長門型戦艦 長門(Japanese battleship Nagato)

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2009/12/20(日)
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長門(ながと)は旧長門国を名前の由来に持つ日本海軍戦艦で、長門型戦艦の1番艦。

概要

完成当時の1920年では世界最初であり、かつ最大口径の16.1インチ(当時日本はメートル法を採用していたため実口径は41cmちょうど)主砲と、当時の戦艦の中では非常に高速である26.5ノットの機動力を持つ高速戦艦で、世界の軍事史や軍艦史にも大きな影響を与えている。

2番艦の「陸奥」と共にその高性能故に、各国海軍から注目され、当時大艦巨砲主義に染まっていた列強海軍の熾烈な建艦競争に、ワシントン海軍軍縮条約による一定の歯止めを与えるきっかけとなったのも本艦であった。

完成後に連合艦隊旗艦となり、第二次世界大戦後に有名になった戦艦「大和」が戦中は存在そのものが極秘だったこともあり、戦前と戦中には長門・陸奥こそが日本海軍を代表する戦艦として、国民から親しまれた。太平洋戦争開戦時には戦艦「大和」が完成前で、連合艦隊旗艦として連合艦隊司令長官 山本五十六大将が座乗していた。太平洋戦争中は「大和」「武蔵」に次ぐ主力艦として温存され、終戦まで稼動可能な状態で生き残った唯一の日本戦艦である。

歴史

建造~太平洋戦争初期

長門は1917年8月28日に八八艦隊計画の第一号艦として広島県の呉海軍工廠にて起工、1919年11月9日に進水する。1920年11月15日竣工。建造費は当時の価格で4,390万円に上った。ワシントン海軍軍縮条約において41cm(16in)主砲艦の建造が制限された為、長門と姉妹艦の「陸奥」、イギリスのネルソン級2隻、アメリカ合衆国のコロラド級3隻を指して世界最強の7隻としてビッグ7と呼ばれた。

建造当初は煙突の排煙処理が問題となり、最初は第一煙突にカバーを付けたが、あまり効果はなく、藤本喜久夫造艦大佐によって1924年に「陸奥」と共に屈曲煙突を採用し、この姿が当時の国民に親しまれ、一番印象に残る姿となったといわれる。尚、この屈曲煙突の採用は、後の日本海軍の巡洋艦の機関建造に影響を与えたとされる。

1936年には「陸奥」と共に大規模改装を行い、ボイラーの換装と装甲の追加、対空機銃の増設を行っている。外見上は煙突がボイラーの換装に伴い太い一本の物に替わった他、前檣および後部指揮所の形状も大きく変化した。そして、両舷にバルジを設け、艦尾も延長し、全体的に重厚となり、防御能力が向上したが、反面速力はタービンが換装されず出力が新造時と大差なかったため25ノットに低下した。ただし、レイテ沖海戦ではカタログスペックを上回るスピードで敵機から逃げているので、元々機関部の強度・耐熱性の余裕を大きく取っていたようである。

太平洋戦争開戦時、長門は連合艦隊旗艦として姉妹艦の「陸奥」と共に第一戦隊を形成した。1941年12月2日に「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号無電を打電している。

1942年2月12日に山本五十六大将は大将旗を「大和」に移し、連合艦隊旗艦は「大和」となった。1942年6月のミッドウェー海戦では第一戦隊所属として出撃したが、戦闘は行わなかった。長門は「加賀」の生存者を収容、帰国させた。

1943年にはカロリン諸島のトラック島を基地とし、姉妹艦「陸奥」の爆沈時には乗組員の救出作業も行った。1944年2月のトラック島撤退後はリンガ泊地を基地とする。1944年6月にはあ号作戦に参加、19日のマリアナ沖海戦では第二航空戦隊の航空母艦「飛鷹」と「隼鷹」の護衛として空襲を受けるが損害は軽微であった。

捷一号作戦

1944年10月には捷一号作戦に参加、10月24日のシブヤン海での戦いでは、14:16に「フランクリン」 (USS Franklin, CV-13) と「カボット」 (USS Cabot, CVL-28) からの攻撃機により二発の爆弾を受ける。一発は多くの機銃と第一缶室の換気口を破壊、25分間の軸停止となり、もう一発は無線室と酒保付近を破壊し52名が死亡、106名が負傷した。10月25日の06:01には「セント・ロー」 (USS St. Lo, CVE-63) に砲撃を行うが失敗する。06:54に駆逐艦「ヒーアマン」 (USS Heermann, DD-532) が「榛名」に魚雷を発射。魚雷は「榛名」を外れ射線上の「大和」と長門に向かい、「大和」が回避運動の末両脇を魚雷に挟まれ、両艦は北方へ約16km回避行動を強いられた。長門は主砲と副砲の砲撃を米空母に続けて行った。

09:10に栗田健男中将は砲撃の中止と北方への移動を命じた。10:20に彼は再び南進を命じたが、艦隊への攻撃は激しさを増したため12:36に退却を再び命じる。長門は12:43に二発の爆弾を受けるが損害は大きくなかった。10月26日の退却後、連合艦隊はアメリカ軍の激しい空襲を受けることとなる。長門は「ホーネット」 (USS Hornet, CV-12) 艦載機から4発の爆弾を受け、38名の死者と105名の負傷者を出した。長門は一日で99発の主砲弾と653発の副砲弾を発射した。

太平洋戦争終盤

1944年11月5日 - 13日のマニラ空襲の後、11月18日に「金剛」、「榛名」や数隻の駆逐艦と共に日本への帰路に付き、これが日本海軍時での最後の外洋航海となるが、11月22日に台湾海峡沖で米潜水艦「シーライオン」の攻撃により、同行していた「金剛」と「浦風」を失い、「金剛」の生存者を収容した。

11月25日、長門は神奈川県横須賀港に到着するが、燃料、物資の不足により外洋に出ることはなく、1945年2月に沿岸防御の任を受け、6月1日には特殊警備艦に艦種変更、副砲及び、対空兵装が陸上げし、マストや煙突も撤去され、空襲擬装用に緑系の迷彩塗装が塗られた。

7月18日に長門は「エセックス」 (USS Essex, CV-9) 、「ランドルフ」 (USS Randolph, CV-15) 、「シャングリラ」 (USS Shangri-la, CV-38) および「ベロー・ウッド」 (USS Beleau Wood, CVL-24) 搭載機からの攻撃を受け3発の爆弾が命中、艦橋が破壊され艦長の大塚幹少将が戦死し、後任艦長は杉野修一大佐(旅順港閉塞作戦で戦死した杉野孫七兵曹長の長男)が発令されたが、そのままで終戦を迎えた。

終戦後 - 戦艦長門の最期

日本軍の降伏後、1945年8月30日にアメリカ軍に接収される。アメリカ軍による詳細な調査の後武装解除され、1946年3月18日にクロスロード作戦(米軍の核実験)に標的艦として参加するためマーシャル諸島のビキニ環礁へ移動する。艦長はW・J・ホイップル大佐。180名のアメリカ海軍兵が乗り込んだ。長門は空襲によって中破したまま修復されておらず、外洋への航海がままならない状態であった。時速数ノットというあまりの低速のため、小修理のためエニウェトク環礁に立ち寄っている。

1946年7月1日の第一実験(ABLE、空中爆発/予定爆心地を大きくはずしてしまう)では戦艦「ネバダ」が中心に配置され、長門は爆心予定地から400mのところに置かれた。爆弾は西方600mにずれてしまい、結果爆心地から約1.5 km(1,640ヤード)の位置となった。この時長門はほとんど無傷(爆心地方向の装甲表面が融解したのみで航行に問題なし)であった。長門と同時に実験標的にされた「酒匂」は翌日に沈没した。

7月25日の第二実験(BAKER、水中爆発)では爆心地から900-1000mの位置にあり、右舷側に約5度の傾斜を生じた。それでも長門は海上に浮かんでいた。しかし、4日後の7月29日の朝、原爆実験の関係者が長門のいた海面を見てみると、既に長門の姿は海上にはなかった。7月28日深夜から 29日未明にかけての夜間に、艦内への浸水によって誰にも見取られる事なく静かに転覆し沈没したものと見られる。

長門が二度被爆してなお4日後まで沈まなかったことは、当時の日本では「米艦が次々沈む中、最後まで持ちこたえた」「長門が名艦だった証拠」「日本の造艦技術の優秀性の証明」と喧伝された。長門より爆心に近かった大型艦(アーカンソー、サラトガ)は沈み、長門より離れていた大型艦(ペンシルベニア、プリンツ・オイゲン)は沈没していない。

現在、長門沈没地点はダイビングスポットとしてこの地の貴重な観光資源となっている。沈没状態とはいえ、ビッグ7の中で一応形が残っているのは長門だけである。現状は上下逆さまで沈没しており、艦橋部分は折れている。

性能諸元(改装後)

排水量 基準 39,120トン
全長 224.94m
全幅 34.59m
吃水 9.5m
機関 艦本式タービン4基4軸 82,000馬力
速力 24.35ノット
航続距離 16ノット / 8,650海里[1]
乗員 1,368名
    兵装(新造時) 45口径41cm連装砲4基
        50口径14cm単装砲20門
        40口径7.6cm単装高角砲4門
        53 cm魚雷発射管8門
    兵装(改装後) 45口径41cm連装砲4基
        50口径14cm単装砲18門
        40口径12.7cm連装高角砲4基
        25mm連装機銃10基
装甲 水線305mm
甲板70+127 mm
主砲前盾457mm
主砲天蓋250mm
副砲廓152mm
搭載機 3機(カタパルト1基)

さらに詳しく → 長門 (戦艦)  山本五十六



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