人民共和国建国60年 観閲式 胡錦濤の観閲

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2010/01/03(日)
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胡 錦濤(こ きんとう、ホゥー・チンタオ、1942年12月21日 - )は、中華人民共和国の政治家。江沢民の後任として、2002年に第4代中国共産党中央委員会総書記、2003年に第6代中華人民共和国主席、2004年には第5代中国共産党中央軍事委員会主席に就任。中華人民共和国の現在の最高指導者である。胡錦濤の統治によって、中国では穏健な政治改革と、過熱する経済成長を統制する政策が推進されている。

胡が国家主席へと上り詰める過程は、若く、実践的で、官僚的な共産党員の確立を示しており、過去の中国の指導者からの変化を表している。彼の人生の転換点は、中国共産党への入党、甘粛省建設委員会への異動、中国共産主義青年団への参加、チベット自治区党委員会書記としての活動、そして、江沢民のもとで国家副主席となったことである。

総書記・国家主席

2002 年11月15日、中国共産党総書記に選出された胡錦濤は、翌2003年3 月15日、第10期全国人民代表大会第1回会議において国家主席に就任。胡錦濤指導部は、中国を「民主文明を持った政治大国」とするべく、漸進的な政治改革を進めている。

内政

「和諧社会」

胡錦濤は、国務院総理(首相)に指名した温家宝とともに「和諧社会」というスローガンを掲げて格差の是正に努めた。1990年代以降、中国社会では改革開放政策に起因する経済的な地域格差の拡大、また貧富の差の拡大などの矛盾が表面化し始め、それが官僚の腐敗、民族対立などと相まってデモ・暴動・騒乱が増加していたためである。しかし胡錦濤が最高権力者になってからも海外でも大規模な暴動が度々報じられるようになり、特に2004年10 月末に発生した四川省漢源の暴動は、建国以来最大規模のものとなった。そのため、「和諧社会」はいまだ成功しているとは言えない。ただし、農村部住民の足かせとなっていた農村戸籍の廃止に地域限定ではあるが乗り出していること、これまで保険制度のなかった農村部に保険を導入するなど、独自の政策も打ち出している。

上海幇との主導権争い

院政を敷いたかに見えた江沢民だったが、2004年に党中央軍事委員会主席の座も胡錦濤に譲り渡した。これにより、胡錦濤は中国人民解放軍のトップにもなり、党・政・軍の全ての権力を事実上掌握した。しかし江沢民を中心とする上海幇との権力闘争は以降も続くことになる。

その後の胡錦濤は権力基盤の強化で一定の成功を収めている。2005年8 月には人民解放軍の機関紙「解放軍報」が胡錦濤を称賛する記事を連日掲載するようになった。これは胡錦濤が軍部との間に協力関係を築いたことを示している。2006 年9月には上海市党委員会書記の陳良宇が汚職の疑いで解任され、上海幇が勢力を失ったとされた。

しかし、2008年3 月15日の第11期全人代第1回会議にて、胡錦濤自身は再び国家主席に選出され、国家中央軍事委員会主席にも選出されたものの、自身と同じ共青団の出身である李克強を国家副主席にすることができず、上海幇の推す習近平が国家副主席に就任するなど、上海幇の影響力は依然として残っている。それでも、2007年の中国共産党第17回大会で胡錦濤の勢力が躍進したため、これから胡錦濤の権力は強くなっていくという見方も出ている。

マスメディア統制

伝染病のSARSへの反応や、国民の公の記念式への注視、胡耀邦の辞任など、中国政府は概してメディアの批判に敏感であるが、胡は「隠れた自由主義者」という初期の期待があったにもかかわらず、マスメディアの自由主義に対して大きく強硬路線で対応した。ただしメディアは、2008年に発生した四川大地震のような国民の関心事については報道している。また、胡はインターネットの監視と警告も行っており、江の時代よりも厳格に、敏感に、政治的検閲を行っている。

道徳規範

2006年3月、中国国内における多数の社会問題への対応として、胡錦濤は、「8つの名誉と8つの恥」という題目の、中国国民に守らせる道徳規律・「社会主義栄辱観」を公開した。「8つの名誉と不名誉」として知られている代わりに、良き国民が名誉と考えるものと、恥と考えるものとが要約された、8つの詩趣に富んだ政策が盛り込まれている。いよいよ脆弱になる社会構造の中で主に同世代の中国人が関係している金と権力の掌握と、改革開放後の中国がもたらした、ますます増加する道徳心の欠如を、胡錦濤のイデオロギーで解決する方法として広く知られている。これは中国共産党指導者自身のための基準から、マルクス主義者の理論に貢献するものへと変わった。

北京オリンピックと、2010年に上海で開かれる上海国際博覧会の準備で教室に張られたポスター、街の通りにある旗、そして電子工学による展示板など、普及を促進している。胡錦濤の政策は、前任者のイデオロギー、すなわち、江沢民の3つの代表、小平理論、そして、時代の中心であった毛沢東思想とは異なり、社会的・経済的目標を課すことに反対して道徳規範を成文化したものへ推移している。

外交

胡は外交政策として、ベネズエラ、イラン、ロシア、カナダ、オーストラリアのようなさまざまな国と同盟を結んでおり、江のアメリカ中心の政策からの脱却に集中している。

2002年4月25日の午後、マレーシアを訪問中の胡錦濤に対して香港の記者がインタビューを行い、その中で「海外のメディアは、あなたを『謎に包まれた人物だ』といっていますが、ご自身ではいかが思われますか」と尋ねた。これに対して胡錦濤は「その評価はあまり適切ではありませんね」と返答している。

胡は北朝鮮の核兵器問題に積極的に従事している点で、江とは異なる。胡はまた、中国和平崛起の概念に基づき、地域の隣国を保証している。現に、2006年3 月31日の橋本龍太郎らの訪中団に対しては「過去も未来も覇権主義をとるつもりはない」とし、「他国を武力で威圧する意思はない」と明言している。

彼は貧しいアフリカ民族の援助と腕の立つ労働者の引き換えとして、中国の影響力増大を集中させるアフリカ、パキスタン、ブラジルのような、資源に基礎を置く国との関係の強化を求めていた。加えて、彼の職務上の立場は、テロリズムを含めた世界的な問題においてアメリカと類似する。中国が世界にもたらす影響は胡錦濤の在職中に増大した。

台湾

国家主席の早期に、胡は当時中華民国総統であった陳水扁による台湾独立運動に直面する。陳は九二共識の拒否を前提条件としないことには訪問はしなかった。陳水扁と民主進歩党は、中国が注意を払っている台湾問題の声明と、最終目標である台湾独立の表明を続けてきた。胡は最初に、硬軟組み合わせた対応を取った。胡は、台湾にとって重大な問題について柔軟に交渉することを表明し、他方で、依然として最終目標である中国統一についての考えを明らかにすることを前提条件とはしないとした。胡による統治は、依然として台湾政府による中国からの独立宣言の試みを中国本土側は容認しないという堅固な姿勢を取っている。

2004年に陳が再選されると、胡は方法を変えた。胡は陳の台北での行政方針への接触はせず、民進党の独立傾向や九二共識を認めないというやり方で処理した。胡は、台湾が軍事を増強し、強く孤立化する外交政策を続けていると主張した。2005年3月、全国人民大会で反分裂国家法が可決され、台湾での独立宣言に対しては、「非平和的に」対応することを決めた。胡は、民進党と対立している中国国民党との接触を増やした。中国国民党と中国共産党との関係は、北伐と日中戦争といった、両者が2度の共同戦線を張った国共内戦前まで遡る。接触の増加は、2005年4月、国民党主席(当時)の連戦と胡との歴史的な会談を含めて、2005年の泛藍連盟の政治家による中国大陸訪問で最高潮に達した 。

2008年3月20日、台湾で国民党が勝利し、中華民国立法院でも国民党が過半数を占めた。前任の連戦と比較して影響を持つ状態、とくに台湾での国民党支持者とのつながりを胡は先行して探している。中国共産党と中国国民党との一連の会合は続いた。2008年4 月12日、胡はボアオ・アジア・フォーラムの開催中に国民党副主席(当時)の蕭万長と会談し、2008年5 月28日には、与党となった国民党とのあいだで、国民党主席の呉伯雄と初の党首会談を行った。この会談で、胡と呉は九二共識のもとで双方とも公式会談を再開すべきであるという意見で同意した。呉は台湾独立に反対の立場を表明した。胡は台湾の世界保健機関への加盟を容認するとともに、台湾の人々の関心事への処理、防衛、尊厳、そして国際社会での台湾の立場は、中国共産党政府が決めることを表明した。

党の間の路線と同様に、海峡交流基金会と海峡両岸関係協会を経由しての半政治的な会談は、北京にて最初に行われるとともに、2008年6月に九二協識の基礎として再開が予定されていた。胡と、彼によく似た馬英九の両者は、九二協識が台湾海峡における双方の間の交渉の基礎となることで合意した。

2008年3月26日、胡はジョージ・W・ブッシュに、九二協識では双方が、「中国は1つであるが、その定義については意見を異にすることで同意した」ということを電話で伝えた。海峡交流基金会と海峡両岸関係協会の会談における最初の優先事項は、三通の開通、とくに中国本土と台湾の間での直行便を出すことであった。2008年12月15日、三通の開通が実現した。台湾側は中国経済との一体化による実益を期待し、中国側は「中国統一」に向けた前進であるとしている。

日本

1990年代の江沢民政権期、中華人民共和国国内の教育は反日的な色彩を強め、インターネットが普及すると「愛国者同盟網」「中国民間保釣連合会」「反日先鋒」など反日的なナショナリスト団体の運営するウェブサイトが立ち上げられるようになった。これらのサイトは民衆の社会不満を政治運動に結びつける可能性があるため、胡錦濤が党総書記に就任すると閉鎖や活動停止の処分を受けていたが、2005年春以降次々と復活し、各種メディアでも反日的な記事や戦時中の日本軍の軍事行動についての批判的な特集が見られるようになった。

同年4月には北京で反日デモが発生し、一時政府の制御が及ばない事態となった。翌5月、日本の産経新聞や香港紙「成報」は、胡錦濤が党内の保守派に詰め寄られたという記事を掲載した。胡錦濤が影響力を持つ「中国青年報」は愛国的な報道を控えていたが、翌6月には他紙と同様の傾向を見せるようになった。中華人民共和国では、法制上あらゆるメディアが中国共産党の意向を受け入れなければならないため、「中国青年報」の変化や愛国的サイトの復活は、胡錦濤が党内の保守的なグループに一定の譲歩をしたことを示すという見方もある。

胡錦濤自身の対日姿勢は前国家主席の江沢民ほど強硬ではなく、2008年5月に来日した際には、共同文書に歴史問題を含めず、日本が戦後60年間世界の平和に一定の役割を果たしてきたことを評価した。また、来日時に早稲田大学で講演を行い、日本の円借款などによる支援が中国の経済成長に貢献したことを認めた。また四川大地震の日本の自衛隊派遣の際には、歴史問題は別として日本に感謝の意を表した。

さらに詳しく → 中国人民解放軍  胡錦濤



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