ベルグマン MP18 (Bergmann MP18)

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2011/11/14(月)
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ベルグマンMP18は第一次世界大戦末期に登場した最初期の短機関銃SMG)であり、1918年3月のドイツ軍春季大攻勢用の決戦兵器として製造された。第二次世界大戦頃までに登場した短機関銃の多くはMP18のデザインから強い影響を受けているため、短機関銃の祖形とされる。

開発の背景

第一次世界大戦で出現し、機関銃・鉄条網・塹壕を組み合わせて堅固な防御力を示した塹壕陣地は、野砲による砲撃でも容易には破壊できず、歩兵が肉薄して直接制圧しなければならない存在だった。陣地を防衛する機関銃による弾幕射撃の効果は歩兵にとって巨大な脅威であり、人海戦術による攻撃は効果をもたらさず、いたずらに膨大な犠牲だけが生じるようになった事で戦闘は膠着状態に陥って長期化し、開戦時には想像もされていなかった国家総動員による総力戦下で国民生活が破壊されたためにロシア帝国のように国内の統治を失う国家まで出現した。

従来の歩兵戦術の多くが塹壕陣地の前で陳腐化した結果航空機・戦車・毒ガスといったさまざまな新兵器が戦線に投入されたが、これらの新兵器は能力が低く絶対数も足らなかったため戦局を決する決定打とはなりえなかった。

歩兵が敵陣の機関銃を制圧する手段として迫撃砲・手榴弾といった既に廃れていた兵器が近代化されて復活したが、塹壕陣地の形状を変更するだけでその攻撃が無力化されてしまったためやはり効果は限定的だった。 なにより塹壕陣地の制圧には歩兵による白兵戦が不可欠であり、そのための手段は銃剣やスコップといった中世と大差ない武器しか存在しなかった。

このため、敵陣に肉薄した歩兵が機関銃に対抗できるだけの弾幕を容易に構成して敵の塹壕内を掃射して制圧できる兵器への要望が高まり、自動小銃や短機関銃といった軽量自動火器の出現が促された。

1917年に英仏の債務不履行を恐れたアメリカがルシタニア号事件やツィンメルマン電報を大義名分として連合国側に参戦した事から、決定的に劣勢となったドイツ帝国が長期戦の負担に耐えかねて崩壊する事を恐れたドイツ軍参謀本部は、戦争の早期決着を目指してロシア革命政権との和平で転用可能となった東部戦線の兵力を投入した攻勢を計画した。

この攻勢で核となるのは敵の塹壕線の脆弱点に歩兵の攻撃を集中させて突破し後方へ侵入して敵の一線陣地を孤立化させて攻略する浸透戦術であり、これを実行するための専門部隊としてシュトース・トルッペン(Stoßtruppen)が改編された。新しいシュトース・トルッペン部隊には敵陣へ向けて疾走できる脚力を持つ若者が集められ、その兵器としては手榴弾に加えて“軽量機関銃”が必要とされた。

ドイツにおいては、1915年から塹壕戦の需要に応え得る“軽量機関銃”の開発が進められていた。 当初は自動拳銃をフルオートで射撃できるよう改造したマシン・ピストルや、62kgもあったMG08重機関銃を18kgまで軽量化して3名で携帯可能としたMG08/15などが検討されたが、いずれも能力・重量において不適格と判断され、1917年になっても“軽量機関銃”プランは実現していなかった。

攻勢を前にして“軽量機関銃”を実用化する必要に迫られたドイツ軍は前述のMG08/18を製造するとともに、簡易な構造で拳銃弾をフルオート射撃できる短機関銃を考案した。

全く新しいジャンルの兵器であり当時は同種の火器が存在していなかった短機関銃だったが、MG08/18による牽制射撃の援護の下にシュトース・トルッペン部隊員が敵陣まで疾走して肉薄すれば、短い射程の拳銃弾でも充分な制圧火力が発揮でき、手榴弾の投擲と合わせれば確実に敵の機関銃を制圧できる事が想定された。なにより単純な構造であれば、攻勢に間に合うだけの短期間で製造できる事が期待された。

開発

ドイツ軍から短機関銃のコンセプトを打診されたベルクマン武器製造社は短機関銃の開発を進め、テオドール・ベルグマンとルイス・シュマイザー(ヒューゴ・シュマイザーの父)及びオットー・ブラウスベッターが協力して短機関銃を試作、翌1918年にはこれが採用されて“マシーネンピストーレ(Mashinenpistole) 18”と命名された。

MP18の外見は小銃を短くして銃身全体を覆うパイプ状の放熱ジャケットが付けられた形状で、このパイプ後方にボルトとリコイル・スプリングが収納される構造だった。作動方式はシンプル・ブローバック方式で、当初から短距離での使用が想定されていたため、命中精度は度外視されてオープン・ボルト状態から射撃しフルオートでしか撃つ必要がないという後の短機関銃のコンセプトを全て実現したデザインとなっている。

シュマイザーの当初設計では専用のボックス・マガジンを使用する予定だったが、既に多数の在庫を有した砲兵用ルガーP08ピストルと共通の32連スネイル・マガジンを使用する事が要求され、これに合わせてマガジン挿入口は傾斜したものに変更された。32連スネイル・マガジンは装填に時間がかかる点が欠点であり銃の左側にマガジンの重量がかかるためバランスも悪くなったが、当時の機関銃で同程度の火力を発揮できるものに比べれば格段に軽量であり、ほぼドイツ軍が求めていた要求を満たしたものだった。

実戦での使用

MP18はシュトース・トルッペン部隊に配備され、1918年3月21日にカイザー・シュラハト(Kaiserschlacht)と名づけられたドイツ軍の春季大攻勢が開始された。この攻勢で連合国が受けた損害は甚大なものであり、5,000挺のMP18を装備したシュトース・トルッペン部隊の活躍で連合軍の塹壕線を突破する事に成功したドイツ軍はわずか8日で65kmも前進してパリを列車砲の射程内に収める事に成功し、ドイツ国内は戦勝祝賀ムードに包まれたほどだった。

しかし兵力不足から攻勢は6月までに頓挫し、ドイツ軍の戦略目標だった早期の決着は実現できず、210万もの米軍が加わった連合国との兵力差は挽回できないままドイツ帝国はその国力を使い果たしてしまった。7月に始まった連合軍の反撃を受けてドイツ軍は後退をはじめ、軍内でも反乱が発生したため、ロシア革命の飛び火による共産革命を恐れた軍と左派勢力が妥協した結果11月にはドイツ帝国自体が崩壊して第一次大戦は終結した。

戦後

敗戦の結果ヴェルサイユ条約によってドイツは軍備を厳しく制限され、航空機や戦車のみならず9mmパラベラム弾を使用する短機関銃や拳銃までが製造・配備を禁止された。

敗戦までに10,000挺ほど製造されてドイツ軍に装備されていたMP18は全て連合軍に接収され、そのうちの一部が治安維持用に警察へ支給された。しかし、1920年代初頭までMP18の製造が秘密裏に継続されていた事が現存するMP18の製造番号から判明しており、最終的に35,000挺以上が製造されたものと考えられている。条約に違反してまで製造されたMP18の多くは解体されたドイツ軍から派生したフライコール勢力に供給されて左派民兵との市街戦に使用され、軍の懸念していたロシアのような共産化を防いだ。

また、この時期に世界各地で発生していた紛争でMP18が使用されていた事が知られており、南米のチャコ戦争や活発化していたアイルランド独立戦争にも登場している。 なかでも、マイケル・コリンズ配下のIRA(アイルランド共和国軍)では、“血の日曜日”事件などで知られる英国要人暗殺作戦などを実行した12使徒部隊が、連合国の一部から横流しされたMP18を多用していた事で知られている。

1920年にSIG社がMP18を改良したSIG Bergmann 1920(7.65mmパラベラム弾、9mmパラベラム弾、7.63mmモーゼル弾仕様があった)をライセンス生産したほか、第二共和政下のスペインにおいても製造されている。SIG Bergmann 1920は日本にも輸出されている。

1927年にはエルマ・ヴェルケ社のハインリッヒ・フォルマー技師(後にEMP35、MP38/MP40を開発する)によって、MP18を7.63mmモーゼル弾仕様にし、マガジン挿入口を下方に変更して32連ボックス・マガジンを使用する製品が旧ドイツ領の青島鉄工廠において製造され、上海公安局(警察)に採用されている。

1933年にナチスが政権を獲り再軍備を宣言した事でMP18は改良型のMP28として復活し、再建されたドイツ軍に配備され、ナチスが介入したスペイン内戦・第二次上海事変において再び実戦投入された。日本においては、1931年(昭和6年)頃から海軍がMP18を輸入して陸戦隊に配備しており、日本で採用された最初の短機関銃となっている。 海軍が採用したMP18はベ式機関短銃やベ式などといった通称で呼ばれ、第一次上海事変で第十九路軍と青幇の部隊を相手にした市街戦で実戦使用された際の写真が残されている。

1936年(昭和11年)には陸軍も採用の可否を審査していた記録が残されているほか、国産の短機関銃(機関短銃)が試作された際にはMP18が参考とされ、完成形となった一〇〇式機関短銃にも大きな影響を与えている。第二次世界大戦時には、より設計の優れたMP38/MP40の登場によって予備兵器に格下げとなった。大戦末期には銃器不足の国民突撃隊などへ支給された。

尚、短機関銃の導入でドイツに後れをとった英国は、1941年にMP18をコピーしたランチェスター短機関銃を採用しており、これは後にスターリングへと発展している。また、日本軍の蘭印占領時には投降したオランダ植民地軍に配備されていたMP18が多数接収され、同様に多数鹵獲されたルガー拳銃とともに日本陸軍憲兵隊の準制式兵器として使用されていたが、そのうちの一丁が復員時に密かに持ち帰られて40年近く経ってから日本の民家の屋根裏から発見されるという事件があった事でも知られている。

仕様

種別 短機関銃
口径 9mm
銃身長 201mm
使用弾薬 9mmパラベラム弾、.30ルガー弾、7.63mmマウザー弾、9mmラルゴ弾
装弾数 ルガーP08用32連発スネイルマガジン
     20連発ボックスマガジン
作動方式 ストレート・ブローバック、オープンボルト
全長 818mm
重量 4350g
発射速度 350 - 450発/分
銃口初速 380m/s
有効射程 100m

さらに詳しく → MP18




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(2010/01/12)
山上 正太郎

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