大韓航空機撃墜事件 (Korean Air Lines Flight 007)

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2013/05/18(土)
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大韓航空機撃墜事件(だいかんこうくうきげきついじけん)は、1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソビエト連邦の領空を侵犯(航路逸脱の原因については後述) したために、ソ連防空軍の戦闘機により撃墜された事件。乗員乗客合わせて269人全員が死亡した。

なお、大韓航空はこの5年前にも航法ミスでソ連領空(コラ半島上空)を侵犯し、ソ連軍機に迎撃されている(大韓航空機銃撃事件)。

日本で大韓航空機事件と呼ぶ場合この事件の事を指す場合と、1987年11月29日の大韓航空機爆破事件のことを指す場合に分かれるが、両事件の性質は基本的に異なる(混同しているケースもみられるので注意が必要)。

その後

韓国では、ソ連が謝罪してくる姿勢を全く見せないため、政府によるソ連政府に対する正式な抗議のみならず、ソ連製品の不買運動など(例えばウォッカを流し捨てるか瓶ごと地面に叩きつけるか、ハンマーなどで粉々に割るなど)や、ソ連国旗に火をつけるなど、多くの市民によるソ連に対しての抗議運動が烈火の如く巻き起こった。

またアメリカは、ソ連のアエロフロート機のアメリカ乗り入れを無期限停止した上、政府職員の同航空の利用を制限し、パンアメリカン航空機のソ連乗り入れも停止した。

なおその後もソ連によるロサンゼルスオリンピックのボイコットなど、ゴルバチョフ大統領によるペレストロイカやグラスノスチといった開放政策が行われるようになるまで両国の関係が緊張を続けたこともあり、アエロフロートのアメリカへの乗り入れ停止は1986年4月29日まで続くことになった。

また事件後に多くの遺族が、それぞれの国で大韓航空に対する損害賠償のための訴訟を起こしたが、大韓航空は賠償請求に対して「事件の原因の不可知論」を理由に拒否したため、多くの韓国人の遺族は和解に応ぜざるを得なかった。なお、事件後に遺族によって宗谷岬に慰霊碑が建てられた。

事件当時ICAO理事会は、民間航空機の要撃は避けるのが望ましく、最後の手段としてのみ用いるべきこと、いかなる場合でも武器の使用を慎むべきことを勧告していた。

事件を契機として翌1984年にシカゴ条約の改正が行われ、これにより領空を侵犯した民間航空機を撃墜することは明示的に禁止されることになった(同条約3条の2)。

撃墜時パイロットであるオシーポヴィッチ中佐は1986年に戦闘機の事故で重傷を負ったために退役し、アディゲ共和国のマイコープ市で暮らしているが、ソ連崩壊後の1991年「大追跡」のインタビューで、軍令の為とは言え結果、民間機を撃墜した事は遺憾であったとした(なお、同席した妻は「撃墜は義務」であった旨のコメント)。彼はその後も日本やアメリカのテレビ番組の取材で証言している。

さらに詳しく → 大韓航空機撃墜事件




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