北送阻止隊 (北韓送還阻止工作員)

航空兵器・陸上兵器・海上兵器・銃器・戦争・紛争・歴史・革命・テロ・事件・軍事動画・ニュース(報道)・社会情勢・政治運動・評論・講演など、軍事関連の情報を公開しています。宗教・思想・経済・政治的なものも少しアリ

広告
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010/11/23(火)
*



朝鮮戦争の休戦会談の開始当時、韓国では休戦後も国土が荒廃したままで、経済活動は衰退し、世界最貧国となっていた。一方、北朝鮮は、1955年に在日朝鮮人が極左急進主義を弱めて設立した朝鮮総連と緊密な連携をとるようになった。また、北朝鮮は共産圏諸国の支援を受けることによって復興を遂げつつあり、在日朝鮮人にも在日朝鮮学校への支援などの資金援助をおこなった。

韓国政府は北朝鮮に対し教育費の援助を止めるよう抗議を行ったが、韓国政府自身は支援を行わず、在日本大韓民国居留民団(現 在日本大韓民国民団)からの抗議を受けて支援を行ったものの、その額は北朝鮮の10分の1にとどまった。在日朝鮮人は朝鮮半島南部(現在の韓国)出身者が99%を占めていたが、このような経緯から北朝鮮に対して信頼を寄せるようになり、大多数が朝鮮総連に加入するようになった。

危機感を募らせた韓国政府は日本に大量の工作員を送り込むことを決定した。1959年9月、韓国政府は日本に戻ることなく韓国に帰還したままであった在日義勇兵(在日朝鮮人の韓国軍への志願者)たちに、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業を阻止するために日本に潜入して妨害工作活動を行う工作員となるよう要請した。韓国政府は在日義勇兵42人・韓国本土人24名からなる北韓送還阻止工作員を結成した。また、韓国政府が日本国内で組織した工作員も妨害活動を行うことになる。

関連年表

1945年9月2日 - 1952年4月28日、連合国最高司令官の指令により多くの密入国者や犯罪者の在日朝鮮人が韓国に強制送還される(大村収容所だけでも3633人)。自ら帰還を希望した在日朝鮮人140万人は日本政府の手配で帰還する。

1952年4月28日、日本国主権回復。以後、韓国政府は日韓政府協定が結ばれていないとして在日朝鮮人の引き取りを拒否。

1956年、北朝鮮の金日成国家主席は朝鮮労働党第三次大会で在日朝鮮人学生を衣食住・学費の全てを無償で北朝鮮へ受け入れると発表し、在日朝鮮人の帰国を呼びかけた。声明を受けて、日本国内では朝鮮総連は帰国促進運動を繰り広げた

1959年2月13日、石橋内閣は「在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題は基本的人権に基づく居住地選択の自由という国際通念に基づいて処理する」とした閣議了解を行った。

1959年8月、韓国の李承晩大統領は「日本は人道主義の名の下に北朝鮮傀儡政権の共産主義建設を助けようとしている」と非難し、予定されていた日韓会談の中止を指示した。

1959年8月、カルカッタで日朝赤十字社間で帰還協定が締結。在日本大韓民国居留民団は韓国政府の意向で北送反対闘争委員会を結成。

1959年8月25日、在日本大韓民国居留民団員たちが日本赤十字本社に乱入。

1959年9月、韓国政府は在日義勇兵42人・韓国本土人24名からなる北韓送還阻止工作員を結成。

1959年9月末、ソウル江北区牛耳洞の訓練所で「破壊班」「説得班」「要人拉致班」に分かれて訓練が行われた。

1959年12月初旬、潜入アジトを設けるために先発隊が慶尚北道慶州市甘浦港から船員に偽装して貿易船に乗り込み、ボートに乗り換えて小倉と関東で活動する部隊ごとに海岸から上陸した。工作事件の舞台となる新潟県に隣接する富山県にはテロ部隊の本部がおかれた。

1959年12月4日、警視庁外事課は新潟県新発田市内のバーで密談を行っていた工作員2名に任意同行を求め、新発田警察署で取り調べを行った。工作員の鞄の中からは雷管を装てんした4本組のダイナマイト3束の計12本が発見され、爆発物取締罰則現行犯で逮捕された。さらに、新潟駅では工作員が駅に預けたガソリン1ℓ缶4本を隠したウィスキー箱が発見され、工作員たちは新潟日赤センターを爆破しようとしていたことが判明した。

また、この工作事件は韓国代表部(領事館)の金永煥三等書記官と来日中の韓国特務機関の幹部が指揮をとっていたことも明らかにされた。この時逮捕された工作員は、日本国籍を取得した在日韓国人と在日義勇兵として朝鮮戦争に参加した韓国治安局所属の在日朝鮮人である。日本国籍を取得している在日韓国人は事件前には、新聞記者と称して日本赤十字社本部の周辺に入り浸っており、日本赤十字社からは出入り禁止とされていた。事件発覚後、警察は次々と韓国の工作員を摘発した。この爆破未遂事件は日本社会に衝撃を与え、韓国政府や在日大韓民国居留民団に対しての日本世論が硬化した。

1959年12月7日には釜山港から神戸港に上陸しようとしていた工作員を載せた大栄号が関門海峡で海上保安官に臨検されて強制停泊させられた後に、韓国に引き返している。

1959年12月8日、衆議院法務委員会にて社会党の猪俣浩三代議士は自身が事件発覚前に新潟日赤センター爆破計画と事件実行犯である工作員○○が新潟に入るとの情報を帰還促進団体からすでに受けていたことを明らかにした。また、猪俣は安斗熙、張斗権、韓九、柳日熙、李周浩ら韓国軍の特務機関員が日本に潜入しており、韓国代表部(領事館)の金永煥が用意した韓国銀行あての小切手800万円が韓国人を介して12月4日午後二時半、韓国料理店で安斗熙らに渡されたとの情報を明らかにした。

その際、金九(元大韓民国臨時政府主席)暗殺実行犯の安斗熙が姜斗熙という偽名でアメリカ空軍立川基地を経由して潜入したとしている。また、韓国の工作活動は三つに分かれており、第一は、新潟日赤センター爆破計画、第二は、輸送の列車爆破、第三は、すべてが失敗に終わった時に朝鮮総連幹部と北朝鮮側の帰還責任者に対してテロを行なうというものであった。そして、「何がゆえに一体、北鮮に帰りたいという朝鮮人をせっかく日本政府が北鮮に帰すというのに対して、彼らが反対するのであろうか」とたずねた。

1959年12月8日、駐日代表部の柳泰夏大使が新亜通信のインタビューにおいて事件との関係を否定したことが報じられる。

1959年12月12日には巨済島を出発した韓国工作員を載せた明星号が下関近海で暴風に遭い沈没し12名が死亡。

1959年12月下旬には在日義勇兵として朝鮮戦争に参加した後、再び日本に渡航して大阪府に住んでいた男性のもとに、韓国に帰還したままであった在日義勇兵の友人が8人の男を引き連れて現れると、そのまま居候するようになり、夜にはラジオで韓国から送られてくる暗号を受信するなどして工作活動を開始した。追って、工作資金2000ドルも送付されてきた。

1960年4月19日に四月革命が起こり、李承晩大統領が失脚すると工作活動は下火となった。

1960年5月3日、山口県下関彦島江ノ浦桟橋から鮮魚運搬船で韓国に密出国しようとしていた韓国工作員24名が逮捕された。工作員たちは先に神戸、長崎、下関付近から密入国していた。

1960年5月10日、警視庁外事課が韓国工作員を出入国管理法違反で逮捕。工作員は李承晩大統領直属の景武台機関出身で在日同胞の北朝鮮帰国阻止決死隊の隊員だった。工作員は日赤センターや船や列車を破壊する任務を与えられていた。

1960年5月29日、李承晩ハワイへ亡命(四月革命)。

2009年5月19日、工作活動中に死亡した工作員は「在日同胞北送國家任務随行殉職者」として戦没者を祭る韓国の国立墓地で顕彰される。

さらに詳しく → 在日朝鮮人の帰還事業  新潟日赤センター爆破未遂事件



北朝鮮帰国事業 - 「壮大な拉致」か「追放」か (中公新書)北朝鮮帰国事業 - 「壮大な拉致」か「追放」か (中公新書)
(2009/11/26)
菊池 嘉晃

商品詳細を見る
関連記事

タグ : 北送阻止隊 北送事業 朝鮮総連 新潟日赤センター爆破未遂事件 在日朝鮮人の帰還事業

この記事へのコメント
URL:
Comment:
Pass:   
この記事のトラックバックURL
http://gunjimania.blog108.fc2.com/tb.php/1841-fdd45572
 この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

 | Copyright © 軍事マニアクス - Military Maniacs All rights reserved. | 

 / Template by 家族 ペット 自分史 ブログ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。