ベルグラーノ:撃沈された戦艦の真実 フォークランド紛争

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2009/12/22(火)
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フォークランド紛争(フォークランドふんそう、西:Guerra de las Malvinas、英:Falklands Conflict/Crisis)とは、イギリス領フォークランド諸島(スペイン語名/アルゼンチン名:マルビーナス諸島 )の領有を巡り、イギリスとアルゼンチン間で3ヶ月にわたって行われた紛争である。スペイン語ではマルビーナス戦争と表記されることが多い。日本語では「フォークランド紛争」と表記されることが多いが、世界的には「紛争」よりも「戦争」に該当する呼び名が用いられることが多い。ただし、イギリス陸軍のウェブサイトでは「Falklands Conflict」の語を用いている。他にも、スペイン語圏では「南大西洋戦争」とも呼ばれる。

歴史

フォークランド諸島は南アメリカ大陸のほぼ南端、アルゼンチン本土から約500km沖合の大西洋に位置している。東フォークランド島と西フォークランド島に、200余りの小島で構成された面積12,000平方キロ程度の諸島である。元々マルビーナス諸島は、アルゼンチンの元宗主国であるスペインのフェルナン・デ・マガリャンイスの船団が1520年に発見していたが、1592年にイギリス人のジョン・デーヴィスが最初に発見したという説もあり、イギリスはこの出来事を根拠として領有の正当性を主張している。


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1816 年に最寄に位置するアルゼンチンがスペインより独立したのを契機に領有を宣言した。当然主権はスペインから引き継いだものとみなされ、1820年にラ・プラタ連合州が占領し、1825年には知事が送り込まれ、囚人や政治犯の流刑地となった。しかし「独裁王」フアン・マヌエル・デ・ロサス統領の時代に入ると、1829年にアルゼンチン政府に海域の通行料を払わなかったアメリカの捕鯨船三隻が拿捕されたのをきっかけに、ブエノスアイレスのアメリカ領事は「島の主権がイギリスにある」と訴えて、アンドリュー・ジャクソン大統領が派遣したアメリカ海兵隊が上陸し諸島の中立を宣言した。1833年にはイギリスが再占領し、領有権をめぐって再び対立した。アルゼンチン政府は島の奪還を求めていたが、ウルグアイにおける大戦争のため、諸島を奪還することが出来なかった。

カセーロスの戦いによるロサス追放後、自由主義者の政権はイギリスを崇拝し、市場としていたため領有権を持ち出すようなことをしないまま150年近い時間が経ち、紛争に至った。なお、アルゼンチンは領有の根拠として、トルデシリャス条約でのスペインの権益を独立後受け継いだと主張している。

背景

アルゼンチンは最初直接交渉で、第二次世界大戦後は国連を通じた交渉で穏健策をとり、1960年代以降にはイギリスの維持能力を超えていたこの諸島に様々な行政、医療サービスを行いながら、イギリスに対してフォークランド諸島の返還を求め続けていた。これに対してイギリスも条件付ながら返還を認めるとしてきたが、 1982年からアルゼンチンはあくまで無条件返還を求めたため交渉は平行線をたどり難航していた。

アルゼンチンは1950年代までは畜産物と穀物輸出から得られる外貨と、その外貨を国民に分配した左翼民族主義者のフアン・ペロン大統領のポプリスモ政策によって先進国並みの生活水準を誇っていたものの、ペロンが保守派と結託した軍のクーデターで追放されると、ペロン元大統領派(ペロニスタ)や、その流れを汲む都市ゲリラ(モントネーロスやペロニスタ武装軍団など)と軍部による20年以上にも及ぶ政治の混乱が天文学的なインフレと失業を招き、牛肉など食料品の値上げにより国民生活を深刻な状況に陥れていた。

1976 年にイサベル・ペロンを追放して誕生したホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍の軍事政権は、それまでよりも弾圧の姿勢を強めてCIAの指導やパナマの米州学校 (SoA)での教育を背景にしてペロニスタや左翼を徹底的に弾圧し、この「汚い戦争」で8,000人から30,000人が「行方不明」(実際は治安部隊に暗殺されたが、事件そのものが「存在しないこと」とされ、統計上行方不明になった)になったといわれる。このようにして行方不明になった人間には当然テロやゲリラや左翼と無関係の市民も大勢いた。そして経済状況が一向に改善しないにもかかわらず、こういった政争に明け暮れる政権に対して民衆の不満はいよいよ頂点に達しようとしていた。

軍事政権は、当初よりしばしばフォークランド諸島に対する軍事行動をちらつかせてはいたものの、実際に行動を起こすまでには至らなかった。だが、かかる状況下で軍事政権を引き継いだレオポルド・ガルチェリ大統領(現役工兵中将でもあった)は、民衆の不満をそらすために必然的ともいえる選択肢を選んだ。既にアルゼンチンの活動家が上陸して主権を宣言するなどの事件も起きており、フォークランド諸島問題を煽ることで、国内の反体制的な不満の矛先を逸らせようとしたのである。

この紛争は、近代化された西側の軍隊同士による初めての紛争であり、その後の軍事技術に様々な影響を及ぼした。両軍で使用された兵器のほとんどは実戦を経験していなかったが、この紛争で定量的に評価されることになった。また、アルゼンチンはイギリスから兵器を一部輸入していた上、両軍ともアメリカやフランス、ベルギーなどの西側第三国で設計開発された兵器体系を多数使用しており、同一の兵器を使用した軍隊同士の戦闘という特徴があった。

アルゼンチン軍の攻撃によりイギリス軍は多数の艦船と乗組員を失い、戦争中のイギリス軍の艦艇の損失はアルゼンチン軍のそれを大きく上回ったが、揚陸作戦を成功させ、経験の豊富な地上軍による陸戦や長距離爆撃機による空爆、同盟国であるアメリカ軍の援助を得た情報戦を有利に進めた結果、最終的に勝利を収めた。 アルゼンチン軍は果敢な航空攻撃によりイギリス海軍艦艇に大きな損害を与えたが、イギリス軍の逆上陸を阻止できず、また一部で頑強な抵抗を示したものの経験豊富なイギリス地上部隊に対抗できず、降伏に至った。

さらに詳しく → フォークランド紛争  ナショナルジオグラフィックチャンネル



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