ドイツ空軍ガンカメラ映像(第二次世界大戦時)

航空兵器・陸上兵器・海上兵器・銃器・戦争・紛争・歴史・革命・テロ・事件・軍事動画・ニュース(報道)・社会情勢・政治運動・評論・講演など、軍事関連の情報を公開しています。宗教・思想・経済・政治的なものも少しアリ

広告
2009/12/26(土)
*

ドイツ空軍(ドイツくうぐん、独:Luftwaffe)は1935年の再軍備から使用されるドイツの空軍の名称。正式には Reichsluftwaffe と綴られるが、短縮してLuftwaffeと呼ばれる。カタカナ読みはルフトヴァッフェあるいはルフトバッフェ。ドイツ空軍の前身であるドイツ帝国軍航空隊(Luftstreitkräfte)は 1910年、軍用飛行機の出現とともに創立された。その当初の任務は地上の陸軍部隊の支援のために偵察を行うことであった。第一次世界大戦が勃発すると空中戦が行われるようになり、爆撃任務や迎撃任務とその内容を拡げていった。

概要

前身は1910 年設立のドイツ帝国軍航空隊であるが、第一次世界大戦の敗北により、1920年5 月20日に解散。その後もヴェルサイユ条約によってドイツ国(ワイマール共和政)は、軍備を著しく制限されていた。アドルフ・ヒトラーがドイツ国(ナチス党政権下のドイツ)総統就任後の1935年3 月16日、再軍備化を宣言。このとき、空軍が正式に設立された。第二次世界大戦に敗北し、1945年に空軍も解散される。ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の主権回復後の1956年に再軍備化し、現在に至る。 長らく「専守防衛」を基軸とし戦闘には参加していなかったが、1999年、NATOがコソボ紛争に介入した際に派兵。第二次世界大戦以来、54年ぶりの戦闘参加となった。

第二次世界大戦

軍団の変遷・編成

航空艦隊
      第1航空艦隊
      第2航空艦隊
      第3航空艦隊
      第4航空艦隊
      第5航空艦隊
      第6航空艦隊

空軍野戦師団

降下猟兵

ドイツ空軍の組織の序列を示すと、航空艦隊の隷下に航空軍団、飛行師団、航空団、飛行隊、飛行中隊と分かれている。航空艦隊というのは受け持ちの地域別に分けたときの呼称であり、開戦当時は第4航空艦隊まで存在していた。1940年に新設された第5航空艦隊は、第2、第3航空艦隊とともにバトル・オブ・ブリテンに参加している。1944年には本土防空部隊が登場し、航空軍の中でも航空艦隊並みの扱いで、別格の立場を築き上げた。最盛期には7つの航空艦隊に、本土防空隊を加えた大所帯へと発展するが、末期にはハンガリーからオーストリアに展開した第4航空艦隊と本土防空部隊までに縮小した。

実際の作戦は師団単位で行われた。しかしながら、開戦当時は空軍の編成は未完了のままであり、戦闘機部隊にいたっては編隊単位での指揮しか行えなかったのが実情であった。さらには組織の命令伝達システムも複雑であった。OKL→航空艦隊→航空軍団→航空師団→野戦部隊に伝達されるようになっていたが、その航空軍団という大規模な組織であっても専門的で、諸兵科のバランスの釣り合いが悪く、航空軍団は各地の戦線に赴いていく中で地域別の縛りが希薄になっていった。また戦力の減耗に伴って中隊単位での扱いが多くなっていった。

大戦初期
第二次世界大戦の初期、ポーランド侵攻やフランス侵攻において、ドイツ空軍は戦車部隊と連携してJu87といった急降下爆撃を中心とする戦術的な航空作戦(電撃戦)で破竹の進撃を行った。 しかし、1940年夏にイギリスへの上陸作戦―アシカ作戦の露払いとして開始されたバトル・オブ・ブリテンでは、当時の主力単座戦闘機であったBf 109の航続力と数が十分でなく、長距離かつ高速・重武装であったはずの駆逐戦闘機(ドイツ側での、双発戦闘機の呼称)Bf 110や、He111といった爆撃機がイギリス戦闘機の攻撃に晒され、多大な損害を被った。また、初期の段階では誤報も多く精度も低かったレーダー・システムが実用化の域に達すると、イギリス空軍による被害はさらに増大し、苦戦を強いられたドイツ空軍、1940年冬以降になるとイギリスへの昼間爆撃を断念せざるを得なくなった(戦闘機による、小規模な爆撃はイギリスの湾岸施設に対して実行された)。

1942年6月には体勢を立て直してスターリングラードの戦いに臨んだものの、伸び切った補給路とソビエト空軍の頑強な抵抗はドイツ空軍の戦力を消耗させた。包囲されたドイツ陸軍に対し懸命の空中補給も行われたが、戦況を好転させることはできなかった。なによりも教官をつとめるパイロットを多数失ったために、このあとのパイロット育成システムに大きな問題を残す事になる。1943年にはクルスクに対する夏季攻勢が行われた。3倍、4倍の数を撃墜してもなお迫り来るソ連の物量に、ドイツ空軍は最後まで航空優勢を維持する事ができず、戦力に大きな差ができつつあることが明らかになった。ウラルにあったソビエトの国営工場などに空襲ができなかったことに加え、大戦末期の日本にも見られた『モックアップ・ファイター(木製戦闘機)』なども急速にソ連空軍の戦力として増加したためである。結果的に、イタリア半島に連合国軍の上陸によって作戦は中止され、これ以降、ドイツは急速に戦力を減耗していく事になる。

本土防空
開戦当時のドイツ本土の防空体制は皆無に等しかった。というのも、当時のドイツ空軍総司令官であるゲーリングが豪語したように、「防空には高射砲」という考えがあったからである。さらに、敵航空基地を絶え間なく攻撃すれば、相手が防空で手一杯となって爆撃ができないであろうという考えが存在していたのだ。1940年5月15日、その考えが一変する。真夜中のドイツ本土上空に英爆撃機が出現し、さらには肝心の高射砲部隊が上手く機能しなかったのである。この後、夜間戦闘機部隊とレーダー防空網の整備が進められる中、英空軍による大都市への夜間爆撃が恒常化する。

大戦中期に、アメリカ軍が参戦。1942年にアメリカ陸軍航空軍(第8空軍など)による軍事施設に対する昼間爆撃が本格化したが、1943年のシュヴァインフルトの爆撃では、迎撃によりアメリカ側に耐え難い損害を強いた。

護衛戦闘機の随伴が可能になった1944年からは、戦闘機隊を先行させて飛行場を強襲する、いわゆるスイープなどの対抗策が講じられた。さらにノルマンディー上陸作戦で、フランスに派遣された迎撃戦闘機の基地が占領されていくと、ドイツ空軍側は戦力維持が難しくなっていった。さらに合成石油製造工場の爆撃は大きな打撃となり、その結果、戦闘機は製造されるが燃料が無いという悪循環に陥った。

戦争末期に近づくにつれ、連合軍による空襲はますます激化し、1944年中には主な軍需工場が集中していたルール地方は焦土と化した。また、イギリス軍による夜間爆撃に対しては、爆撃機であったJu 88を夜間迎撃機に改造して使用した。ジェット戦闘機の開発も進められたが、ヒトラーの横槍(爆撃機仕様が優先された)などもあり、実戦に登場したのは戦争も末期の頃だった。工場地帯、また輸送路が次々に破壊されていく中で生産数は減り続けていった。1943年7月24日から8月2日にはハンブルク空襲で戦略爆撃機2865機が飛来し、総量9,185トンもの爆弾を投下。死者は5万人以上を数えた。この爆撃以降、ドイツ本土の都市を目標にした大規模爆撃が激化していった。

末期の戦い
連合軍がノルマンディー上陸作戦にで上陸を行うと、連合軍の空軍は交通機関を空襲して徹底的な部隊移動妨害を行った。これをカレー上陸のための陽動だと考えた総司令部は兵力の温存を図った。このためノルマンディー上陸時には数機程度の航空機のみを飛ばしたに過ぎず、それはあまりにも少なかった。フランス沿岸部に連合軍の強固な橋頭堡が築かれ、連合軍のヨーロッパへの進出は不動のものになった。フランスに派遣されていたドイツ軍空軍基地は、放棄ないし占領され、大量の機材を失い、防空体制にも重大な穴が生まれた。連合軍の物量と、最終的な判断ミスでドイツは制空権を完全に失い、ドイツ本土への爆撃行はより激しさを増した。東部戦線でもソビエト空軍は戦いから多くを学び、アメリカ・イギリスの機材の貸与もあり以前のような物量に任せであった攻撃には精度が増していた。外的要因のみならず、ドイツ空軍は編隊を組んで飛ぶ事すら困難なほどの燃料不足、総司令部と地方基地との意見の食い違いによる混乱が生まれていた。そんな中で、まともな戦闘は行えるはずはなかった。

1945 年4月、ソ連が首都ベルリンに侵攻し(ベルリンの戦い)眼下で少年兵や老人、傷病兵などで構成された部隊―国民突撃隊が編成される中、ドイツ空軍でも国民戦闘機―グライダー飛行程度の訓練でも操縦可能―というコンセプトに基づき、ハインケル社からジェット戦闘機He 162 フォルクスイェーガーが開発された。しかしながら、コンセプトとは裏腹に熟練者でも操縦が難しい機体となり、部隊が創設されたものの戦果は上がらなかった。

装備

世界大戦期
第二次世界大戦以前より、世界各国がジェットエンジンの開発に取り組んでいたが、ドイツのハインケル社は、その中でもいち早く世界初のジェット機He 178の初飛行を成功させた。この後ハインケル社はジェット戦闘機He 280を開発、メッサーシュミットMe262に先駆け1941年に初飛行を成功させたが、生産に移される事がなかった。諸説あるが、ハインケル博士のナチ嫌い、あるいはメッサーシュミット博士と空軍の密接さが一番の原因と考えられており、これはメッサーシュミットBf 109と競合と意図し、優秀であったとされながらも冷遇されたHe 100の前例も作っている。そのため、この技術が戦争中に生かされたのは第三帝国の終焉が見え始めた1944年の中盤、メッサーシュミットMe262が実戦化された時であった。ジェットエンジンが技術的にも未成熟であったため、機械的な故障も多く生じた。

さらに詳しく → ドイツ空軍



ドイツ空軍戦闘機1935-1945―メッサーシュミットBf109からミサイル迎撃機まで (世界の傑作機別冊―Graphic Action Series)ドイツ空軍戦闘機1935-1945―メッサーシュミットBf109からミサイル迎撃機まで (世界の傑作機別冊―Graphic Action Series)
(2006/02)
野原 茂

商品詳細を見る
関連記事

タグ : 戦争 第二次世界大戦 ドイツ空軍

この記事へのコメント
URL:
Comment:
Pass:   
この記事のトラックバックURL
http://gunjimania.blog108.fc2.com/tb.php/510-3e6e36b8
 この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

 | Copyright © 軍事マニアクス - Military Maniacs All rights reserved. | 

 / Template by 家族 ペット 自分史 ブログ