61式戦車(Type 61 Tank)

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2010/01/04(月)
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61式戦車(ろくいちしきせんしゃ、Type-61 tank)は日本の陸上自衛隊が運用していた戦後第1世代戦車に分類される戦後初の国産主力戦車である。

概要

第二次世界大戦後、初めて開発された国産戦車であり、戦後第1世代主力戦車に分類される。開発・生産は三菱重工業が担当し、それまで供与されていたアメリカ製戦車との共同、もしくは置き換えにより全国の部隊に配備された。1955 年(昭和30年)に開発が開始され、1961年(昭和36年)4月に制式採用された。採用された西暦の下二桁の年をとり、61式戦車と命名された。52口径の90mmライフル砲を装備し、鉄道輸送を考慮して当時の国鉄貨車に搭載できるよう車体が小型化されている。1974 年(昭和49年)に74式戦車が採用されるまで560輌が生産され、2000年(平成12年)に全車が退役した。

開発

要求された性能

正式には1955年(昭和30年)にSS(後の60式自走105mm無反動砲)と共に研究開発がスタートした。戦後十年の空白があったものの、開発を担当した三菱重工業側は朝鮮戦争中の朝鮮半島から後送されてくる戦車や車輌の修理やオーバーホールで技術を蓄積していた。

警察予備隊創設当時から国産戦車の希望はあったものの、具体化したのは自衛隊に改組した1954年(昭和29年)になってからで、この年に陸上幕僚監部、富士学校等の装備計画委員による議論が始まり、翌1955年(昭和30 年)1月に次の開発目標案が示された。

* 重量 25トン
* 火砲 90ミリ砲
* 強力なエンジンと低接地圧
* 装甲は以上を実現する範囲で

25トンという重量は日本国内での自走や運搬時の目安として、また山地や水田の多い国情における低接地圧による機動性の確保を望んだものだった。

基礎設計を行ったところ、25トンでは要求を満たせず、相当に装甲を薄くしても、搭載する90mm砲の射撃衝力に耐える重量としても30トンは必要だと明らかになり、同年中頃に「90ミリ砲搭載、30トン」を主軸とした要求性能が陸幕長から防衛庁長官に上申され、協議の上で32トンに修正された。なお以降も 25トン級戦車を求める声は根強く、支援戦車として並行開発・配備することも提案されたが、結局はアメリカ製のM41軽戦車を導入する形に落ち着いている。

主砲に関しては、曝露面積の最小力化の要求も根強かった為、当初は75ミリ砲の搭載も考えられたものの、朝鮮戦争でのM26パーシングの戦果から90ミリ砲が必要とされた。90ミリ砲は1955年にアメリカ軍より供与されていたM36駆逐戦車に搭載されていたものを研究した結果、国産も可能であるとされ日本製鋼所で試作が開始されていた。

開発中にT-54が出現したこともあり、より強力な砲として105ミリ砲を求める声もあったが、当時の西側の主体はイギリスの20ポンド砲とアメリカの90ミリ砲で、日本独自の新型砲の開発は時間と経費の問題から具体化せず、射撃精度とHEAT、HVAP等の砲弾の改良で対抗するとしていた。この頃にはまだ戦後第二世代戦車となるレオパルド1やM60パットンなどに搭載されたL7 105ミリ戦車砲は完成していない。

エンジンは新たに高馬力の空冷ディーゼル・エンジンを開発する事となり、変速機は当時としては斬新なトルクコンバータ付きオートクラッチ機構の導入が見込まれた。当然、戦後の西側戦車同様にエンジンと変速機を直結して車体後部に収めるパワーパック方式の後輪駆動が望まれたが、技術的問題や車幅の不足、さらに当時の自衛隊にパワーパックを丸ごと交換できる機材と技術が無かったために断念され、旧来の変速機を車体前部に置いてドライブシャフトで繋ぐ前輪駆動方式が採用された。

同年10月、三菱重工東京製作所でモックアップの検討会が開かれた際、富士学校から臨時で参加した機甲科の砲術、ならびに操縦担当者、整備担当者がこれに対し「姿勢が大きく、装甲が薄く、これでは戦車らしい働きをする前に敵の弱小火器の餌食となってしまう」「戦車乗りの良心にかけて、本案の戦車を装備化することは同意し難い」との意見を表明した。装備研究委員長は委員ではない担当者の意見を受け入れ、富士学校、技術研究所、三菱重工を交えた要求性能の練り直しを行い、最終的に「車重35トン、最高速度時速45キロ、 90ミリ砲搭載、車高2.5メートルでなるべく低くする」とし、12月に、防衛庁長官に対して要求性能の上申変更が行われた。

中特車の試作

自衛隊内の装備審議会の結果、90ミリ砲を搭載する30トン程度の中特車を試作することが決定した。 分類上は中戦車だが、当時の国内の政治的状況から戦車ではなく「特車」と呼び変えていたもので、1962年(昭和37年)1月から「戦車」と呼ばれるようになった。

前提とされたのは、敵からの発見を避けるため出来うる限りの低姿勢と、鉄道輸送時に求められる鉄道限界を超えないため車幅を3m以下とする二点だった。

開発ではまずSTA-1、STA-2という二種類の試作車が作られた。大きな違いは車高で、STA-1は低姿勢(高さ 2.2m)を追求したため全長は長く、材質は普通鋼板で製作され1956年12 月に完成した。STA-2は高さ2.5mでSTA-1より全長が短くなり、空冷ディーゼル、トーションバーサスペンション、トルクコンバータ、動力付き操縦装置などを搭載、防御鋼板で製作され1957年2 月に完成した。エンジンはまだ開発中だったため、既存の民生用ディーゼルエンジンを改造したものが搭載されていた。当初の予定ではこの2輌の試作車だけで要求性能を達成、量産準備の為の増加試作に入る予定であったが、第1次試作の2輌は要求性能に達しなかった。

STA-1の低車高は評価されたものの、低姿勢を求めて砲塔の旋回時にエンジン室の張り出しを避けるため車体が細長くなってしまい、履帯の接地長に対して相対的に軸間が狭くなってしまった。これは装軌車では旋回時などに抵抗が増し、運動性に悪影響を与えるため、実用化にはエンジンとトランスミッションの更なる小型化が必要であるとしてSTA-1の案は採用されず、STA-2の車高 2.5メートルの配置が採られた。またSTA-1にて新型エンジンのテストが行われ、結果オートクラッチのパワーロスが大きい事が判明、機械式2段クラッチに変更された。

1956年末から約1年かけて行われた技術試験と実用試験の結果、第2次試作が決定され、STA-3ならびにSTA-4が1960年(昭和35 年)1月に完成、4月に防衛庁に引き渡された。砲口制退器の変更、エンジン出力の増強、携行機関銃弾の増加、制限重量までの余裕を防御装甲に振り向ける、半自動装填装置の採用などが行われたが、両車の違いはSTA-3に防楯付き砲塔機関銃、STA-4にM48戦車と同型の密閉型銃塔が設けられたことである。

制式採用

第2次試作車両のテスト結果、さらなる装甲の増強、砲塔を後方にずらして操縦席に余裕をつくる、測遠器の新型化などのほか、細部の変更も加えたものが1961 年(昭和36年)4月、61式特車(後に61式戦車と改名)として制式化され量産と配備が開始された。

特徴

基本構造は鋳造砲塔と鋼板溶接車体の組み合わせで、主砲は52口径90mmライフル砲を搭載し、主砲同軸で7.62mm機関銃、砲塔上面の銃搭にリモコン式の12.7mm重機関銃M2を各一挺装備した。使用弾種は榴弾(HE)、曳光対戦車榴弾(HEAT-T)、曳光高速徹甲弾(HVAP-T)、曳光被帽徹甲弾(APC-T)、発煙弾(WP)などがある。携行可能な弾薬数は50発で、製造は日本製鋼所が行い、開発の際はアメリカ軍の砲弾との共有化が図られている。

動力系は戦後設計された戦車では唯一、車体後部のディーゼルエンジンと前部の変速機とをドライブシャフトで接続する方式の前輪駆動が採用されている。そのため車高を低くする事ができず、また車体前部装甲板が変速機の交換整備のためにボルト留めになっているなど、防御性能において不安を抱える事となった。

操縦席は日本の交通法規に合わせて車体右側に配置されていたが、砲塔内の車長・砲手と合わせて車輌右側に乗員4人中3人が偏在するためリスクコントロール面で問題となり、74式戦車では車体左側に移されている。操縦は左右2本のレバー操作式で、変速機の歯車の回転が少しでもずれると変速できないなど、米軍から供与されたM24軽戦車やM41軽戦車に比べて操縦が難しく、乗員から「世界一操縦が難しい戦車」と言われたことがある。また、操縦する際に左手に腕時計をしていると、変速に失敗した際に弾き戻されるシフトレバーが左手に当たり腕時計が壊れるため、操縦する際は腕時計を右手に付け替えた、という話が伝えられている。

配備

最初に第2次試作車輌を基とした10輌が発注され、1962年(昭和37年)から1966年(昭和41年)までの第二次防衛力整備計画に90輌が発注された。さらに40輌が追加され、1973年(昭和47年)までの製造終了までに560輌が生産された。

本車は1961年(昭和36年)の制式採用から39年後の2000年(平成12年)、90式戦車の配備に伴い全車退役した。この間、61式戦車はスモークディスチャージャー(煙幕弾発射機)を増設するなどの細かい部分を除き、大きな改良が施されることはなかった。実戦を経験する事なく退役を迎えている。

派生型

67式戦車橋
61式戦車をベースとした戦車橋
70式戦車回収車
61式戦車の車体を流用した戦車回収車。

87式自走高射機関砲の開発にあたって車体を流用する案が計画されたが、性能面で要求水準を満たせないと判断され、74式戦車の車体に変更された。

性能諸元

全長 8.19 m
車体長 6.03 m
全幅 2.95 m
全高 2.49 m
重量 35 t
懸架方式 トーションバー式
速度 45 km/h
行動距離 200 km
主砲 61式52口径90mm戦車砲
副武装 7.62mm機関銃M1919A4 (主砲同軸)
    12.7mm重機関銃M2 (砲塔上面)
装甲 砲塔114mm 車体55mm
エンジン 三菱12HM21WT
     空冷4ストロークV型12気筒直噴式
     ターボチャージド・ディーゼル
     570 hp / 2,100 rpm
乗員 4 名
    登坂力=31° 燃料消費量=0.3 km/L
    最小旋回半径=10 m

さらに詳しく → 61式戦車



戦後日本の戦車開発史―特車から90式戦車へ (光人社NF文庫)戦後日本の戦車開発史―特車から90式戦車へ (光人社NF文庫)
(2005/10)
林 磐男

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