戦場の歴史 ベトナム戦争

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2009/12/21(月)
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ベトナム戦争(ベトナムせんそう、Vietnam War)は、インドシナ戦争後に、ベトナムの南北統一を巡って起こった戦争である。別名、第二次インドシナ戦争

年表

* 1960 年:南ベトナム解放民族戦線結成(12月)
* 1961 年:ジョン・F・ケネディが大統領に就任(1月)、アメリカが南ベトナムにヘリコプター部隊と軍事顧問団を派遣(11月)
* 1962 年:アメリカ軍が「南ベトナム軍事援助司令部(MACV)」を設置(2月)、南ベトナムとラオスが国交断絶(11月)
* 1963 年:アプバクの戦い(1月)、南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領暗殺(11 月)、リンドン・B・ジョンソンが大統領に就任(11月)
* 1964 年:南ベトナムでグエン・カーン将軍によるクーデター(1月)、トンキン湾事件(8月 2日)
* 1965 年:アメリカ軍による北爆開始(2月 7日)、アメリカ海兵隊がダナンに上陸(3月)、韓国軍派遣(10月)
* 1966 年:北ベトナムに対するB-52による初空襲(4月)、初のクリスマス休戦(12月)
* 1967 年:南ベトナム解放民族戦線がダナン基地を攻撃(7月)、グエン・バン・チューが南ベトナム大統領に就任(9月)
* 1968 年:テト攻勢開始(1月)、ソンミ村虐殺事件(3月)、パリ和平交渉開始(5月)
* 1969 年:北ベトナムが南ベトナム臨時革命政府の樹立を発表(6月)、ホー・チ・ミン死去(9月)
* 1970 年:リチャード・ニクソン大統領就任(1月)、南ベトナム軍とアメリカ軍がカンボジアに侵攻(4月)、カンボジア内戦勃発
* 1971 年:南ベトナム軍とアメリカ軍がラオスに侵攻(2月)、ニューヨーク・タイムズ紙に「ペンタゴン・ペーパーズ」連載開始、南ベトナム大統領選挙(10月)
* 1972 年:北ベトナムの戦闘機がアメリカ艦艇を初攻撃(4月)、アメリカ軍無制限北爆再開・停止(12月)
* 1973 年:パリ協定締結(1月)、アメリカ軍がベトナムから撤兵完了(3月)
* 1974 年:北ベトナム軍がプノンペンを包囲(2月)、ジェラルド・R・フォード大統領就任(8月)
* 1975 年:北ベトナム軍全面攻撃開始(3月)、サイゴン陥落、南ベトナム崩壊(4 月30日)、サイゴンがホーチミン市へ改名(5月)

損失

ベトナム
1960年代前半よりベトナム人自らの意思を無視した形で始められ、その後10年以上続けられた戦争によって、南北ベトナム両国は100万を超える戦死者と数百万以上の負傷者を出した。このことは、掲げる政治理念や経済体制にかかわらず、労働力人口の甚大な損失であり、戦後復興や経済成長の妨げとなった。アメリカ軍の巨大な軍事力による組織的な破壊と、北ベトナム軍や南ベトナム解放戦線による南ベトナムに対する軍事活動やテロにより国土は荒廃し、破壊された各種インフラを再整備するためには長い年月が必要であった。

また、共産主義政権による武力統一、および統一後の性急な社会主義経済の施行は、フランス統治下時代より活発に行われていた資本主義経済と、それがもたらす消費文化に長年慣れ親しんだ南ベトナム経済の混乱を招き、また統一後の言論統制などが都市富裕層や華人の反発を招き、その後多くのベトナム難民を生む理由となった。

なお、南北統一以前のサイゴン陥落から、政権への服従を拒むかその容疑がかけられた市民は、人民裁判により処刑されるか再教育キャンプ送りになった。解放戦線はサイゴン陥落直後、人民軍への編入と同時に解散を命じられ、解放戦線の幹部は北の労働党から疎んじられた。わずかに解放戦線議長を務めて統一に貢献したグエン・フートが戦後に実権のない名誉職である国会議長を務めた程度である。

南ベトナムの元司法大臣のチュン・ニュー・タン(チュオン・ニュ・タン)は、『裏切られたベトナム革命――チュン・ニュー・タンの証言』(友田錫著、中央公論社)、『ベトコン・メモリアール――解放された祖国を追われて』(吉本晋一郎訳、原書房)で、サイゴン陥落から自ら亡命するまでの実態を告白している。『共産主義黒書 コミンテルン・アジア篇』(ステファヌ・クルトワ他著、恵雅堂出版、ISBN 4-87430-027-8)によれば、統一後現在までのベトナムでの死者は100万人に上るという。

アメリカ
余名(派兵数全体の約10%)と1,700機の航空機、その他にも大量な兵器の損失を出し、その結果必要となった膨大な戦費負担は、同時期に巻き起こったオイルショックなどと併せてアメリカ経済を直撃した。しかしながら、この戦争によりボーイングやロッキード、マクドネル・ダグラスやノースロップ・グラマンやリング・テムコ・ボート、ヒューズエアクラフトなどの多くの軍需関連企業は「特需」で大きな利益を手にし、ヒューズエアクラフトなどのいくつかの破産寸前だった企業は息を吹き返した。

また、戦争をめぐっての国内世論の分裂や、事実上の敗北による挫折感は既成の価値観を崩壊させ、アメリカ国内では犯罪の増加や麻薬の増加、教育の崩壊・貧困の増加などがおきた。反戦活動の高まりによる兵士の士気の低下や徴兵拒否の増加を受けて、アメリカ軍がベトナムから撤退した 1973年には徴兵制が廃止された。他にも、「勝利」を獲得できなかったベトナム帰還兵への非難や中傷が社会問題化した。またアメリカは旧南ベトナムから流出した華人、および政治的亡命者などのボートピープル、難民を数十万人受け入れた。

評価

ベトナム戦争は従来の戦争と形態を異にした。生々しい戦闘シーンが連日テレビで報道され、戦争の悲惨さを全世界に伝えた。アメリカ国内では史上例を見ないほど草の根の反戦運動が盛り上がり、「遠いインドシナの地で何のために兵士が戦っているのか」という批判がアメリカ政府に集中した。かつてベトナムを侵略・支配していたフランスでもシャルル・ド・ゴール大統領は「ベトナム戦争は民族自決の大義と尊厳を世界に問うたものである」と述べている。ただしド・ゴールは、1954年に自国がインドシナから撤退したことについては「不本意だった」と語っている。

ベトナム戦争終結と共に、ラオスではパテト・ラオが、カンボジアではアメリカと中華人民共和国の支援を受けたクメール・ルージュが相次いで政権に就いたことでインドシナ半島は全て共産主義化され、アメリカの恐れたドミノ理論は現実になった。ただし、アメリカがインドシナ半島に軍事介入して10年間持ちこたえたからこそ東南アジア全体の共産化が阻止されたとする見方もある。逆にアメリカのインドシナ介入がカンボジア内戦などの諸問題を複雑にしたという声もある。

この地はその後も安定せず、ベトナムは無差別虐殺を繰り返していたポル・ポトによる独裁の打倒を掲げてカンボジアに侵攻し内戦が再燃、対して中華人民共和国がベトナムに侵攻して中越戦争が起き、不安定な状況が継続した。その背景にはインドシナ半島をめぐる中ソの覇権争いがあった。

ベトナム戦争終結から34年後の2009年現在では、カンボジアでは選挙により政権は民主化し、ベトナムとラオスでは依然として共産主義政党による一党独裁統治が継続しているものの、経済的には、社会主義的政策の行き詰まりからドイモイ政策などにより国家による管理統制経済を破棄して、市場経済を導入し、外国の資本投資を受け入れざるを得なくなっている。さらにベトナム、カンボジア、ラオスは東南アジア諸国連合に加盟し、ベトナムはWTOに加盟して、東南アジア諸国が市場経済体制と国際貿易体制に組み込まれざるを得なくなり、経済的な状況に限れば、アメリカが戦争だけでは実現できなかった状況が実現されることになった。

これは、東南アジア諸国連合加盟諸国の目覚しい経済成長が達成されたことや、ソ連を盟主とする共産主義陣営とアメリカを盟主とする資本主義陣営間の冷戦が終結し、ソ連や東欧諸国の共産主義体制が崩壊して、共産主義体制の行き詰まりが明白になったことによる結果である。

また、南ベトナム解放民族戦線(及び北ベトナム軍)がベトナム戦争中におこなった数々のテロリズムは批判の槍玉に上がることがある。なお、アメリカ政府は枯れ葉剤などの環境破壊や人的被害に対して正式に謝罪はしていないものの、様々な形で反省の意思を示しており、2006年にティム・リーザー補佐官が『アメリカが戦争中に行った行為に関して、我々は様々な面においてベトナム国民を支援する責任がある。枯葉剤など化学物質の使用もこの(戦争中の行為の)一つである』と述べ、かつて共産化を防ぐために軍事介入したことに贖罪意識を持ち、様々な支援が施されている。なおベトナム政府も同様に、南ベトナム解放民族戦線(及び北ベトナム軍)がベトナム戦争中に自国民に対して行なった数々のテロリズムに関し、何ら謝罪するコメントを出していない。

ベトナムは多大な被害を受けたのに極端な反米感情が見られずベトナムには親米的な者が多いとされる。しかし南北間に対立があり、例えば取り残された南ベトナム人は乗り込んできた北ベトナム軍によって家屋敷、公共施設は接収され警察、病院、学校などは全て北ベトナム人が要職を支配してしまった。さらに南ベトナム人の家屋敷を召し上げ北の要人がそこに住むに至って、南ベトナム人の北ベトナム人に対する悪感情は強い。

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