九七式重爆撃機 (Mitsubishi Ki-21 Type 97 Heavy Bomber "Sally")

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2011/09/20(火)
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九七式重爆撃機(きゅうななしきじゅうばくげきき)は、大日本帝国陸軍の重爆撃機。キ番号(試作名称)はキ21。略称・呼称は九七式重爆、九七重爆、九七重など 。連合軍のコードネームはSally(サリー)。開発・製造は三菱重工業。1937年(昭和12年)に制式採用され、支那事変中後期、ノモンハン事件、太平洋戦争(大東亜戦争)初中期における帝国陸軍主力重爆として活躍した。

開発

1935年(昭和10年)9月に陸軍は九三式重爆撃機(キ2)の後継機となる新重爆の試作を内示し、翌1936年(昭和11年)2月に中島飛行機にキ19、三菱重工業にはキ21の試作が指示された。主な要求は、

双発単葉機、エンジンは中島製のハ5または三菱製のハ6を装備
最高速度は400km/h以上
航続時間は5時間以上
爆弾搭載量は750kg(最大1,000kg)
試作機2機を1936年(昭和11年)10月までに完成


というものだった。 三菱は要求された期限より若干遅れ11年12月にハ6を搭載した試作機2機を完成させた。陸軍による翌年の審査では三菱のキ21も中島のキ19も要求値をクリアしており甲乙付け難い性能を示したが、結局陸軍は三菱の機体を採用することとし、代わりにエンジンは中島製のハ5を搭載することを決定した。この決定に基づいてキ21の増加試作機の生産が指示されたが、増加試作機ではハ5への換装の他、キ19が勝っていた機能要素(前方銃座の形状、爆弾倉の形状など)をキ21に盛り込むことが要求されていた。

完成したキ21増加試作機は速度を筆頭に、同世代の海軍九六式陸上攻撃機を上回る高性能を示しており、また九六式陸攻と異なり爆弾倉/爆弾倉扉・機首風防/機首銃座・防弾装備を備えるなど、より近代的かつ本格的な日本初の爆撃機として、1937年(皇紀2597年)に九七式重爆撃機(のち一型:キ21-I)として制式採用された。

その後、1939年(昭和14年)にはエンジンの強化を中心とした性能向上型キ21-IIの開発が指示され、1940年(昭和15年)12月に試作機が完成。主な変更点はエンジンを1,450馬力のハ101に換装したことと、主輪の完全引込化、武装・防弾装備の強化であった。審査の結果大幅な性能向上が認められたため、早くも同年12月には九七式重爆撃機二型(キ21-II)として制式採用になった。この二型は最多生産型として1944年(昭和19年)9月まで量産され、太平洋戦争期の主力型となった。

近代爆撃機に対する設計思想

帝国陸軍の爆撃機に対する設計思想は、爆弾搭載量や航続距離を多少犠牲にしても、敵戦闘機の迎撃を振り切れる程度の高速性能を確保する事を重視し、爆弾搭載量の不足は反復攻撃を行う事で補うという戦術思想だった。陸軍が重軽を問わず、爆撃機に第一に求めていた任務は飛行場の在地敵機を捕捉し破壊する航空撃滅戦にあった。航空撃滅戦とは爆撃機・襲撃機・戦闘機などによる制空権の確保であり、ノモンハン事件で行われたタムスク爆撃は、妥当性の是非はともあれ陸軍重爆隊として最も典型的な作戦実施要領であったのである。従って、敵が迎撃準備を整える前に飛行場上空に到達している必要があった。

帝国陸軍の仮想敵国はソ連であり、また想定する主戦場は中国大陸で、航空部隊の攻撃目標はソ満国境の赤軍前線基地であり、長い航続距離はそれほど必要はなかった。在地敵機攻撃のため爆弾倉には小型爆弾を多数搭載し、死角なく爆撃火網を構成する思想のためペイロードベースでは最大搭載量が小さくなっている。本機はそのような思想のもとに開発が行われた。

結果、九七式重爆は出現当時世界的に見てもかなりの高速機であり、ソ連赤色空軍のIl-4(初飛行・1939年、最高速度430km/h)、アメリカ陸軍航空軍のB-25(初飛行・1940年、エンジンを換装した最終量産型であるB-25Jで最高速度・438km/h)など、欧米列強国軍の同時期ないし新型の双発爆撃機と最高速度を比較しても、一型(キ21-I)で432km/h、二型(キ21-II)478km/hと優れたものであった。

この思想は後続となる一〇〇式重爆撃機「呑龍」(キ58)、四式重爆撃機「飛龍」(キ67)まで変わることはなく、以後開発された重爆撃機もまたいずれも同様の機能性能を備えた。しかし、こうした機能性能はあまりに対ソ戦のみを見据えていたもので、太平洋戦線の実情にはあまり適合するものとはならなかった。そのために結果として「搭載量不足」「航続力不足」といった評価を受けざるを得なくなってしまうのである。

実戦

多少の問題点を含みつつも、日本初の近代的な爆撃機としては成功作たる傑作機であり、九三式重爆およびイ式重爆撃機の後続として飛行分科「重爆」の飛行戦隊に配備、支那事変中期から実戦投入されたが実戦部隊からの評判・信頼性も高く、海軍の九六式陸攻ともども重慶爆撃の戦略爆撃にも使用されている。後継機の開発・実用化の遅れから数々の改良を加えられながら使用され続けたために本機の生産期間は長く、最終的に各型合わせて2,000機以上が量産され、最多生産重爆となった。前線部隊においては後継機の一〇〇式重爆よりも実用面で優れているとされ、本機の方を好んだ部隊もあったといわれる。

続いてノモンハン事件や太平洋戦争にも主力として投入され、太平洋戦争初期の南方作戦の各戦線で活躍した。1943年(昭和18年)夏以降からは旧式化のため次第に後方任務に回されるようになり、大戦後期には四式重爆「飛龍」に主力重爆の座を明け渡したが、それでも夜間爆撃任務や人員や物資の輸送、連絡、哨戒、グライダーの曳航などの任務で終戦まで全戦線に従軍した。1945年(昭和20年)5月24日、沖縄戦を経てアメリカ軍の占領下になった沖縄の北飛行場(読宮飛行場)に挺進し破壊活動を行なった義号作戦にて、義烈空挺隊の空輸・強襲に用いられたのは第3独立飛行隊所属の二型(キ21-II)である。日本以外ではタイにも少数の一型が供与されており、こちらは戦後もしばらくの間運用されていた。

武装・防弾

防御武装として、最初期の一型甲(キ21-I甲)では口径7.7mm旋回機関銃3挺だったが、量産型の一型乙(キ21-I乙)では機体尾部に遠隔操作式の八九式固定機関銃を1挺、胴体側面左右に7.7m旋回機関銃を2挺増設した。更に太平洋戦争中期以降の主力である二型乙(キ21-II乙)では、機体背面の後上方銃座を12.7mm旋回機関砲(ホ103 一式十二・七粍旋回機関砲)を装備する球形砲塔に換装している。なお、戦地では応急的な現地改造として操縦席側面や側面乗降扉などにテ4と銃架を追加装備した部隊もあった。

本機は1939年中頃の初期量産型である一型乙(キ21-I乙)の時点で、燃料タンクおよび潤滑油タンクの防漏化(防漏タンク)がされており、更に1943年中頃以降生産の二型乙(キ21-II乙)では、操縦席・背面砲塔前部風防の防弾ガラス(70mm厚)化、正副操縦者席・背面砲塔射手席への防楯鋼板(16mm厚)の設置、および燃料タンクには自動消火装置が装備されているなど、海軍の九六式陸攻や一式陸上攻撃機と比較して防弾性能に優れていた。

輸送機型

本機はその汎用性の高さから輸送任務に用いられることも多かった(パレンバン空挺作戦における落下傘部隊に対する物資投下、ニューギニア駐屯の三式戦闘機「飛燕」装備戦隊へのマウザー砲輸送など)。そのため陸軍は九七式輸送機(キ34)に代わる後続輸送機として、九七式重爆一型(キ21-I)をベースとした機体の開発を三菱に命じ、これは一〇〇式輸送機(キ57)として制式採用、帝国陸軍主力の高性能輸送機として使用された。また一〇〇式輸送機の民間転用型をMC-20といい、航空会社の旅客機や新聞社の連絡機としても使用され、戦前中の日本を代表する国産旅客機となった。また、九七式重爆そのものを輸送機に改装した貨物輸送機も数機あり、これは陸軍から大日本航空に払い下げられMC-21の名で使用された。

主要諸元(二型乙:キ21-II乙)

全幅: 22.50 m
全長: 16.00 m
全高: 4.85 m
主翼面積: 69.60 m²
自重: 6,070 kg
全備重量: (正規)9,710 kg (過荷)10,610 kg
乗員: 7 名
最高速度: 478 km/h
巡航速度: 380 km/h
航続距離: 2,700 km
発動機: 三菱ハ101・1500 hp ×2
武装: テ4 7.7 mm旋回機関銃 ×5(前方 1、後下方 1、後側方 2、尾部 1)、ホ103 12.7 mm機関砲 ×1(後上方)
爆弾: 750 - 1000 kg

用途:爆撃機
分類:重爆撃機
製造者:三菱重工業
運用者:日本(陸軍)
初飛行:1937年
生産数:2,054機
運用状況:退役

さらに詳しく → 九七式重爆撃機




陸軍航空技術開発の戦い 日本陸軍の試作・計画機 1943~1945 (ミリタリー選書)陸軍航空技術開発の戦い 日本陸軍の試作・計画機 1943~1945 (ミリタリー選書)
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