B-24 リベレーター (Consolidated B-24 Liberator)

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2011/10/30(日)
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B-24は、第二次世界大戦時のアメリカ陸軍航空軍の主力大型爆撃機。アメリカ合衆国の航空機メーカー、コンソリデーテッド・エアクラフト社(以下コンソリデーテッド)で開発、製造された。愛称は「解放者」という意味の"Liberator"(リベレーター)であった。米海軍でも"PB4Y-1"として対潜哨戒任務に用いられた。

開発の経緯

1938年にコンソリデーテッド社は、アメリカ陸軍航空隊からB-17のライセンス生産の依頼を受けたがそれを断り、逆に独自の4発大型爆撃機の開発を提案して、短期間に新型機を開発した。

コンソリデーテッド社は、社内検討していたモデル31案を土台にモデル32案を作成した。これがアメリカ陸軍航空隊に受け入れられ、1939年2月に試作型の"XB-24"を1機受注した。これに続いて4月には、増加試作機の"YB-24"を7機、8月には量産型の"B-24A"を38機受注した。

1939年12月29日は初飛行に成功した。この時の飛行速度が440kmと低速であったため、排気タービン過給器(ターボチャージャー)装着型の"XB-24B"に改造された。引き続き前量産型の"YB-24"、およびほぼ同等の"B-24A"が生産されたが、これらの初期生産型についてはイギリスに送られ"LB-30A/LB-30B"(リベレーターI/リベレーターII)の名称で哨戒業務に就いた。

その後、アメリカ陸軍航空隊向けに生産が開始された。当初は輸送機として使われたが、1941年12月にターボチャージャー付爆撃機"B-24C"が9機引き渡され、翌年1942年1月に本格量産型となる"B-24D"が登場した。

技術的特徴

形状の特徴としては、飛行艇を主に開発していたコンソリデーテッド社らしく、高翼で太めの胴体を持っている。当時、アメリカ陸軍の主力重爆撃機となりつつあった"B-17"は、並外れた堅牢性で高い評価を受けてはいたが、航続距離の短さが難点であった。これはイギリスを拠点とするドイツへの爆撃でも余裕は少なく、太平洋上での作戦や、以後想定される日本本土への爆撃には大きな制約となるものであった。

コンソリデーテッド社は航続距離を伸ばすため、主翼の翼型にはデービス翼と呼ばれる、グライダーのような細長い直線翼を採用した。これは前後のスパンが短いため、前縁直後から急激に厚みを増す翼断面であるが、主翼内に大容量の燃料タンクを配置する点でも好都合であった。

垂直尾翼は、空気抵抗を大きく増やさずに面積を稼ぐことができるとされていた双尾翼で、当時の流行でもあった。爆弾倉扉も、開放時に前面投影面積が変わらない、巻き上げ式シャッターとした。太い胴体断面を生かし、爆弾搭載量でもB-17を凌いでいたが、この機内容積と長い航続距離の組み合わせは"B-24"に高い汎用性をもたらすこととなり、対潜哨戒機や輸送機としても高い評価を得た。

生産・活躍

1942年に実戦化、太平洋戦線には11月にオーストラリアに配置され、これまで使われてきた"B-17"に代わり、主力爆撃機として運用を開始する。"B-29"の投入まで、太平洋戦線の主力として活躍した。武装や製造した会社でE型、G型、H型、J型に分かれる。G型の途中から、機首に回転銃座が取り付けられ、印象が一変している。L型及びM型は軽量型になる。

製造は、コンソリデーテッド社のサンディエゴ工場及びフォートワースの他、ダグラス社のタルサ工場、フォード社のウイローラン工場、ノースアメリカン社で作られた。特にフォード社は、他の航空機会社の生産能力が1日1機であったのに対して、24時間体制によって1時間1機の"B-24"を生産した]。

"B-24""の輸送機型である"C-87" リベレーター・エクスプレスも開発された。"C-87"はそれまでの"C-47"双発輸送機よりも優れた性能を示し、アメリカ空軍やイギリス空軍で運用された。

B-24の生産数はアメリカ陸軍航空隊向けとしては最多の18,431機が終戦直前まで生産され、これに海軍向けの1,000機近くを加えると、第二次世界大戦中に生産された米国爆撃機の中で一番の生産数となる。主として大戦後期は太平洋戦線に投入され、1944年9月にはニューギニア基地の第5軍所属のB-24よるボルネオ・バリクパパン油田への長距離攻撃をおこなっている。

又、比島作戦の援護にも参加し、45年4月からは、中国および日本本土まで作戦域を広げ、B-29とともに戦局の終幕に重要な役割を果たした。ちなみに、B-29の生産機数は約4,000機であり、B-17は約13,000機である。

陸軍航空隊以外の活躍

1942年ごろから海軍は4発の長距離哨戒爆撃機の必要性を痛感していた。そこで白羽の矢が立ったのが、陸軍が沿岸哨戒に利用していたB-24である。海軍はこれを元に哨戒機型であるPB4Y-1リベレーターを開発した。また、その発展型であるPB4Y-2プライヴァティアは、1944年から1970年代までの長い間、主に哨戒機として使用された。

PB4Y-2はPB4Y-1の運用実績により、高高度飛行性能が削除されていた。同時に防御火器の強化を行い、長距離哨戒任務での操縦士の負担軽減の為、航空機関士を同乗させた。垂直尾翼は大型の1枚物になった。輸送機としてR2Yが試作も含め2機製造されている。なお、日本軍の文書ではこれらもすべて「B-24」として処理されている。

B-17との比較

B-17と比べて設計年度が新しい事により、最大速度、航続距離、爆弾積載量の全てで上回っていた。また、汎用性が高いため、生産数でもB-17を上回っている。B-24はイギリス空軍に受けが良かった。これは初期型のB-17の低性能に失望した経験からB-17に対して良い印象を持っていなかったため、B-17よりもB-24を欲しがったと言われている。

また、イギリス空軍の重爆撃機に対する考え方「ともかく大量の爆弾を、少しでも遠くに」という、爆弾運搬能力重視の姿勢も関係がある。B-24はB-17に比べると爆弾倉が大きく、性格的にアブロ ランカスターに似ていた。

欠点としては、銃弾を機体に受けると安定性に難が有る、飛行高度がB-17より低い等の弱点があった。また、アスペクト比の高すぎる主翼が被弾時に折れやすい上、目標上空で開いた際の抵抗の増大を抑え、速度低下を最小にするために採用された、巻き上げシャッター式の爆弾倉扉が構造的に弱く、特に不時着水時に爆弾倉扉が破損して機体が水没する危険があり「B-17に比べて脆弱」と運用側の評価は芳しくなかった。 

データ

B-24J

全幅:33.5m
全長:20.5m
全高:5.5m
翼面積:97.36平方メートル
自重:14,790kg
全備重量:29,480kg
エンジン:P&W R-1830-65 1,200馬力4基
最大速度:467km/時(7,625 m)
巡航速度:346km/時
着陸速度:153km/時
上昇限度:8,540m
航続距離:3,380km(爆弾2,300kg搭載時)
乗員:10名

PB4Y-2

全幅:33.5m
全長:22.7m
全高:8.9m
翼面積:97.36平方メートル
自重:17,130kg
全備重量:28,123kg
エンジン:P&W R-1830-94 1,350馬力4基
最大速度:400km/時(3,660 m)
巡航速度:254km/時
上昇限度:5,580m
航続距離:4,232km
乗員:10名
武装:12.7mm機銃12丁、爆弾3,630kg
武装:12.7mm機銃10丁、爆弾5,800kg

さらに詳しく → B-24 リベレーター




B-24 Liberator vs Ki-43 'Oscar': China and Burma 1943 (Duel)B-24 Liberator vs Ki-43 'Oscar': China and Burma 1943 (Duel)
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タグ : B-24 リベレーター 第二次世界大戦 アメリカ陸軍航空軍 爆撃機

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