A7V シュツルムパンサー(Sturmpanzerwagen A7V)

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2009/12/18(金)
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突撃戦車 A7V(独:Sturmpanzerwagen A7V)は第一次世界大戦末期の1918年に実戦投入されたドイツで最初の戦車である。膠着状態に陥った塹壕線を突破することを目的として開発された。

前史

イギリス、フランスと比肩する工業国であったドイツにおいて、初期の戦車にあたる兵器が最初に検討されたのは、オーストリア軍将校ギュンター・バースタインが1911年に提案した自走砲架モーターゲシュツ (Motorogeschütz) で、当時としては斬新な旋回式砲塔を持った装輪装軌併用式車両であった。ドイツ軍はこの兵器を検討調査したものの、パテントの問題から実現しなかった。

その後、1913年にフリードリヒ・ゴエベルが陸上装甲巡洋艦 (Landpanzerkreuzer) の提案を行ったが、この車両には履帯が1基装着されていたものの操行機能はなく、計画は中止された。ゴエベルは再度、全長 35.75 m の車両を設計したが、これも採用されなかった。

イギリスが『陸上軍艦』の計画を進めていることは諜報活動によりドイツ側にも伝わっていたが、ドイツの装甲戦闘車両開発が進められることはなかった。1916年9月にMk.I戦車が戦場に登場すると、企業から戦時省へ様々な試作案が持ち込まれた。その中で、ブレーマー・マリエン・ワーゲン (Bremer Marien Wagen) が開発された。これはダイムラーの4 t トラックの後輪を履帯化した半装軌車で、1916年10月には前車輪も非駆動ながら装軌化され、1917年3月には装甲化も行われたが、テストの結果はかんばしいものではなかった。武装も搭載する計画があったが、装甲トラックの域を出るものではなく、戦闘車両としては採用されず、後に輸送車として使用された。

設計と生産

イギリス軍のMk.I戦車が初めて実戦に投入されたのは1916年9月15日、ソンム会戦の事であった。Mk.I戦車は局地的には効果を発揮しドイツ軍には衝撃を持って迎えられたが、結果としては膠着状態を打破することは出来ず、協商国の戦線が11 km 余り前進するにとどまった。

しかし、ドイツではこれを受けてドイツ軍最高司令部 (OHL) が戦時省運輸担当第7課 (Abteilung 7 Verkehrswesen des Allgemeinen Kriegsdepartements im Preußischen Kriegsministerium) に同種の戦闘車両の開発を命じた。要求性能は、あらゆる地形に適応したうえで、前部・尾部に1門ずつの主砲と、側面に機関銃を装備して、時速10 km - 12 km で移動し、幅1.5 m の塹壕を突破できる能力を持つ車両で、重量30トンの車体に80 - 100馬力のエンジンが搭載。非武装の輸送型では4トンの積載能力が求められた。

1916年11月13日に、ダイムラー社など有力企業数社と、ドイツ陸軍将校によって構成された交通技術試験委員会 (Verkehrstechnischen Prüfungskommission (VPK))および戦時省のあいだに、後に A7V となる全地形走行車両 (Gelndespanzerwagen) の開発に関する契約が結ばれ、同年12月22日には開発予算が認められた。これにより、研究段階に止まっていたドイツの装甲戦闘車輛開発が具体化に動き出した。設計責任者はヨセフ・フォルマー技師とされた。

開発にあたり、アメリカのホルト社(現在のキャタピラー社)のドイツ国内代理人であるヘール・シュタイナーがアドバイザーとして呼ばれた。またフォルマー技師の提案により、コスト低減と開発を急ぐためにブダペストでライセンス生産されていたホルト社の農業用トラクターが購入され、分解研究するところから始まった。ホルトトラクターは先んじて戦車開発を行っていたイギリスやフランスも参考にしていたが、そのままでは不整地走行能力が不足していたため、大型化とサスペンションの改良が行われた。

1917年1月に最初のプロトタイプが完成したが、機密を維持するために開発部門の頭文字を取った A7V がそのまま名称となった。これには、ヨセフ・フォルマー(Joseph Vollmer)からVの字が取られたとも言われている。1917年4月にはシャーシのみの状態で走行試験を開始した。

1917年5月14日にドイツ国内マインツ近くの演習場で木製のボディを被せた試作車輛のデモンストレーションを見学したドイツ軍最高司令部は、さらに10輌の追加生産を命じた。これら20輌の A7V でもって、2個戦車隊(各5輌)を編成して残る10輌は予備とすることを決定した。

生産型には尾部の砲は搭載されず、木製の試作車輛にあった尾部の超壕用ガイド(ルノー FT-17の尾部と同様)も取り付けられなかった。その後も繰り返しテストが行われたが、エンジンの出力不足や冷却などは根本的な解決に至らなかったようだ。

基本となる生産はベルリンのダイムラー社が行い、装甲板はエッセンのクルップ社とステフェンス&ネーレ社、ギアボックスはフランクフルトのアドラー社が担当した。最初の車体は1917年9月に完成し、武装なども施された車輌が納入されたのは1917年10月1日であった。1917年12月1日には A7V(戦車型)が10輌と、同じシャーシを利用した装甲のない兵員・弾薬輸送車型 (Überlandewagen) 90輌の計100輌が発注された。これを1918年に予定されていた春季攻勢に間に合わせるように求められていたが、ダイムラー社の生産能力は月産5輌程度で、参謀本部もUボートや飛行機の生産に資源や工業力を注力させていたため、休戦までに生産されたのは、戦車型が試作もあわせて22輌(524号車はA7V-Uの試作に流用されたため実際は21輌)、輸送型が30輌程度にとどまった。

運用

1917年10月には部隊配備が開始され、1918年2月27日には皇帝ヴィルヘルム2世の閲兵を受けた。ホルト社が初期の実用履帯式トラクターを商品化してからまだ10年ほどであり、ヨーロッパに存在するほとんどのトラクターがホルト社またはホルト社のライセンスを受けて生産されたものであった。足回りは片側に計15個の小型転輪を並べたもので、これはホルトトラクターを参考にした戦車に共通する特徴である。これを5個で一組、両側で合計6組をそれぞれコイルスプリングで車体に取り付けた。しかし、実戦場では軟弱地で走行性能の低さが問題になった。

イギリスが戦車開発にあたり超壕性能(掘り下げられた壕を超える能力)や超堤性能(盛り上げられた段差を超える能力)を考慮してホルトトラクターの形式を採用せず、車体全周を覆う菱形の履帯配置に落ち着いたのに対して、A7V は履帯の接地長に対して車体のオーバーハングが長く最低地上高もわずか20 cmであった。そのため泥濘地や砲撃によって出来た窪地など複雑な地形を走行する能力が低かった。

車体中央にエンジンを搭載し、その上に操縦席が設けられた。エンジン一基では能力不足であったためダイムラー社の100馬力4気筒液冷ガソリンエンジンを二基搭載した。これは当時のドイツでは小型の200馬力エンジンとそれに耐える高速小型クラッチを製造出来なかったためだ。足回りは前述の農業用トラクターを参考に全長を延長したものが用いられた。ギアボックスは前進一段・後進一段で、エンジンは過負荷の影響を常に受けた。二基搭載された各エンジンが左右それぞれの履帯を動かしていたため操縦は難しかった。車内には天井から、つり革代わりの先端を結んで玉にした荒縄がぶら下がっており、これは現在ムンスターにあるレプリカでも再現されている。

乗員は車長に操縦手、機関手、機関手兼信号手、主砲担当(砲手・装填手)、機関銃担当(射手6名・給弾手6名)の合計で18名であった。状況によってさらに多くの兵士が同乗する場合もあり、最大で26名が乗車した。独自兵科としての戦車部隊ではなかったため、乗員は砲兵部隊や歩兵部隊、自動車部隊などからそれぞれ融通された。また連絡用の伝書鳩が配備され、その場合は鳩専門の世話係も乗車した。車輌同士の連絡は明滅信号で行われ、後方との連絡は伝令か軍鳩で行われた。

武装

主砲はロシア軍から捕獲したベルギー製の海軍砲、マキシム式単装ノルデンフェルト 57 mm 砲(Maxim-Nordenfeldt)を砲郭式(ケースメイト式)に一門を搭載していた。ドイツ軍はこれを戦車の生産計画に組み込むことができるほど大量に捕獲しており、後座長が 150 mm と短く車載に適していたのと、野砲として陸上戦闘に使用した結果、当時のイギリス戦車を距離 2,000 m で破壊できたために採用され、砲弾は500発が搭載された。他にもやはりロシア軍から捕獲したロシア製の26口径ソコル(Sokol)57 mm 砲を搭載した車輌もあり、搭載砲の違いにより砲架と砲基部にバリエーションが見られる。これらは左右に25度ずつ指向する事が出来た。

重機関銃は複数が装備された。シュパンダウMG08 水冷式重機関銃が前部左右に二挺、後部左右に二挺、後方に二挺の合計六挺が装備され、一挺に付き二人の機関銃手が操作した。弾薬は36,000発が搭載された。ドイツが1908年に採用したMG08機関銃は、日露戦争でロシア軍が日本兵を苦しめたマキシム機関銃を範とするもので、250発の布製ベルトリンク式給弾で毎分450発を連射する能力を持っていた。ドイツはこれを開戦時には12,500挺を装備し、最終的には10万挺が配備された。

他にMG08を軽量化して可搬化したlMG08/15を一挺、モーゼル Kar98a 騎兵銃が六挺と手榴弾が装備され、戦車兵それぞれの個人装備としてルガーP08が支給された。これらは故障時や破損時に車外に脱出した乗員が戦闘に参加するために備え付けられていた。

車内はむき出しのエンジンの騒音がひどく、戦闘中はこれに戦闘騒音も加わるため声による指示は不可能であった。車内はわずかに差し込む光以外は真っ暗闇で、そのため射撃の指示は、主砲・機関銃共に、司令塔の車長が操作する射撃指示装置によって行われた。射撃指示装置は各射手の前の内壁に備えられる簡便な物で、文字盤に書かれた「ACHTUNG(注意)」と「FEUER(発射)」の表示がそれぞれ点灯するようになっていた。

なお、A7Vのなかでも「グレートヒェン号(sn.501)」は、雌型(機銃搭載型)として主砲を搭載せずMG08機関銃を二挺多く装備していたが、後に砲搭載型に改められている。生産数は少ないにもかかわらず、試行錯誤しながらのハンドメイドであるため、装甲板の分割や各部形状にバリエーションが見られる。改良により装甲板は同じ厚さのままで耐弾性を向上させていった。

戦果

膠着した戦況の打破を目指したドイツ軍は、1918年の春季攻勢は突撃部隊(Stoßtrupp)と呼ばれるMP18(短機関銃)などを装備した歩兵部隊による浸透戦術が予定されており、A7V はこの支援にあたることになっており、突撃戦車という名称もこれに基づくものだった。一般の歩兵や突撃部隊と共に浸透戦術を想定した訓練も行われ、1918年3月21日のサン・カンタン(St. Quentin)北部での戦闘が初の実戦参加となった。

世界初の戦車戦は1918年4月24日午前にフランス北部のアミアン近郊、ヴィレル・ブルトンヌ付近でイギリス軍のMk.IV戦車三輌と A7V 「メフィスト号(sn. 506)」「エルフリーデ号(sn. 542)」「ニクス号(sn. 561)」三輌の間で行われた。(英軍はMk.Vとする説もある。Mk.IVの改良型で、操縦手一人での運転が可能となり、機動力が向上している。)雌型(機銃搭載型)の射撃を物ともしない A7V の攻撃で二輌が撃破されたが、応援の雄型(6ポンド砲搭載型)が A7V 「ニクス号」に砲弾を三発直撃、五名を戦死させ、戦車を放棄させた。残りのドイツ戦車は後退した。このときドイツ側の歩兵部隊も後退しており、イギリス軍の戦車も放棄するには至らなかったため、戦闘の結果判定はイギリス軍の勝利とされている。なお、「ニクス号」は脱出した乗組員が再搭乗し、自力で帰投している。また「エルフリーデ号」も損傷を受けており、戦闘終了後に操縦ミスから転覆し行動不能となった。

同日、一輌の A7V と七輌のマーク A ホイペット中戦車との戦闘が発生した。やはり機銃しか持たないイギリス軍戦車は一輌がA7Vの砲により破壊され、三輌がドイツ軍野砲の直接射撃で失われた。(逆に、 A7V が倒されたとする資料もある。)

結局、 A7V が実戦で使用されたのは50日あまりだった。協商国側が合計で6,000輌あまりの戦車を投入可能であったのに対し、ドイツ側は20輌の A7V と併せて鹵獲戦車部隊100輌弱程度しか投入出来ず、大きく戦局を転換させることは出来なかった。1917年11月のカンブレーの戦いにおいても、イギリス軍は計324輌の戦車でもって膠着した戦線に突起部を形成することに成功したが、これは再びドイツ側に奪い返された。戦車の投入は前線では有効であったものの、戦争全般に与えるほどの影響力は持たなかった。

性能諸元

全長 8.00 m
車体長 7.34 m
全幅 3.1 m
全高 3.3 m
重量 30 - 33 t
懸架方式 コイルスプリング
速度 9 - 15 km/h(整地)
    4 - 8 km/h(不整地)
行動距離 30 - 80 km
主砲 57 mm 加農砲
副武装 7.92 mm MG08重機関銃×6
装甲 前面 30 mm、側面 20 mm
エンジン Daimler 165 204
    4気筒ガソリンエンジン
    100 hp/800-900 rpm (149 kW) ×2
乗員 18 名

さらに詳しく → A7V  第一次世界大戦



〔戦略・戦術・兵器詳解〕図説 第一次世界大戦 <上>〔戦略・戦術・兵器詳解〕図説 第一次世界大戦 <上>
(2008/01)
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