クルスクの戦い(Battle of Kursk、Курская битва) - マンシュタイン vs ヴァトゥーティン

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2012/09/13(木)
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戦争:第二次世界大戦(独ソ戦)
年月日:1943年7月4日 - 1943年8月27日
場所:ソビエト連邦 クルスク
結果:ソ連軍の勝利

クルスクの戦い(クルスクのたたかい、ロシア語:Курская битва クールスカヤ・ビートヴァ)は、第二次世界大戦中の東部戦線において、1943年7月4日 - 1943年8月27日、ドイツ軍の「ツィタデレ(独:Zitadelle、城塞)作戦」によって赤軍との間で行われた戦闘を指す。両軍合計6000両以上の史上最大の戦車戦。クルスク戦車戦、クルスク会戦とも呼称される。

背景

1943年上半期の第三次ハリコフ攻防戦の結果、独ソ戦の戦線はクルスクを中心にソ連側の突出部が生じた。ドイツ軍は消耗が激しく、もはや広大な戦線で大攻勢をかける力がなかったため、局地的な攻勢を行って東部戦線を安定させ、予想される西側連合国の大陸反攻に備えて必要な予備兵力を確保することが計画された。

クルスク周辺を中心とする赤軍の突出部へ先制攻撃をかけるべきか、防衛戦後に追撃戦を行い赤軍を撃滅するべきかが検討されたが、最終的にアドルフ・ヒトラー、参謀総長ツァイツラー、ギュンター・フォン・クルーゲ中央軍集団司令官等の主張により、クルスクの突出部へ先制攻撃をかけることが決定された。作戦名は“ツィタデレ(城塞)”と名付けられ、作戦発動は1943年5月中旬と予定されたが最終的には7月5日となった。

ドイツ軍の装甲部隊は、過去二年の東部戦線の激戦で消耗し切っていたが、1943年3月にその生みの親であるハインツ・グデーリアン上級大将が装甲兵総監に就任し、装甲部隊の再建にあたることとなった。

これまでドイツ軍はソ連のT-34中戦車やKV-1重戦車に苦戦を強いられてきたが、1942年下半期にティーガーI重戦車が投入されたのを皮切りに、ツィタデレ作戦の為にパンター、フェルディナント、フンメルなどの新兵器が配備され、既存の戦車にも改良が加えられて、装甲部隊は自信を取り戻していた。ドイツ軍はこの作戦に東部戦線の戦車及び航空機の内6割から7割を動員し、最終的な参加兵力は兵員90万人、戦車及び自走砲2,700両、航空機1,800機に及んだ。

一方赤軍はルーシーによってドイツ軍の作戦を早期に察知し、クルスク周辺一帯に大規模なパック・フロント(対戦車陣地)を構築。ここに兵員133万人、戦車及び自走砲3,300両、火砲2万門、航空機2,650機に及ぶ大兵力を配置してクルスク一帯を要塞化した。さらに兵員130万、戦車及び自走砲6,000両、火砲2万5,000門、航空機4,000機を超える予備兵力をその後方に待機させた。

経過

作戦発動日前日の7月4日、南部では午後から第LII軍団、第XXXXVIII装甲軍団が、深夜から第IISS装甲軍団が観測所を確保するため小規模な攻撃を開始した。

5日未明、ドイツ軍の準備地域に赤軍は大規模な破砕射撃を行った。しかし若干の損耗と、北部で作戦開始が僅かに遅れただけだった。突出部北部を担当していたヴァルター・モーデル上級大将率いる第9軍は、何重にも作られたソ連軍防御陣地に対し第20戦車師団だけを投入し、突撃砲に支援された歩兵師団主体による攻撃を開始。7,200名の損耗を出しながらも8km前進し1日目を終えた。

一方南部ではエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥率いる南方軍集団(Heeresgruppe Süd)は戦車の集中運用で赤軍防御線の外周部分を突破し、10km前進(損耗6,000名)。ソ連軍は待機させていた予備兵力を投入しこれに対処した。

開始から5日目の7月10日、北部では歩兵の損耗増加と戦車師団の逐次投入により、12km進出したのみで完全に停止。南部でも天候悪化と損耗により前進が鈍くなる。第4装甲軍司令官ヘルマン・ホト上級大将は、ソ連軍の東方からの増援を阻止するケンプ軍支隊の前進が遅れた為、クルスク南部の小都市プロホロフカの奪取を第IISS装甲軍団に下命した。ここで後に「史上最大の戦車戦」であるプロホロフカ戦車戦がおこった。

プロホロフカ戦車戦

プロホロフカにはクルスクとベルゴロドを結ぶ鉄道路線があり、さらに北西部にプショール川が流れ地形も広大な草原であった。このプショール川と鉄道に阻まれた狭い地域で、7月12日、プロホロフカ占領を目指すLSSAH師団と、SS装甲軍団を撃破し第XXXXVIII装甲軍団の後方遮断を意図する第5親衛戦車軍とで戦車戦が開始された。

12日早朝、252.2高地から前進するLSSAH戦車戦闘団とソ連第53機械化旅団とが遭遇、戦車戦が始まった。これを皮切りに、次々とLSSAH師団の前線に戦車部隊の飽和攻撃を繰り返し、LSSAH師団は前進を中止し防御戦闘への移行を余儀なくされた。

当時の戦闘記録によると、タンクデサントを満載したT-34の集団が自ら築いた対戦車壕を前に進攻が停止し、これを飛び越えようとして転落して行動不能になる戦車部隊も中にはあった。LSSAHの防御線を突破した赤軍部隊も全て撃退された。「我々より10倍もの敵戦車部隊との戦闘は、これまで経験が無かった。」(第7戦車中隊長)と言う程の激戦だった。

13日のLSSAH師団報告によると、ソ連軍戦車192輌を撃破した。こうしたソ連側の被害は、第5親衛戦車軍司令官パーヴェル・ロトミストロフがティーガー対策に近接戦闘を指示した為、砲塔にシュルツェンを装備したIV号戦車をティーガーと誤認して接近し、逆にドイツ軍の75mm砲が有効な距離で撃破されていった結果でもあった。

LSSAH師団の損害は24輌(全損車はIV号戦車:4輌、ティーガー:1輌)。14日には稼動88輌に回復した。第IISS装甲軍団全体の損害もLSSAH師団24輌、DR師団16輌、T師団20輌、計60輌(全損5輌、修理可能な損傷車輌55輌)と、過去言われていたデータとは比較にならないほど小さかった。

第5親衛戦車軍は「16日までにT-34:222輌、T-70:89輌、チャーチル:12輌、SU:11輌全損」と報告した。ちなみにソ連の戦史ではティーガー撃破とよく出てくるが、この時稼動していた本物のティーガーは、LSSAH戦車連隊第13中隊の僅か4輌にすぎない。

これまでこの戦闘に参加した戦車数はドイツ軍600両、赤軍900両にも及び両軍の損害合わせると700両に及ぶ損耗戦だったと言われてきた。これは1981年までSSの記録が機密扱いだった為、両軍の参加した車両や構成、損害数などは資料によって、またはドイツ・ソ連から公開される不完全な資料で食い違いがあった。さらに崩壊前のソ連はプロパガンダとしてこの戦いを劇的に脚色して発表していた為、正確な情報が曖昧な状態になっている。

結果

十分な防御体制を整えて待ち受け、ドイツ側に損害を与えた赤軍ではあったが、ドイツ軍を上回る損害を受け、特に南部ではドイツ軍の突出を許し、プロホロフカで消耗したステップ方面軍は危機を迎えていた。

しかし、赤軍が北部で逆攻勢『クツゥーゾフ作戦』を開始し、また米英軍も『シチリア島に上陸』を開始。ヒトラーはこれにイタリアの枢軸離脱、地中海戦線の崩壊の危機を感じ、作戦はわずか一週間で中止されてしまう。 しかしマンシュタインは南部での攻勢をヒトラーに承諾させ続行するが、7月17日にイジュームとミウスの防御線が突破され部隊の派遣の為についに中止した。

ドイツ軍は最終的にはプロホロフカを占領することもクルスク突出部を殲滅することもできず、戦略的な目的を達成することはできなかった。

後衛戦闘を行いつつ撤退したドイツ軍に対し、赤軍は予備兵力をまとめて反撃を開始した。これにより、前線で修理中のドイツの損傷車輌で後送の間に合わないものは自爆させられ、全損車輌の台数がかなり増えてしまったともいう(そして、戦場に留まったソ連軍は逆に損傷車両を修理再生、戦力を回復した)。ドイツ軍は秩序立った後退と兵力温存には成功するが、天然の要害ドニエプル川の渡河を許してしまい、クルスク進撃どころか要衝キエフまで奪回された。

クルスクの戦いは独ソ戦でドイツ軍が攻勢に回った最後の大規模な戦闘であり、これ以降、独ソ戦の主導権は完全に赤軍のものとなった。

さらに詳しく → クルスクの戦い




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タグ : 第二次世界大戦 クルスクの戦い 東部戦線

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