偵察機の歴史 - 制空権をめぐる攻防

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2011/01/22(土)
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偵察機(ていさつき、英:surveillance aircraft)は、敵性地域などの状況を把握するために偵察など情報収集を行う軍用機(航空機)のひとつ。基本的に軍隊で軍用機として運用される事が大半だが、なかには情報機関や準軍事組織が運用するものもある。

偵察機は軍用機の種類の中では最も古参であり、史上初めて本格的に軍事転用された航空機として第一次世界大戦に登場した。戦闘機や爆撃機は偵察機から事実上派生したものであり、以降偵察機は軍用機の歴史と共にあった。

概要

2000年代現在、偵察機は空中写真や映像撮影による偵察を行う旧来の写真偵察機が主な種類であるが、電波傍受を行う電子偵察機(電子戦機の一種)などもある。また、戦略的偵察任務に主に用いられるものを戦略偵察機、戦術的偵察任務に主に用いられるものは戦術偵察機と区分し称される。

世界各国において偵察衛星の利用は増大しているものの、柔軟な運用が可能かつ汎用性と信頼性の高い航空偵察に対する需要はいまだ根強い。偵察衛星は低軌道から静止軌道あたりを浮遊しているため、被撃墜などの恐れがほぼなく安全性自体は高いものの、偵察地上空の気象条件に大きく左右される(霧・曇・雨などの場合には撮影が不可能ないし画像が不鮮明となる)。撮影写真(画像)の解像度も2007年現在のものでは50cm弱程度までとなる。一方、偵察機では気象条件に関わらず偵察地に接近して撮影することが可能で、精度の高い情報(鮮明な写真や映像)を得ることができる。反面、当然ながら捕捉・攻撃・撃墜される危険性は高くなるため、特に戦略偵察機は高空を飛来し高速で飛行することと同時に長大な航続距離が求められる。

なお現在では、機体に搭乗し操縦や偵察を行う乗員を要しない無人偵察機が注目を浴び、アメリカ軍やイギリス軍を筆頭に積極的に利用されるようになっている。無人偵察機は乗員スペースを必要としないために機体の大幅な小型化が可能で、これはレーダーに探知されにくくなる。また乗員の疲労を考慮しなくてもよいためより長時間の偵察が可能であると同時に、被撃墜などによる戦死・戦傷も防ぐことができる。従来の有人偵察機はこれら小型無人偵察機の母機として使用されることもある。

偵察機には計画段階から偵察機として開発されたもの(主に戦略偵察機。例:アメリカ空軍のU-2・SR-71)のほかに、元は他の軍用機(戦闘機や爆撃機など)や民間機であったものを改造し偵察機に転用したもの(例:ソ連空軍/ロシア空軍のMiG-25・Su-24、イギリス空軍のキャンベラ、アメリカ海軍や航空自衛隊のF-4など)、他の軍用機に偵察機材が収納された整形容器を外部装備して偵察任務を行わせるもの(主に戦術偵察機。例:アメリカ海軍のF-14など)がある。また、偵察機はその任務特性から連絡機・観測機・哨戒機・電子戦機・COIN機・軽攻撃機・軽爆撃機などとも重複する場合もある。

歴史

空中より周辺を監視することによる軍事上のメリットは明らかである。そのため、人類初の実用的空中飛行機材である気球が開発されて間もない18世紀末には、すでにフランスで偵察や観測目的としての使用が開始されている。実験的・冒険的な企図を除けば、航空機の最初の用途は偵察だといって間違いない。初期の航空機は移動や遊覧に常用するには危険と不確実性が高すぎるものであったが、軍用偵察の用途ではその高いリスクに見合う成果を提供できた。19世紀中頃に行われた南北戦争においても偵察用に水素気球が用いられている。以降、気球は列強各国軍において偵察および砲兵の野戦砲の着弾観測用として主に運用され、これはのちの「航空部隊(空軍)」の原点であった。日本軍においても明治時代最初期から気球の研究は行われており、1904年(明治37年)に開戦した日露戦争では、同年に編成された臨時気球隊が旅順攻囲戦などに実戦投入されている。

それら偵察・観測用気球の転換期として、20世紀初頭、1914年に開戦した第一次大戦では気球に代わって飛行機も使われるようになった。当時の飛行機は誕生間もない時期であったが(ライト兄弟による世界初の有人動力飛行は1903年12月)、その飛行機の初の実用任務が軍用機としての偵察機であった。登場当初は敵同士の偵察機パイロットが互いに手を振りあうような牧歌的光景も見られたが、やがて互いの偵察行動を妨害するために攻撃する状況になり、さらに機関銃(航空機関銃)を搭載するなどこれは「戦闘機」の誕生となった。また偵察のついでに敵地に手榴弾や砲弾を改造した手製爆弾を落とすことも行われ(爆撃)、さらに本格的な航空爆弾や防御用旋回機関銃搭載するなどこれは「爆撃機」の誕生となった。第一次大戦中後期には発達・進化したこれら軍用機により、激しい航空戦が行われた。

また航空母艦や艦載機・水上機が実用化されると、海戦においても偵察機の役割は重要になった。敵を発見するのに目視以外に手段の無い時代において、陸上であれば駐留する監視要員からの通報によって敵の来襲を告げることができるが、何も無い海上の敵を探るには偵察以外に手段はない。従来の巡洋艦などの艦艇や船舶による偵察に比べて、航空機による優位は明らかであった。

第一次大戦後の戦間期には偵察機の需要はさらに高まり多くの偵察機が各国で開発され、さらに第二次世界大戦では開発・生産・運用ともにそのピークを迎えた。特に大日本帝国陸軍では、従来の偵察機と異なる操縦視界や自衛武装を犠牲にし高速性を最重視した新コンセプトの偵察機の開発が、陸軍航空技術研究所のテスト・パイロットである藤田雄蔵陸軍航空兵大尉や三菱重工業の技師らの提案や働きかけにより、1935年(昭和10年)から始まり試作機は翌1936年(昭和11年)に初飛行した。

本機は戦略的運用をメインとする「司令部偵察機」という新しいカテゴリが充てられ、1937年(昭和12年)に九七式司令部偵察機として制式採用された。これが事実上の世界初の戦略偵察機である。九七司偵は日中戦争やノモンハン事件で前線を越えて敵地深くまで侵入し戦略偵察に活躍した。その活躍に刺激された日本陸軍は後続機として、さらに高速性・高高度性・長距離性など戦略偵察に特化した「新司偵」を開発、1940年(昭和15年)に一〇〇式司令部偵察機として採用した。一〇〇式司偵は当時の列強各国の偵察機はもとより戦闘機をも凌駕する高性能を誇っており、また計1,742機と純粋な戦略偵察機としては世界的にも異例の大量生産が行われ、太平洋戦争開戦前から第二次世界大戦終戦に至るまで、ほぼ全ての戦線で日本軍の重要な主力戦略偵察機として運用・活躍した。

第二次大戦後はもっぱら戦闘機・戦闘爆撃機・爆撃機などを偵察機仕様に改造・転用することが一般的となり、ならびにレーダーや偵察衛星の発達により専用の偵察機開発や大規模運用自体は激減したものの、上述の通り21世紀初頭現在も偵察機は主要な軍用機として世界各国で広く運用されている。

なお戦略偵察機の思想自体も受け継がれており、冷戦期にはアメリカ空軍がU-2やSR-71の戦略偵察機を開発・運用し、そのうちU-2は現役である。また無人偵察機RQ-4はその高高度性・長距離性・広範囲探知能力から戦略偵察運用もなされる。

さらに詳しく → 偵察機



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(2003/12)
飯山 幸伸

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タグ : スパイ 偵察機 諜報

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