アメリカ陸軍特殊部隊 (U.S.Army Special Forces) - その歴史と全貌

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2011/09/22(木)
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アメリカ陸軍特殊部隊(アメリカりくぐんとくしゅぶたい、英: U.S.Army Special Forces)は、米特殊作戦陸軍の隷下の特殊部隊のことである。グリーンベレー(Green Berets、グリンベレーとも表記)という通称で知られるが、これは特殊部隊資格課程を修了し該当部隊に所属する将兵だけが着用を許される緑のベレー帽にちなむ。ベレーの記章は《交差した2本の矢の上に短剣、下にリボン》。リボンにはラテン語で「DE OPPRESSO LIBER」(抑圧からの解放)と入れられている。

概要

アメリカ陸軍所属の特殊部隊であり、主に対ゲリラ戦を行う。「陸軍の歩兵200人に相当する戦力を、グリーンベレーの隊員一人が保有している」とされる。この表現は、優れた戦闘技能に加えて、彼等の作戦が《敵国内の反乱分子に、戦闘教育を行い、自国の戦力として育成、作戦を実施すること》を目的としているためでもある。また、海外での活動を視野に入れているため、高度な語学教育を受けることでも知られている。

現在、アメリカ陸軍特殊部隊としては5個現役グループ、2個州兵グループ、1個訓練グループが存在している。
近年、グリーンベレーの訓練を実施しているものの中には、PMC(民間軍事会社)に所属する会社員も存在している。彼等もまたグリーンベレーなどの特殊部隊OBである。

ロビン・ムーアの小説とそれをジョン・ウェイン主演で映画化した「グリーン・ベレー」、当時現役隊員だったバリー・サドラー軍曹の歌った「グリーンベレーのバラード」、フランシス・フォード・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」、シルベスター・スタローン主演の映画「ランボー」、元隊員の主人公らが活躍する「特攻野郎Aチーム」など、フィクションには頻繁に登場するためか、特殊部隊の中でも特に知名度が高い。

主な任務

グリーンベレーは、戦闘部隊であると共に友好国の軍や親米軍事組織に特殊作戦や対ゲリラ戦の訓練を施す訓練部隊でもある。グリーンベレーのモットーは「抑圧からの解放」であり、戦時にはハーツ・アンド・マインズ (人心獲得作戦)や現地人で構成されたゲリラ部隊の編制および訓練、指揮などが主な任務である。2001年9月11日の9.11テロの報復軍事進攻では、反タリバン政権の代表的な勢力である北部同盟に近代戦術の訓練を施した。

実際に彼らが戦闘に参加する際は、対ゲリラ戦、敵地や敵部隊の偵察・斥候、正規部隊の先導といった突入任務、空挺部隊の降下地点の選定誘導、爆撃機や攻撃機の爆撃誘導など、最前線で後続を確保するための血路を開くことが主な任務となる。また、敵の後方攪乱や破壊工作なども行う。

過去に参加した主な戦争・作戦・事件

1960年代~1970年代:ベトナム戦争及び開戦以前 (ベトナム)
現地部隊の訓練、北ベトナムでの不正規戦

1962年:キューバ危機後の対ゲリラ戦 (グアテマラ、ボリビア、エルサルバドル)
グアテマラ、ボリビア、エルサルバドルで現地部隊の訓練(死の部隊も含む)

1980年~:ソ連アフガニスタン侵攻 (アフガニスタン)
ソ連軍に対抗するために、アラブ諸国中からイスラム義勇兵「ムジャヒディン」を集め、訓練

1989年:パナマ侵攻 (パナマ)
パナマでの不正規戦

1991年:湾岸戦争 (イラク)
エジプト軍特殊部隊の訓練、その後、ソマリアで反アイディード派組織の訓練

2001年:アフガニスタン紛争 (2001年-) (アフガニスタン)
同時多発テロの報復攻撃(不朽の自由作戦)に参加し、アフガニスタンに潜入、北部同盟の部隊に訓練を施す

2002年:フィリピンにおける不朽の自由作戦 (フィリピン)
アブ・サヤフなどのゲリラ討伐のため、フィリピン軍への支援活動、「1st SFG」が派遣される。

歴史

アメリカ特殊部隊のルーツは、18世紀半ばにイギリス、フランスが戦った「フレンチ・インディアン戦争」における民兵組織である。彼らのような不正規戦部隊は、続くアメリカ独立戦争や南北戦争でも後方撹乱任務などで活躍している。

第二次世界大戦

第二次世界大戦下に現在のグリーンベレーに近い部隊が創設された。1942年7月、モンタナ州で米兵やカナダ軍兵を中心に、ドイツ占領下のノルウェーで特殊作戦を行うことを目的とした「第1特殊任務部隊」が編制される。しかし、ノルウェーでの作戦は非現実的だったため、正規戦闘部隊としてイギリス軍コマンドー部隊を手本に創設された第1レンジャー部隊(後の第75レンジャー連隊)と共にイタリア戦線に投入された他、アメリカの同盟国の軍隊や特殊部隊の育成・訓練も行った。また、これ以外にも、CIA(中央情報局)の前身であるOSS(戦略情報事務局)のメンバーを中心に東南アジアへ向けて分遣隊が編制・投入され、太平洋戦争でのキスカ島奪還作戦で活躍した。

冷戦

第2次大戦終結後、新たにイデオロギーの対立が世界を東西に二分した。冷戦である。フランス領インドシナ(現ベトナム)の第一次インドシナ戦争、イギリス領マラヤ(現マレーシア)のマラヤ動乱、朝鮮半島の朝鮮戦争が勃発し、ソビエト連邦と中国に支援された民族解放と呼ばれる新たな戦争の形態が確立した。こうした事態に、イギリス軍は空軍の連隊と偽装してSAS(特殊空挺部隊)を再編、マラヤへ投入した。朝鮮半島では、ソ連と中国に支援された北朝鮮軍が南進を開始し、これにより米軍は急遽、増援部隊を派遣して対抗した。米軍部隊との通常戦闘における敗北が目立ち始めた北朝鮮軍は、戦法をゲリラ戦に変更した。ハーグ陸戦条約を無視したゲリラ戦法の前に、正規戦用に訓練された米軍は大いに悩まされた。米軍は対ゲリラとして、第2次大戦のイタリア戦線で活躍したレンジャー部隊を朝鮮半島に投入したが、思った以上の戦果はあげられなかった。

大戦終了後に第1特殊任務部隊は解体され、しばらくはアメリカ軍には不正規戦部隊が存在しなかった。しかし、米ソの東西冷戦が確立したことをきっかけに、ロバート・マクルアー准将により、1952年6月19日、現在は特殊部隊の基地で有名となったノースカロライナ州フォート・ブラッグの心理戦センターで、第1特殊任務部隊やOSS、レンジャー部隊の出身者を中心に「第10特殊部隊グループ(10th SFG)」が創設された。この10th SFGは、非公式に朝鮮戦争に投入されている。第2次大戦より、東南アジアと深い関わりがあり、インドシナ戦争以前からアメリカはベトナムに関与していた。フランスがベトナムから正式に撤退すると、アメリカは公式に経済・軍事的に援助を開始する。1953年に10th SFGは、西ドイツに派遣され、米軍はフォート・ブラッグに残る部隊を拡大して、「第77特殊部隊グループ(77th SFG)」を編制する。この77th SFGの分遣隊が、1954年にタイと南ベトナムに軍事顧問として派遣された。

1956年、心理戦センターは特殊戦争センターに改称される(1965年には、JFK特殊戦訓練センターに改名される)。
1957年に77th SFGより選出された分遣隊と、埼玉県朝霞市のキャンプ・ドレイクに駐屯していた分遣隊を中心に、特殊部隊グループの3番目の部隊「第1特殊部隊グループ(1st SFG)」がインドシナ半島の共産化を防ぐために編制される。同部隊は、沖縄を本部とし、台湾、タイ、ラオス、ベトナムへ派遣された。また、同時期に南ベトナムのニャチャン(ナトラング)でコマンドー訓練センターが開設した。

ベトナム戦争

1960年に77th SFGは「第7特殊部隊グループ(7th SFG)」と改称され、南ベトナムの軍事顧問として派遣され、現地で4番目の部隊「第5特殊部隊グループ(5th SFG)」が編制される。また、ユタ州フォート・ベニングで1961年5月1日に「第19特殊部隊グループ(19th SFG)」が編制される。同年9月25日、当時のアメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが議会で「冷戦下では秘密戦争が主で特殊部隊が必要である」と発言、これにより5th SFGがフォート・ブラッグで「特殊部隊」として制式に創設され、ベトナム戦争で特殊作戦に従事した。また、ケネディ大統領は同年10月12日にフォート・ブラッグを訪れた際、特殊部隊員たちを激励している。これ以降、特殊部隊グループに所属している将兵には、緑色のベレー帽の着用が認められ、後に「グリーンベレー」の通称で呼ばれるようになる。5th SFGは、ベトコン対策を支援するため、南ベトナムに派遣される。ちなみに、同時期に陸・海・空・海兵隊において、不正規戦部隊の編成が開始される。

グリーンベレー設立当初、正規部隊の指揮官たちは、自身の部隊の優秀な兵士が特殊部隊に編入されてしまうため、グリーンベレーを嫌っていた。元々、正規軍からの叩き上げ軍人は特殊部隊を嫌悪する傾向があり、特殊部隊に志願しようとする兵士に嫌がらせが降りかかる程だった。

ベトナム戦争を通じ、グリーンベレーが一貫して行っていた任務は、ベトナミゼーション(戦争のベトナム化)である。これは、《ベトナム戦争をベトナム国内の問題として、できる限り米国の軍事介入を避けるため、現地人の手に委ねよう》という試みである。1961年11月のブオンエナオでグリーンベレーはCIAの支援を受け、CIDG(民間不正規戦グループ)計画をスタートする。

この計画は、ベトナム中部山岳地帯に住む少数民族モンタニヤール(モンタニヤード)に軍事訓練を施し、南ベトナム軍不正規戦部隊として活用するというものである。彼らは訓練の他に、モンタニヤールと共に生活しながら医療活動などを通じて信頼関係を築き、その結果、CIDG計画は成功を収めた。1963年の終わり頃には、米軍特殊部隊に忠誠を誓う18000名のCIDG攻撃隊員が120個中隊で編制され、グリーンベレーによる指揮のもと、国境周辺のパトロールや監視を行った。最大で、80もの前線基地で40000人のCIDG隊員が北ベトナム軍や南ベトナム解放民族戦線と戦闘を繰り広げた。ちなみに、当初アメリカ軍は、CIDG部隊を南ベトナム軍の指揮下に置くつもりであったが、彼らのような山岳少数民族は差別を受けるため、トラブルが絶えなかったと言う。そのため、CIDG部隊はベトナム戦争が終結するまで、米軍の指揮下で活動した。

1962年2月、ついにアメリカは南ベトナム軍に対して本格的な訓練を開始するため「MACV(U.S. Military Assiatance Command, Vietnam:南ベトナム軍事支援米軍司令部)」が創設される。同年9月、ベトナム各地で活動している1st SFG、5th SFG、7th SFGを統括するため、「ベトナム派遣アメリカ特殊部隊司令部」がニャチャン(ナトラング)に設立される。1963年2月、アメリカ軍事顧問団は顧問軍と名称を変更し、1964年に南ベトナム軍特殊部隊(LLDB)の訓練を開始する。それまでは、各グリーンベレー部隊のAチームが半年交代の一時派遣であったが、戦闘が拡大したため、部隊ごとベトナムへ赴くことになる。1963年にパナマのフォート・ギュリックで「第8特殊部隊グループ(8th SFG)」が創設され、12月5日にもフォート・ブラックで「第3特殊部隊グループ(3rd SFG)」が編制される。

1964年5月、「プロジェクト・デルタ(デルタ計画)」が始動する。この計画は、CIDG隊員とLLDB隊員に長距離偵察訓練を施すものだったが、実戦に投入されたのはCIDG隊員とグリーンベレー隊員の志願者の混成部隊だった。彼らは「ロードランナー」という通称で呼ばれ、チャールズ・アルヴィン・ベックウィズ(後のデルタフォース創設者)の指揮下で行動した。初期編制は12個の偵察チームだったが、後期には16個へと拡大された。1個偵察チームは、グリンベレー2名とCIDG4名の計6名で構成される予定であったが、実際にはグリーンベレー4名、CIDG6名の計10名となった。この「特殊長距離偵察パトロール(LRRP)」は多大な戦果を上げ、後の1967年にはより攻撃的な戦闘偵察パトロール部隊へと発展。プロジェクト・シグマ、オメガ、ガンマの各部隊が誕生する。

1964年7月6日に、ナム・ドン前哨基地で5th SFG分遣隊チームA-726の隊員12名とモンタニヤードの民兵が約300名、他数十名が、北ベトナム軍約900名と激しい攻防戦を展開(ナム・ドンの戦い)。

1967年11月、「MACV-SOG(U.S. Military Assiatance Command, Vietnam Studies and Observation Group:南ベトナム軍事支援米軍司令部/研究・偵察グループ)」がグリーンベレー、海軍のNavy SEALs、海兵隊のフォース・リーコン、空軍の第90特殊作戦飛行隊などの各不正規戦部隊を指揮・統制を行うため、新たにサイゴン近郊のタンソニェット空港内に設立された。ちなみに、名称のSOGは、実際には秘密裏に不正規・非合法活動を行うための特殊部隊司令部であることをマスコミに隠すためのカバーネームである。指揮権はアメリカ国防総省、CIAが握っていたとされる。ベトナム戦争においても活動内容は秘匿性が高く、MACVや各部隊が所属している原隊についても作戦内容は一切明かされておらず、MACVの統制下というのは形式上であり、実際はCIAの秘密作戦を行うものだった。

なお、ベトナム戦争において、SOGがどのような任務を行ってきたかは現在でもほとんど公開されておらず、謎が多い。北ベトナム、ラオス、カンボジアへの越境潜入作戦、捕虜の情報収集や救出、北ベトナム側の要人の誘拐・暗殺などを行っていたとされる。

1968年にプロジェクト・フェニックス(フェニックス計画/作戦)に参加。
1969年12月1日、3rd SFGが解散される。
1970年には、LRRPは1200名のCIDGを指揮下に置き、越境作戦などを実施した。また、北ベトナムの敵戦線後方の偵察のみならず、ラオス、カンボジアにも侵入していたと言われている。
1970年11月20日、アイボリー・コースト作戦(ソンタイ捕虜収容所奇襲作戦)に参加。
1972年、8th SFGが解散。

アメリカ国内の反戦運動が過熱し、1973年1月にアメリカはパリ和平協定でベトナムからの撤退を公式に決定した。同年3月12日に、その後の特殊作戦は南ベトナム軍に引き継がれたが、1975年に北ベトナムの勝利で戦争は終結する。CIDGの損害は不明。米軍撤退後も彼ら山岳少数民族はベトナム新政府と1992年まで戦い続けた。

パリ和平協定で、1973年3月には完全に米軍は撤退したが、南ベトナムが崩壊する1975年4月まで、第69統合整備・支援中隊のカバーネームで、特殊部隊をアメリカ大使館に陸軍掩護部隊として活動していた。作戦内容は、CIAの指揮下でラオス、カンボジア、北ベトナムに潜入する作戦であった。14個の地上戦部隊にそれぞれ2名のアメリカ人、4名の現地人で編制されており、その他にも数名の非戦闘員で構成された。この間の戦闘で戦死した者は、戦闘中行方不明者扱い、または軍籍を除外されていた可能性がある。

ベトナム戦争において、グリーンベレーはCIAの指揮下での活動ではラオスでの特殊作戦が中心で、パテト・ラオの共産軍に対抗するため、ラオス王国軍やメオ族におよそ3万人に訓練を施していた。補給については、エア・アメリカというCIAが管理していた航空会社が行った。1975年には、ベトナム統一、カンボジアでの民主カンプチア成立に伴い、アメリカはラオスから手を引いた。この際、CIAの協力者8万人が処刑された。

ベトナム戦争後

ジミー・カーター政権によって行われた「人権外交」でCIAは弱体化した。同じように特殊部隊も縮小化が行われた。元々、グリーンベレーなどの特殊部隊は作戦行動において秘匿性が強いため、前線では正規部隊と個別に運用されることが多く、指揮系統も異なっていた。このため、グリーンベレー、他特殊部隊はベトナム戦争末期頃から、軍内部において孤立した存在となっており、人員削減を繰り返すことになり、縮小化の一途をたどる。

1981年1月21日、大統領にロナルド・レーガンが就任すると、レーガン政権のもと、CIAや特殊部隊は復権することになる。「強いアメリカ」を目標に、軍事強固路線をたどるレーガンは、1st SFGを再編。特殊部隊の勢力は取り戻され、大規模戦争から小規模紛争にいたるまで、様々な戦争に対処できる部隊として位置づけられた。

ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻

1978年にアフガニスタンに成立した共産主義政権を支える事を目的に、1979年にソ連はアフガニスタンへと侵攻した。これに対抗するため、CIAはムジャヒディンを支援、武器提供などをした。グリーンベレーもアフガンの民兵を訓練し、ソ連軍と対決させた。

エルサルバドル内戦

アメリカ合衆国は、中米地域に対して伝統的にも地理的にも強い影響力を持つが、1959年のキューバ革命以降、中南米に共産主義が台頭し始め、強い警戒を示していた。ベトナム戦争以降、アメリカ政府は情勢不安定な地域に軍事顧問を派遣、親米組織の支援することが外交政策の一環となっていたが、中南米の共産化を防ぐ意味でも、現地軍の強化は死活問題であり、中米諸国に対してグリーンベレーを中心とする軍事顧問を派遣した。それが端的に表われているのが、エルサルバルド内戦におけるエルサルバルド軍の支援である。エルサルバドルは1979年に内戦に突入、それから4年間で左翼武装組織FMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)が勢力を拡大、アメリカを大いに警戒させた。そのため、レーガン大統領は、急遽第3特殊部隊グループに所属するグリーンベレー隊員55名からなる軍事顧問団を編制、派遣した。しかし、ベトナム戦争の敗戦で外交政策に影を落としてしまったがため、レーガン大統領は軍事顧問団に戦闘地域を避け、訓練のみに徹するよう命じたとされる。

グリーンベレーは到着後、対ゲリラ戦に特化した精鋭大隊を数個編制。この部隊をお手本として、当時3万人ほどで構成されていたエルサルバドル軍は、部隊を再編成、強固な軍へと生まれ変わる。これにより、1985年以降、情勢はエルサルバドル政府有利になり、1992年に政府側の勝利で内戦が終結した(ちなみに、FMLN自体は合法政党化した)。なお、この内戦でエルサルバルド軍はゲリラ容疑者やシンパを駆け集めては、即決裁判を行い直ちに処刑するなど、非常に残忍であったが、陰謀論としてこれら行為にグリーンベレーは関与したのではないかと疑われるも、明確な証拠は存在しない。

冷戦終結

東西冷戦が終結し、世界大戦のような大規模戦争の危機は遠のいた。しかし、東西冷戦下の二極化から冷戦終結後の多極化への移行にあたり、大国のイデオロギーや国力に押されていた民族、宗教問題による紛争が世界中で勃発する結果となった。これにより、特殊部隊の重要性が増加、グリーンベレーも湾岸戦争などに投入された。現在は主にアフガニスタンでの対テロ作戦に従事しており、一部の部隊が駐留、現地民への医療支援や食料支援、ゲリラ・テロリストの捜索等、幅広い任務を行っている。

入隊資格

志願者であること
現役勤務の男性軍人であること
米国籍を保有していること
空挺資格保有、または空挺訓練へ志願できること
ブーツと戦闘服を着用したままで50メートル泳げること
陸軍一般適性テストで100ポイント以上を記録できること
陸軍体力テストで229ポイント(17歳~21歳の基準)以上を記録できること
レンジャー/特殊部隊体力テストに合格できること
医療健康基準が陸軍規定40-501に合致すること
秘密取扱資格(セキュリティクリアランス)保有、またはそれを取得できる見込みがあること
現在のMOS(軍事特技区分)または基本兵科を特殊部隊の陸軍職種区分に変更できること
飛行士や軍医などある特定のMOSまたは兵科で現在勤務していないこと
新兵から一等兵の場合はMOSにおける歩兵または火力支援歩兵のみを保有していること
入隊後、最低36ヵ月間は勤務できること
以前に特殊部隊を除隊していないこと
軍法会議を含めて交通違反以外の逮捕歴がないこと
二親等中に精神異常者や自殺者がいないこと
以上が基本的な志願資格である。これらの他に志願者の階級に応じてさらに条件が追加される。

士官

大尉、または大尉への昇進が決まっている中尉であること
セキュリティクリアランスにおける最高機密資格の取得基準に適合していること
将校基礎課程を修了しており、現在の所属兵科および部隊での勤務成績が優秀であること
国防語学適性テストの成績が85ポイント以上、または国防語学熟練テストにおけるリーディング/リスニングの成績がそれぞれ1ポイント以上であること

下士官

伍長(または特技兵)以上、1等軍曹以下であること
高校卒業資格またはそれに相当する資格を保有していること
現在、教練軍曹または新兵募集要員として勤務していないこと
入隊後も勤務を続ける意思があること
現在の所属兵科および部隊から特殊部隊資格課程への参加許可を得ていること
臨時勤務を命じられている場合、その期間が特殊部隊資格課程の開始を延長しない程度であること
陸軍人的資源コマンドより義務付けられた海外勤務期間を3分の2以上終了していること
(伍長、特技兵、3等軍曹の場合)特殊部隊資格課程参加前に現在の部隊への所属を解消できること
(特技兵の場合)兵士長課程を修了していること
(2等軍曹の場合)他の部隊への配属を希望中でないこと
(1等軍曹の場合)陸軍入隊時からの勤続期間が12年以内および現在の階級に昇進してからの勤続期間が9ヵ月以内で、6ヵ月以内に特殊部隊資格課程のための基地移動が可能であり、かつ空挺資格またはレンジャー資格を保有していること
以上の条件を満たした者は、次項で説明する特殊部隊資格課程に送られる。

グリンベレーの由来

陸軍特殊部隊の通称として、緑色のベレー帽(グリンベレー)が存在するが、この通称は特殊部隊創設当初から存在していたものではない。元々、緑色のベレー帽は精強と言われる英国王立海兵隊(ロイヤルマリーン)が着用していたもので、それを気に入った第10特殊部隊グループのHerbert R. Brucker少佐が1953年に初めて持ち込んだ。それが翌年には第77特殊部隊グループにも広がり、ODFA-32隊長だったRoger Pezzelle中尉が自らのチームの非公式ヘッドギアとして採用した。そして、1955年には両グループ共に自分達の精強さと独自性を表すシンボルとしてグリンベレーを制帽に指定したのである。しかし、陸軍上層部はベレー帽を快く思っておらず、高級将校達の中では議論が沸き起こった。当時、ヨーロッパ諸国の軍隊の特徴とも言えたベレー帽を伝統ある米陸軍に持ち込むことに対する強い反発や、新興であった特殊部隊の主張が特殊作戦に無理解な軍部保守派の逆鱗に触れたことがその理由である。

だが、1961年、当時の特殊部隊総司令官だったウイリアム・P・ヤーボロー准将は、非在来戦に強い興味を抱いているジョン・F・ケネディ大統領がフォートブラッグを訪問することを知ると、すぐさま大統領の側近に連絡を取り、ベレー帽着用を公認するように打診した。そして、訪問日に特殊部隊を閲兵して満足した大統領は同年9月25日に全ての特殊部隊員に対してグリンベレーの正式着用許可を与え、これによって特殊部隊のシンボルおよび通称として「グリンベレー」が使われるようになった。

さらに詳しく → アメリカ陸軍特殊部隊群  特殊部隊  アメリカ特殊作戦軍




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(2010/11)
笹川 英夫

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