F4U コルセア (Vought F4U Corsair)

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2010/12/22(水)
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F4U コルセア (F4U Corsair) は、アメリカのチャンス・ヴォートが開発し、第二次世界大戦朝鮮戦争でアメリカ海軍と海兵隊が使用したレシプロ単発単座戦闘機である。ヴォート社の他にグッドイヤー社とブリュースター社でも生産され、グッドイヤー社製の機体はFG、ブリュースター社製の機体はF3Aという制式名称が与えられた。また、AUという呼称がある攻撃機型も存在する。

経緯

開発

ブリュースター F2A バッファロー艦上戦闘機などの後継として航空機メーカーのチャンス・ヴォートが1938年2月に開発を開始した。Corsair:コルセアとは海賊の意。逆ガル翼が特徴的な機体である。

1938年2月にアメリカ海軍が、戦闘機の開発要求を出し、チャンス・ヴォートは4月に1,200馬力級エンジンを搭載するV-166A案と 2,000馬力級エンジン搭載のV-166B案を提出した。当時、戦闘機用エンジンの主流は1,000馬力以下であったが、6月11日にV-166B案が XF4U-1として、海軍より試作発注がなされた。当時としては大きさも怪物級であり、海軍で一番大きなプロペラをつけた、海軍一重たい艦上戦闘機となった。

初飛行は1940年5月29日である。試作機XF4U-1は一度墜落事故を起こしているものの、時速650kmを記録するなど、性能は良好であった。量産型F4U-1の初飛行は1942年6月25日である。機体は完成したものの、F4F ワイルドキャットの後継機としての座はF6F ヘルキャットに譲っている。失速挙動が危険・前方視界が不十分・プロペラブレードが長く下手をすると着艦(着陸)時に甲板(地上)にプロペラを打ち破損する可能性がある、といったものがその原因であり、すでに艦上での実績と戦果もあるF4Fの設計改良版であるF6Fのほうが信頼性に優れるため、ということだったようである。このことから一部の意見では「航空母艦に搭載される為の機体設計をしなかった欠陥機」との意見もある。

実戦での活躍

航空母艦への着艦が難しいとの評価が下されると、初期生産機はすべて海兵隊に引き渡され、陸上機として運用された。この機体は主に太平洋戦線に現れ、初陣で零戦に「セントバレンタインデーの虐殺」と呼ばれる敗北を喫する。日本側搭乗員からF6Fは手強かったという証言が多かったのに対し本機はそれほど苦手意識は持たれていない。 本機は加速性能はいいが上昇率は高くなく最適上昇速度も232km/hと低い。 運動性は高速時のエルロンの利きはいいが低速時は悪く、ラダーも重くてスピンからの回復が困難など問題を抱えていた。 このような問題があるためベテランの乗る零戦なら十分互角以上に戦うことが出来た。 アメリカ側でも運動性のいい日本機相手ならF6Fの方がいいというパイロットが多かった。

F4Uはイギリス海軍にも供与され、本格的な運用は1944年から終戦までと期間的には短かったものの、アメリカ海軍よりも先の1943年の時点で空母イラストリアスで運用を行った。イギリス海軍では左旋回しつつ着艦寸前まで視界を確保しながらのアプローチを行い、アメリカ海軍で問題とされた視界不良を緩和できた。F4U-1はコルセア Mk. I、F4U-1Aはコルセア Mk. IIと命名され、F4U-1Dとその後期型であるコルセア Mk. IIIとMk. IVは、天井の低いイギリス空母格納庫への収容と低空における性能向上のため、主翼の翼端が切り落とされていた。アメリカで製造されたコルセアはクォンセット・ポイントなどから護衛空母でイギリスへと運ばれた。戦艦ティルピッツを攻撃するタングステン作戦では、爆撃部隊の護衛としてその役割を果たした。大戦末期にはイギリス太平洋艦隊へ編入された空母に同行し、日本近海でも作戦に従事した。

太平洋戦争末期からはようやくアメリカ海軍の空母でも運用が開始され、持ち前の空戦性能を生かしての空中戦に加え、その馬力を利用した爆装も可能であり、戦闘爆撃機としての運用も行われ、硫黄島や沖縄などを攻撃している。なお、本格的に空母に搭載されるようになったのは、初の本格的な戦闘爆撃機型であるF4U-1Dからである。もっとも元日本軍側搭乗員に対する戦後のインタビューでの回答では、多くの場合F6F程手強い存在とは認識されていなかった。

大戦後は戦闘機のジェットエンジン化が進んだが、初期のジェット戦闘機は木造甲板空母での使用に難があったため、戦後もF4Uの生産は続けられた。純粋な戦闘機としての任務はジェット戦闘機に譲り、レシプロ機は戦闘爆撃機として使われる事になったが、F4Uはこの目的にぴったりであり、生産は1950年代まで続いた。朝鮮戦争では海兵隊所属機として開戦当初に活躍した。また、当戦争で米軍初のMiG-15ジェット戦闘機の撃墜記録をもっている。

戦後はアメリカの同盟国に供給され、ラテンアメリカ諸国では長らく現役の座にあった。1969年のサッカー戦争においても使用され、レシプロ戦闘機同士の最後の空中戦を行った。同年7月17日、ホンジュラスとエルサルバドル国境付近で起きた2度の空中戦において、ホンジュラス空軍のフェルナンド・ソト大尉が操縦するF4U-5が、エルサルバドル空軍のF-51D 1機とFG-1D 2機を撃墜。ソト大尉は『最後のコルセア・ライダー』としてミリタリーファンによく知られる存在である。

当機はエンジンの交換、電子ポッドの装備など、数多くの派生型が存在している。これは当機が大型であった上、馬力にもかなり余裕をもって設計されているためにできたことであり、当機の設計の優秀さを物語っている。

名称について

アメリカ海軍軍用機の命名規則によりチャンス・ヴォート社に割り当てられた製造会社記号はUである。そのため、開発元のチャンス・ヴォート社が製造した機体であれば、この機体はチャンス・ヴォート社にとって4番目の海軍の戦闘機なのでF4Uとなるが、グッドイヤー社(記号G)が製造した機体では、グッドイヤー社はこれまで海軍戦闘機を製造したことは無かったのでFGとなる。また、ブリュースター社(記号はAでこれまで2種の海軍戦闘機を製造)製造の機体はF3Aである。さらに、チャンス・ヴォート社が製造したF4Uの攻撃機型は、チャンス・ヴォート社にとって初の海軍攻撃機となったためAUという記号がついた。当時のアメリカ海軍の命名規則では、このように同一の機体が製造会社などの細かな差異のために似ても似つかない複数の制式名称を持つようになってしまっていた。

一方、同じF4とついているグラマン社のF4F ワイルドキャットとはまったく別の機体である。このため、運用側(特に整備面)ではしばしば混乱を生じていたという。確かにF4という型番の機体が同時代に複数存在すると、紛らわしいのは事実である。

また、ハイフンを入れないF4Uというような表記が正しい型式であり、Fと4の間にハイフンを入れてF-4Uなどと表記される場合も見受けられるが誤りである。なお、日本海軍では主に「シコルスキー」と呼称された。チャンス・ヴォート社が一時期シコルスキー・エアクラフト社と提携していた事に由来すると言われている。

諸元 F4U-1A

全長 10.16 m
全幅 12.50 m
全高 4.90 m
翼面積 29.17 m²
翼面荷重 215.97 kg/m²
自重 4,073 kg
運用重量 6,300 kg
動力 P&W R-2800-8
出力 離昇2,000馬力
最高速度 671 km/h(高度6,000 m)
実用上昇限度 11,200 m
航続距離 1,634 km
武装 M2 12.7 mm 機関銃 × 6(携行弾2,350発)
爆装 127 mm ロケット弾 × 4 または 爆弾2,000 lb (907 kg)

さらに詳しく → F4U (航空機)



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