バズーカ (Bazooka)

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2011/03/20(日)
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バズーカ(英語:bazooka)は、アメリカが開発した携帯式対戦車ロケット弾発射器の愛称。第二次世界大戦で使用された60mmバージョンと、朝鮮戦争以降使用されるようになった89mmバージョンがある。正式名称は、60mmバージョンが「M1 / M9 / M18対戦車ロケット発射器」、89mmバージョンは「M20対戦車ロケット発射器」。

戦後アメリカから西側諸国に多数が供与され、携帯対戦車ロケット兵器の代名詞的にもなったため、以来同様の対戦車ロケット弾発射器や無反動砲を一般名詞的に「バズーカ」と呼ぶことが多いが、これは間違いである。日本では「バズーカ砲」などとも呼ばれるが、「砲」(ガン)ではなく、薬室を持たない「噴進弾発射器」(ロケットランチャー)に分類される。

概要

使用方法は射手が肩に担いで構え、装填手が後部からロケット弾を装填、ロケット弾から伸びた電線をバズーカ本体の電極に接続。発射準備が完了したら、後方爆風を浴びない位置に移動し射手の鉄帽を叩いて合図、敵(主に装甲戦闘車両やトーチカ)を攻撃する。ロケットの燃えカスが射手の顔面に吹き付けるため、初期には防毒面と手袋着用で発射されたが、後にディフレクター(ラッパ状に広がった覆い、初期には金網製の笊型)が筒先に取り付けられた。

バズーカ型ロケットランチャーの外見は無反動砲と非常に類似しており、後方爆風が発生するため発射器 / 砲の後方に物や壁があってはいけないことと、バックブラストによって巻き上がる土煙で射手の位置を容易に特定されてしまうなどの運用面の弱点が共通する。しかし、無反動砲と異なる点は、バズーカは砲身内部にライフリングが刻まれていない点と、バズーカは推進薬で加速・自力飛翔するロケット弾を撃ち出す「発射器(ランチャー)」であるのに対し、無反動砲弾は高速で後方に噴出する燃焼ガスで反動を相殺する(作用・反作用の法則)、火薬発射型の「砲」であるという点である。初速の遅い砲弾でも高い装甲貫通力を発揮させる成型炸薬弾頭(HEAT)が実用化され、当時の戦車に対して非常に有効な歩兵用携行火器となった。

ラッパ状に広がったディフレクターの形状が、当時アメリカで有名であった音楽コメディアン・ボブ・バーンズの「バズーカ」と呼ばれる舞台で使用されていた自作のラッパに似ていた事からこの愛称で呼ばれるようになったのであり、「バズーカ」という名称は形状に由来する物であり発射方式や原理による物ではない。このため単純に形状のみから他の兵器もバズーカと呼ばれることがある。

60mmバズーカ

極めて単純で安価なこの兵器は、最初のM1が1942年末の北アフリカ・チュニジアに投入され、改良型のM1A1やM9、折りたたみ式になったM9A1、アルミ合金の使用で軽量化されたM18を含め、第二次大戦中だけで本体約48万器、ロケット弾1560万発と大量生産された。

一方、ドイツ軍は鹵獲したバズーカを元に8.8cmロケット弾開発を行った、そして1943年にこのロケット弾を使用する43型ロケット対戦車兵器「パンツァーシュレック」(別名オーフェンロール)及び「8.8 cmロケット発射器43型」(別名プップヒェン)が生産され、東部戦線ではT-34を撃破する威力をみせた。なお、プップヒェンとパンツァーシュレックのロケット弾は同口径で基本設計は同じものである。これらは成形炸薬弾の貫通力が口径に比例する法則の通り、口径60mmのM1バズーカより強力だった。もう一つの代表的な携帯式対戦車兵器であるパンツァーファウストはロケットランチャーではなく、無反動砲に分類され、発射原理が全く異なっている。

89mmスーパー・バズーカ

1953年3月25日、ドーザー付きのM46パットンの砲塔にバズーカ対策の金網を張っている海兵隊員。この当時、国連軍戦車は壕に待機し砲塔だけ出して砲撃支援任務を行っており、鹵獲されたバズーカの攻撃を受け損害を出していた。

第二次大戦中にはドイツ重戦車の側面を狙い戦果を挙げたはずの2.36インチ(60mm)M9バズーカは、朝鮮戦争においてT-34-85に対する攻撃で十分な効果をあげられなかった。原理的にはM9バズーカはT-34の装甲を貫通する能力があったはずである。この原因については、大戦後5年が経過した在庫のロケット弾の炸薬が劣化していた、あるいは成形炸薬弾頭は装甲を貫通する能力はあったとしても、そこから中の人間や機関に損害を与えるには加害範囲が小さかったなど、いくつかの説が唱えられている。この事態に際し、1945年に既に採用済みの口径90mmの M20「スーパー・バズーカ」が急遽大量生産、空輸された。

M20スーパー・バズーカは、朝鮮戦争中の1950年7月20日、大田の戦いで実戦投入され、以降、この当時の米韓連合軍にとって唯一のT-34を撃破しうる対戦車兵器として活躍した。大田市街戦においては、アメリカ陸軍第24歩兵師団師団長ウィリアム・ディーン少将が、自らスーパー・バズーカを担いで戦車狩りを行って兵士たちに新兵器の威力を示したという逸話が残っている。その後は、より射程の長い無反動砲や対戦車誘導弾、もしくはより小型軽量なM72 LAWにその座を譲って、正式装備から外れていった。

さらに詳しく → バズーカ



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タグ : バズーカ bazooka 携帯式対戦車ロケット弾 対戦車兵器

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