「川西航空機」九七式飛行艇・二式飛行艇 解説映像

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2009/12/16(水)
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川西航空機(かわにしこうくうき)は、かつてあった日本の航空機メーカーである。紫電改、二式飛行艇などの航空機を製造した。川西財閥の川西清兵衛は中島飛行機に出資していたが、中島の技術者を引き抜く形で、1920年に川西機械製作所(神戸市・兵庫)を設立し飛行機部を設置した。

1928年(昭和3年)に飛行機部が川西航空機株式会社として独立した。当時の社長は川西龍三。菊原静男らによって紫電改、二式飛行艇を開発した。当時、ドイツの飛行機製作の権威であるアーヘン工科大学航空力学実験所長テオドル・フォン・カルマン博士を招いて、川西風洞実験所に民間唯一となる直立式試験風洞を設計。

1930年に工場を武庫郡鳴尾村(現西宮市)に移転。軍用機開発を通じ、海軍と密接な関係となる。1938年に海軍管理工場となる。1943年には隣接した鳴尾競馬場及び鳴尾ゴルフ倶楽部の土地も接収され、川西飛行機の生産用地として使用された。鳴尾村近辺は軍需村となり、国民徴用令で従業員は6万人を超えた。軍の要請で従業員および資材輸送のために鉄道も建設され(阪神国道線及び国鉄東海道本線へ接続)、現在の阪神武庫川線となった。

また1942年7月、兵庫県加西郡九会村・下里村(現加西市)に姫路海軍航空隊鶉野飛行場に隣接して川西航空機姫路製作所鶉野工場を設立するため同系列の日本毛織株式会社から工場が譲渡され、1944年8 月組立工場落成。紫電446機及び紫電改44機を生産した。

その他、鳴尾製作所(鳴尾村)、甲南製作所(現神戸市東灘区)、宝塚製作所(宝塚市)、姫路製作所(姫路市)があったが、それぞれが鶉野工場の様な疎開工場を持っていた。鳴尾製作所は福知山(石原飛行場、正明寺地下工場)、逆瀬川、甲陽園、関西学園、武庫川など、甲南製作所は盾津飛行場(松下航空機、現東大阪市盾津)、梅田(阪急電車)、山芦屋、苦楽園に、宝塚製作所は北条、篠山、三田、甲子園、仁川、逆瀬川など、姫路製作所は鶉野飛行場、北条、龍野などにそれぞれ疎開工場を操業していた。第二次世界大戦終結にともない、GHQ指令によって航空機の製造が中止になった。

1949年(昭和24年)11月に新明和興業株式会社へ社名を変更した。仁川の宝塚製作所跡地は鳴尾競馬場を引き継ぐ形で1949年に阪神競馬場が建設された(新明和本社隣接地)。その後新明和工業株式会社となり、旅客機(YS-11)や飛行艇(PS-1、US-1)など航空機の製造を再開した。現在はUS-2の生産を行っている。

さらに詳しく → 川西航空機  九七式飛行艇  二式飛行艇  US-2



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(2009/02)
野原 茂

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