零式艦上戦闘機 (Zero Fighter) - その開発経緯と明かされた欠陥

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2012/07/05(木)
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零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は大日本帝国海軍(以下、海軍と表記する)の主力艦上戦闘機。零戦(ぜろせん、れいせん。“ゼロ戦”とも)の略称で知られている(以下、零戦と表記する)。海軍の艦上戦闘機(以下、艦戦と表記する)としては実質的に最終型式で、支那事変(日中戦争の当時の呼称)の半ばから大東亜戦争の終戦まで、主力戦闘機として前線で運用された。

大戦初期、長大な航続距離、重武装、優れた格闘性能により、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めたことから、当時の連合国パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられた。しかし、大戦中期以降、連合国側新鋭機の大量投入や日本側のベテラン搭乗員の損失からその戦闘力の優位は失われ、大戦末期には多くの日本機と同様、特別攻撃機としても使用された。

開発元は三菱重工業。中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の半数以上は中島製。アメリカ陸軍のムスタングP-51、ドイツ空軍のメッサーシュミットBf109、イギリス空軍のスピットファイアなどとともに、第二次世界大戦期の代表的な戦闘機として知られている。

名称

当時の軍用機は採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていた。零戦が制式採用された1940年(昭和15年)は皇紀2600年にあたり、下2桁が「00」であるため「零式」という名称になった。なお日本陸軍(以下、陸軍)では同じ年に採用した兵器を一〇〇式と命名している(例:一〇〇式司令部偵察機、一〇〇式重爆撃機)。

海軍は1942年(昭和17年)零戦の水上機型である二式水上戦闘機などを最後に年次名称を廃止したため、大戦後期に主力となった局地戦闘機「紫電二一型(紫電改)」や「雷電」などには年次名称はない。

「(戦時中、英語は敵性語として使用を制限されていたから、)『零戦』を『ぜろせん』と読むのは誤り」と言う者もあり、定説の様に思われていたが、戦時中の新聞報道に「兵士たちにはゼロセンと呼ばれており……」という記述があることからも、「ぜろせん」「れいせん」の両方が使われていたと考えられる。

渡辺洋二の著書や坂井三郎を始めとする関係者の話からも、「ぜろせん」という言葉は当時から一般的であり、中央から現場(実戦部隊)にいくにつれて「れいせん」より「ぜろせん」、時代が下るにつれて「れいせん」より「ぜろせん」と呼ばれる傾向が読み取れる。

1942年(昭和17年)後半以降は部隊では「ぜろせん」であったらしく、1944年(昭和19年)11月23日付の朝日新聞で初めて零戦の存在が公開された際も「荒鷲などからは零戦(ゼロセン)と呼び親しまれ」とルビ付きで紹介されている。反対に一見それらしく思われる“ゼロファイター”の和訳が戦後一般化したという説には根拠が存在しない。

連合軍が零戦に付けたコードネームはZeke(ジーク)。だが米軍側の将兵もZero(ゼロ)と呼ぶ事が多く、 “Zeke”のコードネーム自体が“Zero”の綴りに近いから選ばれたという説もある。ただし三二型は出現当初、それまでの二一型とは異なり翼端が角張っていたためか別機種と判断され、Hamp(当初はHap)というコードネームがつけられた。

開発

零戦の開発は1937年(昭和12年)9月に海軍から提示された「十二試艦上戦闘機計画要求書」に端を発する。三菱では前作である九六式艦上戦闘機に続いて堀越二郎技師を設計主務者として開発に取り組んだ。十二試艦上戦闘機に対する海軍の要求性能は堀越技師らが「ないものねだり」と評するほど高く、ライバルの中島飛行機が途中で辞退したため、三菱単独の開発となった。

1939年(昭和14年)4月に岐阜県の陸軍各務原飛行場で試作一号機が初飛行、翌1940年(昭和15年)7月に制式採用された。

要求性能

零戦の仕様は「昭和十一年度 航空機種及性能標準」の艦上戦闘機の項に基づいて決定されている。以下にその内容を示す。

機種
艦上戦闘機

使用別
航空母艦(基地)

用途
1. 敵攻撃機の阻止撃攘
2. 敵観測機の掃討

座席数
1

特性
速力及び上昇力優秀にして敵高速機の撃攘に適し、且つ戦闘機との空戦に優越すること

航続力
正規満載時全力1時間

機銃
20mm1~2。1の場合は7.7mm 2を追加。弾薬包は20mm 1につき60、7.7mm 1につき300

通信力
電信300浬、電話30浬

実用高度
3,000m乃至5,000m

記事
1. 離着陸性能良好なること。離艦距離 合成風力10m/sにおいて70m以内
2. 増槽併用の場合6時間以上飛行し得ること
3. 促進可能なること
4. 必要により30kg爆弾2個携行し得ること

ここで目を引くのは航続力が距離ではなく滞空時間で示されている事、目的はあくまでも「敵攻撃機の阻止撃攘」と「敵観測機の掃討」とされ、特性においても「速力及び上昇力優秀にして敵高速機の撃攘に適」する事が第一であり、対戦闘機戦闘は「戦闘機との空戦に優越すること」と方法については触れられていない。

また、一般に言われているような「長距離進攻する(陸上)攻撃機の護衛」や「格闘戦における旋回性能が九六式艦上戦闘機に優越」、「速度と旋回性能の両立」などは一切書かれていない。

航続力

『昭和十一年度 航空機種及性能標準』で求められている艦上戦闘機を除く各機種の航続力は以下のようなものである。

* 艦上爆撃機:高度2,000m 巡航160ノット以上で800浬以上
* 艦上攻撃機:高度2,000m 巡航140ノット以上で500浬以上
* 陸上攻撃機:過荷重1,300浬以上

この様に、性能標準において滞空時間で航続力を示すのはどちらかと言えば異例であり、艦爆や艦攻に要求されている航続距離と巡航速度から算出した滞空時間が4時間であることから、零戦に求められた6時間の滞空能力は、護衛に用いるには過大であることが分かる。

また、上記の性能標準における艦上戦闘機の「用途」や艦上爆撃機・艦上攻撃機の巡航速度の不一致、更にこの当時における戦闘機無用論の台頭を考えると、「艦攻や艦爆の護衛」に用いることを前提に艦戦を開発していたとは考え難い。

艦隊防空を主任務とする艦戦が運用される航空母艦は陸上基地とは異なり、早期警戒のための対空見張り網を構築できないため、常に艦船上空に滞空させて対空監視(戦闘哨戒)を行う必要がある。このような運用を前提とする場合、滞空時間が長ければ長いほど突発的な事態において防空網に穴が空きにくいという利点がある。

武装

零戦初期型には、20mm機銃2挺(翼内)と7.7mm機銃2挺(機首)が搭載されていた。7.7mm機銃は当時のイギリス軍の歩兵銃、また日本海軍でも国産化していた留式七粍七旋回機銃と同じ7.7x56R(.303 British)弾を用いるものであった。

これは輸入した複葉機の時代から搭載されていたもので、この歩兵用の重機関銃を航空機用に改良したヴィッカースE型同調機銃を、毘式七粍七固定機銃(後に九七式固定機銃)として国産化したものであった。

また、用途の1.に挙げられている「敵攻撃機の阻止撃攘」を可能にするため、当時としては大威力の20mm機銃の搭載が求められていた。これは『昭和十一年度 航空機種及性能標準』に記載されている300km/h以上で突入してくる800kgの魚雷や対艦爆弾を搭載した艦上攻撃機や、1,500kgの魚雷や対艦爆弾を搭載した陸上攻撃機を一撃の下に撃墜するには、炸裂弾を使用可能な20mm機銃が必要であると判断された為である。

零戦に搭載された20mm機銃はエリコンFFをライセンス生産した九九式一号銃、FFLをライセンス生産した九九式二号銃及び両者の改良型であり、初速は一号銃(FF)が600m/s、二号銃(FFL)が750m/s、 携行弾数は60発ドラム給弾(九九式一号一型・一一型~三二型搭載)/100発大型ドラム弾倉(九九式一号三型または九九式二号三型・二一型~五二型搭載)/125発ベルト給弾(九九式二号四型・五二甲型以降搭載)となっていた。

多くの搭乗員は20mm機銃の大威力を認めているが、その反面60発しかない携行弾数(初期型)の少なさ(二斉射で全弾消費するパイロットもいた)、7.7mmとの弾道の違い、旋回による発射G制限も欠点として指摘されており、これに対応して携行弾数を増加させる改修が施されている。大戦中盤からは一号銃から銃身を長くして破壊力を上げた二号銃が搭載されるようになった。

九九式一号銃の初速では弾丸の信管の不具合もあってB-17の防弾板を至近距離でなければ貫通できないことを海軍が鹵獲した実物で確認しており、高初速の二号銃の採用は、弾道改善のためだけではなく貫通力改善の意味合いも強かった(先行して信管の改良も実施された)。

携行弾数については、特に初期の60発ドラム弾倉は決して多いとは言えないが、零戦のみならず同時期の欧米機も似たようなものであり、改良によって最終的にはベルト給弾化により125発まで増加した。なお、エリコンFFシリーズは弾倉が機銃の構造の一部であったため、ベルト給弾化は困難といわれており、本家スイスのみならず技術先進国といわれたドイツでも実施されておらず、日本の九九式二号四型が唯一の事例であった。

九九式20mm機銃は「照準が難しく、修正しているうちに弾がなくなる」ため、戦闘機との格闘戦においては使い難いという欠点があったが、「照準さえ良ければ一撃でノックアウト可能」な大威力を活かして開戦直後から、主要部に重厚な防弾装甲を施されたB-17をも撃墜し、米軍に大きな脅威を与えた。

また、大戦後期にアメリカ軍が12.7mm機関銃6~8門を装備したF6FヘルキャットやP-51ムスタングを投入してくると、機首の九七式7.7mm機銃二挺に替えて、三式13.2mm機銃を1~3挺(機首1、翼内2)搭載した型も登場した。

防御

防御装備は要求項目に記載されておらず、設計においてもほとんど考慮されることはなかった。日中戦争において防弾装備の必要性が痛感されていたにも拘らず要求の追加すら行われていないのは、将来戦闘機への搭載が一般化すると判断されていた20mm級機銃弾に耐えうる防弾装備は非常に重いことから、中途半端な防弾装備を施すよりは軽量化を図り、速度や運動性などを向上させることで被弾確率を低下させた方が合理的と考えられたためである。

開戦後、米軍機の防御面での堅牢さや鹵獲(ろかく)したB-17爆撃機の充実した防弾装備を目の当たりにしたことから防弾の必要性が再認識され、『昭和十八年度 航空機機種及性能標準』(1942年(昭和17年)度に計画されたもの)から戦闘機の防御・防弾能力についての記載が現れる。

しかし防弾装備の実用化が遅れていたこと、開戦から一年も経たずにガダルカナル島で始まった連合国軍の反撃に対応するため、改修による生産数や飛行性能の低下が許容出来なかったことから先送りされ、結局終戦まで十分な防御装備を得ることができなかった。

ただし1943年(昭和18年)末生産開始の五二型後期生産型から翼内タンクに炭酸ガスによる自動消火装置が、翌1944年(昭和19年)生産開始の五二乙型から操縦席に50mm防弾ガラスが付加、更に五二丙型からは座席後方に8mm防弾鋼板を追加し、一部の機体は胴体タンクを自動防漏式にしている。

なお一般に「日本機は防弾装備の実施が遅れていた」と言われているが、これが当てはまるのは大戦初期までに登場する海軍機に多く、陸軍機には早くからある程度の防弾装備が施されている機体が多い。

通信装置

零戦には前作の九六式艦戦同様に無線電話・電信機が標準装備されており、当初は九六式空一号無線電話機を搭載していたが、大戦後半はより高性能の三式空一号無線電話機に変更している。

アメリカ軍は、アリューシャンで鹵獲した二一型に装備されていた九六式空一号無線電話機を軽量化のため最小限の装置のみを搭載していると評価し、マリアナで鹵獲した五二型に装備されていた三式空一号無線電話機を自軍の無線機に匹敵する性能を持っていると評価している(但し取付方法や防湿対策に問題があるとも評価している)。

この他に艦上機型である二一型からは、単座機では困難な洋上航法を補助する装置として無線帰投方位測定器が新たに搭載されている。これはアメリカのフェアチャイルド社が開発したものを輸入・国産化したもので、輸入品はアメリカでの呼称そのままにク式(クルシー式の略)無線帰投方位測定器と呼ばれ、後に国産化されたものは一式空三号無線帰投方位測定器と呼ばれた。電探は装備されていない。

技術的特徴

九六式艦上戦闘機から引き継がれた技術として、全面的な沈頭鋲の採用、徹底的な軽量化と空気力学的洗練、主翼翼端の捻り下げ、スプリット式フラップ、落下式増槽などがある。これらは零戦の高性能の実現にも大きく貢献している。日本の艦上戦闘機として零戦で初めて採用された技術には下記のものがある。

引き込み式主脚
日本の艦上機としては九七式艦上攻撃機についで2番目。飛行時車輪を機体内に格納して空気抵抗を削減する仕組み。形式としては翼から胴体側に折りたたまれる構造であり、翼の構造がやや複雑になる反面、強度や安定性に優れており安全性は高い。また、零戦では、尾輪も引き込み式となっている。

零戦二一型の鹵獲機体の調査に携わったチャンス・ボート社のエンジニアから、V-143戦闘機と引き込み脚やカウリング・排気管回りなどが類似していると指摘されたため、零戦そのものがV143のコピー戦闘機であるという誤った認識が大戦中のみならず、現在でも一部海外で存在する。(この説は、開発開始時期の相違により否定されている。)

更には、外見や寸法が似ているグロスターF.5/34(降着装置が半引き込み式で、尾部のとんがりが少々長いが、外形、寸法、各種数値は酷似)をコピー元とする説もあるが、零戦の寸法は、翼面荷重や馬力荷重を九六式艦戦と同程度に収めるように決められた数値である。

また、外見はともかく、内部構造としてはグロスターF.5/34は前近代的な鋼管骨組み構造であるのに対し、零戦は応力外皮(モノコック)構造であり、コピー説は否定されている。

定速回転プロペラ
恒速回転プロペラとも呼ばれる。エンジン回転数に応じてプロペラピッチ変更を自動的に行う。日本の艦上機としては九七式艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機についで3番目に装備。なお、零戦に使用されたのは米国ハミルトン社製油圧方式を住友金属工業社がライセンス生産したもの。

超々ジュラルミン
住友金属で開発された新合金で主翼主桁に使用されている。後に米国でも同様の合金が実用化されている。日本・英語圏ともESDと呼ばれるが、日本では「超々ジュラルミン」の英訳である「Extra Super Duralumin」の略であるのに対し、英語圏では「E合金」と「Sander合金」をベースに作られた「Duralumin」という意味の略号である。ちなみに現在のJIS規格では、7000系のアルミ合金に相当する。

剛性低下式操縦索
零戦の特徴である"低速から高速まで自由自在に機体を操ることができる"操縦性を実現させた技術として有名。人力式の操舵では操縦装置を操作した分だけ舵面が傾く。高速飛行時と低速時では同一の舵角でも舵の利きが全然異なるため、操縦者は速度に合わせて操作量を変更しなければならない。

そこで、零戦では操縦索を伸び易いものにし、高速飛行時に操縦桿を大きく動かしても、舵面が受ける風の抵抗が大きいため操縦索が引っ張られて伸び、結果的に適正な舵角を自動的に取れるようにしている。全ての操縦索に採用されたと誤解されがちであるが、採用されたのは昇降舵につながる操縦索のみである。

光像式照準器(九八式射爆照準器、俗称OPL)
従来の照準器は「眼鏡式」と呼ばれ、照準用の望遠鏡が前面キャノピーから突き出していたため、空気抵抗も大きくなり、搭乗員はスコープを覗き込むため窮屈な姿勢を取らねばならず、その際は視界も制限された。

光像式照準器は、ハーフミラーに遠方に焦点を合わせた十字を投影するもので、キャノピー内に配置できるので空気抵抗を低減でき、照準操作もしやすく、また望遠鏡式と違って覗き込む際には視界が狭くなる事も無くなる。この光像式照準器を日本の戦闘機で最初に採用した。この光像式の技術は輸入したユンカースHe112に付いていたレヴィ2b光像式照準機をコピーしたものであるが、海軍では1932年(昭和7年)にOPL製照準器を試験的に輸入して以来慣例的に照準器をOPLと呼称していた。

主翼と前部胴体の一体化構造
陸軍の九七式戦闘機に採用された技術で、フレーム重量を軽減する反面、翼が損傷した場合の修理に手間取るという欠点も内包している。

戦闘機としての特徴

* 軽量化による高い余剰馬力のため、500km/hを超える最高速度と高い運動性能、長大な航続距離、20mm機銃2挺の大火力を併せ持ち、搭乗員の高い技量もあって初陣となった日中戦争から太平洋戦争の緒戦において無敵ともいえる活躍を見せたことから、大戦初期の優秀戦闘機と言われる。

* 第二次世界大戦初期において、長航続距離を以って遠隔地まで爆撃機を援護し同時侵攻することが出来た数少ない単発単座戦闘機。

* ボルトやねじなど細部に至るまで徹底した軽量化を追求したため、初期の飛行試験において、設計上の安全率に想定されていない瑕疵が、機体の破壊に直結した。

1940年(昭和15年)3月に、十二試艦戦二号機が、昇降舵マスバランスの疲労脱落によるフラッタにより空中分解して墜落し、テストパイロットが殉職、さらに1941年(昭和16年)4月には、二一型百四十号機と百三十五号機が、バランスタブ追加の改修をした補助翼と主翼ねじれによる複合フラッタにより急降下中に空中分解、墜落した百三十五号機を操縦していた下川万兵衛大尉が殉職する事故が発生し、開戦直前まで主翼の構造強化や外板増厚などの大掛かりな対策工事が行われている。

設計主務者の堀越技師は、設計上高い急降下性能があるはずの零戦にこのような事態が発生した原因として、設計の根拠となる理論の進歩が実機の進歩に追い付いていなかったと回想している。

* 気化器が多重の弁(0Gバルブ/中島製)を持つために、マニュアル上背面飛行の制限がない。これは地味ではあるが、戦闘機にとっては非常に重要な点である。急激な姿勢変化に対するエンジンの息突きを考慮しないで済むため、機体の空力特性=旋回性能限界としての操縦が可能という事である。初期の米国戦闘機に「ゼロとドッグファイトを行なうな」という指示があったのは、同じ姿勢変化を追随して行なうとエンジン不調が発生する確率が高まるからであった。

零戦の長所

零戦の強みの1つは、その航続力であった。長大な航続力は作戦の幅を広げ戦術面での優位をもたらす。実際、開戦時のフィリピン攻略戦などは、彼我の距離が離れ過ぎていた為、当時の常識からすると空母無しでは実施不可能であったが、零戦は遠距離に配備された基地航空隊だけで作戦を完遂した。

但し、大航続力に頼った戦術はオートパイロットや航法装置のない零戦では搭乗員に過度の負担が加わるため、ベストコンディションで戦闘に入れないといった数字では現れにくい欠点も存在する。

この航続力において二一型は傑出していると言われるが、これは落下式増槽に加え、胴体内タンクに正規全備時の62Lの2倍を超える135Lの燃料を搭載するという例外的な運用を行った場合のことである。

これと同じ条件、即ち落下式増槽を含む全燃料タンクを満載にした状態での航続距離を比較すると、燃料タンクの小さい三二型や栄より燃費の悪い金星を搭載した五四型を除く零戦後期型(二二型や五二型各型)と二一型の間に大きな差はなく、三二型でも二一型の85%程度となる。また、二一型以前の零戦は機体内燃料タンクを満載にした状態では飛行制限があるが、三二型や二二型、五二型にはそういった制限はない。

三二型は開戦からおよそ半年後に配備が開始されたが、この時期はガダルカナル戦の開始直前にあたり、二一型より航続距離の短い三二型はガダルカナル戦に投入できず、せっかくの新型機がラバウルで居残りになっていた。このため、この時期のラバウルの現地司令部は上層部に二一型の補充を要求している。

また、これは海軍上層部でも問題となって、海軍側の三二型開発担当者が一時辞表を提出しただけには止まらず、零戦の生産計画が見直されるほどの事態となっている。敵味方の相対的戦力で考えると、より高性能であるはずの三二型の特性はガダルカナルと言う戦線には合っておらず、むしろ二一型の方が適合していたと言える。とは言え、速度・高高度性能・高速時の運動性など、二一型の欠点を補う改修が施された三二型は後の海軍戦闘機の方向性を決定したと言える。

零戦の短所

一方で、零戦の短所として挙げられるものは以下の通りである。

防御力
零戦は徹底した軽量化による機動性の向上が重視して開発されたため、装甲板・防弾燃料タンク・防弾ガラス・自動消火装置などが搭載されておらず、F4F ワイルドキャットなど同世代の米軍機に比べ、被弾に弱かった。後述のように初戦から防弾の不備はパイロットからの指摘もあったが、対策は後回しにされ、その後の改修でもしばらく防弾装備はされなかったが、五二型以後は装備されるようになった。

急降下性能
徹底した軽量化により機体強度の限界が低く、初期型の急降下制限速度は、F4Fワイルドキャットなどの同世代の米軍機よりも低い 629.7km/h程度であった。前述の様に、試作二号機や二一型百四十号機と百三十五号機が急降下試験の際に空中分解事故を起している。

これらの事故の原因解析の結果を受けて、以降の量産機では、主翼桁のシャープコーナーの修正・昇降舵マスバランスの補強・主翼外板厚の増加などの対策が施され、急降下性能の改善が図られた。五二型以降では更に外板厚増加などの補強が行われ、急降下制限速度は740.8km/hまで引き上げられている。

高速時の旋回性能
低速域での操縦性を重視して巨大な補助翼を装備したため、低速域では良好な旋回性能が得られた反面、高速飛行時には舵が重く機動性が悪かった。

生産性の低さ
軽量化のため機体骨格に多くの肉抜き穴を開けたり、空気抵抗を減らすために製造工程が複雑な沈頭鋲を機体全面に使用するなど、大量生産に向かない設計となっている。これは当初、少数精鋭の艦戦ということで工数の多さは許容されたということもあるが、後のP-51と比較すると零戦の生産工数は3倍程度となっている。

戦況の悪化と零戦

前進基地が整備されるに従い、三二型もガダルカナル戦に投入可能となったが、その頃にはガダルカナルのアメリカ軍の航空兵力は大幅に強化されており、三二型と言えども有利に戦える状況ではなくなっていた。とは言え、同時期の他部隊や前進基地が完成した後のラバウル方面では特に三二型に対する不満は存在せず、むしろ低速で高高度性能と火力に劣る上に高速域での横転性能が低い二一型を嫌う搭乗員も少なくなかった。

また五二型配備後の機材補充の要求には二一型を要求するものはなく、激戦が行われていたラバウル方面の基地戦闘機隊には、二一型ではなく高速・大火力かつ高速域の横転性能が改善された三二型・二二型・五二型などの新型零戦が優先的に配備されていた。

大戦中盤以降になると空戦の形態が単機同士による巴戦から複数機による一撃離脱へと変化しており、それに対応して一気に大量の弾丸を叩き込めるように改修された新型機(特に五二丙型)は、一般に流布している評価とは異なり、搭乗員からの評価は悪くなかった。しかし対戦相手であるアメリカ軍が新型機を配備し、新戦術・新技術を実施している状況では、既に零戦自体が旧式となっていた。

さらに詳しく → 零式艦上戦闘機



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