チェチェン紛争 (Chechen War) - 紛争は終わったのか

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2011/12/17(土)
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第一次チェチェン紛争

第一次チェチェン紛争(だいいちじチェチェンふんそう)は、1994年から1996年にかけて、ロシア連邦からの独立を目指すチェチェン共和国独立派武装勢力と、それを阻止しようとするロシア連邦軍との間で発生した紛争。

概説

1991年、ソ連崩壊の直前であるが、チェチェンでは元ソ連軍の将軍であるジョハル・ドゥダエフを大統領に選出。ソ連連邦離脱法を基に、一方的に独立を宣言した(チェチェン・イチケリア共和国)。(厳密には、連邦離脱法はソ連構成共和国の離脱を念頭に置いたものであり、当時ロシア共和国内の共和国であったチェチェンには適用されない)。

ロシアのエリツィン大統領はこれを認めず、1994年にロシア連邦軍はチェチェンに侵攻する。ロシア連邦軍はその圧倒的な軍事力にもかかわらず、チェチェン人ゲリラによる度重なる攻撃によって山岳地帯の支配ができなかった。ロシア連邦軍が広域に渡って支配権を回復したことで、ロシア連邦大統領のボリス・エリツィンは1995年、一方的に休戦を宣言し、軍隊の撤退を始めた。

1996年5月27日、エリツィンはチェチェンの抵抗運動のリーダーたちと初めて会見し、休戦を取り決めた。1997年、ロシア軍は完全に撤退した。この戦争で推定10万人の市民と、ロシア兵およそ5700人、チェチェン武装勢力17000人が死亡したと推定されている。

経過

 ロシアは数的有利を生かし、地上部隊を派遣するもその部隊のほとんどは徴兵されてまもない新兵ばかりであった、これは旧ソ連が崩壊した際に多くの兵士を解雇してしまったためと急を要した事態であったからである。
 そのため、兵器等の数的には有利ではあったもの戦力的にはほぼ同等、あるいはそれ以下であったと言える。また、航空部隊との連携はままならず、戦術的にはお粗末と言っても良いほどであった。

そのため、市内に空軍のMi-24「ハインド」攻撃ヘリコプターやSu-25「フロッグフット」攻撃機などによる航空支援無しで侵攻したロシア軍戦車部隊がチェチェン軍との市街戦に発展した際に待ち伏せをしていた対戦車班に様々な場所から同時攻撃を受けほぼ壊滅、また警戒のために随伴歩兵を展開していなかった事も損害を大きくした要因であった。

 ロシアが投入したBMD-1やBMP-1、BMP-2、BTR-60、BTR-70等の装甲兵員輸送車や歩兵戦闘車はRPG-7やRPG-18等の対戦車兵器に対して全くの無力であり容易に撃破された。またT-64やT-72、T-80の戦車も強力な戦車砲や車体正面・砲塔前面の複合装甲を持っていたものの、地下やビルの2、3階などから急に現れる対戦車班に主砲は対応できず逆に装甲の薄い砲塔/車体の上部を狙われ同じように撃破された。ロシア軍はビルの2、3階から攻撃してくる対戦車班に対処するために、高仰角をとれる対空機関砲を装備したZSU-23-4シルカや2K22ツングースカなどの自走式対空砲を投入し戦果をあげた。

第二次チェチェン紛争

第二次チェチェン紛争(だいにじチェチェンふんそう)は、チェチェン独立派勢力(チェチェン・イチケリア共和国等)と、ロシア人及びロシアへの残留を希望するチェチェン共和国のチェチェン人勢力との間で発生した紛争であり、一般的にソ連崩壊直後から1996年まで続いたものを第一次チェチェン紛争、1999年に勃発したものが第二次チェチェン紛争と分類する。2009年4月16日に国家対テロ委員会は独立派の掃討が完了したとして対テロ作戦地域からの除外を発表、10年の長きにわたった紛争は終結した。

紛争の再開

チェチェンの独立派勢力がロシアからの独立を目指したことにより勃発した第一次チェチェン紛争は1996年に一応の終結を見ていた。1997年5月にはハサヴユルト協定が調印され5年間の停戦が合意されていた。ところが1999年8月、独立最強硬派のシャミル・バサエフとイスラム原理主義思想を持つアミール・ハッターブに率いられた1500名程のチェチェン人武装勢力が隣国ダゲスタン共和国へ侵攻し一部の村を占領するという事件が発生する。

また同時期にモスクワではアパートが爆破されるテロ事件が発生し百数十名が死亡した(FSBの自作自演説有り)。これを受けてロシア政府はチェチェンへのロシア連邦軍派遣を決定。ウラジミール・プーチン首相の強い指導の下、9月23日にはロシア軍が「テロリスト掃討」のため再びチェチェンへの空爆を開始し、ハサヴユルト協定は完全に無効となった。

紛争の拡大

戦争の最初の数ヶ月間、ロシア軍は自軍の死傷者数を抑えるために制空権の優位性をうまく利用し、チェチェン・イチケリア共和国の事実上の首都であるグロズヌイや他の主要都市への激しい絨毯爆撃や弾道ミサイルによる攻撃を行った。 チェチェン共和国の回廊地帯は都市の市民たちの避難場所になった。 独立派は彼らの避難を妨げることがあったとの証言もある。

西側諸国はロシア連邦軍による抵抗運動の処遇や、ロシア側、チェチェン側双方で行われた拷問、強姦、略奪、密輸出入、横領などの犯罪を非難した。 ロシア側は武装勢力に対する攻撃の中でクラスター爆弾、燃料気化爆弾、弾道ミサイルなどを使用したが、これらの攻撃によって民間人への被害も発生している。2002年3月、アミール・ハッターブが殺害され アミール・アブ・アルワリドが後を引き継いだ。

紛争のテロリズム化

第二次チェチェン紛争以降にテロが過激化してきたことについては、イスラム原理主義の思想を持つイスラーム過激派の勢力が加伸張してきたことがあげられている。 チェチェン領内でのゲリラ戦に加えて、2002年10月のモスクワ劇場占拠事件や2004年9月のベスラン学校占拠事件など、チェチェン共和国外での一般市民や政府などに対する攻撃や自爆テロも数多く起きている。自爆テロの中にはチェチェン人女性が関わっているケースがあるが、これは殺害された独立派武装勢力兵士の妻などが仇討ちのためにテロに身を投じていると考えられている。一説には夫を失った妻のテロ組織「黒い未亡人」というグループが存在するともいわれる。

チェチェン独立派は事件直後には犯行声明を出さないことが多く、むしろ発生後しばらくの間は自分たちの関与を否定するかのような発言を行い、ある程度時間が経ったときに初めて声明を出すことが多い。世間の関心が薄れた頃に犯行声明を出すことにより「テロリスト」のイメージを薄めようとしているものと考えられる。また独立派は捕らえた一般市民やロシア兵を殺害する様子をビデオテープに記録しインターネット上に配信したこともある。

このような紛争のテロリズム化に対して、ロシアは2003年から2006年にかけて独立派最高指導者のチェチェン・イチケリア共和国の第2代大統領ゼリムハン・ヤンダルビエフ、第3代アスラン・マスハドフ、第4代アブドル・ハリムを殺害し、シャミル・バサエフ等の最強硬派の過激派指導者も殺害した。これ以外にもアフメド・ザカエフのような穏健な独立派指導者も大半は国外へ脱出していることから、チェチェン・イチケリア共和国の弱体化が指摘されることもあった。

このような状況の中、チェチェン・イチケリア共和国の第5代大統領だったドク・ウマロフは、2007年に北カフカースでのイスラム国家の建設を目指すカフカース首長国の建国を宣言した。2009年の戦争終結宣言以降も、カフカース首長国等のイスラム過激派達はロシア連邦軍とチェチェン共和国政府に対するゲリラ戦を継続し、兵士や市民を殺害する事態が続いている。

独立派は、この戦争によりこれまで6万人の市民が死んでいると主張している。またロシア国防省はこの紛争で、1000人以上のロシア兵が死亡したと発表した。独立派指導者の一部は西側諸国に対して仲介を要望しロシア連邦の軍事行動等に対しては抗議をしている。独立派に対するロシアのプーチン政権の強硬策に対する批判も一部から出て、独立派は紛争当初こそ各国から支援を得ていたものの、世界的な「テロとの戦い」という流れの中でチェチェン紛争もこの一部とされることが多く、紛争後期には独立派もアルカーイダ等の国際テロ組織との関係を疑惑視され孤立無援となった。

さらに詳しく →  第一次チェチェン紛争 第二次チェチェン紛争


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横村 出

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