CNN 湾岸戦争の全貌 作戦”砂漠の嵐”

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2009/12/21(月)
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湾岸戦争(わんがんせんそう、アラビア語: حرب الخليج الثانية 、ペルシア語: جنگ خلیج فارس 、英語:Gulf War)は、1990年8月 2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1 月17日にイラクを空爆した事にはじまる戦争。イラクのクウェートへの侵攻から湾岸戦争の開始ととらえることもある。アラブ諸国では、イラン・イラク戦争を第一次湾岸戦争として、こちらを第二次湾岸戦争(حرب الخليج الثانية)と呼ぶことがある。

日本では英語の“GULF WAR”を訳した「湾岸戦争」が開戦直後に定着した。ペルシャ湾に面したクウェートが舞台になったことから名づけられたと見られ、ほとんどの国が訳語を使用している。イラクのクウェートへの侵攻から始まったことから、「イラク戦争」と呼ぶ人もおり、2003年のイラク戦争を受け、こちらを第一次イラク戦争、後者を第二次イラク戦争とも呼ぶ。また、2003年のイラク戦争の事を「第二次湾岸戦争」と呼び、こちらを第一次湾岸戦争と呼ぶ人もいる。

1月17日に、多国籍軍はイラクへの爆撃(「砂漠の嵐」作戦 operation desert storm )を開始した。宣戦布告は行われなかった。この最初の攻撃はサウジアラビアから航空機およびミサイルによってイラク領内を直接たたくもので、クウェート側に軍を集中させていたイラクは出鼻をくじかれ、急遽イラク領内の防衛を固めることとなった。巡航ミサイルが活躍し、アメリカ海軍は288基のUGM/RGM-109「トマホーク」巡航ミサイルを使用、アメリカ空軍はB-52から35基のAGM-86C CALCMを発射した。CNNは空襲の様子を実況生中継して世界に報道した。

1月27日にアメリカ中央軍司令官であったアメリカ陸軍のノーマン・シュワルツコフ大将は「絶対航空優勢」を宣言し、戦争が多国籍軍側に有利に進んでいることを強調した。なお多国籍軍の圧倒的な有利な状況を受けて、イラク軍は航空兵力の損失を恐れて空中戦を積極的に行わないばかりか、自国軍機をイランなどの周辺国に強制的に退避させた他、イラク航空の旅客機についても同じように周辺国に退避させた。1ヶ月以上に亘って行われた恒常的空爆により、イラク南部の軍事施設はほとんど破壊されてしまった。2 月24日に空爆が停止される。同日、多国籍軍は地上戦(「砂漠の剣」作戦operation desert saber)に突入。クウェートを包囲する形で、イラク領に侵攻した。

大統領親衛隊や共和国防衛隊を除く主用のイラク軍は度重なる空爆によって消耗、装備も貧弱でまるで士気が無く、また一部では油田に火を放って視界を妨害しようとしたが、多国籍軍は熱線映像式暗視装置を持っていたため、煙の向こうのイラク軍部隊は攻撃もできずに一方的に撃破され、また食料も尽きたためか続々と投降した。

イラクは翌2月25日にスカッドミサイルでサウジアラビアを攻撃、ダーラン近郊のアメリカ軍兵舎に命中して28人を殺害、 100人以上を負傷させた。しかし、抵抗はここまでであった。地上戦開始から100時間後にイラク軍は大量の捕虜を出しながら撤退を開始、2月27日にクウェート市を解放、多国籍軍は敗走するイラク軍を追撃した。同日中にアメリカのブッシュ大統領が停戦を発表し、フセイン大統領は敗戦を認めた。3月 3日には暫定停戦協定が結ばれ戦争が終結した。

ベトナム戦争以降、アメリカ軍は敵味方関係なく人的被害の公開を極めて恐れ、多国籍軍の死者はともかく、イラク軍の戦死者の総数ははっきりしていない。人によってまちまちだが、最も少ない見積もりでは1万人以下(戦後のイラク軍の反政府勢力鎮圧の状況を見ると、兵器の損失はともかく、人的損害はごく少ないのではないかと言う意見)、またイラン・イラク戦争においてイラク軍はイスラム諸国からの出稼ぎ労働者を徴用したこともある(ファトホル=モビーン作戦を参照)。一般的には死者が10万は超えているとされ、多いもので15万の死者が出たという。一方、多国籍軍はこの戦争で149名の死者を出し、513名が負傷した。また37名が行方不明、46名が捕虜として連行された。航空機は64機、車両は84両を失った(ただし、最初の侵攻でクウェート軍は、王室の警備兵を中心に600人以上が戦死し、亡命者達に持ち出されなかった車両、航空機、軍艦の大半を喪失している)。

この戦争以降(あるいは2年前のパナマ侵攻から)、アメリカ軍と本格的に戦闘をする国の死者をカウントするのはタブー視される雰囲気がアメリカ軍にはあると言われている。敵国の死者を計算し、それについて記者会見で質問をした記者をその会見以降から締め出し、会見場の入場禁止にしたりするなど、情報統制は徹底している。このため、その数値の真偽こそ定かではないものの、民間機関・市民団体が統制を破るべく独自にカウントを行い、インターネット上で発表するなどしている。また、戦闘において、多国籍軍は劣化ウラン弾を使用した。この兵器による悪影響(湾岸戦争症候群)が戦後糾弾されるようになったが、その影響について多国籍軍は否定した。

さらに詳しく → 湾岸戦争  劣化ウラン弾



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