三八式歩兵銃 (Type 38 rifle、Type 38 Arisaka Rifle)

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2010/11/25(木)
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三八式歩兵銃(さんぱちしきほへいじゅう)、または三八式小銃(さんぱちしきしょうじゅう)は、日露戦争後から第二次世界大戦終了までの間、主に日本陸軍を中心に使われた小銃である。

概要

明治31年(西暦1898年)に採用された三十年式歩兵銃は日露戦争の際、中国大陸の戦線で使用してみると、設計上想定した以上の厳しい気候風土であったことから故障が頻発した。この為、改良型として本銃の開発が始まった。明治38年(1905年)に仮採用され、、明治39年(1906年)に制式採用されている。以後、昭和14年(1939年)に九九式小銃が開発されるまではほぼ唯一の小銃として使用され、採用された以後も日本陸軍における主力小銃の一つして、昭和20年(1945年)の終戦までおおよそ40年にわたって使用され続けた。総生産数は約340万丁であり、これは日本の国産小銃としては最多の生産数である。また、長期間に渡って主力小銃として使用されていたことから、多くの改造型も存在している。

読み方

三八式歩兵銃の「三八式」の読み方であるが正式には「さんはちしきほへいじゅう」である。しかし、「三八式」「三十八式」と書いて「さんじゅうはちしき」と、前身となった小銃が三十年式歩兵銃であったことから「三十八年式歩兵銃」と言われることもあったほか、通称として語呂がいいことから「サンパチ」「サンパチ式」と呼ばれるは多かった。

海外においては「Type-38 Arisaka Rifle」または単純に「Arisaka Rifle」と呼ばれることも多い。本銃の設計は南部麒次郎少佐によって行われたものであるが、原型となった三十年式歩兵銃を開発したのが有坂成章大佐であるからである。なお、海軍陸戦隊においても本銃は使用されていたが、こちらでは「三八式小銃」とされていた。

開発と製造

日露戦争で使用された三十年式歩兵銃は、機関部の構造が複雑なうえ、分解結合の際にファイアリング・ピン(撃針)が折れる故障が時折発生した。また、日露戦争では、設計時の想定以上の厳しい気候風土で満州をはじめ中国大陸の戦線で使用してみると、大陸特有の細かい砂塵が機関部内に入り込み、作動不良を引き起こした。こうした欠点を補うため、そこで、機関部の構造を簡素化しボルト(遊底)と連動するダストカバー(遊底覆い)を着ける等の改良が南部麒次郎少佐によって行われた。

この南部少佐による開発は明治38年(1905年)に仮採用、明治39年(1906年)に正式採用となり、明治41年(1908年)3月から配備開始され、おおよそ2年ほどで三十年式歩兵銃からの更新を完了した。なお、その後も大正10年4月に発錆防止のため、ライフル溝を6条から4条に変更する改良がなされている。

設計思想

三八式歩兵銃は、三十年式小銃の改良型であり、口径は同じく6.5mmである。三十年式との相違点は、三八式実包の採用、遊底覆(ダストカバー)の採用、遊底機関の部品の簡略化、扇転式照尺の装備、弾倉底の落下防止、弾倉発条をコイルスプリングから板バネに変更、さらに極寒地でも手袋をしたまま操作できるようにした点などである。遊底機関の簡略化は、銃砲開発史上画期的なものであり、世界最高銃と呼ばれたモーゼル銃よりもさらに3個も部品数の少ない、計5個の部品で製造されている。弾丸5発で1セット、歩兵1名腰ベルトの30発入の前盒2つに60発、60発入の後盒1つの計120発を1基数として所持した。

補給効率を考慮して、三八式歩兵銃を装備する中隊には、同じ三八式実包を発射する三八式機関銃、昭和期には十一年式軽機関銃及び九六式軽機関銃が配備された。日中戦争当時の日本軍の小隊火力の中心は軽機関銃と重擲弾筒であり、1個小隊は三八式歩兵銃の他、第1~3分隊に各軽機関銃1丁と第4分隊に重擲弾筒3門が定数であった。日本軍は三八式歩兵銃のみで戦ったという通説は、やや誇張されたものにすぎない。

製造技術

当時の日本の技術水準に合わせ、構造はごく単純化されていたが、それ以前同様に熟練の職工による現物合わせ的な手法で製造された。品質劣化が起こるまでは芸術品と呼んでいいほどの品質を誇ったものの、組立に当たっては一挺ずつ職人芸により調整していくしかなかった。先進各国の兵器においてこのころすでに取り入れられていたパーツの互換化はおこなわれず、その点では前時代的な兵器であった。日本が歩兵用小銃の部品互換性を実現するのは後継の九九式小銃まで待たねばならない。

木材部分は、国内産のクルミが使用されている。銃床部は、損傷防止のため、2個の木材部を上下に組み合わせている。金属部分、特に銃身鋼材については、軍用銃には珍しいタングステン合金銃身鋼(高速度鋼)が使用されている。この銃身鋼材は八幡製鉄所で精錬し、鋼材を各兵器廠で加工した。銃身鋼材を国内精錬とした初めての銃であるが、原料は国内調達ができず、タングステンこそ山口県産の重石鉱を使用したが、鉄鉱石は中国鞍山鉱山産を使用している。

また、銃身鋼の製法はオーストリアのボーレル社から取得している。また、銃身内部はクロムメッキが施され、製造工数は増えるが、耐久性の高いメトフォード型ライフリングが彫られていた。このクロムメッキによって銃身の寿命は発射数8000発程度と想定されていたが、兵士たちが金属ブラシで過剰に手入れした結果、クロムメッキがはがれ、想定した寿命より短命になるケースも非常に多かった。

実戦

三八式歩兵銃は第一次世界大戦において初めて実戦投入され、その後のシベリア出兵、満州事変からの太平洋戦争に至るまでの長期間、実戦部隊で使用された。昭和14年(1939年)に九九式短小銃が開発・生産されるようになって以後、徐々に九九式短小銃に取って代わられるようになり、昭和17年3月に名古屋工廠で生産を完了したが、その後も終戦時まで使用されている。

太平洋戦争の後、三八式歩兵銃の多くは連合軍に接収され、大半は廃棄処分された。しかし、一部のものは、警察予備隊が使用していた時期がある。なお、本銃にまつわるのエピソードとして、戦後、グアム島で28年間に渡って残留日本兵となっていた横井庄一伍長は日本に生還してきた際、「天皇陛下よりお預かりした三八式小銃はちゃんと持って参りました。」と発言したというものがある。

現代

太平洋戦争時終戦時の武装解除、また銃刀法の存在などにより、国内には余り三八式歩兵銃は存在していないが、海外にまとまった数の三八式歩兵銃が現存している。アメリカやカナダではスポーツライフルとして流通しており、フィンランドのノルマ社が製造している6.5mm×50弾が使用されている。こうした三八式歩兵銃は、一度アメリカに渡ったものが、着剣装置等を削除し軍用銃としての適用を受けない民生用ライフルとしての措置を施されたものである。これらの一部は再び日本に戻り、競技用ライフルや狩猟用ライフルとして正規に所持されているものも存在するほか、無可動実銃として日本国内に売られているものも存在する。

また、三八式歩兵銃は猟銃としても使用されている。主に使用されている6.5mm×50弾は反動が軽く命中率は高いが威力は小さく、こうしたことから小型鳥獣向けとされ、グリズリーなどの大型動物に対しては即死させることが難しいため不向きとされている。2007年現在でも欧米ではかなりの数が稼動状態で現存しており、銃マニアの間では人気が高く、6.5 x 50 mm弾は現在でも北欧フィンランドのメーカーであるノルマ社から製造販売されており入手することが出来る。

仕様

種別 軍用小銃
口径 6.5mm、海外輸出用使用弾薬改良モデル有
銃身長 797mm
ライフリング 初期型は6条右回り、後期型は4条右回り
使用弾薬 三八式実包
装弾数 5発
作動方式 ボルトアクション方式
全長 1276mm(三十年式銃剣着剣時 1663mm)
重量 3730g(三十年式銃剣着剣時 4100g)
銃口初速 762m/秒

さらに詳しく → 三八式歩兵銃



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