メッサーシュミット BF-109(Messerschmitt Bf109)

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2009/12/30(水)
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Bf 109 (Messerschmitt Bf 109) は、第二次世界大戦におけるナチスドイツ空軍の主力戦闘機。 1934年、バイエルン航空機製造(Die Bayerische Flugzeugwerke/BFW)で開発が開始され翌1935年、生産開始。設計主任は、かつてBf 108を設計したロベルト・ルッサー技師。後にバイエルン航空機製造はメッサーシュミット社となった。

名称

Me 109とも呼ばれ、大戦中の公式文書でもMe 109となっているが、戦後、英国の航空機研究家から「バイエルン社時代の設計なのでBfにすべき」との意見が出され、Bfと表記されることが多くなったという。また当時のパイロットの一人への戦後のインタビューでは、戦時中はBf 109と呼んでいたと回答されている。実際はいずれの表記であれ、間違いではない。

機体の特徴

エンジン

Bf 109が標準的に装備したDB 601・DB 605エンジンは、高圧縮低回転型で燃料事情の良くないドイツの国情に配慮する一方、燃料直接噴射ポンプ、つまり現在で言う燃料噴射装置の搭載、倒立V型気筒で発動機中央に機銃が通せる構造や、ローラーベアリングの多用、側面に装備されたフルカン式継手を用いた実際は2速式だが通常の過給機と異なり1速と2速の間が流体トルクコンバーターにより無段階に変速できる過給器、など、非常に高度で複雑な機構を多数採用している。これは製造の困難さや重量の増大も招いたが、高度な工作技術で克服し、大戦前半にはライバル機に対する優位を保った。特にバトル・オブ・ブリテンの空中戦において、気化器を装備してマイナスGがかかるとガソリン供給が一瞬途切れる英国戦闘機のエンジンに対して、そのような事がない燃料直接噴射ポンプは効果絶大だった。しかしこうした点が、大戦後半の連合国機との出力増強競争に遅れをとる原因の一つとなっていた。

主脚

Bf 109の主脚は胴体(正確にはエンジンマウント)に付いていて、翼端に向かって引き込まれるようになっている。この方式は、強度と重量を必要とする引き込み装置をエンジンマウントと一体に作れるため、主翼構造を簡単化、軽量化できる。本機の主翼は簡単な単桁構造で片翼ずつ取り外し、交換ができる。

その反面、主脚の間隔が狭いので安定性がわるい。さらに、少しでも間隔を広げるために主脚を斜めに設置したことによる強度不足、機首上がりのきつい地上姿勢による前方視界の不良、小型の機体に強力なエンジンを搭載したことによる曲がり癖、高い離着陸スピードなどにより本機の離着陸を難しくしている。特に主脚の弱さは本機が性能限界を来たす一要因ともなった。戦時中、量産が行われている工場では並行して前線から送り返された脚破損機の修理も大量に行われていたといい、また戦争中期以降パイロットに未熟練者が増えるにつれ、この問題は座視できないレベルになった。しかし、K型になり主脚の取付金具の補強、尾脚を長くしたことで静止時の角度が14.5度から13度に減少、この2点の改修によって地上ループ、それによる主脚折れの事故が劇的に減少した。また主脚に車輪カバーの追加、尾脚を引き込み式にしカバーを付ける事により空気抵抗が減少し最大速度向上にもなった。

航続力

同機の大きな欠点の一つと言われているのが航続距離の短さである。これは開発時期の1930年代に台頭していたドゥーエの空中艦隊論や当時流行した高速爆撃機の思想から、欧州の戦闘機全般が迎撃性能を重視した結果とされる。この点が問題になったのは、バトル・オブ・ブリテンと呼ばれたイギリス上空での戦いでである。爆撃機を護衛する侵攻戦闘機として開発された双発多座戦闘機が単座戦闘機に対抗しえず、英国上空での滞空可能時間が15分程度しかなかったことは大きな戦術的制約となった。

本機の翼構造は翼内タンクなどを設置する余地がなかった。また、増槽を装備させるには機内の配管を改めなければならなかったため、にわかじこみで増槽を付けるわけにはいかなかった。その燃料配管を改めたBf 109 E-7が1940年9月に部隊配備されたものの、パッキンの不整合による燃料漏れなどが祟り長距離型の運用は遅れた。加えて、同時期にイギリスでは、ハリケーンやスピットファイアなどがエンジンのバージョンアップを果たし、速度性能、上昇性能を大きく向上させたMk. II(マーク・ツー)が空軍に引き渡され始めていた。これらに対抗するBf 109Fの生産と機種転換に備えるためにもE-7が主力機になることはなかった。

航続距離の短さは、迎撃が主流となったドイツ上空での防空戦闘では致命的な欠陥とはならなかった。パイロットの声でもこの点を指摘するものは意外と少なく、ベテランにとってはむしろ、多量の積載燃料によりバランスを崩した米国製戦闘機に対してより優位を占めることができたと言われている。Bf 109を操縦するベテランパイロットは「全備重量ならどんな敵戦闘機にも負けない」と賞賛したとされるが、その理由はこの点にあった。

武装・速度

本機は当初から武装に悩んだ機体だった。理想的武装として搭載する予定だった機首のモーターカノンは振動等の問題点を克服できず、初期には機首上面の機関銃しか使えなかった。Bf 109はもともと主翼内への武装を設計時に想定しておらず、第二次世界大戦の勃発時には無理をして7.92 mm 機関銃を翼内に装備し、さらにそれを20 mm 機関砲に増強したが、初速、発射速度、装弾数の点からも満足のいくものではなかった。ちなみに、E型においてようやく20 mm 機関砲を搭載しているが、当初これはスイスのエリコン FFS 機関砲をモーターカノンとして搭載するはずのものだった。しかし、エンジンとFFSの現物を突き合わせてみるとシリンダ間隔が小さすぎて銃が収まらず、国産化されたMGFF機関砲ではこの点を改善したものの、やはり振動からくるトラブルで実用化できず、想定外の翼内装備となった。

念願のモーターカノンはF型になってようやく実現したが、翼内機銃を廃止したため、アドルフ・ガーランドなどの武装重視派とギュンター・ラルなどの運動性重視派との間にいわゆるF型論争が起きている。弱武装を指摘されながら、F型以降では翼内武装は行われず、主翼へ武装を追加する手段は翼下面へ20 mm 機関砲や30 mm 機関砲のガンポッド、21 cm ロケットランチャーを懸架するタイプ(U仕様)などに限られた。これらの火力増強によっても次々に出現する連合軍の大型爆撃機に対抗するには威力不足で、また翼下へ武装懸架は重量と空気抵抗の増加で著しい性能低下を招いた。

このことは、主翼への武装強化がすでに本機の性能限界を超えている事を証明していた。続くG型では、G-5以降では機首上面機銃を7.92 mm 機関銃から13 mm 機関銃に増強したが、既存の機首内に収まりきらず、ボイレ(こぶ)と呼ばれた突出部を生じ、性能低下を招いている。G-10型以降で過給機の大型化に従って機首全体が膨らんで改修。K型にいたって主翼を設計変更してようやく翼内武装が可能となり、最終型のK-14では機首上面に13 mm 機関銃、モーターカノンと両翼に30 mm 機関砲を備える重武装となった。

戦歴

単葉、全金属・応力外皮式、モノコック構造、密閉式の風防、引込脚などの第二次大戦で標準形態となったものを世界に先駆けて備えたドイツ空軍の単座戦闘機。He112との激しい競争試作の末に採用された。スペイン内戦のコンドル部隊に3機が試験的に投入されてデビュー、以後、改良を重ねて第二次世界大戦終了まで実質的な主力戦闘機の座を保った。

スピードを第一にし、急横転(スナップ・ロール)、スピン性能、ダイブ性能に優れる。一撃離脱の戦法に特化して開発された。反面、開発時は陸戦の直援機としての性格が強かったため航続力は短い。バトル・オブ・ブリテンでは、護衛戦闘機の任務は果たせなかった。総生産機数は工場での修理再生分を含めて約30,500機で、戦闘機史上最多である。

回数は少なかったが、アメリカ海軍やイギリス海軍のグラマンF4F ワイルドキャットやF6F ヘルキャットと戦ったこともある。この場合、太平洋での零戦とグラマンとの戦いとは全く反対に、直線速度で勝るBf109に対し、グラマンは空冷ならではの瞬発力と運動性で戦ったという。

派生型

ドイツ軍の慣習に従って、各型には該当するアルファベートの頭文字に対応した、非公式な愛称としてドイツ人によく見られる人名が付けられている。なお、人名は男女を問わない。

Bf 109V

前生産型。A~E各型のもととなった機体。一部はスペイン動乱で実戦試験に投入された。

Bf 109A

Bf 109A(アウグスト August)は、初期生産型。ユモ 210エンジンが入手できず、ロールス・ロイス ケストレル(570馬力)を搭載し、プロペラは木製固定ピッチ2翅であった。BF 109 V-1と改称され、レヒリンの試験では、比較検討された競争試作機のHe 112 V-1を支持するパイロットが多数であった。

Bf 109B

Bf 109B(ベルタ Berta)は、1936年11月に初飛行したBf 109 V-4(4号機)がBf 109B-01と呼ばれるB型の原型機で、Jumo 210Aを搭載した。12月に初飛行した改良型のV5とV6はJumo 210Bエンジンを搭載した。これら3機がスペイン動乱で1936年の12月の末頃に試験的に投入された。B型は正式採用されて量産型がレーゲンスブルクに新工場を設けて始まった。

Bf 109C

Bf 109C (ツェーザー Caser、またはクラーラ Klara)は、主にスペイン動乱からポーランド侵攻にかけて少数が使用された。なお、「ツェーザー」は人名のほか、ローマ帝国皇帝カエサルを特に指す固有名詞的な使い方もされる。機首上面と翼内に各 2 門のMG 17機関銃を装備した。20 mm MGFF機関砲を搭載することが予定されたC-3は生産されなかった。

Bf 109D

Bf 109D (ドーラ Dora)は、Jumo 210を搭載した機体で、主にスペイン動乱からポーランド侵攻にかけてある程度の機数が使用されたが、すぐにBf 109Eが登場したため戦場に長くは留まらなかった。

Bf 109E

Bf 109E (エーミール Emil)は、ダイムラー・ベンツ製エンジンDB 601Aを搭載した機体で、二次大戦初期の主力機となった。後期型では出力向上させたDB 601Nも使用された。

Bf 109F

Bf 109F (フリードリヒ Friedrich、またはフリッツ Fritz)は、DB 601N及び改良されたDB 601Eエンジンが搭載された機体。空気抵抗を減少させる設計に刷新された。大きな性能向上を果たし、中期の主力機となった。

Bf 109G

Bf 109G (グスタフ Gustav)は、DB 605エンジンを搭載した機体。多数の派生型が開発され、後期の主力機となった。

Bf 109H

Bf 109H (ハインリヒ Heinrich)は、Bf 109F-4から開発された高々度戦闘機型。形式名「H」はHochleistungsJager(高性能戦闘機)またはHohenJager (高々度戦闘機)を意味する。

翼幅が拡張され高度10,100 mにおいて750 km/hでの飛行が可能とされた。少数のH-1が量産され高々度偵察任務に就いたが、主翼の強度不足とより高性能なTa152Hの出現により、それ以上の開発は中止された。

Bf 109K

Bf 109K (クーアフュルスト Kurfurst)は、量産された最後の機体で、後継機開発の失敗が決定的となったことから生まれた速度向上型。なお、「クーアフュルスト」とは「選帝侯」のこと。戦争末期に完成し2機のみ配備されたK-14型では2段2速過給器付きDB605Lを搭載し、高度14000mで740km/hとされている。

Bf 109T

Bf 109T(トレーガーフルークツォイク Tragerflugzeug)は、E-3型にカタパルトフックとアレスティング・フックを追加、主脚強化、主翼延長と翼端を折りたたみ式に改造した艦上戦闘機型。航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」に搭載する予定だった。フィゼラー社担当でまず先行量産型T-0型を10機製作、E-4/N型ベースのT-1型60機の量産が進められた。しかし空母が未完成に終わったため、完成した機体から艦載用装備を撤去、航続距離が長いことからノルウェーや北西ドイツの陸上基地で部隊運用された。

Bf 109Z

Bf 109Z (ツヴィリング Zwilling)は、2 機のBf 109Fを合体させて双発機とした機体。実用化されなかった。

Bf 109W

Bf 109W (ヴァッサーフルークツオイク Wasserflugzeug)は、水上機型。

さらに詳しく → メッサーシュミットBf109  ドイツ空軍  ナチス・ドイツ  第二次世界大戦



世界の傑作機 (No.105) メッサーシュミット Bf 109 (パート1)」世界の傑作機 (No.105) メッサーシュミット Bf 109 (パート1)」
(2004/05)
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