”テロとの戦い” - その真相

航空兵器・陸上兵器・海上兵器・銃器・戦争・紛争・歴史・革命・テロ・事件・軍事動画・ニュース(報道)・社会情勢・政治運動・評論・講演など、軍事関連の情報を公開しています。宗教・思想・経済・政治的なものも少しアリ

広告
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2011/09/19(月)
*



アルカーイダ(アラビア語: القاعدة‎, al-qāʿidah, 英語: Al-Qaeda)は、イスラーム主義(イスラーム原理主義)と反米・反ユダヤを標榜するスンニ派ムスリムによるイスラーム過激派国際ネットワーク。1990年代以降、主としてアメリカ合衆国を標的とした数々のテロ行為を実行したとされ、特に2001年に実行したアメリカ同時多発テロ事件は世界に大きな衝撃を与えた。

語源

アラビア語で「アル(ال, al)」は定冠詞、「カーイダ(قاعدة, qāʿidah)」は「座る」を意味する動詞「カアダ(قعد, qaʿada)」の派生名詞で「大本」、すなわち「基地・基盤・座」を意味し、英訳するとThe Base。日本ではアルカイダと書かれることも多い。

またアルカーイダは、その句の使用者にとって警鐘として使用していると解釈することもできる。ヒジュラ暦の第11月はズー・アル=キッダ(ذو القعدة, Dhū al-Qiʿdah)である。この月の名称は、前述の翻訳の句と「ズー」という所有格とから構成され、「(神が)所有する(安住の)基盤」という意味合いで、「安住の月」と和訳されることが多い。したがって、アラビア語文化圏の視点からアルカーイダを解釈すると、「神の所有にない基盤」と訳すことができる。すなわちそれは「異教の基盤(The matrix)」を意味し、アルカーイダが異教の文化圏から侵略を受けた人々並びに世界のムスリムに呼びかける警鐘として使用されているとも解釈できる。

組織

ウサーマ・ビン=ラーディンを精神的指導者とし、財力に恵まれていたビンラーディンは初期の反米闘争の組織起ち上げのパトロンでもあった。組織のナンバー2とされていたアイマン・ザワーヒリーは理論家であり、ビンラーディンから見ても信仰と活動の先輩格であった。

アルカーイダの組織の実態についてははっきりしないことが多く、現在では、アルカーイダが一つのまとまった組織として存在しているかどうかは議論がわかれている。アルカーイダは、元来、軍隊やオウム真理教のような明確なヒエラルキーの存在する指揮命令系統を有する組織ではなく、反米過激思想を持つ者が勝手にグループを作り、それぞれがアルカーイダを自称して、必要に応じて協力をしたりされたりという関係を作り上げ、それがテロネットワークとして機能しているにすぎないという説が提起されている。従って、これらの説では、ビン=ラーディンは精神的シンボルに過ぎず、中心となる総本部も最高指導者も存在しないため、頂上作戦は不可能であり、各集団が武装闘争を始めた根本的要因を解決しない限り、アルカーイダの壊滅は困難であるとしている。

また、アルカーイダとしての強固な組織の存在を認め、様々な中小テロ集団と結びついたテロネットワークだとし、これを人体の「細胞」のネットワークとして捉える説もある。2011年5月にウサーマ・ビン=ラーディンがアメリカ軍によって殺害されると、同年6月にアルカーイダはアイマン・ザワーヒリーが新たな指導者に選出されたと発表した。

起源

アルカーイダの起源は、アメリカ中央情報局(CIA)とパキスタン軍統合情報局(ISI)が1978年以降のソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻に対抗させるために、サイクローン作戦の名の下でムジャヒディーン(イスラム義勇兵)を訓練・育成し武装化させたことに始まる。

1984年には、アフガニスタンでのアラブ人ムジャーヒディーンを理論的に指導してきたムスリム同胞団のアブドゥッラー・アッザームが教え子のビン=ラーディンをパキスタンのペシャーワルに呼び入れ、アラブ諸国からアフガニスタンへ義勇兵を送り込む組織マクタブ・アル=ヒダマト(MAK)を結成した。この動きにイスラム集団の精神的指導者であるオマル・アブドゥル=ラフマーンやジハード団指導者のアイマン・ザワーヒリーなどが合同し、35000人のムジャーヒディーンが世界各地からアフガニスタンに集まった。MAKはペシャーワルにゲストハウスを設けアフガニスタンのジャラーラーバードなどに軍事訓練キャンプを建設しゲリラ戦を主体としてソ連軍と戦った。富豪であったビン=ラーディンはCIAやサウジアラビア政府と共にMAKの運営やムジャヒディーンによる対ソ戦の資金元となった。

ソ連軍のアフガニスタンからの撤退後、闘争の舞台をイスラエルやカシミール、コソボ、アルジェリアなど世界各地の紛争地に求めるムジャーヒディーンが中心となって1988年にアルカーイダを組織した。ここにおいてアブドゥッラー・アッザームはソ連軍撤退後に勃発したアフガニスタン内戦を最優先するのに対し、経済的な側面での実力者であった弟子のビン=ラーディンは世界各地でのテロ作戦を主張し両者の路線対立が表面化した。1989年にアブドゥッラー・アッザームは何者かに子供たちと一緒に爆殺されMAK体制は崩壊し、アルカーイダのメンバーはビン=ラーディンの傘下となった。ビン=ラーディンはアラブの英雄としてサウジアラビアに帰国した。
1991年に湾岸戦争が勃発しイスラム教の2大聖地・メッカとマディーナを領有するサウジアラビアがアメリカ軍を常駐させたことが、当時サウジアラビアに帰国していたビン=ラーディンや諸国のムジャーヒディーンたちの反米意識を高めさせた。

1992年、宗教指導者で民族イスラム戦線のハッサン・アル=トゥラビの招きでビン=ラーディンは密かにサウジアラビアを抜け出しスーダンに移った。スーダンではオマル・アル=バシールのクーデターが成功、ビン=ラーディンはスーダン滞在中に建設事業などを進める一方でアイマン・ザワーヒリーなどと組織を強化した。しかしテロを続けるアルカーイダはスーダンの厄介者となり、1995年にアイマン・ザワーヒリーはスーダンを離れ世界各地を転々とし、ビン=ラーディンは1996年にアフガニスタンに拠点を移した。

反米闘争とテロリズム

アメリカ同時多発テロ事件

1990年代に始まったアルカーイダの闘争は年を追って過激になった。1993年には、思想的指導者となったオマル・アブドゥル=ラフマーンや幹部のハリド・シェイク・モハメド、実行犯ラムジ・ユセフらがニューヨークの世界貿易センタービル爆破事件を引き起こした。1995年には、ウサーマ・ビン=ラーディンの資金提供の元にハリド・シェイク・モハメドが起案しラムジ・ユセフが実行する予定だったアジア各国空港発アメリカ行き旅客機の同時爆破を狙ったボジンカ計画が発覚している。また、これに続く計画では小型航空機をシアーズタワーやアメリカ合衆国議会議事堂やホワイトハウスやCIA本部等に突入させることも計画されており、これらの計画がアメリカ同時多発テロ事件の原案になっているとされる。

1996年には、在サウジアラビア米軍基地爆破事件を引き起こした。

1998年には在ケニアと在タンザニアのアメリカ大使館爆破事件を引き起こし、アフガニスタンのターリバーン政権は同年12月に採択された国際連合安全保障理事会決議1214で匿っているテロリストを国際司法機関へ引渡すよう求められ、1999年の安保理決議1267で初めてビン=ラーディンとアルカーイダを名指ししてテロリストの引き渡しが求められた。

2000年にはイエメン沖の米艦コール襲撃事件を引き起こし、同年の安保理決議1333でも再度ターリバーン政権に対してビン=ラーディンとアルカーイダを名指しでテロリストの引き渡しが求められた。しかしターリバーン政権はこれらの決議に応じなかったため経済制裁を受けた。

アメリカ同時多発テロ事件からアフガニスタン紛争へ

2001年にハリド・シェイク・モハメド起案によるアメリカ同時多発テロ事件を引き起こした。これに対して同年10月にアメリカを中心とした有志連合諸国と北部同盟が不朽の自由作戦を発動し、ビン=ラーディンとアルカーイダ勢力を匿うターリバーン政権への軍事攻撃を始めたことによりアフガニスタン紛争が開始された。同年12月にターリバーン政権は打倒されハーミド・カルザイ暫定政権が発足した。これによりアルカーイダは資金的・人的に打撃を受けたとされ、これ以降はアルカーイダは小さな組織に分離しそれぞれが活動を行っているとされている。また、2002年の国際連合安全保障理事会決議1390で、ビン=ラーディンとアルカーイダ関係者とターリバーン幹部らの資産凍結が決定されている。

アフガニスタン紛争勃発以後、ビン=ラーディンとアイマン・ザワーヒリーは、アフガニスタンとパキスタンの国境線(デュランドライン)付近のパキスタン側のカイバル・パクトゥンクワ州やパキスタン政府の実効支配が限定的にしか及ばない連邦直轄部族地域付近を逃亡中であると考えられていたことから、アメリカ軍はアフガニスタン新政権樹立後も、ビン=ラーディンやアイマン・ザワーヒリーを捕獲しターリバーンやアルカーイダ残党や現地武装勢力を掃討するために不朽の自由作戦を継続した。

この戦いは主に国境をはさんだパキスタン側の連邦直轄部族地域の中のワジリスタン地域で行われていることからワジリスタン紛争とも呼ばれている。2010年5月21日にはアルカーイダのナンバー3でアフガニスタンでアルカーイダを指揮するサイード・アル=マスリー(別名:ムスタファ・アブ・アルヤジド)がアメリカ軍の無人攻撃機により殺害された。2011年5月2日(米国現地時間5月1日)、「アメリカ軍の特殊部隊が潜伏先と見られていたイスラマバード北東のアボッターバードにある邸宅でビン=ラーディンを殺害した」とCNNが報道した。これに関してアメリカ合衆国大統領バラク・オバマがCNNの報道直後に声明を発表しており、ビン=ラーディンとされる遺体をアメリカ当局が回収した事、及びDNA鑑定の結果遺体がビン=ラーディンである事も判明した。

イラク占領統治に対するイラク国内におけるテロリズム

2003年末以降、イラク戦争後のアメリカ・イギリスの占領統治下にあるイラクに、アルカーイダ系テロリストが多数潜入・潜伏した。2004年春以降、アルカーイダ系テロリストはアメリカ人やその同盟国の民間人を標的とした数々の誘拐・殺害事件を実行した。2004年10月には、その残忍さから世界中に悪名を轟かせているアブー=ムスアブ・アッ=ザルカーウィー率いるアルカーイダ系のスンニ派武装組織であるイラクの聖戦アルカーイダ組織がイラク日本人青年殺害事件を引き起こし、日本全土に衝撃を与えた。同組織は構成員にイラク国外出身者のムジャヒディンを多く含み、外国人の首を切断して殺害したりイラク国内のシーア派住民を無差別に殺害するなどの極端に過激な闘争路線をとっていたことから、他のイラク国内の武装勢力としばしば対立した。

2006年10月には、イラクの聖戦アルカーイダ組織を中心とした5つのスンニ派武装組織が結集して、イラク中部を一方的に自国領土だと主張する過激派の統一機構であるイラク・イスラム国を結成した。

しかし、イラクの聖戦アルカーイダ組織の指導者であったザルカウィと、イラク・イスラム国の指導者であったアブー・オマル・アル=バグダーディー(首長)、アブ・アイユーブ・アル=マスリ(戦争大臣)は、既に米軍とイラク治安部隊の合同作戦で死亡しており、現在ではイラク国内のアルカーイダ系勢力は弱体化が進んでいると見られている。そして、イラク・イスラム国の新たな指導者アブー・バクル・アル=バグダーディーによる新指導体制について、イラクのマリキ首相は「早期に終結させる」と宣言している。

イラク占領統治に対するイラク国外におけるテロリズム

2004年3月11日には、スペイン列車爆破事件が発生した。これに対してアルカーイダの欧州軍事報道官を名乗る「アブ・ハフス・アル・マスリ隊」がアメリカ同時多発テロを引き合いに出しながらスペイン軍のイラク駐留を十字軍に準えて犯行声明を出した。このテロ攻撃は総選挙の3日前に実行されたため選挙結果に決定的な影響を与えることになった。アルカーイダの思惑通り、元々反戦世論の強かったスペインでは事件直後からイラク政策におけるアメリカ追従を続けてきた国民党のホセ・マリア・アスナール政権に対する国民の批判が殺到、イラク撤退を求める市民のデモが相次ぐことになった。またイラク駐留を推進するアスナール政権が事件発生直後からバスク祖国と自由(ETA)による犯行を示唆していたことにより、「イラク撤退を避けるためETA犯行説を捏造したのではないか」という国民の不信を招いた。これに乗じてイラクからの即時撤退を公約に掲げる野党のスペイン社会労働党は国民党を非難、劇的な逆転勝利による政権交代を成し遂げた。4月16日に首相に選出されたホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロは直後に公約通りにイラクからの撤兵を決定、4月18日から5月までに撤退を完了させた。

2005年7月7日には、ロンドン同時爆破事件が発生し、「欧州の聖戦アルカーイダ組織」名義でイラクとアフガニスタンからの各国軍の撤退を求める犯行声明が出された。後にこの犯行声明は信憑性が薄いとされたが、同年9月1日にアルカーイダが公式に犯行を認める声明を発表した。犯行は海外にいるアルカーイダ首謀者の計画によって進められ、イギリス国内のムスリムが実行したものと見られている。

イスラム圏での評価

久しくイスラム教の指導者はテロがあるたびに「テロはイスラム教の教えに反する」との声明を出している。
2005年12月9日に閉幕したイスラム諸国首脳会議でも、あらためてテロはイスラム教の教義に反すると明確化された。しかし、イスラム教として、テロ指導者が背教者であるとのファトワは出していない。また、殺害への懸賞金どころか、首謀者等の逮捕についての努力も見られない。

一般的に、ムスリムの多数派、とくにイスラム諸国の政府や宗教指導者はアルカーイダの破壊行為をテロと批判している。しかし、イスラエルやアフガニスタン、イラクの情勢に関して日常的に反米意識を募らせているムスリムの中にはアルカーイダに心情的な共感を寄せる向きがあるとも言われる。アメリカ同時多発テロ事件の際には狂喜乱舞するパレスチナ民衆の映像がマスコミを通じて全世界に流れた。構成員に関しては、異教徒・非イスラム的な生活習慣に取り囲まれ、孤立を感じたヨーロッパなどのムスリム移民の間からアルカーイダに身を投じる者があったことが指摘されている。

その一方、いわゆる「イスラム原理主義過激派」の起こすテロが一般のムスリムをも巻き込んできたこと、またイスラム教が説く慈悲・寛容の精神から外れているとして、「過激派」は現地でもムタタッリフィーン(過激主義者)と称され、社会から異端視されることが多いとされる。

さらに詳しく → アルカーイダ  アイマン・ザワーヒリー  ウサーマ・ビン・ラーディン




倒壊する巨塔〈上〉―アルカイダと「9・11」への道倒壊する巨塔〈上〉―アルカイダと「9・11」への道
(2009/08)
ローレンス ライト

商品詳細を見る
関連記事

タグ : テロリスト アルカイダ アルカイーダ ザワヒリ ビンラディン 同時多発テロ事件

この記事へのコメント
URL:
Comment:
Pass:   
この記事のトラックバックURL
http://gunjimania.blog108.fc2.com/tb.php/2201-d586be54
 この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

 | Copyright © 軍事マニアクス - Military Maniacs All rights reserved. | 

 / Template by 家族 ペット 自分史 ブログ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。