門脇朝秀_スパイゾルゲと尾崎穂積

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2010/01/04(月)
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リヒャルト・ゾルゲ(露: Рихард Зорге、独: Richard Sorge、1895年10 月4日 - 1944年11 月7日)は、ソ連軍のスパイである。1933年(昭和8年)から1941年(昭和16年)にかけて日本で諜報活動を行い、ドイツ、日本の対ソ参戦の可能性等の調査に従事した。ゾルゲ事件の首謀者。

プロフィール

スパイになるまで

石油会社に勤めコーカサスで仕事をしていたドイツ人鉱山技師のヴィルヘルムとロシア人ニナとの間に9人兄弟の1人としてソ連邦・アゼルバイジャン共和国の首都・バクーで生まれる。父方の大叔父フリードリヒ・アドルフ・ゾルゲはカール・マルクスの秘書であった。3歳の時に家族とともにベルリンに移住。

1914 年10月に、第一次世界大戦にドイツ陸軍に志願。西部戦線で両足を負傷し、入院中に社会主義思想を知る。終戦後はベルリン、キールの大学を経て、1919年にハンブルク大学で最優秀の評価を得て、政治学の博士号を取り、教師、炭坑坑夫、新聞寄稿で生計を立てていた。1919年ドイツ共産党が結成されるとハンブルク支部に加入。1924年にはソ連共産党に加入するためにモスクワへ呼ばれ、軍事諜報部門である労農赤軍参謀本部第4局に配属された。この所属変更は後に日本において特高警察の管轄か、陸軍憲兵隊の所管かに関わることとなる。

上海でスパイ活動開始

1930 年にドイツの有力新聞社「フランクフルター・ツァイトゥング」紙の記者という隠れ蓑を与えられ、日本やイギリス、フランスなどの大国の租界が存在し、多くのスパイが動いていたといわれる中華民国の上海にソ連の諜報網を強化と指導を目的として派遣される。なおこの頃より「ラムゼイ」というコードネームを与えられている。

半年程度で現地の指導的立場となり、中華民国全土に情報網を持つに至った。活動は漢口、南京、広東、北京、満州などを中心にして行われている。ゾルゲ自身も各地を巡り、中華民国および日本の政治、歴史、文化に関する書物を読み、両国の言葉も学習し、アジア問題に通じるようになった。

上海では、仕事を通じて当時中国共産党の毛沢東に同行取材するなど活躍していたアメリカ人左翼ジャーナリストのアグネス・スメドレーと知り合う。スメドレーはゾルゲが中華民国を去るまで彼のスパイ組織の一人として活動し、朝日新聞記者だった尾崎秀実とゾルゲの橋渡しをしている。ゾルゲは1932年1 月には日中両軍が衝突した上海事変を報道した。同年12月にモスクワに戻る。

日本でのスパイ活動

1933 年9月6日、日本やドイツの動きを探るために「フランクフルター・ツァイトゥング」紙の東京特派員かつナチス党員として日本に赴き、横浜に居を構える。

当時日本におけるドイツ人社会で、日本通かつナチス党員として知られるようになっていたゾルゲは、駐日ドイツ大使館付陸軍武官補から駐日ドイツ特命全権大使に出世したオイゲン・オットの信頼を勝ち取り、第二次世界大戦の開戦前には最終的に大使の私的顧問の地位を得た。彼は来日前にオットの戦友である「テークリッヘ・ルントシャウ紙」の論説委員のツェラーの紹介状を入手していた上、政治的逃避のため日本に派遣されることになった当時のオット中佐は日本に関する知識をほとんど持っておらず、そのため日本の政治などに関して豊富な知識を持ったゾルゲとの出会いを喜んだ。

日本人共産党員とは接触をさけ、ロシア語は口にしないなど行動に注意を払いつつ待っていたゾルゲは、ドイツ人武官やゲシュタポ将校の信頼も得ることになり、やがてオットが駐日ドイツ大使となり1939年頃には公文書を自由に見ることが出来る立場となっていた。ヨーロッパで戦争が始まるとオットはゾルゲを大使館情報官に任命し、ゾルゲはドイツ大使館の公的な立場を手に入れた。ゾルゲはドイツ大使館と彼の諜報網の両方から日本の戦争継続能力、軍事計画などを入手できる立場となったが1940年9月27日の日独伊三国軍事同盟後にはより多くの情報が得られるようになった。

ゾルゲは諜報入手に大切な支配階級との接触の機会を持てずスパイとしては物足りなかったアメリカ共産党員の洋画家宮城与徳に代えて支配階級との接触の機会を持つ男を必要とした。そこで彼が選んだのが上海時代に知り合い近衛内閣のブレーントラストのひとりとなっていた尾崎秀実である。彼を仲間にして日本政府に関する情報が入手できるようになった。こうしてアヴァス通信社のユーゴスラビア人特派員のブランコ・ド・ヴーケリッチ、西園寺公望の孫で、尾崎と同じく近衛内閣のブレーンの1人であった西園寺公一、宮城与徳、ドイツ人無線技士のマックス・クラウゼンとその妻アンナ・クラウゼンらを中心メンバーとするスパイ網を日本国内に構築し、スパイ活動を進めた。ゾルゲが報告した日本の情報は武器弾薬、航空機、輸送船などのための工場設備や生産量、鉄鋼の生産量、石油の備蓄量などに関する最新の正確な数字であった。

独ソ戦への貢献

ゾルゲは大使の私的顧問として大使親展の機密情報に近づき易い立場を利用して、ドイツの「ソ連侵攻作戦」の正確な開始日時を事前にモスクワに報告した。他のスパイの情報やイギリスからの通報も、これを補強するものであったが、ヨシフ・スターリンは、ゾルゲ情報を無視した。結果ソ連は緒戦で大敗し、モスクワまで数十キロに迫られるという苦境に陥った。

近衛内閣のブレーンで政権中枢や軍内部に情報網を持つ尾崎は、日本軍の矛先が同盟国のドイツが求める対ソ参戦に向かうのか、仏領インドシナやイギリス領マレー、フィリピンなどの南方へ向かうのかを探った。日本軍部は、独ソ戦開戦に先立つ1941年4月30日に日ソ中立条約が締結されていた上、南方資源確保の意味もあってソ連への侵攻には消極的であった。1941年9月 6日の御前会議でイギリスやオランダやアメリカが支配する南方へ向かう「帝国国策遂行要領」を決定した。

この情報を尾崎を介して入手することができ、それを10月4日にソ連本国へ打電した。その結果、ソ連は日本軍の攻撃に対処するためにソ満国境に配備した冬季装備の充実した精鋭部隊をヨーロッパ方面へ移動させ、モスクワ前面の攻防戦でドイツ軍を押し返すことに成功し、最終的に1945年5月に独ソ戦に勝利する。

情報は、クーリエを使って秘密裏にソ連へ運ばれただけではなく、クラウゼン自身で部品調達して組み立てた短波送信機と市販のラジオ受信機を改造した短波受信機を使いウラジオストクと交信していた。特高は早いうちから怪しい無線電波が東京市内よりソ連や中国大陸方面に向けて送信されていることを知っていたが、方向探知機による送信地点の特定を避けるために、敢えて携帯式の簡易な無線装置と室内に設置したアンテナを使用して住宅密集地にある複数の拠点を転々としながら送信していた事、クラウゼン側により生成された暗号自体を解読することが出来なかった事のため、一味が逮捕されるまで発信源を特定出来なかった。

ゾルゲ事件

1941 年6月に日本共産党員であった伊藤律が逮捕され、アメリカ共産党員で当時日本に住んでいた北林トモの名を自供した。その後北林の同志の宮城与徳の家の家宅捜索で多くの書類が発見されたことから、その後芋づる式にその一味が逮捕された。その後の一味により供述から、同年10月には、ゾルゲや尾崎らがスパイ容疑で警視庁特高一課と同外事課によって一斉に逮捕された(ゾルゲ事件)。

これに対し、ゾルゲを記者だと信じ込んでいたオット大使が外務省に対して正式に抗議を行ったほか、ドイツの各通信社および新聞社の特派員による記者団も、全員で即時釈放を求める嘆願書を提出した。なお当初ゾルゲは否認を続けていたものの、数々の証拠を突きつけられるとスパイであることを認め、オット大使に対しても別れの言葉を口にすることで自らの罪を認めることとなった。

その後ゾルゲら20名は1942年に国防保安法、治安維持法違反などにより起訴され、一審によって刑が確定し、それぞれに1年半、執行猶予2年(西園寺)から死刑(ゾルゲ、尾崎)までの判決が言い渡された。ゾルゲや尾崎らは巣鴨拘置所に拘留され、日本、ドイツ両国の敗色が濃厚となってきた1944年11 月7日のロシア革命記念日に巣鴨拘置所にて死刑が執行された。最後の言葉は、日本語で「これは私の最後の言葉です。ソビエト赤軍、国際共産主義万歳」と語ったと言われている。

ソ連邦英雄

ゾルゲが逮捕されて以降、ゾルゲがソ連のスパイであることを自供したものの、ソ連政府はかたくなにゾルゲが自国のスパイであることを否定し、その後もソ連の諜報史からゾルゲの存在は消し去られていた。しかしその後、1964年11 月5日に、ゾルゲに対して「ソ連邦英雄勲章」が授与された。このタイミングは、スターリンの死後にその大粛清などを批判した指導者ニキータ・フルシチョフ首相が失脚した直後に当たる。旧ソ連の駐日特命全権大使が日本へ赴任した際には、東京の多磨霊園にあるゾルゲの墓参をするのが慣行となっており、ソ連崩壊後もロシア駐日大使がこれを踏襲している。

さらに詳しく → リヒャルト・ゾルゲ  尾崎秀実  ゾルゲ事件



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