パンターIV号戦車 (Panzerkampfwagen IV)

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2009/12/30(水)
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IV号戦車(よんごうせんしゃ、Panzerkampfwagen IV)は、第二次世界大戦のドイツ軍の中戦車である。

概要

ナチスが政権をとる以前から、ドイツ国防軍は密かに再軍備のための新型戦車の開発を行っていた。1934年、NbFz(ノイバウファールツォイク)と呼ばれる多砲塔戦車の試作車が作られたが、大きく重かったため、これに代わる戦車の開発が求められた。ハインツ・グデーリアンにより求められた戦車の仕様は二種類あり、後の主力戦車であるIII号戦車と、ベグライトヴァーゲン(B.W.=随伴車輌)として開発指示が出された、後のIV号戦車であった。そして4つのメーカーにより競作された結果、1936年4月に完成したクルップ社のB.W.Iをもとに、増加試作車的なA型、次いでB・C型が作られた。そして1939 年からD型が本格的に量産され、度々設計変更が加えられ続けJ型までのバリエーションが作られていった。

当初から3人が搭乗するバスケット式の砲塔を搭載し、後の武装強化に対応できる大きめのターレットリングを備えていた。戦車長は砲塔後部に位置し、キューポラから周囲を監視しながら指揮に専念できた。また装填手以外の全員はタコホーン(喉頭マイク)とヘッドセットを装着し、インターコム(車内通話装置)で騒音の中でも対話できた。乗降用ハッチは全員分の数があり、撃破された際の素早い脱出が可能であった。一方で車体構成は保守的で、地形追従性の低いリーフスプリング・ボギー式懸架装置を採用していた。これはIII号戦車のトーションバー式に比べ路外機動性で劣ってはいたが、整備や修理が容易であり、また車体の底に脱出ハッチを設置できた。

当初、短砲身24口径7.5cm砲が搭載され、戦車部隊の中で火力支援任務にあたっていた。イギリス軍のマチルダII歩兵戦車など装甲の厚い敵戦車との対戦で、より強力な火力が必要とされ、1941年2月にヒトラーによって60口径5cm砲の搭載が命じられた。これはD型をもとに一輌が試作されたが、より強力な長砲身7.5cm砲の搭載が検討され、(もともと40口径で設計されていたものを、車体より前にはみ出ないよう求められたため)34.5口径の新型砲が試作された。さらに独ソ戦がはじまると、赤軍のT-34に対して、すべてのドイツ対戦車兵器の威力不足が明らかになった。このためより以上の武装強化が必要とされ、F型の生産途中から長砲身43口径75 mm 砲が搭載された。こうして火力支援戦車だったIV号は、III号戦車に代わる主力戦車となり、北アフリカ戦線においては大きな戦果を上げた。

本車はドイツ戦車の中で最も生産数が多く、改良が限界に達した大戦中期以降も主力であり、敗戦時まで使用され続けた。ドイツ陸軍兵器局は、大戦末期に出現したT-34-85との比較試験を行い、IV号戦車はあらゆる比較項目で圧倒されるという結論に至っていたが、全ての生産ラインをパンターに切り替える時間的余裕があるはずもなく、グデーリアンの強い反対もあって、本車の生産を中止するという選択肢はなかった。

IV号戦車は同時期に開発されたIII号戦車と比べ、ターレットリングの直径が大きかった(車体サイズ自体は大差がない)ため、その後の武装強化に対応することができ、主力戦車としての地位を占めることができた。ドイツ戦車部隊のワークホース(使役馬)と呼ばれ、戦況が求めるさまざまな要求に応じるべく、車台を流用した多種多様な派生型を生み出した。IV号戦車はドイツの同盟国などにも輸出され、G型以降の型がイタリア、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア、フィンランド、スペイン、トルコの各軍に配備され、戦後もしばらくの間使われていた。チェコスロヴァキアが保有していた中古を購入したシリア軍のIV号戦車が、中東戦争でイスラエル国防軍のセンチュリオンと交戦した記録がある。

バリエーション

A型
プロトタイプであるB.W.I(随伴車輌I型)をベースにした先行量産型。当時としては強力な短砲身24口径75 mm 砲を搭載していたが、ニッケルを含まない圧延装甲板は車体前面が20 mm、砲塔前面が16 mm、その他が14.5 mm と不十分で、小銃・機関銃用の7.92 mm 弾を防げる程度であった。最後の5輌のみB型車体を流用したため、車体前面装甲板が30 mm になっており、後にそれ以前の車輌にも30 mm 厚の増加装甲が追加された。エンジンはマイバッハHL108TR(230hp)で最大速度は32.4km/h、車長用キューポラはIII号戦車B型と共通の物であった。ドイツ軍は慢性的に戦車不足であったため、バルバロッサ作戦当時にもまだ少数が配備されていた。生産期間は1937年10 月から翌年3月まで、シャーシナンバーは80101 - 80135(35輌)全てクルップ社で生産された。

B型、C型
続くB型とC型では砲塔・車体装甲板が前面30 mm に強化され、車体前方機銃が無くなり、ピストルポートが設置されている。またキューポラはIII号戦車C/D型と同じ物に変更、C型の生産31号車からは III号戦車E型と同じ物になった。両タイプは砲塔側面のクラッペ、主砲外防盾開口部の形、C型の途中からエンジンがHL120TRMに変更されるなど、各部に違いが見られる。生き残った車輌は大戦後期になっても二線級部隊に配備されており、編成表ではまとめて「IV号戦車クルツ(短砲身)」と呼称されていた。

B型はノルマンディー上陸作戦当時フランスに配備されていたのが確認できる。これらはIII号戦車ほどではないが、まだ設計の基礎が確立していない時期でもあり、細かい変更が重ねられた。
C型は本来、B.Wと同時期に開発されていた、それより若干軽量な15t級のZ.W.(小隊長用車輌、後のIII号戦車)との共通型シャーシに変更する予定であったものが、開発の遅れとIV号戦車増産の要求により、B型の改良型となったものであった。シャーシナンバーはB型80201 - 80242(42輌)、C型80301 - 80400(134輌・6輌は架橋戦車に)で、全てクルップ社で生産された。

D型
車体前方機銃が復活、側面と後面の装甲厚が15 mm から20 mm に強化されているが、それでも防御力は不十分で、1940年7月以降から増加装甲が取り付けられるようになった。熱帯用にエンジングリルを改造されたり、生き残った車輌は全て1942年7月以降に48口径砲に改修された。また対戦車戦闘能力を高めるため5cm Kw.K. L/60を搭載した一輌が1941年のヒトラーの誕生日に披露され、これを8月から80輌生産する計画もあったが中止となった。シャーシナンバーは80501 - 80748(戦車型232輌のうち48輌が潜水戦車、30輌が熱帯仕様に、また16輌が架橋戦車に)で、全てクルップ社で生産された。

E型
D型と比較すると砲塔やハッチなどの形状に細かい変更があった。車体前面装甲は50 mm に強化され、その他の部位にもD型の後期型と同様に増加装甲が取り付けられたため防御力は向上した。またキューポラの前にあった横長の換気用ハッチに代わり、電動式の換気扇(ベンチレーター)が装備された。シャーシナンバーは80801 - 81006。1940年9月から1941年4月に223輌がクルップ社に発注されたが、後に206輌に減らされ、うち6輌は架橋戦車や実験車輌として完成した。

F型
車体の形状を変更し、増加装甲を廃止した代わりに基本装甲が全体的に強化され(前面50 mm、側面30 mm)、重量増加に合わせて履帯幅が400 mm に、転輪の厚みがゴム部分で90 mm に増加している。また砲塔上面前部装甲板の角度も微妙に変化している。生産の途中から長砲身の75 mm 砲が装備されたF2型に代わったため、短砲身型のIV号戦車としては最後の型になる。F2型を含むシャーシナンバーは82001 - 82613。生産は1941年4 月から1942 年2月の間で当初500輌が発注されたが、1941年7月からニーベルンゲンヴェルケ(13輌)とフォマーク社(64輌)が参加して、結局クルップ社での生産数は393輌であった。

F2型(後にG初期型)

1942年3月から175輌だけ生産され、IV号戦車としてはじめて長砲身の7.5cm Kw.K.40 L/43を搭載した。ドイツ・アフリカ軍団に配備された僅か9輌のF2型は対戦車戦闘に威力を発揮、10月までに送られた37輌のG型(エル・アラメイン戦以降の増援でもG型が更に26輌追加されたにすぎない)と併せイギリス軍から「マーク4スペシャル」、味方からも「IV号スペツィアル」と呼ばれた。なおF2型とは1942年3 - 5月の間にだけ使われた分類で、その後生産中の長砲身型の車輌をG型に改称、翌月から既に生産済みのF2型も全てG型に改称された。

G型
F2型が改称されたもの。主砲は生産開始から1943年3 月までは43口径だったが、H型生産開始と同時期の4月から、より砲身長の長い7.5cm Kw.K.40 L/48に変更され、更なる火力の強化が図られた。他にも砲塔側面や前面右側のクラッペ(視察口)が廃止されるなど生産途中に何度も改良が加えられている。1942年5月から一部車輌で車体前面に30 mm 増加装甲の溶接を始め、翌年4月からボルト留めによる装着に変更し、これは12月から全車に装着されるようになった。5月には右フェンダー上にエアフィルターを設置するなど、最後期型は併行生産されていたH初期型と酷似した外見となった。

なお「シュルツェン」と呼ばれる対戦車銃から側面装甲やハッチを防御する外装式の補助装甲板も1943年 4月から標準装備となった。これは後に成形炸薬弾に対し有効であることも判明、更に遠方のシュルツェン装備の本車を連合軍がティーガーIと誤認して攻撃、「タイガー撃破」と喜んだケースの多くはこれであった。シャーシナンバーは82394 - 84400、(F2型が名称変更されたため、初期の番号が重複)1942年5月から翌年6月までの間にクルップ社で907輌、ニーベルンゲンヴェルケで 587輌、フォマーク社で436輌が生産された。

H型
新型の変速機を搭載(最初のフォマーク社製の30輌には間に合わず旧型のまま)、車体前面装甲を1943年6月から80 mm の一枚装甲に、砲塔上面装甲を前部16 mm、後部25 mm に変更した。またシュルツェンが邪魔で使えなくなった車体側面のクラッペを廃止、10月にはゴムタイヤ付きだった上部支持転輪を全金属製に変更、翌年2月にエアフィルターを廃止などの細かい改良が加えられ続けた。なお当初、砲塔旋回装置を電動から油圧に変更したBW40型に変更する予定であったが、これは実現していない。シャーシナンバーは84401 - 89540、1943年4月から1944年2 月までの間に、クルップ社で379輌(以降、IV号突撃砲を生産)、ニーベルンゲンヴェルケで約1,250輌、フォマーク社で693輌が生産されたが、車台が突撃砲や対空戦車などに流用されているので、シャーシナンバーが生産数と一致しない。

J型
H型からの変更点は生産の簡略化が主で、特に最初期のタイプはH型から砲塔旋回モーターと発電用補助エンジンを廃止しただけであり、これにより旋回装置はギア比二段切り替えの手動式に変更された。これは乗員に不評であったとする資料が多いが、車体が傾いた状態での旋回が容易になったり、装填手が別のハンドルで旋回を手伝うことができることもあり、平地ではむしろ旋回速度が向上したとする資料もある。これにより補助発電機用のマフラーが廃止されているため、車体後部を見ることでH型との識別が可能である。

後に、主エンジン用のマフラーも消音効果の無い単純な管二本のタイプに省略されている。1944年7月から車体上面装甲の16 mm への増厚とベンチレーターカバーの大型化、材質が表面硬化処理装甲から均質鋼に変更、シャーシナンバー91949から補助発電機のあった所への200リットル燃料タンクの増設が行われた。しかし燃料漏れの欠陥がありすぐに廃止、9月より改良された燃料タンクが標準装備となった。

同時期に車体のシュルツェンが対HEAT弾防御専用の金網製となった「トーマ・シールド」も生産開始され、翌月には車長キューポラのハッチが横旋回で開くタイプに変り、12月からは上部支持転輪が片側3個に減らされた。後期には車体前面下部に付く牽引具が省略され、車体側面装甲版の前方を延長して穴をあけてシャックルを通すことで代用した。T-34のように履帯の抜けかけたピンを押し戻す脱落防止板のようなものが付く車輌もあるが、これは後部の履帯がよれて、車体側面とピンの頭が擦れて摩耗するのを防止するための物であり、同様の物が突撃砲や自走砲の一部にも見られる。1944年2月から終戦までニーベルンゲンヴェルケにより約2,970輌(以前の資料ではH型とされた2 - 5月の生産分がJ型に訂正されたので、IV号戦車シリーズ中最多となった)、フォマーク社でも約180輌(以降、IV号駆逐戦車を生産)が生産された。

性能諸元

全長 7.02 m
車体長 5.89 m
全幅 2.88 m
全高 2.68 m
重量 25.0 t
懸架方式 リーフスプリング方式
速度 38 km/h(整地)
    16 km/h(不整地)
行動距離 210(初期) - 320(中期以降)km
主砲 7.5 cm Kw.K.40 L/48(砲弾87発)
副武装 7.92 mm MG34機関銃×2(銃弾3150発)
装甲 砲塔   前面50 mm 駐退機前面80 mm
          側面・後面30 mm 上面16-25 mm
    車体   前面80 mm 側面30 mm
          後面20 mm 上面16 mm
エンジン マイバッハ HL 120 TRM
      ガソリンV型12気筒
      300 馬力(224kW)
乗員 5 名(車長、射手、装填手、操縦手、通信手)

さらに詳しく → IV号戦車  Wikipedia ドイツ国防軍  第二次世界大戦



4号中戦車1936‐1945 (オスプレイ・ミリタリー・シリーズ―世界の戦車イラストレイテッド)4号中戦車1936‐1945 (オスプレイ・ミリタリー・シリーズ―世界の戦車イラストレイテッド)
(2001/11)
ブライアン ペレットディヴィッド・E. スミス

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