藤田信雄 (Nobuo Fujita) - 米国本土を爆撃した男

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2011/03/08(火)
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藤田 信雄(ふじた のぶお、1911年(明治44年)10月 - 1997年(平成9年)9月30日)は、日本海軍軍人、海軍兵曹長(最終階級は特務士官たる中尉)。帝国海軍の潜水艦伊号第二五潜水艦(伊25)から水上機を飛ばし、史上唯一、アメリカ合衆国本土に対して航空機による爆撃を実施し、後にルックアウト空襲として知られるようになった。彼の任務は、太平洋戦争における太平洋戦域のアメリカ海軍の資源を奪い去るため、焼夷弾を使用してオレゴン州ブルッキングズ市に近い太平洋岸北西部に大規模な山火事を発生させるというものだった。この戦略は日本の風船爆弾作戦にも採用された。

生涯と軍人としてのキャリア

藤田は1932年(昭和7年)に日本帝国海軍に入隊し、1933年(昭和8年)にパイロットとなった。

真珠湾とアメリカ西海岸

藤田は真珠湾攻撃の際、伊25に乗っており、そこでは伊25と他の3隻の潜水艦がオアフ島の約200キロ北のラインを警戒していた。藤田の機である零式小型水上偵察機(機体略番はE14Y、連合国コード名は“Glen”)は不調で、攻撃前に計画されていた偵察任務に参加できなかった。

真珠湾攻撃の後、伊25は他の8隻の潜水艦と共に太平洋岸北西部に沿って警戒行動を実施した。マーシャル諸島クェゼリン環礁の基地に戻る直前、アメリカの船舶を攻撃している。給油を受け、修復を行うために基地に到着したのは1942年(昭和17年)1月11日のことであった。

南太平洋

伊25の次の任務は、オーストラリアのシドニー、メルボルン、ホバートの港を、続いてニュージーランドのウェリントン、オークランドの港を偵察することであった。2月17日火曜日、市にある空軍基地を偵察するためにE14Yでシドニー港へと飛び立った。午前7時30分、伊25へ帰還し、E14Yを分解して防水の格納庫へ収納した。

次なる任務はメルボルンにおける同様のフライトだった。藤田はバス海峡の西端にあるキング島のウィッカム岬からビクトリア州とタスマニア州の中間地点へと飛び立った。2月26日、水上機はポートフィリップ湾を超えメルボルンへと進水した。

藤田の次の偵察飛行は3月1日、オーストラリアのホバートで行われた。伊25は藤田が3月8日に偵察飛行を行っていたウェリントンのあるニュージーランドへと向かった。3月13日はオークランドを、3月17日にはフィジーを飛んだ。伊25は3月31日にクェゼリン環礁の基地へと帰還した。

太平洋岸北西部

5月28日、藤田はアリューシャン列島への侵略に備え、アラスカ州コディアックへの偵察を実施した。6月21日、伊25はオレゴン州アストリア付近にあるアメリカ軍のフォート・スティーブンス基地へ砲弾を浴びせた。伊25の攻撃の際、藤田はデッキにいた。

アメリカ合衆国本土への爆撃

1942年4月21日、軍令部に呼び出された藤田は、その場で首脳部より単独によるオレゴン山中への空爆命令を拝する。藤田の操縦の腕を買われたものだった。

藤田にはこの作戦で生還する自信がなく、出発前日の8月14日に家族に宛てた遺言書を残している。8月15日、藤田は横須賀より伊25でアメリカへと向かった。9月9日水曜日の午前6時、伊25はカリフォルニア州とオレゴン州の境界線の西側に浮上した。藤田と奥田兵曹が搭乗するEY14は2個の焼夷弾を積み(155キログラム)飛び立った。藤田は2個の焼夷弾を投下し、そのうち1個はオレゴン州のエミリー山脈のホイーラーリッジに落ちている。もう片方の爆弾の落下地点は不明である。ホイーラーリッジに落ちた焼夷弾によりブルッキングズの東約15キロのところで小さな火災が発生したが、アメリカ林野部によってすぐに鎮火された。その前夜に雨が降っていたため森林はとても湿っており、結果として爆弾の効力はほぼなくなっていた。結果として帰国後上官より「木を一本折っただけではないか」と叱責されたという。

藤田の乗った飛行機はシスキュー国有林の監視台にいた2人の男性、ハワード・ガードナーとボブ・ラーソンによって発見される。他の監視役(チェクトポイント監視台とロングリッジ監視台)は飛行機を報告したものの、濃霧のためそれを見ることはできなかった。藤田の飛行機はブルッキングズを通過した際に多くの人々に目撃されている。その日の正午ごろ、エミリー山脈の監視台にいたハワード・ガードナーが煙が上がっていること報告し、4人のアメリカ林野部の作業員によって、この火災が日本の爆弾によって引き起こされたものであることが判明した。爆弾の先端部分を含む約25キログラムの断片がアメリカ軍に引き渡された。

爆撃実施後、伊25は警戒中のアメリカ陸軍航空軍の航空機によって攻撃を受ける。オレゴン州ポートオフロードの海底に潜っていた潜水艦の支援を受けてのものだった。アメリカ軍の攻撃によりいくらかのダメージを受け、そして藤田は3週間後の9月29日、2回目の爆撃を行うため出撃する。藤田はケープブランコ灯台を目印にした。東への90分後のフライトの間に彼は爆弾を投下し炎を見たと報告したが、爆撃はアメリカ側には認知されることなく終わった。

伊25はSSカムデンとSSラリー・ドヘニーを撃沈し帰還した。日本へ帰る途中、アラスカ州ダッチハーバーとカリフォルニア州サンフランシスコの間を通行中のだったソビエト連邦の潜水艦L-16を、アメリカの潜水艦と間違えて撃沈した(当時は、日本とソ連は中立条約を結んでおり、戦争状態になかった)。

1942年9月のオレゴン州に対する2つの攻撃は、アメリカ合衆国本土に対する唯一の航空機による爆撃である。

藤田はその後も偵察を主な任務として日本海軍のパイロットを続け、海軍特務少尉に昇進した。そして、1944年(昭和19年)には特別攻撃隊パイロットの教官に転勤になった。藤田は1945年(昭和20年)春に、速度性能と武装で決定的に不利であった零式観測機でグラマンF6Fを迎撃し、格闘性能を活かして1機を未確認撃墜するという戦果を上げた(ただし、同時に迎撃した大半の零式観測機は撃墜されている)。

終戦直前には、教え子だけでは無く、藤田自身が特攻隊として突入することを想定して自身が訓練を行った。終戦後、藤田は海軍特務中尉に昇進した。

敵国の英雄として

終戦後、藤田は地元の茨城県土浦市に戻り、工場勤めをしていた。だが1962年(昭和37年)5月20日、政府首脳より都内の料亭に呼び出され、池田勇人首相と大平正芳内閣官房長官に面会し、その場でアメリカ政府が藤田を探していることを告げられ、アメリカへ行けと命じられる。しかも日米関係への影響を心配した日本政府は、この渡米を一切関知しないとさえ告げられた。戦犯として裁かれるのではないかと考え、自決用に400年間自宅に代々伝わる日本刀をしのばせ渡米したが、実際にはブルッキングズ市のフェスティバルに主賓として招待されたのであり、到着した藤田はかつての敵国の英雄として大歓迎を受けた。自らの不明を恥じた藤田はブルッキングズ市に、この刀を友情の印として贈った。

アメリカでの歓迎ぶりに感銘した藤田は、1985年(昭和60年)にブルッキングスの3人の女子学生を日本に招待した。ブルッキングズ・ハーバー高校の生徒が日本に滞在している際、藤田はロナルド・レーガン大統領の補佐官より「貴公の親切と寛大さの賛美を」との献辞を受け取った。なお、藤田はブルッキングスの女子学生を招聘するにあたって、衣類は勤務先の作業服のみ、娯楽は最低限の書籍のみと言うストイックな生活のすえに資金をやりくりしている。

その後、藤田は1990年(平成2年)、1992年(平成4年)、1995年(平成7年)にもブルッキングズを訪れた。1992年には平和を象徴する行為として、かつて空爆した地域に植林した。1995年の訪問時には日本刀をブルッキングズ市庁舎から新しい図書館に設けられた「藤田コーナー」の陳列ケースの中に移動させ、84歳という高齢にもかかわらず市長ら友人3人を乗せセスナ機を操縦。かつて自分が飛行したものと同じ空路をたどってみせた。

1997年(平成9年)9月30日に85歳で死去するその数日前に、藤田はブルッキングズ市の名誉市民となった。1998年(平成10年)10月、彼の娘である浅倉順子(あさくらよりこ)は、空爆地域に藤田の遺灰の一部を埋めた。現在、その地には「アメリカ大陸が唯一日本機に空爆された地点」と書かれた看板が立てられている。また、藤田とともに何度かブルッキングスを訪れた孫の藤田文浩は、現在ひたちなか市のホテルの支配人として勤務している。

藤田のアメリカ本土攻撃は戦後、長い間広く知られることはなかったが、1995年12月29日放送の『たけし・さんまの世界超偉人伝説』(日本テレビ)にて取り上げられ、存命中の藤田もVTRに出演した。



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(2009/04)
佐々木 卓也

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タグ : 藤田信雄 アメリカ本土空襲 太平洋戦争

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