カナダ軍vsタ-リバーン

航空兵器・陸上兵器・海上兵器・銃器・戦争・紛争・歴史・革命・テロ・事件・軍事動画・ニュース(報道)・社会情勢・政治運動・評論・講演など、軍事関連の情報を公開しています。宗教・思想・経済・政治的なものも少しアリ

広告
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009/12/24(木)
*

ターリバーン (طالبان 英:Tālibān。中:塔利班) は、パキスタンとアフガニスタンで活動するイスラーム主義運動。1996年から2001年11月頃までアフガニスタンの大部分を実効支配し、アフガニスタン・イスラーム首長国(ターリバーン政権)を樹立した(国際的には一部国家を除いて承認されず)。日本では通常タリバン(またはタリバーン)と表記される。ターリバーンの最高指導者はムハンマド・オマル。ただし2001年以降は生死不明である。ターリバーンは、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻(1979 年~1988年)後の長年の内戦の中から生まれた武装勢力。パシュトゥーン人の割合が多い。パキスタンの強力な支援を受けて急激に勢力を拡大、軍閥グルブッディーン・ヘクマティヤール派を破ってその勢力を吸収しカンダハールを当初の拠点とした。

ターリバーン」という語はアラビア語で「学生」を意味する「ターリブ」(طالب)のパシュトー語における複数形であり、イスラム神学校(マドラサ)で軍事的あるいは神学的に教育・訓練された生徒から構成される。ターリバーン構成員を数えるとき、一人なら単数形の「ターリブ」、二人以上なら複数形の「ターリバーン」が用いられる。ターリバーン側の主張によるとムハンマド・オマルが20人の同志とともに始まったものだとされている。内戦が続くアフガニスタンの戦いにおいてターリバーンは1994年頃から台頭し始め、当初はアフガニスタン統一を願う純粋な学生の運動として受け止められた。内乱時代のムジャーヒディーン(これには後の北部同盟参加グループも多く含まれる)諸派のモラル無き暴行略奪などに対する反発から当初は市民に歓迎された。

ターリバーンは1996年9月に首都カーブルを制圧し、国連施設に幽閉されていた元大統領のムハンマド・ナジーブッラーを引きずりだして公開処刑として惨殺した。カーブル制圧後、「アフガニスタン・イスラーム首長国」を建国したが、パキスタン・サウジアラビア・アラブ首長国連邦以外には承認されなかった。国際連合の代表権はブルハーヌッディーン・ラッバーニーを大統領とするアフガニスタン・イスラム国が保持しており、通称「北部同盟」として北部で抵抗を続けた。その後3年ほどでアフガニスタンの90%を支配下においた。

ターリバーンの支配はすべての音楽を禁止するなどイスラム原理主義に基づいた厳格なものであった。ターリバーンはパシュトゥーン人の部族掟「パシュトゥーンワーリ」に従い、パシュトゥーン人以外の民族の不満を招いた。このパシュトゥーンワーリは一部報道では実際にはイスラム教のシャリーアの代表的解釈とは相容れない部分があるとも言われている。またアル・カーイダと接近してからは、その過激原理主義の影響を受け、パシュトゥーンワーリからも逸脱した、偏狭頑迷なイスラーム解釈をアフガーン人に押し付けるようになった。このことにより、アフガニスタン国民からの支持は低下した。

ターリバーンは過度に今までの娯楽や文化を否定し、また公開処刑を日常的に行うなど、過激な活動をおこなった。これは市民に対する見せしめであると同時に、娯楽の無い市民を巧妙に操る手口であり、多い時には1万人もの見物客が公開処刑に詰め掛けたといわれる。また女性は学ぶ事も働く事も禁止され、外出さえも認められなかった。外国人も例外ではなく、女性の国連職員は入国が許可されなかった。彼らターリバーンの統治メンバーらの服装は漆黒のターバンに黒と白のモノトーンの服装を組み合わせた独特のデザインでコーディネートされ、戦闘車両の多くもそれに準じた塗装が施されている。

1996 年、ターリバーン政権はウサーマ・ビン=ラーディンとアル・カーイダの幹部を客人としてアフガニスタンへの滞在を許した。アルカーイダは、「対米宣戦布告」を行うなどそれまで引き起こされていた数々の反米テロの黒幕と推定されており、またイスラム諸国からも異端視されていた組織であり、ターリバーンは周辺諸国から孤立し始めた。アメリカのビル・クリントン大統領はターリバーンに対する政策を転換し、ユノカルのパイプライン計画も破綻した。ターリバーン政権にアルカーイダを引き渡すように要求したが、ターリバーンは拒否した。アメリカはパキスタン政府に圧力を掛け、ターリバーンへの支援を断ち切ろうとした。またサウジアラビア政府もターリバーンへの援助を打ち切ったため、ターリバーンは経済面でも大きな打撃を受けた。しかしターリバーンは国内の他勢力の拠点を次々に攻略し、勢力を拡大し続けた。

1997年5月から、ターリバーンはラシッド・ドスタム派の拠点であったマザーリシャリーフを攻撃したが撃退され、2500人以上の壊滅的な損害を出した。しかしターリバーンはパキスタン軍の支援を受けて立ち直った。

1998年8月7日、タンザニアとケニアにあったアメリカ大使館が爆破される事件が起きた。この攻撃をうけてアメリカは報復としてスーダンのハルツームにあった化学工場と、アフガニスタン国内のアル・カーイダの訓練キャンプをトマホーク巡航ミサイルで攻撃した。

8月8日、ターリバーンはドスタム派の幹部を買収して勢力下に入れ、再度マザーリシャリーフを攻撃し、占領した。この際、5000人以上のハザラ人市民が殺害され、イラン総領事館の外交官10人とジャーナリストが殺害された。この攻撃はイランや国際社会から激しい非難を受け、一時は国境地帯にイラン軍が集結する事態となった。

1999年、国際連合安全保障理事会においてテロ行為の防止を目的とする国際連合安全保障理事会決議1267が採択され、ターリバーン政権に対しビン=ラーディンとアル・カーイダ幹部の引渡しを求め、実行されない場合には経済制裁が行われることになった。しかしターリバーンはこれに従わず、経済制裁が行われることになった。

2000年10月、アル・カーイダはアメリカのミサイル駆逐艦コールに自爆テロ攻撃を行った(米艦コール襲撃事件)。このためアメリカはさらに経済制裁を強化することを主張し、12月には追加制裁を定めた国際連合安全保障理事会決議1333が採択された。

2001年2月26日、窮地に追い込まれたターリバーン政権は国際社会の注目を集めるために、紛争続きのアフガニスタンにあって、それまで徐々に壊れていたバーミヤーンにある石窟の仏陀の像(バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群)を、ターリバーンが最終的に、木っ端微塵に吹き飛ばした。しかし、この行為は非イスラム教諸国のみならず、イスラム教諸国に至るまで非難を行い、完全に逆効果となった。

2001 年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生すると、アメリカはこのテロの容疑者としてアルカーイダ関係者を引き渡すように要求した。しかしターリバーン政権はこれを拒否したため、アメリカと有志連合諸国は国際連合安全保障理事会決議1368による自衛権の発動として攻撃を開始し、北部同盟も進撃を開始した。11月までにターリバーンはカーブルとカンダハールを含むアフガニスタンの大半の領域を喪失した。

しかし、ムハンマド・オマルをはじめとする指導部の多くは失われず、2003年以降アフガニスタン南部及びパキスタンのトライバルエリア、ワジリスタン州を根拠地に勢力を回復し、2006年中にはアフガニスタン南部四州で都市部以外の支配権を獲得するに至ったと言われる。これにはパキスタンの原理主義勢力、及びその背後のISIが深く関与していると見る向きが強く、同年末にはアフガニスタン暫定行政政府の大統領ハーミド・カルザイがパキスタンを名指しで非難する事態に至った。

国際部隊の治安活動もあり主要都市の陥落などの危機的状況には陥っていないが、国際部隊の展開地域等でケシ栽培を禁じられた、あるいは多国籍軍の攻撃で民間人が死亡したなどの理由により、とりわけパシュトゥーン人の間などで、治安の混乱と経済的苦境からターリバーン復活待望論が広まっているという。一方、パキスタン国内でもテロ組織や政府反対派部族と共同戦線を張り、パキスタン軍や政府支持部族、アメリカ軍と戦闘を続けている(ワジリスタン紛争)。

アフガニスタン南部ではターリバーンが独自の知事や裁判所を設置して完全な支配下に置いている地域がある。ヴァルダク州ではターリバーン独自の州知事、軍司令官、シャリーア法廷の設置やカーディー(シャリーア法廷の裁判長)を任命し、道路税などの税金の徴収、徴兵、学校の閉鎖やマドラサでの教育の強制、シャリーアに基づく刑罰の執行などを行い、完全にターリバーンの統治下にある。ローガル州のバラキー・バラク地区はターリバーンによる制圧後、床屋で髭を剃ることとテレビの視聴を禁じ、従わないものは「異教徒と外国人のスパイ」とみなすと住民に脅迫したという。ヘルマンド州の大部分も中央政府の支配が及ばず、ターリバーンの影響下にあり、地元部族長によれば住民も政府を頼りにするのではなく、ターリバーンの"政府"を頼り、90%の住民がカルザイ政権ではなくターリバーンを支持しているという。

また、再起したターリバーンは自爆テロや市街地での無差別テロなどイラクで反米武装勢力が用いた戦術を多用する傾向が顕著になり、アルカーイダとの一体化の進行が指摘されている。またこれら自爆テロでは同様の自爆テロや米軍の空爆で手足を欠損した身体障害者が6割に上るという調査結果が遺体検分に当たったカブール大学により2008年明らかにされている。

さらに詳しく → アフガニスタン紛争 (2001年-)  ターリバーン



テロリズム―歴史・類型・対策法 (文庫クセジュ)テロリズム―歴史・類型・対策法 (文庫クセジュ)
(2008/07)
J.=F. ゲイローD. セナ

商品詳細を見る
関連記事

タグ : 戦争 紛争 アフガニスタン紛争 ターリバーン

この記事へのコメント
URL:
Comment:
Pass:   
この記事のトラックバックURL
http://gunjimania.blog108.fc2.com/tb.php/457-fdd1475f
 この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

 | Copyright © 軍事マニアクス - Military Maniacs All rights reserved. | 

 / Template by 家族 ペット 自分史 ブログ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。