ガトー級潜水艦 SS-224 コッド (Gato-class submarine SS-224 USS Cod)

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2010/11/20(土)
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コッド (USS Cod, SS/AGSS/IXSS-224) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の13番艦。艦名は北大西洋及び北太平洋に生息するタラに因む。

艦歴

コッドは1942年7月21日にコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工する。1943年3月21日にG・M・マホニー夫人によって進水し、艦長ジェームズ・C・デンプシー少佐(アナポリス1931年組)の指揮下1943年6月21日に就役する。コッドは作戦準備のためブリスベンに、次いでダーウィンに回航された。

第1、第2の哨戒 1943年10月 - 1944年3月

10月14日、コッドは最初の哨戒で南シナ海に向かった。バンダ海、モルッカ海を抜けて、中沙諸島近海の哨戒海域に到着。コッドは敵を求めて海南島、トンキン湾にまで足を伸ばした。11月29日朝、コッドは輸送船とタンカーで構成された輸送船団を発見。2隻の輸送船に向けて魚雷を2度にわたって6本発射したが、攻撃は成功しなかった。コッドはモルッカ海を通ってダーウィンに寄港。12月16日、コッドは63日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

1944年1月11日、コッドは2回目の哨戒でハルマヘラ島、ジャワ島、南シナ海方面に向かった。哨戒期間の前半は南シナ海で行動し、1月29日には輸送船団に接触したが、よい攻撃位置を占めることが出来なかった。2月9日にも商船を攻撃したが失敗した。2月16日には北緯12度38分 東経112度33分 / 北緯12.633度 東経112.55度 / 12.633; 112.55の地点でサンパンを破壊した。

コッドは南に下り、2月23日には北緯03度53分 東経129度17分 / 北緯3.883度 東経129.283度 / 3.883; 129.283のハルマヘラ島北東海域で輸送船団を発見。タンカー第三小倉丸(共同企業、7,350トン)を撃沈した。4日後の2月27日には北緯01度48分 東経127度32分 / 北緯1.8度 東経127.533度 / 1.8; 127.533の地点で貨物船大速丸(大阪商船、2,473トン)を撃沈した。2月29日にも船舶を攻撃したが、爆雷攻撃に遭い深深度潜航を余儀なくされた。3月13日、コッドは62日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

第3、第4の哨戒 1944年4月 - 8月

4月6日、コッドは3回目の哨戒でスールー海、南シナ海、ルソン島方面に向かった。5月10日朝、コッドは北緯15度47分 東経119度32分 / 北緯15.783度 東経119.533度 / 15.783; 119.533のマニラ湾口北西海域で、レーダーで輸送船団の接近を探知。観測し続け、ほどなく輸送船と護衛艦総計32隻にも及ぶミ03船団の姿を発見。船団の中に割って入り、前部と後部の発射管から魚雷を発射。後部からの魚雷が駆逐艦刈萱に2本が命中して撃沈。前部からの魚雷は笠戸丸クラスの貨物船他3隻の輸送船に対して発射され、昌平丸(三井船舶、7,255トン)に命中、これを撃沈した。6月1日、コッドは56日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がジェームズ・A・"キャディ" アドキンス(アナポリス1926年組)に代わった。

7月3日、コッドは4回目の哨戒で南シナ海、ルソン、ジャワ方面に向かった。7月16日、コッドはカラミアン諸島近海で3隻の輸送船団を発見。後部発射管から魚雷を発射したが命中せず、逆に反撃を食らって2基のエンジンに軽度のダメージがあった。7月17日と20日、25日にもマニラ湾口やセレベス海で輸送船団に対して攻撃を行ったが、いずれも攻撃は失敗に終わった。

一連の攻撃で魚雷を撃ちつくしたコッドは、補給のため7月31日にダーウィンに寄港し、魚雷、燃料、食料品を搭載して8月1日に再出撃した。8月3日、コッドは南緯01度45分 東経126度14分 / 南緯1.75度 東経126.233度 / -1.75; 126.233のマンゴリ島近海で特設捕獲網艇星光丸(三光汽船、708トン)を撃沈。8月10日深夜には南緯05度43分 東経120度49分 / 南緯5.717度 東経120.817度 / -5.717; 120.817のセレベス島南岸で特設駆潜艇東石丸(日本海洋漁業、89トン)に魚雷を命中させて撃沈し、日付が変わった前後に出現した第六新生丸(林兼商店、260トン)に魚雷を命中させて撃沈した。

8月13日昼ごろには、南緯05度28分 東経125度08分 / 南緯5.467度 東経125.133度 / -5.467; 125.133の地点で船舶を発見。コッドはまず浮上砲戦を行い、4インチ砲と20ミリ機銃で砲撃。相手は戦車揚陸艦のようではあったが、味方が得ていた日本海軍艦船情報に戦車揚陸艦に関する情報はなかったため、その姿をスケッチに描いた後、月夜下での攻撃を期して潜航した。日付変わって8月14日未明、コッドは未知の戦車揚陸艦、すなわちで第129号輸送艦に対して魚雷を4本発射し、3本を命中させて撃沈した。8月18日にもレーダーを使って探知した目標に対して魚雷を発射したが、命中しなかった。8月25日、コッドは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

第5の哨戒 1944年9月 - 11月

9月18日、コッドは5回目の哨戒でルソン島、ミンダナオ島方面に向かった。10月5日、コッドは北緯13度01分 東経120度15分 / 北緯13.017度 東経120.25度 / 13.017; 120.25のミンドロ島近海でマミ11船団を発見。辰城丸(辰馬汽船、6,886トン)を撃沈した。10月7日には僚艦レイ (USS Ray, SS-271) からの情報に基づいて目標に接近。マニラ北西方で給油艦知床に魚雷を2本命中させて撃破した。

10月23日から25日のレイテ沖海戦では引き続きルソン島西岸部で待機。25日にはマニラに接近しつつある輸送船団の情報が入り、その輸送船団、フィリピンの戦いに投入される第1師団の将兵、軍需品を満載したモマ04船団には浅間丸(日本郵船、16,975トン)の名前もあった。コッドはレーダーでモマ04船団に接近していったが、結局接触すら出来なかった。11月に入ると、コッドはルソン島を空襲する第38任務部隊機のパイロットを援護する任務も担当した。11月20日、コッドは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投。メア・アイランド海軍造船所に回航されてオーバーホールに入った。オーバーホールを終えたコッドは、1945年3月7日に真珠湾に戻った。

第6、第7の哨戒 1945年3月 - 8月

3月24日、コッドは6回目の哨戒で東シナ海に向かった。この哨戒では主に救助活動を担当することとなった。3人のパイロットを救助した後、4月17日には浮上砲戦でタグボートと木造のタンカーを撃沈した。コッドは生存者を救助し、タグボートの名は "Choyo Maru" と言い、下関の船でコールサインは "JUVJ" であることが分かった。木造のタンカーの生存者の方は、船の名前を "Baishi Maru" あるいは "Banshi Maru" と言った。4月24日深夜、コッドは北緯25度42分 東経121度15分 / 北緯25.7度 東経121.25度 / 25.7; 121.25の基隆港外で2隻の船を発見し、そのうちの1隻に対して魚雷を4本発射。しかし、この攻撃は失敗した。コッドは旋回して後部発射管から魚雷を3本発射。うち1本が命中して目標は沈没した。

コッドは1人の下士官を救助し尋問した。尋問の結果、彼の名前は恐らく「アリマ」と思われ、今しがた撃沈した、彼の乗っていた艦船は第41号掃海艇だろうということが分かった。 4月26日夜、コッドは浮上中に後部魚雷発射管室で火災を起こし、その復旧に努めた。魚雷の誘爆を防ぐため、後部発射管に搭載された魚雷は手動発射で放棄されることとなった。乗組員は火災を冒して消火と放棄に務めたが、その作業中に魚雷積み込み用のハッチから L・E・フォーリーとアンドリュー・G・ジョンソンが海中に転落した。フォーリーは翌朝救助されたが、ジョンソンはそのまま行方不明となった。5月29日、コッドは65日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。艦長がエドウィン・M・ウエストブルック・ジュニア(アナポリス1938年組)に代わった。

6月26日、コッドは7回目の哨戒で南シナ海、タイランド湾方面に向かった。7月7日にカムラン湾を偵察した後、コッドはスービック湾に向かう予定だった。その翌日、コッドは南沙諸島日積礁 "Ladd Reef" (北緯08度40分 東経111度40分 / 北緯8.667度 東経111.667度 / 8.667; 111.667)に乗り上げたオランダ海軍潜水艦 O-19 (HNLMS O-19) 救援のため現場に急行した。

同日夜に現場に到着したコッドは、O-19 の引き降ろし作業に取りかかった。しかし、艦はびくともせず作業は無駄に終わり、 O-19 の引き降ろしを断念して処分することとなった。7月10日、コッドは乗組員全員を収容した後、5インチ砲弾16発と魚雷2本を撃ちこんで O-19 を処分した。

コッドは O-19 乗組員を乗せてスービック湾に向かい、7月13日に彼らを上陸させた後、翌日に再出撃した。7月19日、コッドは、輸送船団攻撃の際に護衛の駆逐艦神風の反撃で損傷したホークビル (USS Hawkbill, SS-366) に代わって船団を追跡。しかし、攻撃は失敗した。コッドは船団情報を発信し、それに基づいてバンパー (USS Bumper, SS-333) が船団に食いついた。7月21日から8月1日までの間、コッドはマレー半島テンゴール岬沖で小物狩りに勤しんだ。この期間に、友好的な現地住民を助けた上で臨検して破壊した、総計23隻ものモーターサンパンやスクーナー、ジャンク、はしけは、シンガポール方面の日本軍勢力に対する、この時期に唯一残された補給路であった。

コッドの攻撃により、小船集団とともに米、砂糖、ガソリンなど各種油類、紙、コーヒーなどの物資は海中に消え失せた。8月1日の攻撃の際に哨戒機に発見されたためコッドは潜航し、サンパンの乗組員は後日、ブレニー (USS Blenny, SS-324) に救助された。

8月13日、コッドは47日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。この時、 O-19 乗組員一同が帰投したコッドを出迎え、コッドの乗組員のためにパーティーを開くこととなった。2人の乗組員は日本の降伏を知っていた。この忘れがたい記念として、コッドのバトルフラッグと艦橋には "O-19" の文字とマティーニが描かれた。

戦後

コッドは8月31日にフリーマントルを出港し、帰途にマイアミとフィラデルフィアに寄港した後、11月3日にニューロンドンに到着。その後、1946年6月22日に予備役艦となった。

コッドはフランシス・E・リッチ艦長の指揮下1951年に再就役し、NATOの対潜水艦訓練演習に参加する。冷戦下における航海はニューファンドランド沖で行われた。演習「LANTFLEX'52」でコッドはアメリカ軍の空母を撃沈し賞賛された。

コッドは1954年に予備役となり保管された。1959年にはオハイオ州クリーブランドで予備役訓練艦として使用するため、新たに作られたセント・ローレンス水路を通って牽引された。歴戦の武勲艦は遠足で訪れた児童達によって見学された。コッドは1962年12月1日に AGSS-224 (実験潜水艦)へ艦種変更され、1971年6月30日には IXSS-224 (非分類雑役潜水艦)へ再変更され、同年に除籍された。

コッドは12隻以上の敵艦を沈め、その総トン数は37,000トン以上になる。さらに36,000トンにおよぶ敵艦を破壊した。7回の哨戒は成功し、その戦功で7個の従軍星章を受章した。

博物館船

一部のクリーブランド市民がコッドを湖畔上の記念碑として保存するため、コッド保存委員会を組織した。1976年1月に海軍は委員会に潜水艦の後見の権利を与えた。1976年5月にコッドは浮かぶ記念碑としての経歴が始まり、間もなく観光名所としての地位を確立した。1986年には内務省がコッドをアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定した。

コッドは現在もクリーブランドで博物館船として、アメリカ海軍潜水艦部隊100年の歴史において殉職した3,900名以上の乗組員の記念碑として公開されている。また、毎年5月1日から9月30日の間に艦を訪れるよう宣伝が行われる。

コッドは非常に良く復元され、唯一公開展示のためドアや船体を切断したり階段を設置されなかった潜水艦である。コッドを訪れた見学者は乗組員が使用したのと同じ垂直梯子やハッチを使って艦内に入る。コッドの4基のディーゼルエンジンはゼネラル・モーターズのクリーブランド工場によって生産されたため、クリーブランドは艦の生誕地の一部であると主張することができる。

コッド記念碑は最近スティングレイ (USS Stingray, SS-186) で使用された2基のGMクリーブランド・モデル248エンジンを取得した。2基のエンジンはコッドの復元のために使用された。

性能諸元

排水量 1,526トン(水上)
     2,424トン(水中)
全長 307ft (93.6m)(水線長)
    311ft 9in (95m)(全長)
全幅 27.3 ft (8.3 m)
吃水 19.3 ft (5.9 m)
機関 ゼネラル・モーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基
    ゼネラル・エレクトリック発電機2基
最大速 水上:20.25 ノット (37 km/h)
     水中:8.75 ノット (16 km/h)
航続距離 11,000カイリ(10ノット時)
      (18.5 km/h 時に 20,000 km)
試験深度 300ft(90m)
乗員 士官、兵員70名(平時)
    士官、兵員80 - 85名(戦時)
兵装 3インチ砲1基、機銃(竣工時)
    4インチ砲1基、20ミリ機銃2基(1944年2月)
    5インチ砲1基、40ミリ機関砲、20ミリ機銃(終戦時)
    21インチ魚雷発射管10基

さらに詳しく → コッド (潜水艦)



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(2005/11)
木俣 滋郎

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タグ : 潜水艦 コッド アメリカ海軍 ガトー級潜水艦 SS-224

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