メッサーシュミット Me262 (Messerschmitt Me 262)

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2010/10/07(木)
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メッサーシュミット Me262Messerschmitt Me 262)は、第二次世界大戦末期にドイツ空軍が使用したジェット戦闘機、爆撃機である。愛称は「シュヴァルベ(Schwalbe、ドイツ語でツバメの意)」。世界初の実戦配備および実戦を行ったジェット機である。

開発

第二次世界大戦末期のドイツ空軍の最終兵器として登場したイメージが強いが、ジェット戦闘機の開発自体は開戦前の1938年から始まっていた。ドイツでは翌1939年、ハインケル社がジェット機の初飛行に成功し、ターボジェットエンジンの製作がBMW社及びユンカース社で始まっていた。

1939年6月7日、メッサーシュミット社からP1065計画が立案され、その設計の完成度は高かったが、後に生産された機体とは外見がだいぶ異なっていた。予定されていたBMW003ジェットエンジンが開発中に寸法が大型化。そのまま取り付けると機体の重心が狂ってしまい危険だった。その解決策として、エンジン外側の主翼を後方に18.5度曲げて後退角を付けた。本機は最初から後退翼機として設計されたというよりは、結果としてそうなったという方が相応しい。浅い後退角は後退翼効果を得るのには不十分で、重心位置改善以外に性能向上に貢献したとは言えない。エンジン装着位置も、当初案では翼桁の間に設置し、それは簡単ではなかったので、主翼下に装着位置を変更。このあたり、当時未知のジェット機を開発する過程での試行錯誤だろう。さらに正面から見た胴体形状を、楕円形から上向き三角形に変更し、武装も20mm砲3門から30mm砲4門へ強化するなど、様々な設計変更を余儀なくされた。

1941年4月18日、試作1号機であるMe 262 V1の試験飛行が試みられた。当時BMW 003エンジンが実用レベルに達していなかったため、やむなくレシプロエンジンのユンカース社製Jumo 210Gを機首に装着して行われ、操縦性は極めて良好と判明。BMW003エンジンが搭載された後も、安全上の理由で機首Jumo 210Gエンジンはそのまま残したがこの措置は妥当だった。

1942年3月25日、Me 262 V1のジェットエンジンを用いての初飛行中、エンジンが2つとも停止し、機首のJumo 210Gだけで緊急着陸した。信頼性の低いBMW 003に代わって、ユンカース社のJumo 004A エンジンに換装、また機首のレシプロエンジンを撤去し、武装としてMG 151/20機関砲3門が搭載された。本機は1944年6月7日の試験飛行で損傷して飛行不能となり、その役目を終えた。試作2号機であるMe 262 V2では当初からJumo 004 Aが搭載され、1942年10月1日に初飛行に成功、しかし翌年4月18日に事故で失われている。

試作3号機であるMe 262 V3は、1942年7月18日、ドイツ南部のギュンツブルク地区・ライプハイム空軍基地において、フリッツ・ヴェンデルの操縦によりジェットエンジンのみでの初飛行に成功し、ジェット機として新たなスタートをきった。しかし、更なる改良が加えられた。エンジン内側の主翼にも後退角が付き、前縁スラットを追加。また当初尾輪式だった降着装置は、試作5号機Me 262 V5からP.1065案同様の前輪式に変更された。尾輪式だった理由は、三車輪式が「アングロアメリカの発明品であるから」というナチス的な理由によるものであった。このため、離陸速度に達しても迎角が大きく離陸できず、ブレーキを軽く踏むことで機を水平にすることが必要であった。この間もテスト飛行は続けられ、1942年中に機体の調整は完了していたが、Jumo 004エンジンは依然不安定で、量産には手間取った。

1943年になると、試作4号機が空軍首脳部に披露され、同年5月22日にアドルフ・ガーランド少将(当時)がMe 262 V4に試乗。これを「天使が後押ししているようだ」と絶賛し、レシプロ機からの転換を言明した。さらにJumo 004B-0を搭載し前輪式降着装置を油圧引込式に改良した試作6号機Me 262 V6が、7月25日に航空相ヘルマン・ゲーリング元帥とエアハルト・ミルヒの前でデモンストレーション飛行を行った。

1943年11月26日、インスターブルク航空センターで地上展示された空軍の各種新兵器の中にあった、Me 262 V6を見た総統アドルフ・ヒトラーは、ゲーリングに対しこれは爆弾の搭載が可能であるかと質問した。ゲーリングの(事前にメッサーシュミット博士と打ち合わせ用意していた)理論的に可能であるとの解答を受け、ヒトラーは「電撃爆撃機が誕生した!」と宣言し、Me 262を高速爆撃機として生産するよう命じた。しかし、これらはMe262の高高度での高速性という性能をもつ飛行機の用途としては無意味な提案であった。

当時、連合国軍の大規模爆撃がドイツ各地に被害を与え、ヒトラーとしては、それに対する報復と、ヨーロッパ大陸への侵攻に備え集結していた連合軍への攻撃を考えていたのである。後のガーランドの談によると、彼はジェット機開発計画の初期段階である1942年春の会議ではMe 262を戦闘機とするか爆撃機とするか、一面的に開発を進めるべきではないと発言し、メッサーシュミット博士も同意見であったという。ゲーリングがヒトラーに対して爆撃機として使用可能であると答えたのも、機種全体の開発計画を推進させるためのものであったのだが、これは結果的に戦闘機としての実戦投入を遅らせるだけの結果となった。

ガーランドはMe 262を戦闘爆撃機として運用することを推進するディートリッヒ・ペルツと対立しながらも、本土防空用戦闘機としての編成を進めていた。しかしヒトラーはこれを拒否、ミルヒからの解答でMe 262が戦闘機型のみ作られていることを知って激怒し、1944年5 月23日の会議で、Me262を戦闘機と呼ぶ事を禁じ、爆撃型のみを生産させた。ただし1944年6月の会議の記録では、それはジェット爆撃機であるAr 234の生産が軌道に乗るまでの暫定的なものとされている。そして空軍上層部との対立が激しくなったガーランドは、後に戦闘機隊総監の地位を解任された(しかし、大戦末期の1945年2月、彼はMe262装備の部隊の指揮官となっている)。

利点

山のように様々な問題点を持ったMe262だったが、それらを差し引いてもなお、最新鋭のレシプロ機すらをも陳腐化させるのに十分な性能を持っていた。 エンジンの加速力が低い為に高度を上げるのには非常に時間がかかったが、いったん上昇してしまえば存分に高速度を発揮する事ができた。高度6,000mにおける水平飛行で870km/h、緩降下においては900km/h以上という桁外れの飛行速度は、同時代の航空機より150km/h以上も速かった。当時の空戦では、速度が敵機よりわずか30km/h速いだけで一方的に優位を維持できたのだから、もはや比較する事すら馬鹿馬鹿しい、次元が違う速度差だといえた。フランス空軍のエース・パイロットとして知られるピエール・クロステルマンは、片方のエンジンが停止した状態のMe262をテンペストで追跡したが、全く追い着けなかったと語っている。また、信憑性は低いが、Me262で飛行中に嵐に巻き込まれた際、偶発的に音速を超えて飛行したと主張するパイロットすら現れた。

手馴れてきたパイロットがうまく操縦すれば、敵の護衛戦闘機を振り切って、爆撃機だけを集中的に攻撃する事が可能になった。その速度は、爆撃機を護衛するアメリカ陸軍戦闘機P-51よりも速く、レシプロ機であった従来の連合国側の空軍戦闘機では迎撃が困難だった、イギリス空軍の高速な爆撃機/偵察機デ・ハビランド モスキートにも十分追いつく事ができた。

武装も桁外れに強力な物が搭載された。初期型ですら高火力を誇った、30mm機関砲を4門も装備しており、重防御の連合軍側爆撃機を紙飛行機のように撃墜する事ができた。さらに戦争末期になるとR4M ロケット弾のラックを主翼下に搭載したタイプが実戦配備された。このロケット弾は、ヒトラーの「空での戦い自体は第一次大戦の時代と同様、機銃で互いに撃ち合う方法から全く進歩がない」との進言から開発されたとされ、両方の主翼下に12発ずつ、一機あたり計24発が懸架出来る木製のラックが飛行性能を阻害しないように取り付けられ、 800メートルの距離から編隊飛行中の4発重爆撃機に対して発射すると散弾的な効果により高い命中率が期待できた。さらに、R4Mは目標に命中してから爆発するまでの時間にあえてタイムラグを設けることにより効果的な爆破を実現(命中後に敵機内部までめり込んだR4Mが、丁度そのタイミングで爆発するように工夫されていた)し、わずか1~2発が命中すればそれで爆撃機を撃墜する事ができた。このロケット弾及びロケット弾懸架装置を搭載したMe262の活躍により、敗戦直前の約1ヶ月間に500機もの連合国軍機を稼動不能に追い込むことができた。

R4Mは破壊力が高いものの空中弾道性は低いため、運用には編隊飛行中の爆撃機に接近した上での射撃という困難な作業が必要であった。しかし、当時最高の速度をほこるMe262の存在と、短時間で一度に発射できる装置の発明のためにスマッシュヒットとなった。最後の1ヶ月あまりで500機という爆撃機への戦果は、仮にR4Mロケット弾搭載型のMe262が実際より1年早く登場していたとすれば、連合国側の被害はノルマンディー上陸作戦が実行不可能な規模に膨れ上がっていた計算になる。

問題点

初期のジェットエンジンが持つ問題が、低速時の推進力が弱い事だった。急加速をするためにスロットルを開き、必要以上に燃料を燃焼させる事自体は可能だったが、重い機体を劇的に加速させる程の意味はなかった。また、その状態が続くと熱でエンジンのバーナー室を溶かしかねず、もしそうなればそれはエンジンの死を意味した。

これは着陸の難しさにも直結した。操縦席から下方が見えにくい構造だった上に、上記のようにスロットルの反応が鈍いため滑走路へのアプローチ中に何か問題が生じても臨機応変な対処ができなかった。連合軍パイロットはこの弱点を見抜き、着陸時を攻撃するようになった。その為、ドイツ空軍はMe262の出撃・帰還時に滑走路周辺に護衛の戦力を展開させる必要に迫られた。

さらに、当時のプロペラ機と比べ、ジェット機ゆえに大量の燃料を消費した。わずか30分程度の作戦でも、機体のいたる所に作られた燃料タンクを満載にしなければならなかった。Me262は機体内前部と後部に主燃料タンク及び補助燃料タンクを持ち、燃料搭載容量は合計2,570リットルと比較的多く、さらに機体外前部のラックに300リットル増槽を2個搭載できたが、それでも燃料に余裕があるとはとてもいえない程に燃費が悪かった。航続距離は高度6,000m~9,000mで飛行して約850km~1,050km程度しかなかった。

これらの制約により、会敵した時点で既に充分な速度に達していると言う理想状態を作り出す為に、様々な工夫を要求される事になった。単純に考えれば、速度を得る為には戦場からなるべく遠い場所から出発せねばならないのに航続可能距離が短く、おまけに補給を望むにも基地への着陸が困難な機体である等、基本的な部分から幾つもの矛盾に苛まれた。

運用面ではコンクリート製の滑走路が絶対に必要だった。これは、ジェットエンジンは異物が混入すると即破損を招くという理由の他に、アスファルト舗装滑走路ではジェット噴流によって路面が傷つけられてしまう為であった。また、前輪式降着装置は強度不足のため折れ易く、不整地の野戦飛行場での運用などは論外であった。ただし情勢が悪化した大戦末期になると、コンクリート製滑走路を持つドイツ本土の飛行場からしか出撃する事が出来なかったので、皮肉にもその点はあまり問題にならなかった。

エンジンの寿命は最大でも70時間に過ぎず、実際の運用においては平均で25~30時間程度だったといわれ、戦闘中に片方または両方のエンジンが故障して戦闘から離脱しなければならない事例が珍しくない程に繊細なエンジンであった。実際、戦闘で破壊されるより耐用時間を超えて壊れる機体の方が遥かに多く、戦争終盤には機体の少なさを補って余りある異常な攻撃力を得るに至ったMe262が、しかし戦況に影響を与える所までは行けなかった事情は、むしろその点にあった。

実戦での使用

最初は、ドイツ空軍の精鋭パイロットだけが搭乗を許された。速度があるため、編隊飛行も距離をとっての編隊となる。戦闘における前提として、ドッグファイト(格闘戦)でするような旋回を決してしてはならないとされた。旋回すれば、機体が重たいため、簡単に速度が低下してしまうからである。低速からの加速力が低い Me262においては、一度速度を失えば最後、戦闘中に再び最高速度まで戻すのはほぼ不可能といえた。その速度の優位性を保つために、熟練したパイロットは、速度を大きく落とすことなくゆるやかに旋回し、爆撃機の編隊を追い越しざまに攻撃した。

R4Mが装備されてからの一般的な攻撃方法は、まず爆撃機を護衛する戦闘機群を高速で振り切り、爆撃機の上方から緩降下によりさらに速度を増して防御砲火をくぐり抜け、敵編隊が近づくとロケットを多数発射し散弾的な効果で爆撃機に命中させて撃墜するというものであった。

Me262の特性と存在意義を理解したベテランがこの戦法を徹底しさえすれば、爆撃機の護衛をしている戦闘機を全く相手にせず爆撃機だけを一方的に攻撃する事ができた。しかし戦争末期には頼みのベテランも数が足りなくなり、未熟なパイロットも搭乗するようになった。彼らは経験の少なさから連合国側のパイロットたちに禁忌であったドッグファイトに引き込まれ、速度を失っては撃墜されていった。

また、戦争末期になると稼動できる機体も燃料も非常に少なくなり、数においては圧倒的である連合軍の航空戦力を前にして、戦争の趨勢を変えるまでには至らなかった。1945年3月18日、37機のMe262が1221機の爆撃機とそれを護衛する632機の戦闘機からなる大編隊を迎撃した。その結果、12機の爆撃機と1機の戦闘機を撃墜したが、自らも3機失った。この4対1という比率はドイツ空軍が思い描いていた数字と同じだったが、敵側からすると全体の1%程度の損害でしかなく、むしろ故障で失われた数の方が多かったという。

しかし、4対1と言う比率は、単純計算でMe262がたった300機程度あれば1200機もの爆撃機(+護衛の戦闘機)と互角の戦いができてしまう計算になり、また、本来300機の戦闘機と言うのは一国の生産力としては問題にならない程度の数であった事から、いかにMe262が時代を超越した、恐るべき戦闘力を誇っていたのかが伺える。第二次世界大戦後、ドイツの他の先進技術とともにMe262もソビエト連邦によって接収された。機体は十分に研究され、ソ連における初期のジェット戦闘機の開発に反映されている。

機種

大戦中

* A-0 - 戦闘機型Aシリーズの先行生産型
* A-1a - 生産型、イェーガー(Jäger、戦闘機)、ヤーボ(Jabo、戦闘爆撃機)
    o A-1a/U1 - 先端に2門、全部で6門の機銃を装備した試作機(1機)
    o A-1a/U2 - 全天候に対応するための航空電子機器を搭載した試作機(1機)
    o A-1a/U3 - 短距離偵察機型、Rb50/30カメラと30mmMK 108機関砲1門装備
    o A-1a/U4 - 機首にMK214A 50mm 機関砲を装備した試作機(2機)
    o A-1a/U5 - 機首の武装をMK 108機関砲4門から6門にし、携行弾数を100発が2門、85発が2門、65発が2門とした。
* A-1b - エンジンがBMW 003に換装された以外は、A-1aと同型、少数のみ生産
* A-2a - 機銃を2門のみ装備した爆撃機型
    o A-2a/U1 - 改良された爆撃照準器を設置した試作機(1機)
    o A-2a/U2 - 高速爆撃機型。機首に爆撃手席を新設し、1号機はロトフェ 7 H3爆撃照準器を装備、2号機はロトフェ・カンツェルII照準器を装備
* A-3a - 地上攻撃機型
* A-4a - 偵察機型
* A-5a - 偵察機型の最終型、戦争末期に少数のみ生産

Me 262 B-1a

* B-1a - 二人乗りの訓練機
    o B-1a/U1 - 夜間戦闘機型。FuG218ネプトゥーンレーダーを装備
* B-2 - 胴体を伸ばした夜間戦闘機型
* C-1a - 尾部にヴァルター・ロケットを取り付けた迎撃戦闘用の試作機(1機)
* C-2b - エンジンのナセル(エンジンの収納筒)にBMWのロケット・ブースターを取り付けた迎撃戦闘用の試作機(1機)
* C-3a - 胴体にヴァルター・ロケットを組み込んだ迎撃戦闘用の試作機(1機)
* D-1 - 上向きに取り付けられ、センサーにより爆撃機を感知し自動で発射される5センチ無反動砲 SG500 Jagdfaustを装備する特殊型
* E-1 - A-1a/U4を基に機関砲を装備した特殊型
* E-2 - R4M ロケット弾を24発搭載する特殊型で、活躍したのは敗戦直前の1ヶ月間と短いが、恐るべき戦果を上げた

計画機

* Lorin - 直径1.15m、全長5.9mのラムジェットエンジンをJumo004の上に積んだ高速型
* Schnellbomber 1 - 高速爆撃機案。4,050リットルの燃料を搭載し1,000kgの爆弾を搭載できる。
* Schnellbomber 1a - コクピットを機首に移動させ胴体に5個の燃料タンクを設けた高速爆撃機
* Schnellbomber 2 - 胴体を新たに設計し4,450リットルの燃料を搭載し1,000kgの爆弾を胴体内に搭載
* Aufklärer 1 - 写真偵察機。A-1a/U3の機首の武装を撤去し500リットルの燃料タンクとRb75/30カメラ及びRb20/30カメラを搭載
* Aufklärer 1a - Schnellbomber 1aの胴体を流用し、Rb75/30カメラ2基を胴体中央に装備
* Aufklärer 2 - Schnellbomber 2の胴体を流用し、5,450リットルの燃料を搭載、機種にRb75/30カメラ2基、Rb20/30カメラを1基搭載
* HG1 - レーシングキャノピーと呼ばれる小型の流線型キャノピーにし、水平尾翼に後退角を付け、水平尾翼を大きくした高速計画1段階
* HG2 - HG1と同程度の改造と平行して主翼を25%弦長35度の後退角付きに変更した高速計画2段階
* HG3 - Me262の胴体を利用し大幅な設計変更をした夜間戦闘機型。主翼は新設計の45度後退角付き、エンジンはHeS011の2基を主翼付け根に収納、主脚を主翼付け根に取り付け、尾翼・キャノピーはHG1と同等のものに変更。機首にはFuG240ベルリンレーダーを収納し、乗員は3名。機首にMK 108機関砲を4門、コクピット最後尾席左右にシュレーゲムジークMK 108機関砲2門装備

大戦後

* アビア S-92 - A-1aと同型、チェコスロバキアが生産
* アビア CS-92 - B-1aと同型、チェコスロバキアが生産
* 2003年より、アメリカ・テキサス州の Texas Airplane Factory が Me262のレプリカを作成中で、現時点で2機が完成、飛行可能の状態。発動機はゼネラル・エレクトリック社 J85 エンジンで、安全装置の追加、脚の強化などが行われている。名称はメッサーシュミット社(現 EADS)の承認を得て A-1c (単座型)と B-1c(複座型)が当てられている。

橘花

Me262 の資料と図面が、Me163の資料と共に、日独間の連絡潜水艦便(遣独潜水艦作戦)で日本に送られ、これを参考に中島飛行機が海軍向けに独自設計した特殊攻撃機「橘花」を製作、敗戦間近の1945年8月7日、初飛行に成功した。しかし2度目の飛行で離陸前にオーバーランして故障、修理中に敗戦となった。また陸軍向けの戦闘襲撃機である火龍も計画されていた。

スペック (Me 262A-1a)

* 乗員:1名
* 全長:10.58m
* 翼長:12.5m
* 全高:3.83m
* 翼面積:21.7m²
* 自重:3,800 kg
* 最大離陸重量:6,400 kg
* 動力:ユンカース Jumo 004B-1 ターボジェットエンジン ×2
* 推進力:18 kN
* 最高速度:870km/h
* 航続距離:1,050km
* 上昇限度:11,450m
* 上昇率:1,200m/分
* 武装
    o 固定武装:30mmMK 108機関砲×4 装弾数360発
    o ロケット砲:55mm R4M ロケット弾×24

さらに詳しく → メッサーシュミット Me262



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