航空戦艦「伊勢」「日向」

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2009/12/26(土)
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伊勢(いせ)は大日本帝国海軍の戦艦伊勢戦艦の1番艦。艦名の由来は三重県の旧国名からで、後に海上自衛隊の護衛艦「いせ」に引き継がれた。当初は扶桑型戦艦の3番艦として建造が予定されていたが、扶桑型に砲力や防御力、運用面等で問題点が生じたため再設計が行われ、準同型艦の伊勢型の一番艦として建造された。太平洋戦争後半には戦術変更に伴って、姉妹艦の日向と共に後部主砲塔二基を撤去し、艦載機発艦用飛行甲板(但し、発艦限定であり、瑞雲以外の機体を回収することは不可能。)を設け、搭載機数22機という軽空母なみの航空打撃力を持つ航空戦艦へと改装された。歴代艦長として山口多聞、古賀峯一といった後の著名指揮官も輩出した。

艦歴

1915 年5月10日、川崎重工業神戸造船所で起工。1916年11月12日進水、1917年12 月1日就役。扶桑型戦艦の改良型として就役した本艦は、扶桑型の問題点の装甲防御の弱さを改正し、ようやく世界水準の性能に達したと言われる。1921年に主砲仰角角度を拡大する改造工事を行った。1924年に砲戦指揮場を設置した。更に1935年8月1日から、1937年3 月23日まで近代化改装が行われ、水平防御力や主機の出力向上などの改修が行われた。これにより、排水量、装甲防御能力、速力、砲撃力等において、戦艦としての総合能力では太平洋戦争開戦時でも世界標準を保っていた。反面、空母や巡洋艦などの他の艦艇に速力で劣る上に乗組員を多数必要とし、燃費も悪く、用途が見出せないことから、慢性的に燃料不足に悩んでいた日本海軍は、本艦を海戦に投入する機会を見出せなかった。

航空戦艦への改装

同型艦日向が砲塔爆発事故を起こしたのを機に、1944年に日向と共に航空戦艦に改装されたが、艦載機を搭載することができないまま空母機動部隊に所属し、レイテ沖海戦に参加した。この時の対空戦で第四航空戦隊司令官松田千秋の発案した弾幕射撃が効果を挙げ、航空機多数撃墜(30~70機)を報告している。また巡航速度で移動し、敵艦上爆撃機が降下態勢に入ると同時に思い切り舵を切るという爆弾回避術も大いに効果をあげた。この機動を急降下爆撃を行う艦爆側から見れば、目標が後逸していくので見失ってしまう。さらに艦爆は一度降下に入ると大きな目標修正ができず、重量物である爆弾を投下しない限り再び上昇できなかった。これらから艦爆は狙いが逸れたまま爆弾を投下して上昇するしかなかった。

大戦末期、日本国内では石油・ゴムなどの資源が枯渇した。そこで本艦は連合軍制海権下の南シナ海などを強行突破して資源を輸送する「北号作戦」に参加する。この作戦では輸送部隊に接近しようとした潜水艦を主砲で砲撃するなど、半ば奇想天外ともとれるような戦術を駆使しながらも、奇跡的に無傷で呉に帰還を果たした。この後の伊勢は燃料不足のため「呉鎮守府第1予備艦(浮き砲台)」に指定され、燃料不足と米軍の機雷封鎖で行動不能な状態のまま呉港外三ツ子島(倉橋島北東、34゚12'N/132゚31'E)海岸付近の海面に停泊していたところを1945年7 月28日の呉軍港空襲で米機動部隊の艦載機に攻撃され大破着底し、終戦後引き揚げられてスクラップにされた。

さらに詳しく → 伊勢  日向



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