航空戦艦 日向(battleship Hyūga)

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2009/12/26(土)
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日向(ひゅうが、当時の艦名表記は旧仮名遣いでひうが)は、大日本帝国海軍戦艦で、伊勢型の2番艦。艦名の由来は宮崎県の旧国名からで、この艦名は帝国海軍では1代のみ、後に海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」に引き継がれた。三菱合資会社三菱造船所(現・三菱重工長崎造船所)で起工。1917年(大正6年)1月27日進水、1918年(大正7年)4月30日就役。扶桑型戦艦の4番艦として着工の予定が財政事情により大幅に遅れたため、扶桑型の欠点を改善し主砲の位置が変更されている。歴代艦長には、後に連合艦隊司令長官として捷一号作戦等を指揮した豊田副武や、航空戦艦改装案を推進し、後に第四航空戦隊司令官として日向に深く関わることになる松田千秋をはじめ、宇垣纏・西村祥治など、戦史上重要な人物が多く名を連ねている。

2度の砲塔爆発

竣工後、第一艦隊第一戦隊に配備、最新鋭の戦艦として、「長門」竣工まで連合艦隊旗艦を勤める。 満州国皇帝訪日の際の座乗艦としても使用された。太平洋戦争開戦時は、「伊勢」と共に第一艦隊第二戦隊にあり、その戦隊旗艦を勤めた。しかし、就役直後の1919年(大正8 年)10月24日、房総沖で演習中第三砲塔の爆発事故を起こし、また1942年(昭和17年)5月には、伊予灘で演習中に今度は第五砲塔の爆発事故を起こすなど、問題の多い艦でもあった。

ただし、後者の事故直後に行われたミッドウェー海戦には、突貫工事により損傷した第五砲塔を撤去、その跡に25ミリ3連装機銃を4基搭載し、またこの工事の際に当時開発が進んでいた対水上22号電探を試験的に搭載して、主力艦隊の1艦として参加を果たした。この戦いでは、機動部隊が壊滅する事態を受け、主力部隊は会敵することなく帰還したが、その帰還途上の悪天候の折、日向の電探が艦隊の航路保持に大いに役立ったとの逸話がある。

1942年の筒内爆発事故については、その爆発の瞬間の映像が現存している。主砲射撃演習中の日向後楼から、第五・六番砲塔の様子を撮影したものであるが、編集・検閲の際にそれと気づかず、そのままニュース映画として放映してしまったという逸話がある。見た目では、発砲煙の様子がややおかしい程度で、映像における外見上の損傷が目立ったものではなかったからであるが、砲塔内への爆熱の逆流などで死者55名というから爆発直後の第五砲塔内の凄惨な状況は想像に難くない。

2度の砲塔爆発という危険極まりない事故を起こしながらも(大正期に弾薬庫火災を起こしたこともある)無事だったことは、戦艦「河内」や「陸奥」などの爆沈の例と照らし合わせると、非常に幸運であったと言える。また、空母4隻を失うことになるミッドウェー海戦の時期に第五砲塔を事故で失ったことは、その後の本艦と同型艦「伊勢」の運命を大きく変えることになる。

航空戦艦に改装~終焉

後部の5番、6番の主砲を撤去し格納庫及び飛行甲板を設け航空戦艦となる。ただし、「航空戦艦」という呼称は便宜上のものであり、正式な艦籍は戦艦のままであった。通常の空母の半分以下の長さしかない飛行甲板では艦載機の着艦はできない。飛行甲板はもっぱら航空機整備・発艦作業用のスペースである。日向を擁する第四航空戦隊に配備される予定の第634航空隊は、水上偵察機瑞雲と艦上爆撃機彗星二二型を主力とする部隊で、日向には彗星が配属される予定であった。カタパルトで射出された彗星は攻撃後機体を消耗して空きのできた他空母や、近隣の陸上基地へ着陸するという運用が想定されていた。

改装後、伊勢と共に第四航空戦隊を編成し、松田千秋少将座乗の第四航空戦隊旗艦として捷一号作戦に参加したが、搭載予定の第634航空隊は先の台湾沖航空戦によりフィリピン方面に転用されたために、航空戦隊でありながら搭載機は1機もなかった。 小沢本隊の前衛部隊として松田支隊を編成、米艦隊との砲戦を試みるべく南下するも会敵機会に恵まれず、後に本隊と再合流している。 本隊は空母瑞鶴をはじめ、空母4隻すべてを失う大損害を被り、その後米軍機の攻撃は日向・伊勢に集中したが、松田少将発案の航空攻撃回避術と、それによる両艦長の巧みな回避運動、さらに航空戦艦に改装された際に大幅に増強された対空火力の効果もあいまって米軍の攻撃を回避し、無事帰還を果たす。
終戦時の大破着底した日向を描いた画。艦橋部と艦首部の破壊状況が描かれている。

1945 年(昭和20年)2 月、戦略物資輸送作戦「北号作戦」で、カタパルトを撤去、更に機銃を一部撤去して現地部隊に引き渡し、石油・ゴム・錫などの希少な戦略物資を広大な航空機格納庫のスペースを生かして満載した。全艦損害なしという奇跡的な成功を収めた後、燃料不足のため呉軍港に停泊していたが、7月24日から始まった呉軍港空襲で呉港外(情島沖)で米軍空母機の波状攻撃を受け、大破着底(着底の直接原因は命中弾によるものではなく、多数の至近弾による弾薬誘爆によるもの)、同日艦橋右への直撃弾によって、艦長草川淳少将(戦死後中将)も戦死した。この年7月の時点で乗組員のうち約半数が退艦していたが、これらの攻撃による乗組員の被害は、残存乗組員千余名中戦死者204名、重軽傷者600余名に及んだ。

戦後の1947 年(昭和22年)7月、解体が完了してその波乱の艦歴を閉じた。なお、情島で着底した日向の様子を戦後に米軍が撮影したカラー映像が残っており、今日でもその被害の凄まじさを観察することができる。

性能諸元(航空戦艦改装時)

排水量 38,872トン(公試時)
全長 219.62 m
全幅 33.83 m
吃水 9.03 m
機関 ロ号艦本式缶8基
    艦本式ギアード・タービン4基4軸 80,640馬力
速力 25.1 ノット
航続距離 9,500海里/16ノット
乗員 士官、兵員1,669名
兵装 四一式35.6cm連装砲4基
    12.7cm連装高角砲8基16門
    25mm3連装機銃19基
搭載機 常用22機(カタパルト2基)

さらに詳しく → 日向



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