スーパーマリン スピットファイア(Supermarine Spitfire)

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2010/01/05(火)
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スーパーマリン スピットファイア (Supermarine Spitfire) は、イギリススーパーマリン製単発レシプロ単座戦闘機である。第二次世界大戦においてイギリス空軍を始めとする連合軍で使用された。楕円形の特徴的な主翼を持ち、翼断面は高速を発揮するために薄かった。主任設計技師であるR.J.ミッチェル(1937年死去)とジョセフ・スミスを始めとする彼の後継者たちによって設計されたスピットファイアは、パイロットたちからの支持は厚く、第二次世界大戦のさまざまな状況で活躍した。基本設計が優秀であったことと、戦況に応じたエンジンの出力向上(しかも排気量はグリフォン・エンジンまで変化していない)によって長期間にわたり活躍し、23,000機あまりが生産され、1950年代まで使用された。

開発経緯

スーパーマリン社の主任設計技師であったR.J.ミッチェルは、ネイピア・ライオンやロールス・ロイス社製の強力なエンジンを搭載し、空気抵抗を減らすため、非常に流麗な流線形の機体をもった水上機を作成し、「シュナイダー・トロフィー・レース」で3度の優勝を成し遂げている。こうした先進的な設計は、戦闘機にも応用できる部分が大きかった。1931年、ミッチェルはイギリス空軍の仕様F7/30に合致する404 km/h以上の速力を出せる戦闘機の製作を始めた。

1934 年2月に初飛行した最初の試作機は、風防がなく、空気抵抗の大きい固定脚をもつガルウイングの単葉機で、エンジンにはロールス・ロイス ゴスホークを搭載した。このタイプ 224は、他社が設計したものと同じように、空軍の期待に添うものではなかった。ミッチェルは、レース機の経験を生かした設計に取り組み、より洗練された機体の設計を進めた。新しく設計されたタイプ 300には、主翼の小型化、主脚引き込み機構を搭載し、1934年7月にイギリス航空省へ提出されたが、採用には至らなかった。このタイプ 300に改良を進め、風防、酸素マスク、そしてより強力なロールス・ロイス社製のマーリンエンジンが搭載された。1934年11月には、スーパーマリンの親会社であるヴィッカース・アームストロングの支援を受け、タイプ 300の細かな設計が進められた。

1935 年1月3日に航空省は正式に契約し、必要な装備の要求を掲載した仕様F10/35を発行した。武装は、ヴィッカース 7.7 mm機関銃4丁であったが、1935年4月に航空省のラルフ・ソアビーによる推薦で、ブローニング7.7 mm機関銃8丁へ改められた。 1936年3月5日に試作機(K5054)がイーストリー・エアロドローム(現サウサンプトン空港)において、初飛行を行った。その後、ジェフリー・クイールとジョージ・ピカリングらによる試験飛行で528 km/hを記録し、より鋭利なプロペラでは、557 km/hに達した。1936年6 月3日には、航空省から310機のスピットファイアが発注された。

楕円翼の採用は生産性の悪化を招いたものの、捻り下げや戦闘機としては極めて低い翼厚比と併せて、大迎え角での誘導抵抗の減少、翼端失速の防止、翼内武装の充実、高速といった長所をスピットファイアに与えた。のちのスピットファイアの翼は、これよりももっと薄く、まったく異なった構造になっている。

設計

ミッチェルの狙いは、比較的容易な操縦性を保ちつつ、マーリンエンジンの力を生かして高性能な爆撃機を要撃できるバランスのとれた戦闘機であった。当時、戦闘機は自軍や母国の防空に専念すると考えられ、イギリス上空に進出してくることを想定していなかったことから、要撃には爆撃機を待ち受けるために素早く上昇することが必要だった。

楕円翼形の主翼

上昇力だけでは戦闘機と渡り合うことはできないという矛盾を解消するため、1934年に設計陣は楕円翼形を採用した。抗力を生むことを避けるため、主翼の厚みは薄くする必要があったが、巧妙な設計によって薄い翼でも機関銃とその弾薬、そして、格納式の引き込み脚の搭載を可能とした。この楕円翼形の採用について、ミッチェルは1932年に初飛行したハインケル He 70の翼形をコピーしたと非難されることがあった。設計陣の航空力学担当であったシェンストーンは、戦後、これを否定した。

我々スーパーマリンが、楕円翼形をドイツのハイケル He 70 輸送機から盗用したと示唆された。これは、そうではない。我々の翼形は、ハインケルのそれよりも非常に細く、異なる翼型を持っていた。いずれにせよ、異なる目的のために設計された翼形をそのままコピーすれば、駄作機にしかならない。

– Beverley Shenstone, Spitfire: A Documentary History


翼付け根で13%、翼端で6%の翼厚・翼弦比率の実現に向いていたため、翼型は、 NACA 2200シリーズを使用した。横方向の安定性に対応するため、上反角は6度とされた。翼端のパーツのみを交換することで、変更が可能。主に高々度用に延長翼、低高度用に切断翼が使用されたが、型式のHF、LF等とは直接関係がない(これらの型式は搭載されたエンジン(スーパーチャージャーの設定高度)による)。

* 標準翼
* 延長翼:高々度飛行のために翼面積を増やすために主としてMk. VIIで採用された。
* 切断翼:低高度でのロールレートと速度増加が目的。戦争後期に多く使用された。

主翼の特徴は、革新的な翼桁を延ばした設計であった。5本の角管が翼幅に従って細くなり、翼端に近づくにつれ角管を減らした。そのうちの2本は結合され、軽量でありながら強固な主桁となった。引き込み脚構造は、主桁の内部に軸を設け、真横ではなく、やや後ろ方向へ車輪を収容した。これが着陸時に主桁にかかる曲げ荷重を軽減することから、車輪間の幅の狭さは、許容範囲だと考えられた。

武装

1934年に.303 ブリティッシュ (.303 British) を使用する標準口径ライフル機関銃に選定されたブローニング機関銃が不足していたため、初期のスピットファイアには4丁の機関銃が付けられた。これは早い時期に地上や低高度での動作に問題が見られない一方で、高高度で凍結する傾向があり、特に翼端に近い機関銃ほど、その傾向が強かった。この原因は、機銃の構造を、弾薬で使用するコルダイトの過熱を防ぐため、イギリス向けにオープンボルトへ変更したことであった。根本的な解決が見出されたのは1938年10月で、翼にラジエターを据えてダクトを通じて機関銃に暖気を送った。しかし、8丁のブローニングを搭載していても本機は大型機を撃墜するには威力不足であった。戦闘報告においても、1機を撃墜するのに平均で4,500発を撃っていたことが示された。1938年 11月の装甲標的と非装甲標的に対する射撃試験により、本機には口径20 mmの火器が必要であると結論付けられた。

1940年に開発されたスピットファイア Mk. Vは、武装によって主翼が異なった。A ウイングは最初期の翼と同等で、ブローニング機関銃を左右にそれぞれ4挺(弾数各300発)ずつ搭載可能であった。B ウイングは左右にそれぞれイスパノ 20 mm 機関砲を1門(弾数各60発)、ブローニング機関銃を2挺(弾数各 300発)搭載している。Aウイングとの外見上の違いは20 mm 機関砲を搭載するためのバルジと翼から前方につきだした銃身保護用フェアリングである。E ウイングは両翼それぞれにイスパノ 20 mm 機関砲を1門(弾数各120発)、ブローニング M2 12.7 mm (.50) 機関銃を1挺(弾数各250発)搭載していた。 B、C ウイングとの外見上の違いは20 mm 機関砲のフェアリングが外側にあること(外側が20 mm 機関砲の銃口、内側が12.7 mm 機関銃の銃口)である。

C ウイングはユニバーサル・ウイングともいい、3通りの武装が可能であった。a タイプでは、両翼それぞれにブローニング機関銃を4挺(弾数各300発)ずつ搭載した。20 mm 砲弾は、B ウイングのドラム式からベルト給弾に改められたため倍に増えている。b タイプでは、両翼それぞれにイスパノ20 mm 機関砲を1門(弾数各120発)、ブローニング機関銃を2挺(弾数各300発)搭載した。Bウイングとの外見上の違いは、20 mm 機関砲用フェアリングの横にフェアリングが付いている点である。c タイプでは、両翼それぞれにイスパノ 20 mm 機関砲を2門(弾数各120発)搭載した。

照準器に当初、GM-2が使用されていたが、後にジャイロ・ガンサイトのMk. IIが搭載される。対地攻撃には、Mk. III 爆弾架を使用することで250ポンド爆弾を翼下に、500ポンド爆弾を胴体下に搭載可能である。ロケット弾は、翼下に3.5インチHEロケット弾を搭載可能。

燃料タンク

スピットファイアの短所のひとつである航続距離を延長するために、内装タンクの増加に加えて様々なタイプの外装式タンクが採用された。内装タンクは、胴体後部へのタンク追加、前部タンクの増量、翼前縁へのタンク追加がなされた。

コンフォーマルタンクを先取りしたとも言える、スリッパー式ドロップ・タンクは30英ガロン、45英ガロンの容量のものが作られた。さらにフェリー用の90英ガロンの容量を持つタンク、170英ガロンの大型スリッパー・タンクまで作られた。スリッパー型ドロップ・タンクの他、一般的な魚雷型ドロップ・タンクも使用された。標準では、100オクタン燃料(緑色)を使用していたが、一部高速が要求される機種では、バスタとして150オクタン燃料が使用された。

戦歴

西部戦線

スピットファイアは、バトル・オブ・ブリテンにおける勝利の立役者とされ、その設計者のミッチェルとともに、「The First Of The Few(邦題「スピットファイア」)」という映画にもなって、称賛されている。ハリケーンはスピットファイアに対して翼の構造上、重武装を搭載するにあたり幾分か有利であった。それらは爆撃機や対地攻撃に効果を発揮し得たが、そういった火器を増強すると機動性と加速力、上昇力に影響を及ぼした。重くなったハリケーンはドイツの戦闘機との空戦には向かなかった。一方、スピットファイアはBf 109と肩を並べられる存在であった。

ドッグファイト(空中戦)では、むしろ、その機動性とコックピットの良好な視界という要因によって、ドイツ戦闘機に対してスピットファイアがより多く勝利をおさめている。燃料噴射装置を搭載するBf 109は、スピットファイアに追撃されるとマイナスGをかけながら降下して離脱した。スピットファイアがマイナスGでエンジンが停止することを知っていたためである。設計陣は、マイナスGでエンジンが停止するという問題に対して、RAEの女性研究者シリングが、小さな孔をあけたダイヤフラムを追加して、バルブをバイパスする提案をするまで悩まされた。バトル・オブ・ブリテンでは、スピットファイアが護衛戦闘機のBf 109やBf 110を攻撃し、その間にハリケーンが爆撃機を攻撃するといった戦法も用いられた。バトル・オブ・ブリテン全体で見れば、ドイツ軍が撃墜した10機のうち 7機はハリケーンであった。

しかしながら、スピットファイアは、期せずしてライバルBf 109と全く同じ、主脚の引き込み方式に由来する強度不足と地上での安定性の不足、そして航続距離の短さという欠陥を抱えていた。ただし、Bf 109の倒立エンジンと較べてスピットファイアは正立エンジンであったこと、Bf 109が胴体から長い脚がハの字に出ていたのに対して翼からほぼ垂直に脚が出ていたため、強度不足はそれほど深刻ではなかった。むしろ、航続距離が防空戦闘機として活躍する際には問題とならなかったものの、ドイツ本土に侵攻する爆撃機隊の護衛戦闘機としては致命的であった。

ドイツ・フランス上空が主戦場となった戦争の後半において、制空任務を務めたのは米国製のP-51 マスタングであり、イギリス空軍も本国の防空よりも敵地での地上攻撃が主となっていったことなどから、スピットファイアは戦闘爆撃機型と武装偵察機型の活躍が主となる。戦闘爆撃機型のスピットファイアは、米国の戦闘機や、ホーカー タイフーン、ホーカー テンペスト等と比べれば、搭載量も航続距離も低かったが、これらの戦闘機よりも軽量で、滑走路も短くて済むため、地上部隊の直協任務に適していた。

地中海戦線

防塵用フィルターのボークス (Vokes) を機首下に装備したスピットファイア Mk. Vが北アフリカ、地中海、中東へ派遣された。最初に派遣されたのは補給が困難となったマルタ島で、1942年に空母イーグルから発艦して直接マルタ島の飛行場に降り立った。この進発を皮切りにスピットファイアが主に空母で送られたが、一時的にイギリス海軍がドイツ空軍の空襲により制海権を失いかけるとジブラルタルからマルタ島まで直接無補給でスピットファイアを送る試みがなされた。この試みで、大型増槽の装備と武装の削減を施されたMk. Vが巡航で1,770 kmを無補給で飛び、17機のうち1機を除いてマルタ島にたどり着いた。その後もイギリス海軍の協力を得て、スピットファイアだけで270機以上がマルタ島に送られ、ドイツ空軍やイタリア空軍との戦闘を繰り広げた。

北アフリカでは、ボークス装備にともなう空気抵抗によって速度の低下及び機動性の劣化が避けられなかったため、小型のアブキール・フィルターが現地部隊によって開発された。これによって、速度の低下、機動性の劣化は多少改善された。また、より高性能なMk. VIIIが送られるとシシリー島やイタリア戦線でアメリカ空軍と連携して戦線を支えた。しかし、イタリア戦線でも制空任務への役割が低下すると、地上攻撃に従事した。

東部戦線

東部戦線では、ソ連に提供されたスピットファイアがドイツ軍と戦った。最初のスピットファイアはイラン経由でソ連に送られたMk.Vで、その後Mk. IXなどが追加された。

太平洋戦線

本格的な導入は、1942年(昭和17年)秋からで豪州政府の要請により英空軍(RAF)から3個中隊(100機程度)がオーストラリア空軍 (RAAF)に配属された。1943年(昭和18年)2月からポートダーウィン上空で来襲する日本の零戦と数次に渡って会戦したが、結果は撃墜した零戦3機に対し撃墜されたスピットファイアは38機と惨敗を喫している。RAAFスピットファイアパイロットの多くは欧州戦線で高速のMe109やFw190へ旋回性能を生かした格闘戦で対抗してきた経験から、それまで零戦と対していた米空軍P- 40戦闘機隊の「一撃離脱戦法に徹すべき」という忠告を聞かず、零戦が得意とする格闘戦に正面から挑んでいき多くが撃墜された。

対戦した日本軍の二〇二空、七五三空部隊のほとんどが搭乗時間1000時間以上の熟練パイロットで構成されていたことも原因とされる。この結果を受けてRAAFのコールドウエル中佐は、零戦の対策法として「零戦とドッグファイトに入るのは賢明ではない。高速を利用した急降下攻撃を何度も繰り返すべきである」とパイロットに訓示している。ポートダーウィンでの戦闘が終了し連合軍による反撃が始まると、航続距離の短さから侵攻作戦には不向きとされ地上攻撃など陸戦支援に回され目だった戦果を挙げることなく終戦を迎えた。

豪州でスピットファイアが奮わなかった原因の一つは環境に阻害されて性能をフルに発揮できなかったためでもある。英国から送られてきたスピットファイアは旧式のMk.Vで、防塵用フィルターが装備されていた。イギリス本土から遥か遠くの飛行場では、必要な機材も揃わず、修理するための部品も足りなかった。その上、赤道に近い地域では地上での高温・高湿が機体を痛め、徹底的なメンテナンスを必要とさせた。一旦、飛び立っても高空では急激に温度が低くなり、低温の影響で定速装置のオイルが凝固すると制御不能となってエンジンを停止しなければならないという問題があった。このため、出撃しても機体故障のために未帰還となる機体が続出した。僻地において、この問題が解決されることはなく、オーストラリア空軍はMk. VIIIに機種交換するまで悩まされた。

戦後の使用

第二次世界大戦後の1960年代になっても、エジプト・アイルランド・イスラエル・シリア・トルコ、チェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィア、インド、ビルマ、タイなど、世界各国で使用されていた。中東戦争では、敵味方にわかれてスピットファイア同士が戦う場面も見られた。かつてのライバルBf 109の戦後型であるアヴィア S-199との戦闘も発生している。

スペック(Mk Vb)

性能諸元

* 乗員: パイロット 1名
* 全長: 9.12 m
* 全幅: 11.23 m
* 全高: 3.86 m
* 翼面積: 22.48 m²
* 翼形: NACA 2200
* 空虚重量: 2,309 kg
* 全備重量: 3,000 kg
* 最大離陸重量: 3,071 kg
* 翼面荷重: 119.91 kg/m3
* 動力: ロールス・ロイス マーリン 45 過給機付きV型12気筒 水冷エンジン × 1
* 出力: 1,470 HP / 高度 9,250 ft(1,100 kW / 高度 2,820 m)
* 最大速度: 605 km/h(高度4,000 m)
* 戦闘半径: 760 km
* 航続距離: 1,840 km
* 実用上昇限度: 11,300 m
* 上昇率: 13.5 m/s
* 出力荷重比: 360 W/kg

武装

* 固定武装(Mk I, Mk II, Mk Va): ブローニング Mk.2 (AN/M2) 7.7 mm 機関銃 × 8 (1門350発)
* 固定武装(MK Vb):
    o イスパノ・スイザ Mk II 20 mm 機関砲 × 2 (1門60発、Mk Vc以降1門120発へ増加)
    o ブローニング Mk.2 (AN/M2) 7.7 mm 機関銃 × 4(1門350発)
* 爆弾: 110 kg (250 lb) 爆弾 × 2

スペック (Mk. IXe)

諸元

* 乗員: パイロット 1名
* 全長: 9.47 m (31 ft 1 in)
* 全高: 3.86 m (12 ft 8 in)
* 翼幅: 9.9 m(32 ft 6 in)
* 翼面積: 21.46 m² (231 ft²)
* 空虚重量: 2,309 kg (5,090 lb)
* 運用時重量: 3,354 kg (7,400 lb)
* 動力: ロールス・ロイス マーリン 66 (ブースト圧 +25 lb/ft²)過給機付きV型12気筒 150 オクタンガソリン 水冷エンジン、3,353 m 時 1,283 kW (1,720 hp) × 1

性能

* 最大速度: 6,400 m 時 650 km/h (404 mph)
* 戦闘行動半径: 698 km (434 mi)
* フェリー飛行時航続距離: 1,577 km (980 mi)
* 実用上昇限度: 12,954 m (42,500 ft)
* 上昇率: 3,048 m 時 24.1 m/s (4,745 ft/min)
* 翼面荷重: 149 kg/m² (30.6 lb/ft²)
* 馬力荷重(プロペラ): 0.39 kW/kg (0.23 hp/lb)

武装

* 固定武装: イスパノ・スイザ Mk II 20 mm 機関砲(1門120発) × 2、ブローニング M2 12.7 mm 機関銃(1門250発) × 2
* 爆弾:
    o 胴体下:230 kg(500 lb)爆弾 × 1
    o 翼下:110 kg(250 lb)爆弾 × 2


さらに詳しく → スーパーマリン スピットファイア  レシプロエンジン



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