東アジア反日武装戦線 (East Asia Anti-Japan Armed Front)

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2013/08/19(月)
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東アジア反日武装戦線(ひがしアジアはんにちぶそうせんせん)は、1970年代に三菱重工爆破事件など連続企業爆破事件等の爆弾による武装闘争を実行した日本の武闘派左翼グループ。アイヌ革命論などを主張していたことから、捜査機関は、反日アナキズム思想を持つ「極左暴力集団」と当初から見なしていた。

来歴

法政大学Lクラス闘争委員会

1970年春、元中核派構成員の大道寺将司が法政大学文学部史学科在学中に結成した「Lクラス闘争委員会」が源流である。「Lクラス」は大道寺が所属していた大学のクラスのことで、党派的にはノンセクト・ラジカルに分類される。大道寺が他学科の哲学科や国文科(現在の日本文学科)にも参加を呼びかけた結果、一時は百数十名にも膨れ上がったが、全共闘運動の終息とともにLクラス闘争委員会も自然消滅した。大道寺も大学を中退した。

「研究会」

大道寺とLクラス闘争委員会の主要メンバーが中心となって、1970年8月に「研究会」を旗揚げした。この「研究会」では、「日本帝国主義」がアジアで行ってきた「悪行」について集中的に学習し、過激な反日思想を醸成させていった。当時の学習資料として朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』などの書籍が使われた。

一方、都市ゲリラ戦にも関心を持ち、レジスタンス運動の資料などを学習していった。やがて、反日運動のために武力闘争を展開しなければならないという考えに収斂されていった。1971年1月には、初の自家製爆弾の実験を行ったりもしている。

カンパニア闘争の開始

まず手始めに、大衆に訴えるカンパニア闘争の一環として、「日本帝国主義」の象徴となるものを爆破することになった。

・興亜観音・殉国七士之碑爆破事件(1971年12月12日)
・総持寺納骨堂爆破事件(1972年4月6日)
・風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件(1972年10月23日)

これら三つの事件の後、本格的武装闘争に移行することになった。

東アジア反日武装戦線の誕生

1972年12月、「東アジア反日武装戦線」という名称が決まった。ただしこの名称は、全ての反日主義者が共同で使うべきものという認識から、「自分たちのグループ」を表す名称が別途必要であった。彼らは、孤高の存在というイメージから、グループ名を「狼」とした。

1973年は、本格的武装闘争に備えて、爆弾の開発や活動資金の貯蓄に努めた。また、自らの主張を世に訴え、闘争の意義や理念をを共有する後続武闘派諸個人・諸グループが、反日武装闘争潮流に合流することを期して、小冊子『腹腹時計』の執筆、出版に着手した(翌年2月に刊行)。

1974年8月14日、昭和天皇が乗車したお召し列車を、鉄橋もろとも爆破しようとした(虹作戦)。しかし、決行直前に人に見られたため未遂に終わった。翌日韓国において、朝鮮総連メンバーの文世光が時の大統領朴正煕を暗殺しようとした事件が発生していた(文世光事件)。この事件の犯人文世光は、黒ヘルと多少の繋がりがあるとされるプロレタリア軍団傘下の高校生組織「暴力革命高校生戦線」出身の朝鮮総連活動家であった。「狼」は、文世光に呼応するために新たな作戦に着手する。

同年8月30日、三菱重工業東京本社ビルで爆弾を破裂させ、8名が死亡、376人が負傷した(三菱重工爆破事件)。これは「狼」の予測をはるかに上回る惨事であったが、これをきっかけに新たに「大地の牙」「さそり」のグループが合流し、翌年5月まで連続企業爆破事件を起こす。

一斉検挙

「東アジア反日武装戦線」のメンバーとして最初に疑われたのは、当時アイヌ革命を唱えていた太田竜であった。まもなく、太田の潔白は証明されたが、公安警察は太田の思想的人脈のどこかにメンバーがいると推定、彼が関係する「現代思潮社」「レボルト社」に狙いを定めた結果、メンバーの斎藤和・佐々木規夫が浮上し、二人を尾行していくうちに芋づる式にグループの他のメンバーが把握されていった。

佐々木は偽装転向として創価学会に入信し、毎日法華経をあげるなど熱心な学会員を装ったものの、公安の目をそらすことはできなかった。

1975年5月19日、主要メンバー7名(大道寺夫婦、佐々木、片岡、斎藤、浴田、黒川)と協力者とされる看護学生1名が逮捕された。斎藤和は逮捕直後に自殺した。一斉逮捕を逃れた宇賀神寿一と桐島聡は全国指名手配となったが、1982年7月に宇賀神は逮捕された。

その後の東アジア反日武装戦線をめぐる動き

1975年12月25日より裁判が開始されたが、日本赤軍によるクアラルンプール事件やダッカ事件が発生、佐々木規夫と大道寺あや子(将司の妻)と浴田由紀子(斎藤の内妻)が超法規的措置により釈放され、日本赤軍に合流した。1979年には獄中のメンバーによるとみられる「東アジア反日武装戦線KF部隊(準)」による「腹腹時計特別1号」が地下出版され、なおも反日武装闘争を主張していた。

大道寺将司、片岡利明に対しては死刑、黒川芳正に無期懲役が確定。1982年7月、逃亡していた宇賀神寿一が逮捕され、懲役18年が確定した。1995年3月24日に浴田由紀子がルーマニア潜伏中に身柄を拘束され、偽造有印私文書行使の容疑で国外退去処分となり日本へ向かう飛行機内で逮捕、裁判で懲役20年の判決が確定している。

連続企業爆破事件の犯人グループと直接の関係はないとされるが、1975年から1976年にかけて北海道を舞台に起きた一連の爆弾テロ事件(1975年7月19日の北海道警察本部爆破事件、1976年3月2日の北海道庁爆破事件など)にも「東アジア反日武装戦線」名義の犯行声明が出された。北海道庁爆破事件の被疑者として起訴された大森勝久(本人は犯行声明の思想に共感した上で犯行については無実を主張)には1983年に札幌地裁で一審死刑判決、1994年に死刑が確定している(再審請求も2007年に却下)。

また太田竜や東アジア反日武装戦線に影響を受けたと見られる反日イデオロギーの持ち主が起こしたと見られる爆弾闘争が、1970年代後半に相次いだ。未検挙のものもあるが加藤三郎などが逮捕され有罪が確定している。

なお武装闘争思想の源泉となった太田竜であるが、彼自身は1974年に北海道静内町にあるシャクシャイン像の台座を傷つけた器物破損事件しか起こしていない。なお太田の思想は1980年代以降は新左翼からエコロジスト、ついでナショナリストに転向し、晩年は「人類は爬虫類人によって支配されている」という陰謀説を唱えるようになった。

2010年現在、佐々木規夫と大道寺あや子は国際指名手配されている。桐島聡はさそり事件での公訴時効が成立。獄中にあるメンバーは、現在までに、再審請求を出したり、獄中から著書や論文を発表するなどして獄中闘争を行っている。

さらに詳しく → 東アジア反日武装戦線



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