛湘作戦、(贛は、江西地域のこと)。
* 10月 - 日本軍、翁栄作戦。
* 11月7日 - 華北で日本兵捕虜が日本兵士覚醒連盟を結成。
* 11月24日 - 日本軍、南寧占領。
* 11月30日 - 日本政府、フランスに仏印経由での援蒋行為の停止を要求。
* 12月 - 中国軍、全戦線で冬季大攻勢を開始。
* 12月13日 - 日本軍、九宮山作戦。
* 12月 - 日本軍、陸水作戦。
* 12月25日 - 桂林で鹿地亘らが日本人民反戦同盟を結成。

1940年(昭和15年)

* 1月下旬 - 日本軍、賓陽作戦。
* 2月2日 - 日本、衆議院で斎藤隆夫議員が対中国政策を批判(反軍演説。3月 7日議員除名)。
* 3月30日 - 汪兆銘、南京で親日政府樹立(中華民国南京国民政府)。
* 5月1日~6 月24日 - 日本軍、宜昌作戦。
* 5月18日~9月 4日 - 日本軍、重慶を大空襲(一〇一号作戦)。
* 6月 - フランスで親独派のヴィシー政権が成立。
* 6月24日 - 日本政府、英国にビルマルートおよび香港経由による援蒋行為の停止を要求。
* 7月12日 - 英国、日本の要求に応じ援蒋ルート(ビルマルート)を閉鎖。
* 7月20日 - 重慶で日本人民反戦同盟の成立大会を開催。
* 8月20日~12 月5日 - 八路軍、日本軍に対して大攻勢(百団大戦)。
* 9月~12月 - 731 部隊、浙江省で細菌戦を実施。
* 9月23日 - 日本軍、北部仏印進駐。
* 9月25日 - 米国、国民政府に対し2500万ドルの借款を供与。
* 9月末 - 日本陸軍、桐工作を断念。
* 10月 - 日本軍、燼滅作戦(三光作戦)開始。
* 10月16日 - 米国、鉄鋼・屑鉄の対日輸出を禁止。
* 11月~12月 - 日本軍、漢水作戦。
* 11月23日 - 日本、御前会議で『支那事変処理要綱』を決定。
* 11月30日 - 日本、南京政府と日華基本条約に調印し日華共同宣言を発表(南京政府を正式承認)。米国、南京政府への不承認および国民政府に対する借款の追加供与(5000万ドル)を発表。
* 12月10日 - 英国、国民政府(重慶政府)に一千万ポンドの借款を供与。
* 12月11日 - ソ連、国民政府に対し1億元の借款を供与(バーター決済)。
* 12月18日 - 英国、援蒋ルート(ビルマルート)を再開。

1941年(昭和16年)

* 1月7日 - 南事変(国民党軍と共産党軍の衝突)。
* 1月~2月 - 日本軍、予南作戦。
* 3月15日 - 日本軍、錦江作戦。
* 4月 - 米国、国民政府に5千万ドル借款成立、中ソ中立条約成立。
* 4月13日 - 日ソ中立条約調印。
* 5月 - 米国、対中武器貸与法発動。
* 5月 - 日本軍、江北作戦。
* 5月7日~6 月15日 - 北支那方面軍、中原会戦(百号作戦)。
* 5月~8月末 - 日本軍、再び重慶を大空襲(一〇二号作戦)。
* 6月 - シンガポールで英・蒋軍事会議。
* 6月22日 - ドイツ軍、ソ連侵攻。
* 7月7日 - 関東軍特種演習(関東軍、対ソ戦を準備するが8月に断念)。
* 7月28日 - 日本軍、南部仏印進駐。
* 8月1日 - 米国、対日輸出を大幅に制限。
* 9月5日~11 月6日 - 第一次長沙作戦(加号作戦)。
* 10月 - マニラで英米蘭中の軍事会談。
* 11月22日 - 米国務長官ハル、暫定協定案を纏め、英蘭濠中に内示。英中はこれに難色を示す。
* 11月26日 - 米国務長官ハルは暫定協定案を放棄し、ハル・ノートを作成。同日野村・来栖両大使へ手交。日本はこれを最後通牒と解し、対米開戦に傾く。
* 12月~翌年1月 - 第二次長沙作戦。
* 12月8日 - 日本、マレー半島上陸、及び真珠湾攻撃。後に英米に宣戦布告(以降太平洋戦争・大東亜戦争)。
* 12月8日 - 日本軍(支那派遣軍)、香港攻略開始(香港の戦い)。
* 12月9日 - 中華民国(重慶政府、蒋介石政権)、日独伊に宣戦布告。
* 12月12日 - 日本、対米英戦争を支那事変(対中国戦線)も含めて「大東亜戦争」と呼称することを閣議決定する。
* 12月25日 - 日本軍、香港占領。

1942年(昭和17年)

* 1月 - 米国人ジョセフ・スティルウェルが中国国民党軍参謀に就任。
* 1月31日 - 日本軍、ビルマ攻略開始(援蒋ルートの遮断)。
* 3月 - 米国、国民政府に5億ドル借款成立。
* 5月~9月 - 浙贛作戦(せ号作戦)、浙は浙江省、贛は江西省の旧称。
* 5月末 - 日本軍、ビルマ全域を占領。
* 10月 - 英米、中国における治外法権を撤廃(不平等条約の廃止)。

1943年(昭和18年)

* 1月 - 延安で「日本人開放連盟」成立、前線の日本兵へ投降の呼びかけ。
* 1月9日 - 日本・南京国民政府(汪兆銘政権)は、日華共同声明を発表。汪兆銘政権、米英に宣戦布告。日華協定を締結(日本の南京政府への租界返還・治外法権撤廃など)。
* 1月11日 - 国民政府、英米両国と治外法権撤廃についての条約を締結。
* 1月14日 - イタリア、南京政府に対し租界返還・治外法権撤廃を通告。
* 2月21日 - 日本軍、フランス(ヴィシー政府)側の了解(広州湾共同防衛協議)を得て、広州湾のフランス租界(広州湾租借地)に進駐。
* 2月~3月 - 江北作戦、江北は武漢の西方、揚子江の北側。
* 5月~6月 - 江南作戦。
* 10月30日 - 日本・南京政府が新たな同盟条約に調印。
* 11月~翌年1月 - 常徳作戦、常徳は武漢の南西。
* 11月22日~11月26日 - カイロで英米中首脳会談(カイロ会談)。

1944年(昭和19年)

* 3月25日 - 日本軍、黄河鉄橋の修理完了。
* 4月~翌年1月 - 大陸打通作戦(1号作戦)、前半が京漢作戦(コ号作戦)、後半が湘桂作戦(ト号作戦)。
* 4月19日 - 日本軍、鄭州を占領。
* 5月25日 - 日本軍、洛陽を占領。京漢作戦が成功。
* 6月2日~9 月14日 - 拉孟・騰越の戦い(援蒋ルート(ビルマルート)再開)。
* 6月18日 - 日本軍、長沙を攻略。
* 7月7日 - サイパン陥落。
* 11月10日 - 汪兆銘が客死。

1945年(昭和20年)

* 2月4日~11 日 - ヤルタ会談での戦後処理議題で蒋介石は満州支配の権益をソ連に譲ることを約束。
* 3月3日~4 月11日 - 老河口作戦。老河口飛行場を占領。
* 4月15日~5月 9日 - 蕋江作戦(20号作戦、湘西作戦)。蕋江飛行場の手前、白馬山付近までしか行けず。
* 5月25日 - 南寧を放棄
* 8月6日、8月 9日 - アメリカ、広島・長崎へ原子爆弾を投下。(日本への原子爆弾投下)
* 8月8日 - ソ連、日ソ中立条約を破棄し、満州国・朝鮮半島に侵攻。
* 8月14日 - 葛根廟事件(ソ連軍、日本人避難民を虐殺)、ポツダム宣言受諾。
* 8月15日 - 日本、連合国に対しポツダム宣言の受諾を正式に表明。(日本の降伏)
* 8月17日 - 満洲国皇帝康徳帝(溥儀)が退位宣言。満洲国が消滅。
* 9月2日 - 日本、連合国、米戦艦ミズーリ号にて降伏文書に調印。
* 9月9日 - 南京にて連合国主催の調印式が行われ、支那派遣軍総司令官岡村寧次大将、中華民国陸軍総司令何応欽、降伏文書に調印。

戦後処理と戦後史について

中国との国交正常化は、1972年(昭和47年)に周恩来と田中角栄の手により実現した。中国側は日中共同声明で賠償放棄を宣言、代わりに「隣国として助け合うこと」・「過去の過ちと反省」などの理由から日本は中国の発展のため、政府開発援助(ODA)を実施することを約束し戦後処理が決着した。日本が1979 年から中国に対し行ってきたODA総額は、現在までに3兆円を超え、現在も年間10億円の資金が中国に援助されている。しかし中国政府は共産党政権維持のため情報操作・情報規制が行われているため、中国国民の大半は賠償放棄は知っている。

さらに詳しく → 日中戦争



日中戦争日中戦争
(2008/10/23)
林 思雲北村 稔

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