戦場の歴史 ノルマンディーの悪夢

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2009/12/21(月)
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ノルマンディー上陸作戦(ノルマンディーじょうりくさくせん)とは、第二次世界大戦中の1944年6 月6日に行われたオーバーロード(大君主)作戦を指す(Operation Overlord)。ナチス・ドイツによって占領された西ヨーロッパへの侵攻作戦。最終的に、300万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランス・コタンタン半島のノルマンディーに上陸した。史上最大の上陸作戦であり、作戦から60年が過ぎた現在までこれを超える規模の上陸作戦は行われていない。

本作戦は夜間の落下傘部隊の降下から始まり、続いて上陸予定地への空襲と艦砲射撃、早朝からの上陸用舟艇による敵前上陸が行われた。上陸作戦に続くノルマンディー地方の制圧にはドイツ軍の必死の抵抗により二ヶ月以上要した。ノルマンディー上陸作戦は今日まで第二次世界大戦中の最もよく知られる戦いの一つとして数えられる。「D-DAY」は作戦決行日を表し、現在では作戦開始当日の1944年6月6日を意味する用語として使われる。

全体的に見た場合この作戦は成功であったとするしかない。連合軍はフランス上陸に成功し、第二戦線を構築した。その結果ドイツ軍は陸上でも二正面作戦を展開することを余儀なくされ、東部戦線で赤軍が開始したバグラチオン作戦に満足に対応することができなかった。この作戦でドイツ中央軍集団は壊滅的な打撃を受け占領していた地域のかなりの部分を失い、ドイツは継戦能力を大きく削がれる事となってしまった。ただし、ひとつの作戦としてみた場合はオーバーロード作戦は完全に成功したとは言いがたい。

まず、作戦でもかなり重要なポイントとされていた大規模な港湾の確保に手間取ってしまったことがあげられるだろう。作戦の初期段階で奪取するはずだったシェルブールは結局6月26日まで抵抗を続け、なんとか占領した時点では港湾施設はドイツ軍守備隊により完全に破壊されていたため8月末まで港としては役に立たなかった。同じく作戦の初期段階で奪取するはずだったカーンも同地のドイツ軍守備隊のせいで占領に手間取り、連合軍が同市及びその周辺地区を完全占領下に置いたのは7月27日になってからであった。要するに作戦開始から40日間の間に達成するはずだった目標(カーン及びシェルブールの占領)をどちらも達成できなかったと言う事になる。ただし港湾施設の占領が遅れたせいで補給に多少の不備は生じたがマルベリーのような人工港湾施設の活躍もあり、上陸部隊が物資不足で戦闘に不能になると言うような事はなかった(しかし重装備の揚陸は予定よりかなり遅れた)。

ドイツ軍の守備の妙もあり連合軍はどの方面でも予定通りに進撃することができず、ノルマンディー以外のフランス解放はかなり遅れた。1944年8 月、南フランス上陸作戦(ドラグーン作戦)が行われたが、ドイツの抵抗で、プロヴァンス地方が解放されただけであり、フランス全土の解放は、イタリア戦線で1945年1月、連合軍がゴシック線を突破し、イタリア北部からフランスへの進撃が始まるのを待つこととなった。

さらに詳しく → ノルマンディー上陸作戦  ナショナルジオグラフィックチャンネル  第二次世界大戦



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タグ : 戦争 第二次世界大戦 ノルマンディー上陸作戦

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