第2次大戦への道(1918-1933) - ドイツ

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2010/01/10(日)
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第一次世界大戦

1914年6月28日のサラエボ事件を機にオーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに宣戦した際、ロシア帝国がセルビアを支援したため、同年8月 1日に、同盟を理由にドイツ国はロシア帝国に対して宣戦した。その後、フランス、イギリス、日本なども参戦し、第一次世界大戦へと拡大した。開戦当初、短期決戦型のシュリーフェン・プランを計画していたが、タンネンベルクの戦い、マルヌ会戦では予想をはるかに上回る兵力と時間を費やした。

1917年、ドイツは北海と地中海において無差別潜水艦作戦を実行。これまで中立の立場を取っていたアメリカ合衆国も、公海の自由への侵害に怒り、4月にドイツに宣戦した。7月には、議会内の講和を図る勢力が台頭したが、これを制えたドイツ最高軍司令部(OHL)が事実上の軍事独裁体制を確立した。

1918年になると戦局は悪化の一路を辿り、ブルガリア、オスマン帝国、オーストリアの同盟諸国が相次いで降伏し、11月のキール軍港での水兵の反乱を引き金にして、皇帝ヴィルヘルム2世は退位を発表、オランダに亡命した。1918年11月11日に、コンピエーニュの休戦条約により、第一次世界大戦は休戦した。

ヴァイマル共和政

ホーエンツォレルン家による帝政が終わると、1919年初頭のスパルタクス団(1918年末にドイツ共産党を結党)の蜂起などの混乱を経て、ドイツ社会民主党が政権を握り、フリードリヒ・エーベルトが大統領になった。当時世界で最も民主的とされたヴァイマル憲法を制定した。

敗戦国ドイツはヴェルサイユ条約によって、植民地と領土の一部の割譲、1320億マルクという莫大な賠償金の支払い、軍備の制限といった冷酷な責任を負わされた。国内の経済や社会情勢に対する不満から、カップ一揆やミュンヘン一揆が起こった。シュトレーゼマン首相の時代には、インフレの克服に始まり、ヴェルサイユ条約への履行政策をとって平和協調に努めた。

国際的信用を回復し、賠償額も軽減されたドイツは、経済・政局ともに次第に安定期に入った。工業が活発化し資本主義が台頭するに伴い、社会民主党の勢力は衰えていき、それに代わって共産党が力を蓄えてきた。世界恐慌によって潰滅的な打撃を被ると、ヒンデンブルク大統領が強権を発動し、内閣は次々に交代。保守層は共産党の大躍進に危機を感じ、やがて民族主義を唱えるアドルフ・ヒトラーを支援し、ナチ党が台頭してきた。

ナチスドイツと第二次世界大戦

1933 年1月、アドルフ・ヒトラーは首相に任命され、政権を獲得した。1934年8 月にパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領が死ぬと、ヒトラーは首相と大統領を兼務させ、国民投票によって賛同され総統に就任した。ヒトラーは直ちに全権委任法を制定し、一党独裁体制を確立した。1935年にはヴェルサイユ条約の破棄と再軍備を宣言した。

ヒトラーはアウトバーンなどの公共事業に力を入れ、世界恐慌で潰滅状態にあったドイツ経済を立て直した。一方で、ユダヤ人やロマのような少数民族の迫害など、独裁政治を推し進めた。1936年には、ドイツ軍はヴェルサイユ条約によって非武装地帯となっていたラインラントに侵攻した(ラインラント進駐)。同年には国家を威信を賭けたベルリン・オリンピックが行われた。外交においては“劣等民族”とされたスラブ人国家のソビエト連邦を反共主義イデオロギーの面からも激しく敵視し、英仏とも緊張状態に陥った。ただし、ヒトラーはイギリスとの同盟を希望していたと言われる。アジアにおいてはリッベントロップ外相の影響もあり、伝統的に協力関係(中独合作)であった中国から国益の似通う日本へと友好国を切り替えた。1936年には日独防共協定を締結。1938年には満州国を正式に承認し、中国のドイツ軍事顧問団を召還した。1940年9 月には、アメリカを仮想敵国として日独伊三国軍事同盟を締結した。

1938 年にはオーストリアを併合(アンシュルス)。9月にはチェコスロバキアに対し、ドイツ系住民が多く存在するズデーテン地方の割譲を要求。英仏は反発し、戦争突入の寸前にまで陥ったが、イタリアのベニート・ムッソリーニの提唱により英仏独伊の4ヶ国の首脳によるミュンヘン会談が開かれ、ヒトラーは英仏から妥協を引き出すことに成功した。この時ヒトラーが英国のネヴィル・チェンバレン首相に出した条件は「領土拡張はこれが最後」というものであった。

しかしヒトラーはこの約束を遵守せず、翌1939年にはドイツ系住民保護を名目にチェコスロバキア全土に進軍、傀儡政権として独立させたスロバキアを除いて事実上併合した。オーストリア・チェコスロバキアを手に入れたヒトラーの次の目標は、ダンチヒ回廊であった。ヒトラーは軍事行動に先立って、犬猿の仲とされたヨシフ・スターリン率いるソビエト連邦との間で独ソ不可侵条約を締結。世界中を驚愕させた。

ヒトラーはダンチヒ回廊の返還をポーランドに要求。拒否されると、独ソ不可侵条約締結から7日後の1939年9 月1日に、ドイツ軍はポーランドへ侵攻した。ヒトラーは、イギリスとフランスは参戦しないだろうと軽く見ていたが、その思惑に反して、イギリスとフランスはドイツに宣戦を布告し、第二次世界大戦が勃発した。

さらに詳しく → Wikipedia アドルフ・ヒトラー  ドイツ  ヴェルサイユ条約  ミュンヘン会談



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