イングリッシュ・エレクトリック キャンベラ (English Electric Canberra)

航空兵器・陸上兵器・海上兵器・銃器・戦争・紛争・歴史・革命・テロ・事件・軍事動画・ニュース(報道)・社会情勢・政治運動・評論・講演など、軍事関連の情報を公開しています。宗教・思想・経済・政治的なものも少しアリ

広告
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2012/01/21(土)
*



イングリッシュ・エレクトリック キャンベラ (English Electric Canberra) とはイギリスのイングリッシュ・エレクトリック社が開発し、イギリス空軍に採用されたジェット爆撃機である。初飛行1949年で、2006年にイギリス空軍では退役した。

速度性能や高高度性能、低空での操作性を評価され、イングリッシュ・エレクトリック社は爆撃機を土台に偵察機や練習機も開発した。また、アメリカ合衆国やオーストラリア空軍にも採用され、各国でライセンス生産された。

開発と特徴

イギリス空軍は第二次世界大戦中の1943年からデ・ハビランド モスキートのようなジェット高速爆撃機を求めていた。キャンベラの開発は1945年にイギリス航空省から出された要求仕様B.3/45に始まる。要求内容はアブロ ランカスターの航続力とデハビランド モスキートの爆弾搭載量及び軽快性を兼ね備え、ジェット戦闘機と同等かそれ以上の速度と高高度性能を求めた厳しいものであった。

イングリッシュ・エレクトリック社は第二次世界大戦でハンドレページ ハンプデンやハンドレページ ハリファックスの製造を行っていた。戦後もデハビランド ヴァンパイアを製造して技術を高めてきていた。1944年にはウェストランド・エアクラフトのウィリアム・テディ・ペッターを社に招き、イングリッシュ・エレクトリック社で仕様B.3/45の開発に向けて動き出した。そして、1945年9月に航空省に計画を提出し、翌年1月には航空省から試作機製造の契約を結ぶところまでこぎ着けた。

高高度性能を満たすためにエンジンは、ロールス・ロイスで開発中のロールス・ロイス エイヴォンを選定した。簡素で当時としては一般的な設計は、グロスター ミーティアに似ていたが、ミーティアの拡大版というわけではなかった。試作機のA.1は、1949年4月29日に完成した。構想段階では後退翼の採用も検討されたが、角ばった楕円翼のような低アスペクト比直線翼が選ばれた。両翼それぞれの中央に埋め込む形でエンジン・ナセルを配し、エンジンはエイヴォン RA.2を搭載した。同年5月13日に初飛行し、軽快な運動性と優れた性能を示した。エイヴォンの製造中止を警戒してロールス・ロイス ニーンを搭載した試作機も製造された。

1949年9月にファーンボロー国際航空ショーでお披露目され、名称は最初の海外顧客で、イギリス連邦の構成国、オーストラリアの首都キャンベラにちなんだ。キャンベライギリス空軍に引き渡される以前からアメリカとオーストラリアが興味を示していた。

運用史

イギリス

1955年までに、爆撃機型装備の30個飛行隊と偵察機型装備の7個飛行隊が配備された。西ドイツ、マルタ、キプロス、シンガポール、香港などに派遣された。マラヤ連邦でマラヤ共産党が武装蜂起すると、スピットファイアやモスキートの後に続いてキャンベラが送られた。非常事態宣言が解除される1960年までキャンベラは爆撃任務に従事した。一方、1956年にエジプトがスエズ運河の国有化を宣言し、第二次中東戦争が勃発したため、マルタとキプロスを基地にキャンベラが投入された。

キャンベラの爆撃機型はPR.9よりも先にイギリス空軍から退役し、残ったPR.9は2001年のアフガニスタン侵攻やイラク戦争の際に作戦投入された。キャンベラ PR.9は、2006年7月のロイヤル・インターナショナル・エア・タトゥーに参加の後、退役した。しかし、旧型軍用機の保存協会が所有し、動態保存されている機体が残されている。

オーストラリア

1951年から1953年にかけて4機のキャンベラ B.2がオーストラリア空軍向けに送られた。オーストラリアでは燃料タンクの増設など小改良を施し、キャンベラ Mk. 20としてメルボルンのGAFでライセンス生産された。GAFでは合計48機が生産されたが、後期型はエンジンを換装している。また、何機かは訓練機型に改修され、Mk. 21となっている。
オーストラリア空軍のキャンベラは1965年に勃発したベトナム戦争に投入され、その後、偵察機や標的機に改修され、最終的に1982年で退役した。

アメリカ合衆国

キャンベラの優れた性能に着目したアメリカ空軍は、ダグラス A-26 インベーダーの後継機として採用した。マーチン社がライセンス生産を行った。アメリカ空軍はB-57 キャンベラと命名し、ベトナム戦争に投入した。

また、アメリカ空軍では、高高度偵察型のRB-57 キャンベラも20機が生産、配備され、カーチス・ルメイ空軍参謀総長によってソビエト連邦など共産圏への高高度偵察飛行に使用された。また、パキスタン空軍と中華民国空軍に供与され、パキスタン空軍のB-57は第二次印パ戦争でインドへの爆撃を敢行し、中華民国空軍では偵察型RB-57が黒猫中隊の初期装備として配備され、中国大陸への偵察に用いられた。

アメリカ空軍では1982年に退役したが、アメリカの民間軍需会社が運用する標的機などとして配備され、アメリカ軍の標的機として使用されている機体など、現在も運用されている機体が複数存在する。

アルゼンチン

1982年に製造国であるイギリスとの間で勃発したフォークランド紛争では、稼働可能な6機が実戦配備され、イギリス海軍の機動艦隊やフォークランド諸島に上陸したイギリス陸軍部隊への攻撃で使用された。いずれもイギリス海軍のシーハリアーによる要撃や駆逐艦のシーダート対空ミサイルによる迎撃で攻撃前に撃墜、攻撃を阻止されることが多く、殆ど活躍できずに終わり、最終的に3機が撃墜されている。

仕様(キャンベラ B Mk 6)

諸元

・乗員: 3
・全長: 19.96 m (65 ft 6 in)
・全高: 4.77 m (15 ft 8 in)
・翼幅: 64 ft 0 in
・翼面積: 89.19 m² (960 ft²)
・空虚重量: 9,820 kg (21,650 lb)
・運用時重量: 20,865 kg (46,000 lb)
・最大離陸重量: 24,948 kg (55,000 lb)
・動力: ロールス・ロイス エイヴォン R.A.7 Mk.109 ターボジェット、36 kN (7,400 lbf) × 2

性能

・最大速度: 580 mph, 933 km/h (Mach 0.88 at 40,000 ft (12,192 m))
・戦闘行動半径: 700 nm, 1,300 km (810 mi)
・フェリー飛行時航続距離: 2,940 nm, 5,440 km (3,380 mi)
・実用上昇限度: 15,000 m (48,000 ft)
・上昇率: 17 m/s (3,400 ft/min)
・翼面荷重: 234 kg/m² (48 lb/ft²)
・推力重量比: 0.32

武装

・固定武装: 20 mm イスパノ Mk.V 航空機関砲 後部爆弾庫 4門(500発) もしくは 7.62 mm (0.30 in) 機関銃ポッド 2門
・搭載量:爆弾庫およびハードポインドに計3,628 kg (8,000 lb)
・ロケット:
    無誘導ロケットポッド 2基 および 51 mm (2 in) ロケット 37発
    マトラ ロケットポッド 2基 および 68 mm SNEBロケット 18発
・ミサイル:いくつかのミサイルを搭載可能
・爆弾:
    爆弾庫:227 kg (500 lb) 爆弾 9発 もしくは 454 kg (1,000 lb) 爆弾 6発
    パイロン:227 kg 爆弾 4発 もしくは 454 kg 爆弾 2発
・核爆弾:いくつかの戦術核兵器を搭載可能
    WE.177、レッドベアード、B28核爆弾、マーク 7 核爆弾

派生型

B.2/PR.3/T.4

1950年4月にイギリス空軍向けに爆撃機型のキャンベラ B.2 (Bomber Mark 2) が完成し、1951年5月にはイギリス空軍へ引き渡された。B.2はエイヴォン 101 (RA.3) を搭載した。翼下パイロンや固定武装もないが、爆弾倉は胴体下部に前後2つに分けて設けられ、搭載量は2,720 kgであった。コクピットは与圧で3名が搭乗し、それぞれにマーティン・ベーカー Mk 1 射出座席が用意されてあった。レーダー照準システムの装備が遅れていたため、試作機や初期のB.2には光学式照準器が装備されていた。

B.2に続き、胴体を36センチ延長して計7台のカメラを搭載したPR.3 (Photo-Reconnaissance Mark 3) が開発された。偵察機型のPR.3はB.2の爆弾庫であったところが燃料タンクになっているため、航続距離は5,770 kmとなった。また、爆撃照準器の箇所にカメラのファインダーが設置された。練習機型(機種転換)のT.4 (Trainer Mark 4) はB.2から操縦士の座席を並列座席にし、操縦系統も二重になった。

イングリッシュ・エレクトリック社では量産に限りがあったため、アブロ社、ハンドレページ社、ショート・ブラザーズ社なども製造し、B.2だけで422機が生産された。

B.6/PR.7

PR.3をもとにターゲット・マーキング爆撃機型のB.5が計画された。ターゲット・マーキングとは、かつてモスキートなどに割り当てられ、照明弾、あるいは焼夷弾を投下して後に続く重爆撃機の部隊に爆撃目標を知らせるというものであった。B.5は翼内燃料タンクを装備したウェット・ウィングとダンロップ製のブレーキ・システム(初期のABS)を採用し、エイヴォン 109にアップグレードされる予定であった。

しかし、ターゲット・マーキング任務は時代遅れで、結局、試作機のみで生産されることはなかった。B.5の開発を生かし、B.6が開発され、1953年8月11日に初飛行した。エンジンのアップグレードによって搭載量は、4,500 kgまで増加した。また、B.6とほぼ同様のアップグレードを行ったPR.7も開発され、B.6と並行して生産された。B.6はイングリッシュ・エレクトリック社とショート・ブラザーズ社で49機、PR.7は82機が生産された。

B(I).6/B(I).8

キャンベラは高高度爆撃機として設計されていたが、イギリス空軍は低空侵攻で戦術爆撃を行うイントルーダー (Intruder) の役割も求めた。ボールトンポール社がB.6の爆弾倉を改造したB(I).6が開発され、1955年3月31日に初飛行した。

B(I).6の爆弾倉は前部はそのまま爆弾積載用に残され、後部はイスパノ Mk. V 20 mm 機関砲4門を着脱式のパックに収めて胴体下部に搭載できるようになった。機関砲の照準はパイロットが行った。また、B(I).6は翼下パイロンを装備し、450 kg爆弾か2インチ SNEB ロケット弾37発のいずれかを、それぞれの翼下に装備できた。

B.5の試作機をB(I).6の改良型の試作機に転用され、着脱式機関砲パックの装備などB(I).6の改造を盛り込み、低空での運用に最適化するため前部胴体を改修したB(I).8が1954年7月23日に完成した。前部胴体は搭乗員を考慮して座席やキャノピー配置が変更された。

新たにティア・ ドロップ型キャノピーが左へオフセットで配置され、パイロットが座り、ナビゲーターは右側に座った。パイロットの座席にはマーティン・ベーカー Mk 2が装備されたが、ナビゲーターはハッチから脱出する必要があったため、油圧動作の風除けが備えられた。最前部の爆撃手用キャノピーはそのままであったが、実際の爆撃照準はパイロットが行った。B(I).6は24機の生産で終了したが、B(I).8はショート・ブラザーズ社での製造を含め、164機が生産された。

PR.9

より高高度性能を高めたPR.7 WH793がネイピア社で開発され、1955年7月8日にデモ飛行を行った。主翼は中央の翼弦を増し、エンジンはエイヴォン RA.28へ換装され、尾翼も大型化された。上昇限度は大差なかったが、上昇率は大きく改善された。これに興味を示したイギリス空軍はイングリッシュ・エレクトリック社にPR.9として発注し、B(I).8で改修された前部胴体の構造を引き継ぎ、爆撃手用のキャノピーを撤去した他、操縦補助動力を追加した。PR.9は1958年7月27日に初飛行し、ショート・ブラザーズ社で23機が生産された。

さらに詳しく → イングリッシュ・エレクトリック キャンベラ




WORLD AIRFORCES イギリス空軍の一世紀 [DVD]WORLD AIRFORCES イギリス空軍の一世紀 [DVD]
(2004/02/26)
青木謙知

商品詳細を見る
関連記事

タグ : イングリッシュ・エレクトリック キャンベラ イギリス空軍

この記事へのコメント
URL:
Comment:
Pass:   
この記事のトラックバックURL
http://gunjimania.blog108.fc2.com/tb.php/2313-15ab91f5
 この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

 | Copyright © 軍事マニアクス - Military Maniacs All rights reserved. | 

 / Template by 家族 ペット 自分史 ブログ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。