兵士が語る硫黄島決戦

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2009/12/22(火)
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硫黄島の戦い(いおうとうのたたかい/いおうじまのたたかい, Battle of Iwo Jima, 1945年2 月16日 - 1945年3 月26日)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間に生じた戦闘である。

1944年8月グアム島をほぼ制圧し終えた米軍は、次の攻撃予定として、12月20日レイテ島上陸、1945年2月20日にルソン島もしくは3月1日に台湾上陸、との作戦計画を立案したが、台湾か沖縄かはこの時点では決定されていなかった。しかし、アメリカ太平洋艦隊司令部では既に1944年9月にスプールアンスの献策から、台湾攻略は補給の限界と日本本土への影響力行使の観点から、意味がないと判断した。

レイテ攻略で、ほぼ日本海軍の戦闘能力はなくなり、台湾攻略の戦略的な価値が下がった上に、米陸軍も日本本土への戦略爆撃の効果から硫黄島攻略の意義を唱え、「硫黄島攻略後に沖縄上陸」という基本戦略が秋の日本本土上陸への前提としてアメリカ軍全体の方針となった。

これを受けて、1945年2月19日にアメリカ海兵隊の硫黄島強襲が、空母機と艦艇の砲撃の支援のもと開始された。3月17日、激しい戦闘の後にアメリカ軍が島を制圧し、日本軍守備隊陣地の多くが壊滅した。3月21日に大本営は17日に玉砕したと発表。その後も、生き残りの日本兵からの散発的に抵抗は続き、3月26日、栗林忠道中将(戦闘終結直前に大将へ進級)以下300名余りが最後の攻撃で壊滅し、これにより組織的戦闘は終結した。

日本軍に増援や救援の計画は当初よりなく、2万933名の守備兵力のうち2万129名までが戦死した。これは損耗率にして96%にのぼる。一方、アメリカ軍は戦死6821名・戦傷2万1865名の計2万8686名の損害を受けた。太平洋戦争後期の上陸戦でのアメリカ軍攻略部隊の損害(戦死・戦傷者数等の合計)実数が、日本軍を上回った稀有な戦いであった。

1985年2 月19日、硫黄島において、日本とアメリカ双方の退役軍人ら400名による合同慰霊祭が行われた。かつて敵として戦った双方の参加者たちは互いに歩み寄り、抱き合って涙を流したという。この日建立された慰霊碑には日本語と英語で次の文章が綴られている。「我々同志は死生を越えて、勇気と名誉とを以て戦った事を銘記すると共に、硫黄島での我々の犠牲を常に心に留め、且つ決して之れを繰り返す事のないように祈る次第である。」なお、片方の当事者チェスター・W・ニミッツ海軍大将は「硫黄島上で戦った人の間で、類稀な勇気は共通の美徳だった。」とこの戦いを著書の中で総括している。

さらに詳しく → 硫黄島の戦い  太平洋戦争


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