九州飛行機 J7W1 "震電" (Kyūshū J7W1 "Shinden")

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2011/04/20(水)
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震電(しんでん)は第二次世界大戦末期、日本海軍が開発していた単発単座の試作局地戦闘機である。機体後部にプロペラ、機首付近に小翼を配した独特の機体形状は“前翼型(他にも先尾翼型、エンテ型などの呼称があるが本項では便宜上「前翼型」の表現に統一する)”と呼ばれるもので、B-29迎撃の切り札として期待されていた。1945年(昭和20年)6月に試作機が完成、同年8月に数度の試験飛行を行った所で終戦。実戦には間に合わなかった。機体略号はJ7W1

概要

当時、高度10,000mをおよそ570km/hで飛行するアメリカ軍のボーイングB-29爆撃機に対して、同高度で十分な速力を発揮できる日本の迎撃戦闘機は少なかった。そこで震電は、B-29迎撃の切り札として、最大速度400ノット(約740km/h)以上を目標として開発された。

実戦での戦術としては、震電の快速を活かしB-29の前方に展開、高度12,000mから30mm機銃4門を斉射。更に速力差を活かし再びB-29の前方に進出、2度目の攻撃を行うという手法が計画されていた。

形式

動力:単発、推進式(プッシャ)
プロペラ:VDM 定速、6翅(量産型では4翅に簡略化予定)
プロペラ直径:3.40m
主翼:低翼、単葉
動翼:前翼型式
構造:全金属製、応力外皮構造、主翼・層流翼型、前翼・開閉式スロット翼
降着装置:引き込み脚、前輪式

技術的特徴

推進式プロペラ
直径を増さずに高空での大馬力を活かすため、6翅のプロペラが採用された。しかしながら可変ピッチ機構の複雑さから、量産型では直径はそのままにブレード一枚辺りの面積を5割り増しにした幅広の4翅プロペラへ変更する予定であった。

プロペラ離脱装置
震電は推進式のため、プロペラは操縦席の後方に位置しており、緊急脱出の際にパイロットがプロペラに巻き込まれる恐れがあった。そこで試作2号機からはハブ内に火薬爆破式のプロペラ離脱装置を備える予定であった。

生産性に対する工夫
その後の量産化を考慮して、生産性を重視した構造・工法の採用も特徴的であり、以下のような工夫が見られた。

プレス機による外板成型
スポット溶接の一部採用
厚板応力外皮構造の採用による、リベット打ち工数の大幅削減

3. は彩雲に倣ったものである。彩雲は厚板を採用することで零戦の1/2以下のリベット本数で組み立てられている。

性能

性能諸元に関する計画値は別表に記載する通りである。実際の試飛行では水平飛行中に最大速度293.5km/hを記録しているが、これは降着装置(脚)を出したままの状態で、プロペラのカウンタートルクを相殺しきれず右に傾いたままの飛行となり、操縦性に難があった。これは低速で高迎角時におけるプロペラ機の特徴的な空力特性である。震電は動力の全開テストを行わないまま終戦を迎えている。

その特異な形状と、目指した性能が非常に高かったことから、もしこの機体が実戦に間に合っていたら、というifはしばしば語られ、架空戦記においても題材となる場合が多い。しかしながら、

推進式プロペラによって、自機のプロペラ後流によって発生する揚力が得られないことは、離着陸性能の低下要因となる。

降着装置が非常に長くなってしまい、構造的に脆弱である(中翼形式のため同じく脚が長い紫電でも、この点が問題視されている)。

推進式プロペラ(リアエンジン)形式のため、冷却能力が低くなり、空冷エンジンを搭載する機体としては不都合がある。

離着陸時の速度が高いため、整備された長大な滑走路が必要であり、当時の日本の国情にあっていない(雷電においても着陸性能の悪さが問題視されている)。

搭載するハ43エンジンの信頼性の問題(同じエンジンを搭載するキ83でも不具合が報告されている)。

そもそも前翼式・推進式プロペラは、アメリカ陸軍が先立ってXP-55戦闘機に採用した形式であり、なおかつ性能不足により開発中止されている。



といった問題点も指摘されなければならない。しかしその一方で、


降着装置は前輪式であるため、尾輪式の従来の航空機と比べて、高速での離着陸に有利である。

地上姿勢での迎え角は同形式のXP-55よりも大きくなっているため、離着陸時に揚力を稼ぐには有利な形状となっている。

リアエンジン形式による冷却の問題はファンにより対処がなされている(空冷エンジンによる推進式プロペラ・リアエンジン形式は、後のB-36爆撃機で実用化されている)。


などといった面も考慮する必要がある。 いずれにせよ、動力の全開テストすら行われなかった機体であり、実際にどうだったかは憶測の域を出ない。

現存する機体

終戦時、1号機は蓆田飛行場の格納庫に保管されていたが、敗戦に憤慨した現場の人間により風防などが破壊された。その後、日本を占領下に置いた連合国軍の命令により復元、連合国軍の1国であるアメリカ軍によりアメリカへ運ばれた。設計図や資料は海軍の命令で焼却していたが、九州飛行機本社以外の分工場に保管されていたものが残っており、これも英訳してアメリカ軍に引き渡された。また組み立て途中の2、3号機と十数号機までの部品類も焼却された。現在、唯一現存する機体はアメリカの国立航空宇宙博物館の復元施設であるポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設にて分解状態のまま保存されている。

開発経緯

構想と研究

1942年(昭和17年)から1943年(昭和18年)頃、海軍航空技術廠(空技廠)飛行機部の鶴野正敬少佐(当時大尉)は従来型戦闘機の限界性能を大幅に上回る革新的な戦闘機の開発を目指し、前翼型戦闘機を構想。研究を行っていた。

前翼型飛行機とは、水平尾翼を廃して、かわりに主翼の前に(水平な)小翼をつけた形態の飛行機を指す。従来型戦闘機ではエンジン、プロペラ、武装の配置が機体の前方に集中しており、操縦席後部から尾翼にかけての部位が無駄なスペースとなっていた。これに対し前翼機では武装を前方、エンジン及びプロペラを後方に配置することで機体容積を有効に活用でき、同じ重量の武装であれば機体をより小型にすることが可能となる。従って機体が受ける空気抵抗も減少し、従来型戦闘機の限界速度を超えることが可能となる、というのがその基本理論であった。

日本では初となる前翼型戦闘機の試みであったが、当時の各国でも前翼機の試作は行われていた。代表的な例として米国のXP-55 アセンダー、イタリアのアンブロシーニS.S.4(de:Ambrosini S.S.4)、英国のマイルズ・リベルラ等が挙げられるが、いずれも実運用に至ったものはなかった。震電の開発に当たっても中には「自然界に無い様な形状のものには何かしらの欠点があるはずだ。鶴野はそれに気づいていないのだ。」という様な意見をもつ者もあった。しかし、米国新型機への対抗という課題の中にあって、原理的に間違いのないものであるならと大方の賛同を得ていた。

1943年(昭和18年)8月、空技廠にて風洞実験が行われる。1944年(昭和19年)1月末、実験用小型滑空機(MXY6)を用いて高度およそ1000m程からの滑空試験に成功し基礎研究を終えた。既に米国爆撃機の本土来襲を予測していた海軍は、翌2月には試作機の開発を内定。実施設計及び製造を行う共同開発会社として、当時、陸上哨戒機「東海」の開発が完了し、他の航空機会社に比べ手空きであった九州飛行機を選定した。

開発

1944年(昭和19年)5月、B-29の迎撃を最大の目的として、十八試局地戦闘機震電が正式に試作発令される。当初、海軍の要求は1944年の4月から製図に取り掛かり、同年末には機体を完成させよというものだった。このため、九州飛行機では近隣は元より、奄美大島、種子島、熊本などからも多くの女学生、徴用工を動員し体制を整えた。その数は最盛期には5万人を超え、量産に移った際には月間300機の生産を可能とする目算が立っていた。また資材については、将来的に比較的余裕のある鉄で作る事を考えよとの要求もあった。

1944年6月16日未明、本土北九州方面八幡に初のB-29来襲。震電開発チームは撃墜機を実地見学。

1944年11月、技術者を集結させた九州飛行機は通常1年半は掛かる製図作業をわずか半年で完了。約6000枚の図面を書き上げる。同月ヘンシェル社のドイツ人技師、フランツポールが訪問。同氏所見をもとに多量生産的見地にたった改造図面の作成に着手。

1944年12月から1月にかけて、震電への搭載が予定されていた「ハ四三」四二型発動機の開発にあたっていた三菱重工の名古屋工場が、マグニチュード8規模の東南海地震及び震災直後から断続的に行われたB-29の空爆により再起不能の壊滅的な被害を受ける。開発の大幅な遅延に繋がる。

1945年(昭和20年)3月、大刀洗飛行場への爆撃を受けて、現在の筑紫野市原田へと九州飛行機は工場の疎開を決定。部品の運搬は牛車で夜中に行われた。

1945年6月、1号機が完成し蓆田飛行場(現在の福岡空港)へ運搬。翌7月完工式。鶴野自身による滑走試験中、機首を上げ過ぎたために、プロペラ端が地面に接触して先端が曲がってしまう。この後、プロペラを試作2号機用の物と交換、機首上げ時にプロペラが接触しないよう側翼の下に機上作業練習機白菊の車輪が付けられた。

1945年8月3日、試験飛行にて初飛行に成功。続く6日、8日と試験飛行を行ったが、発動機に故障が発生し三菱重工へ連絡をとっている最中に終戦となった。

さらに詳しく → 震電



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(2005/07/08)
渡辺 洋二

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タグ : 震電 第二次世界大戦 日本海軍 J7W1 試作機

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