第2次大戦への道(1938-1940) - フランス

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2009/12/29(火)
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フランス共和国(フランスきょうわこく、République française)、通称フランスは、西ヨーロッパ西部に位置する共和制国家。北東にベルギー、ルクセンブルク、東にドイツ、スイス、南東にイタリア、モナコ、南西にアンドラ、スペインと国境を接し、西は大西洋に、南は地中海に面する。また、北海のドーバー海峡を隔てて北西にイギリスが存在する。海外領土でもサン・マルタン島でオランダと陸上国境を接し、南米植民地の仏領ギアナでは西にスリナム、南にブラジルと陸上国境を接する。首都はパリ。欧州連合加盟国。国連安保理常任理事国。

ローマの支配から王政時代

現在のフランスに相当する地域は、紀元前1世紀まではマッシリア(現マルセイユ)などの地中海沿岸のギリシャ人の植民都市を除くと、ケルト人が住む土地であり、古代ローマ人はこの地をガリア(ゴール)と呼んでいた。ゴールに住むケルト人はドルイドを軸に自然を信仰する独自の文化体系を持っていたが、政治的な統一は存在しなかった。紀元前219年に始まった第二次ポエニ戦争では、カルタゴ帝国の将軍ハンニバルが南フランスを抜けてローマ共和国の本拠地だったイタリア半島へ侵攻したが、ゴールには大きな影響を及ぼさなかった。

その後、カルタゴを滅ぼしたローマは西地中海最大の勢力となり、各地がローマの支配下に置かれた。ゴールも例外ではなく、紀元前121年には南方のガリア・ナルボネンシスが属州とされた。紀元前1世紀に入ると、ローマの将軍カエサルは紀元前58年にゴール北部に侵攻した。ゴールの諸部族をまとめたヴェルサンジェトリクスは果敢に抵抗したが、ローマ軍はガリア軍を破ってゴールを占領し、ローマの属州とした。ゴールは幾つかの属州に分割され、ローマの平和の下でケルト人のラテン化が進み、ガロ・ローマ文化が成立した。360年にゴール北部の都市ルテティアはパリと改名された。5世紀になるとゲルマン系諸集団が東方から侵入し、ガリアを占領して諸王国を建国した。

476年に西ローマ帝国が滅びるとゲルマン人の一部族であるフランク族のクローヴィスが建国したメロヴィング朝フランク王国が勢力を伸ばし始めた。508年にメロヴィング朝はパリに遷都し、メロヴィング朝の下でフランク族はキリスト教とラテン文化を受け入れた。メロヴィング朝の後はピピン3世がカロリング朝を打ち立て、カール・マルテルは732年にイベリア半島から進出してきたイスラーム勢力のウマイヤ朝をトゥール・ポワティエ間の戦いで破り、イスラーム勢力の西ヨーロッパ方面への拡大を頓挫させた。シャルルマーニュ(カール大帝)はイスラーム勢力やアヴァール族を相手に遠征を重ねて現在のフランスのみならず、イベリア半島北部からイタリア半島北部・パンノニア平原(現在のハンガリー周辺)までを勢力範囲とし、ほぼヨーロッパを統一した。シャルルマーニュの下でヨーロッパは平静を取り戻し、カロリング・ルネサンスが興った。800年にシャルルマーニュは西ローマ帝国皇帝の称号をローマ教皇から与えられた。

シャルルマーニュの没後、フランク王国は三つに分裂し、ほぼ現在のフランス、イタリア、ドイツの基礎となった。また、この時期に現代に続くフランス語(古フランス語)の形成が始まった。987年に西フランク王国が断絶するとパリ伯ユーグ・カペーがフランス王に選出され、カペー朝の下でフランス王国が成立した。

彼の子孫のカペー朝、その後のヴァロワ朝、ブルボン朝は戦争と家領相続を通じて次第に国を統一していった。1209年にアルビジョア十字軍が開始され、異端とされたオクシタニア(現在の南フランス)のカタリ派を殲滅した。その結果、カタリ派とともに独立性の強かった南フランスの諸侯も滅ぼされた。黒死病の大流行が起こる直前の1337年からフランスはイングランドとの百年戦争を戦っている。フランスは幾度か大敗を喫して危機に陥ったが、ジャンヌ・ダルクの活躍などもあって最終的にはイングランド勢力を大陸から駆逐でき、またこの戦争を通じて王権が強化された。16世紀には新教・旧教の対立から大規模な内戦ユグノー戦争が起こっている。

王朝は17世紀のルイ14世の時期に最盛期を迎えている。この時期のフランスはヨーロッパ最大の人口を有し、ヨーロッパの政治、経済、文化に絶大な影響力を持っていた。フランス語は外交の舞台での共通語となっていた。18 世紀にはフランスの知識人の中から多くの啓蒙思想が生まれ、科学的な大発見がなされている。加えてフランスはアメリカ、アフリカ、アジアに広大な海外領土を獲得していた。特に重要だったカリブ海の植民地のサン=ドマングにおいては、奴隷貿易によって導入された黒人奴隷を酷使したサトウキビやコーヒーのプランテーションが築かれ、1804年のハイチ革命によってハイチが独立するまで莫大な歳入をフランスにもたらした。

王政から共和政へ

1789 年にフランス革命が起きて王政は倒され、1793年にルイ16世とマリー・アントワネットが処刑され、同時に数千人ものフランス市民が恐怖政治の犠牲となっている。政治的混乱ののちに、1799年にナポレオン・ボナパルトが共和国の権力を握り、第1統領となり、やがて皇帝に即位して第一帝政(1804年-1814年)を開いた。ナポレオン戦争と呼ばれる一連の戦争を通じてナポレオンの軍隊はヨーロッパの大部分を制覇し、彼の一族が新たに作られた国々の王位に即いた。この戦争で数百万人が犠牲となっている。

1815 年にナポレオンがワーテルローの戦いに敗れた後、フランスは王政復古したが、王の権力は憲法に制約されていた。1830年、7月革命によって立憲君主制による7月王政が立てられた。この王政は1848年に終わり、第二共和政に移行するが、1852年にルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)が第二帝政を開く。ナポレオン3世はボナパルティズム的手法で国内を固め、インドシナ半島やメキシコなどに積極的に出兵したが、1870年の普仏戦争に敗れたナポレオン3世は退位し、第三共和政に代わった。

フランスは17世紀以降、1960年代まで広大な海外植民地を有しており、その植民地帝国は大英帝国に次ぐ規模だった。1919年から1939 年の最大時にはフランスは12,347,000km²(フランス本国を含む)の領土に広がり、世界の陸地の8.6%を占めていた。フランスは第一次世界大戦と第二次世界大戦の主戦場となっている。第一次世界大戦では140万人が犠牲となっており、この時は領土の一部だけが占領されたのにもかかわらず、第二次世界大戦よりも多くの犠牲を出した。戦間期には人民戦線政府によって様々な改革が試行された。第二次世界大戦ではドイツの電撃戦に敗れて、フランス本国は北部のドイツ占領地と南部の傀儡国家ヴィシー政権に分断されたが、シャルル・ド・ゴール率いる自由フランスが連合国についたため、辛うじてフランスは戦勝国の一員となった。

フランス第四共和政が成立し、経済は再建されたものの列強国としての地位は崩れかけていた。フランスは植民地体制を守ろうとしたが、脱植民地化時代の潮流には逆らえず、すぐに苦境に陥ることになる。フランス領インドシナの支配を回復しようとして、抵抗するベトミンとの間で第一次インドシナ戦争が勃発し、1954年にディエンビエンフーの戦いでベトミンに大敗を喫してインドシナから撤退している。そのわずか数ヶ月後には、今度はより厳しいアルジェリア戦争に突入する羽目になる。

アルジェリア植民地の維持の是非と、植民者の帰還を巡って国論は割れ、内戦になりかけていた。このため、弱体で不安定な第四共和政は強力な大統領権限を含んだ第五共和政へ移行する。権限をもってシャルル・ド・ゴールは国内の統一を維持し、戦争終結へ踏み出した。1962年に和平交渉が妥結してアルジェリアは独立した。アルジェリアに先駆けて1956年にはモロッコとチュニジアが独立を達成していたが、インドシナやマグリブのみならず、ブラックアフリカの植民地においても独立運動は進んだ。1958年のギニア独立を嚆矢として、アフリカの年こと1960年にほぼすべてのアフリカ植民地が独立した。

1973 年の石油危機以降、フランスは深刻な経済危機と低成長を経験しており、政権の交代が繰り返された。その為、1986年 - 1988年、1993年 - 1995 年、1997 年 - 2002年にはコアビタシオン(所属党派の異なる大統領と首相になってしまう、保革共存政権)が起こっている。1950年代からのドイツとの和解と協力によって、両国はヨーロッパ経済共同体(EEC)や1999年1 月のユーロ導入を含む欧州統合に中心的役割を果たして来た。フランスはヨーロッパ連合の主導国の一つであり、ヨーロッパの政治的統合を強く支持しているが2005年の欧州憲法批准は国民投票で拒否されてしまった。2008年2 月にこれを継承するリスボン条約が議会の承認を得ている。

軍事

フランスの国防政策は1959年にシャルル・ド・ゴール政権が制定した「国防組織法」によって運営されている。大統領が最高司令官であり、その指導のもとに内閣委員会が国防政策、将官の任免、総動員令や戒厳令の宣布などの意思決定機関として機能する。核兵器を有しており、海軍の弾道ミサイル搭載原子力潜水艦により運用される。フランス革命からの徴兵制を廃止して志願制を採用した。

フランス軍は陸軍、空軍、海軍及び憲兵からなり、2002年の総兵力は44万人うち、陸軍17万人、空軍7万人、海軍5.6万人、憲兵9.8万人、その他機関4万人であった。国外駐在兵力は約3万人で、うち太平洋地区の海外県(植民地)に約2万人、アフリカに6,500人、国際連合など国際組織の指揮下に9千人がいる。現在もフランス外人部隊8個連隊を保有する。南仏オーバニュに司令部を置き、南仏各地も駐屯、コルシカやポリネシアにも一部が駐屯する。2002年12 月から西アフリカのコートジボワールに外人部隊2,500人が派遣され、戦闘状態にある。

さらに詳しく → フランス  マジノ線



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