セミパラチンスク核実験場 (Semipalatinsk Test Site、Семипалатинский ядерный полигон)

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2010/11/11(木)
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セミパラチンスク核実験場(Семипалатинский ядерный полигон)は、旧ソビエト連邦核実験場のひとつであった。カザフ共和国(現カザフスタン)の北東部、セメイの西方150kmの草原地帯にあり、面積は約18,000km²(四国の面積にほぼ等しい)。

1949年から1989年の間に合計456回の核実験に使用された。施設は最初の核実験からちょうど42年目にあたる1991年8月29日に正式に閉鎖された。

概要

1947年にラヴレンチー・ベリヤによってこの場所が選ばれた。核実験の準備に伴い、実験場郊外に秘密都市セミパラチンスク-21(現在のクルチャトフ市)が建設され、関係者が集められた。

ソ連最初の核実験RDS-1は1949年8月29日に行われた。実験を指揮した核物理学者のイーゴリ・クルチャトフは、後に、もし核実験が失敗したらスターリンの命により銃殺刑に処されることを覚悟していた、と述懐している。

その後、1953年8月12日の水爆装置実験RDS-6(核融合そのものは失敗)、1955年11月22日の初の水爆実験RDS-37、核の平和利用実験(下記参照)などが行われた。なお、RDS-6の実験に当たっては、付近の住民のうち一部の成人男子を放射能汚染地域に滞在させた。これは人体実験だと見られている。またベトナムの枯れ葉剤のようにここでも奇形児が生まれ、ホルマリン漬けで保存されている。

その後放射能汚染による住民の健康被害が次第に広がり、地元の研究者たちによる調査が行われたものの、核実験を優先するソ連当局に黙殺され続けた。ソ連末期のグラスノスチにより実験の実態が明らかになると国際的な非難が高まり、1991年8月29日に実験場は正式に閉鎖された。

セミパラチンスクの核実験で120万人が被爆し30万人ほどが放射能の後遺症を受けているが、結局ソ連政府(宗主国ロシア)から補償はなく、ソ連時代には訴えを一切聞いてはもらえなかった。

原子の湖

セミパラチンスク核実験場の近辺には、チャガン湖 (Lake Chagan) という名称の人造湖が存在する。この人造湖は、旧ソビエト連邦が1965年に行った地下核実験(チャガン核実験)によって誕生した。

核爆発によって大地を吹き飛ばして作った湖であるため、湖の周囲はカルデラ湖のような外輪山が存在する。また、湖とその付近は放射能汚染が激しく、2006年現在においても高濃度の放射線が観測されている。その成因および放射能汚染度の高さから、「原子の湖」 (Atomic Lake) という別名がある。

さらに詳しく → セミパラチンスク核実験場


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森住 卓

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タグ : セミパラチンスク 核実験 カザフスタン ソビエト連邦

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