小田 実 (Makoto Oda)

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2012/12/12(水)
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小田 実(おだ まこと、男性、1932年(昭和7年)6月2日 - 2007年(平成19年)7月30日)は、日本の作家・政治運動家。体験記『何でも見てやろう』でいちやく有名になった。日本に多い私小説を批判し、全体小説を目指した。九条の会の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵。

生涯

大阪府大阪市出身。旧制天王寺中学(のち大阪府立天王寺高等学校)に入学するが、学制改革により新制大阪府立夕陽丘高等学校に進学し、東京大学文学部言語学科を卒業する。大学卒業後は代々木ゼミナールで英語科講師。

1959年、米フルブライト基金により渡米、そのご一枚の帰国用航空券と持参金200ドルで世界一周のたびに出かけ、一日1ドルのユースホステルなどに宿泊しながら、世界のあらゆる人たちと語りあった。

現在のバックパッカーの走りともいえ、その体験記『何でも見てやろう』はべストセラーとなり、小田実の名前もいちやく有名になった。一枚の航空券をもって世界を駆け巡る習慣はその後も続き、小田実の作家活動・思想形成の基本的スタイルとなった。

1960年安保闘争の時期から、平和運動を開始する。ベトナム戦争期は、「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)、「日本はこれでいいのか市民連合」を結成。ソ連崩壊により、KGBから資金的・物理的援助を受けていたことを裏付けるソ連側の機密文書が公開され、その歴史的評価が大きく下がることとなった。

一貫して市民の立場をとることを信条としている。左翼と見做される場合が多い。マルクス主義には懐疑的で、「マルクス主義における党組織論は、カトリックと似ている」、「マルクス主義者は真理を独占していると考えているが、人間の行動の動機は、財産欲による場合よりも性欲による場合が多い」などと述べている。

代々木ゼミナールの講師として、大学浪人中だった辻元清美を、左翼運動界へとスカウトした。2005年の衆議院議員選挙では、土井たか子が事実上の政界引退を表明したことに遺憾の意を表し、社会民主党支持を明らかにしている。
2007年7月30日、胃がんのため東京都内の病院で死去。享年75。

批判と評価

KGBからの援助

1991年(平成3年)のソビエト連邦の崩壊のさい、ベ平連がKGBから資金的・物理的援助を受けていたというソ連共産党の機密文書が公開された。公開されたソ連共産党機密文書(英訳版)には、窓口として小田実と吉川勇一の実名が書かれていた。

吉川勇一は、のちに共同通信記者春名幹男の取材に対し、「(ソ連大使館の)参事官や一等書記官と会ったが、恐らく、全員がKGB要員だった」「脱走兵の日本脱出に事実上の援助を与えてくれるところなら、KGBだろうがスパイだろうが手を借りたいという気持ちだった」とソ連政府との接触と援助の授与を認めたが、小田実は生涯この事実を認めなかった。

「北朝鮮の味方」

1970年代に当時の軍事政権に迫害された韓国の金大中の救出運動にも加わったものの、同時に北朝鮮を「地上の楽園」と賛美するキャンペーンを行った進歩的文化人を代表する一人でもあった。たとえば小田実は『私と朝鮮』(筑摩書房、1977年)の中で、

第三世界にとって、かつては日本が進歩のモデルだった。 しかし、今、そのモデルは、例えばアフリカの多くの国にとって、 北朝鮮にとって代わられようとしている。彼らの暮らしにはあの悪魔のごとき税金というものが全くない。これは社会主義国をふくめて世界のほかの国には未だどこも見られないことなので特筆大書しておきたいが、そんなことを言えば、人々の暮らしの基本である食料について「北朝鮮」がほとんど完全に自給できる国であることも述べておかねばならないだろう。

と書いている。そして北朝鮮側が日本人拉致を認めた後は、

1963年に日本が韓国との国交正常化に歩み始めた時から北朝鮮とも国交回復していれば、拉致はなかった。小泉首相は拉致家族に国の政治責任を謝罪すべきだ。日本政府は拉致された人がどう死んだのか、誰をどう処罰したのか、北朝鮮に明らかにさせなくてはならない。この究明と(拉致被害者家族に対する)国家補償の追及が、国交正常化の第一歩だ。

一方、日本は朝鮮半島を植民地化する国家犯罪を犯した。金正日(総書記)は少なくとも拉致について謝罪したが、日本は従軍慰安婦問題で謝罪も補償もしていない。今こそこれをすべきだ。日本が国家犯罪を清算せず、国交ができないために、北朝鮮の国家犯罪による自国の犠牲者を生んだ。日朝両国が国家犯罪を認め合い反省することが、これからの「国交」の土台となる。
(平成14年9月18日付東京新聞朝刊社会面「日朝首脳会談 拉致事件・生死判明 識者の声・市民の声」)


と、北朝鮮による日本人拉致の全責任は日本側にある、としている。また、北朝鮮の諸問題の原因は日本をまねたためだ、というような発言を自身のホームページのコラム新・西雷東騒』第4回に書き、『週刊新潮』2006年11月30日号「『ベ平連・小田実』は今も『北朝鮮の味方』という証明」により批判された。

『冷え物』糾弾事件

1969年7月、在日朝鮮人や被差別部落民を扱った小説『冷え物』を発表。これを受け、1971年3月8日、「関西部落研究会」を名乗る正体不明の団体のメンバー約10人がベ平連事務所に押しかけ、『冷え物』を差別小説として小田実とベ平連を糾弾し、作品の抹殺を要求。このとき「関西部落研究会」は、応対に出た吉川勇一に対し、重いスパナを手の中で回す、吉川の机に太い錐を突き刺して脅す、丸めた新聞紙で吉川の頭を殴るなどの狼藉を働き、対話はほとんど成立しなかった。

これに対し、小田は1971年11月、『ある手紙』を書いて「関西部落研究会」の要求を退けると共に、「『冷え物』に同じ長さの批判文を含めて一冊の本として出版したいので、批判文を書いてもらいたい」と提案。すると「関西部落研究会」が姿を消してしまったため、部落解放同盟の土方鐵に批判文の執筆を依頼。結局、土方による「『冷え物』への私の批判」を併録する形で、1975年、河出書房新社から『冷え物』を出版した。

本島等銃撃事件での談話

1990年1月18日に発生した本島等・長崎市長への銃撃事件に際して、「日本は自由主義のはずではないのか。自由主義の根幹は言論の自由だ。それなのに、ルーマニアのチャウシェスク政権と同じような体制を作ろうと考えている人々が存在するということだ。」という談話を出した。

評価

その理論について、ノンセクトラジカル、黒ヘルとの境界線が明確でないという説もある。確かに自発的な運動を重視する点ではノンセクトラジカル等と共通性はあるが、護憲を唱えたり、ゲバルトよりデモを重視する、既存の議会や既成政党なども「棒っ切れ」(運動の手段)として利用していくべきだという考え方を示すなど明らかに異なる面がある。

作家活動

これまで多くの小説・評論・エッセイを出しており、中でも代表作である1961年(昭和36年)の『何でも見てやろう』(河出書房新社)は多くの若者達に支持され、当時のベストセラーとなった。1988年(昭和63年)に『HIROSHIMA』でチュニスでのアジア・アフリカ作家会議によりロータス賞、1997年(平成9年)に短編「『アボシ』を踏む」で川端康成文学賞をそれぞれ受賞した。

さらに詳しく → 小田実




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タグ : 小田実 天皇制 ベトナムに平和を!市民連合 ベ平連

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