2010年度 陸上自衛隊公式PV(Japan Ground Self Defense Force official Ad 2010)

航空兵器・陸上兵器・海上兵器・銃器・戦争・紛争・歴史・革命・テロ・事件・軍事動画・ニュース(報道)・社会情勢・政治運動・評論・講演など、軍事関連の情報を公開しています。宗教・思想・経済・政治的なものも少しアリ

広告
2010/09/21(火)
*

陸上自衛隊(りくじょうじえいたい、英語:Japan Ground Self-Defense Force)は、日本の官公庁のひとつ。防衛省の特別の機関である。略称はJGSDF

概要

防衛省の特別の機関として設置され、主に陸上において陸上自衛官を用いて日本の平和と独立を守り、国の安全を保つための組織である。統合幕僚長を長とする統合幕僚監部及び陸上幕僚長を長とする陸上幕僚監部の監督を受ける部隊及び機関からなる。自衛隊法の規定によれば、主として陸において行動し、日本の平和と独立を保つため、直接及び間接の侵略に対する防衛を行うことを主任務とし、また必要に応じて公共の秩序の維持に当るとされる。その最上級者は最上級機関である陸上幕僚監部を統括する陸上幕僚長。なお、日本では法律上軍隊としての機能は発揮できないとされるが、他国からは陸軍と同様のものとみなされており、また実質その能力を備えている。

平成17年度以降の防衛大綱では、人員の定数は常備自衛官148,000人、即応予備自衛官7,000人、合計155,000人。ただし定員を満たさない部隊が多い。現有の主要装備は、戦車約900両、榴弾砲約700門、ヘリコプター約480機。なお、略称で「陸自」と呼ばれることも多い。マークは“日本列島を守るように抱える緑色の両手”。愛郷心を生かすため、出身地域に隊員を振り分ける傾向があるといわれている。

歴史

組織の沿革

1945年(昭和20年)に日本はポツダム宣言を受諾し、ポツダム宣言第9条に基き、大日本帝国陸軍及び大日本帝国海軍は解体され、代わって日本の防衛は米軍を中心とする進駐軍が担った。ところが、1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発し、在日米軍の大半は朝鮮半島に出動し、日本防衛について空白が生まれた。 そのため、マッカーサー元帥の書簡により国内の治安維持を目的として、同年8月に「警察予備隊」が創設された。1952年(昭和27年)に「保安庁」が発足した。警察予備隊は海上警備隊及び海上保安庁航路啓開隊とともに保安庁隷下に入り、それぞれ「保安隊」、「警備隊」に改組された。

その後、順次防衛力の整備が進み、1954年(昭和29年)7月1日に、保安庁は防衛庁に改組され、保安隊及び警備隊は、「陸上自衛隊」、「海上自衛隊」及び「航空自衛隊」に改組された。2008年現在、日本国内では正式の「陸軍」(Army)として位置づけられていないものの、諸外国においては、自衛隊の他の部隊も「日本海軍」(Japanese Navy)「日本空軍」(Japanese Air Forces)と呼称するのと同様「日本陸軍」(Japanese Army)と呼称する向きもある。陸上自衛隊を所管する防衛庁は、2007年(平成19年)1月9日に防衛省へと昇格した。

人事の歴史

警察予備隊創設当時の総理大臣吉田茂にも、旧陸軍に対する反発があり、警察予備隊創設に当たって、国会で「警察予備隊創設の目的は、国内の治安維持のためである。軍隊にあらず」と答弁した。この際、当時の世論を大きく占めていた陸軍悪玉論に基づき、将官クラスの旧陸軍軍人は、ほとんど関与しておらず、大半は旧内務官僚により創設された。

創設当初は陸軍士官学校出身の元正規現役将校の入隊は認められず、警察予備隊幹部は、警察を含む内務省等の文官や旧陸軍の幹部候補生出身者からなり、警察予備隊の結成以後、矢継ぎ早にアメリカ陸軍からさまざまな兵器の供与を受けたが、警察出身者や文民出身者では、部隊の指揮統率や兵器に関する教育は不可能であった。そこで、アメリカ軍事顧問団により初期の教育を受け、アメリカ陸軍式の編制・組織になった(最たる例は敬礼や気をつけ、行進などの基本教練においても旧軍式から米陸軍式となった。但し脱帽時には挙手の敬礼を行わないなど完全に米陸軍式となったわけでもない)。また、アメリカ側も大日本帝国陸軍の復活を懸念し、ラッパ譜に至るまで旧日本陸軍のものの使用を禁じた。

警察予備隊の総隊総監(後の、保安庁第1幕僚長、防衛庁陸上幕僚長に相当する。)には林敬三が充てられた。林敬三は、後に第1幕僚長や統合幕僚会議議長を歴任し、総隊総監・第1幕僚長として4年、統合幕僚会議議長としてさらに10年の計14年の長きに渡り自衛隊の制服組トップに君臨した。各自衛隊は発足の経緯から、いずれも初代幕僚長に官僚出身者を迎えたが、海自・空自が初代のみで終わったのに反し、陸自は戦中派出身の陸上幕僚長19名の内、内務官僚出身者が5名もおり、陸自が「内務軍閥」と言われる元となった。

もっとも、戦車が供与されるに到って、1951年(昭和26年)に中佐(副連隊長級)以下の陸軍士官学校出身者の入隊が認められたが、大佐(連隊長級)以上の入隊は認められなかった。しかし1952年(昭和27年)7月、保安庁保安隊への組織改変を前に、軍事的専門性をより高めるために、旧陸軍省や参謀本部において大東亜戦争の指導的立場にあった、元陸軍大佐10人、元海軍大佐1人の入隊が認められた。

1957年(昭和32年)に、初の防衛大学校(保安大学校)出身の隊員が入隊する。その後は、順次防衛大学校出身の幹部が増加していった。1986年(昭和61年)3月に中村守雄陸将(元陸軍航空士官学校第61期生徒)が退職したことにより、陸上自衛隊における旧陸軍士官学校出身者は皆無となった。

近年は災害派遣、海外派遣など活動範囲を広げ、国内外で注目を集めている。また、自衛隊そのものの活動ではないが、カンボジアにおいて、元陸自隊員の立ち上げたJMASが地雷不発弾処理を行い、成果を挙げている。

アメリカ陸軍の陸軍最先任上級曹長(Sergeant Major of the Army)制度や海上自衛隊の先任伍長制度を参考に、2006年(平成18年)4月1日には、陸上幕僚監部に「陸上自衛隊最先任上級曹長」を置いて、准陸尉・陸曹階級の能力活用にも取り組んでいる。(詳細は曹士の能力活用)

旧陸軍の伝統の承継

保安隊創設前まで旧陸軍の歴史と人事上一切断絶しており、陸上自衛隊創設後も長らく「陸軍悪玉論」が唱えられていたこともあり、船舶操船という専門性や機雷掃海部隊が原点となっているために、創設に戦中は現役海軍将校だった旧海軍軍人が関与し、旧海軍の伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊と比べると旧陸軍との繋がりや思慕の念は薄いとされる。

しかしながら、海上自衛隊の自衛艦旗が旧海軍の軍艦旗を蹈襲したのに対して、同じく陸上自衛隊の自衛隊旗も旧陸軍の軍旗と意匠が異なっているものの、十六条旭日旗を八条旭日旗とする、駐屯地が同じ旧陸軍歩兵連隊と普通科連隊同士の連隊番号を同数とするなど、一部承継している面もある。更には、制式行進曲に旧海軍の軍艦行進曲を制定した海上自衛隊と同じく、旧陸軍伝統の陸軍分列行進曲(抜刀隊)を制定し、陸上自衛隊内部でも公式に「陸軍分列行進曲」と呼称発表されており、パレンバン空挺作戦で活躍した旧陸軍挺進連隊を謳った軍歌「空の神兵」を、第1空挺団がオリジナルの歌詞と共に受け継いでいる他、富士総合火力演習や演奏会行事にて音楽隊により戦前の軍歌が盛んに演奏されている。

中でも北海道に駐屯する第11戦車大隊は、大戦最末期の占守島の戦いに従軍し、結果北海道を護りきった旧陸軍戦車第11連隊(愛称:士魂部隊)のその活躍を顕彰し、栄光の帝国陸軍将兵の「士魂精神」の伝統を継承する意味で1970年(昭和45年)より「士魂戦車大隊」と自ら称しており、また公式の部隊マークとして装備の74式戦車・90式戦車の砲塔側面に旧陸軍時代と同じく「士魂」の二文字を描いているなど、積極的に旧陸軍の「伝統」を承継している面も多く存在する。また、イラク派遣の際には日中戦争(支那事変)時の宣撫工作を参考にするなど経験の承継も行われるようになり、旧陸軍の再評価も行われている現代ではかつて程タブー視はされていない。

任務

陸上における国土の防衛を主任務とする。1990年代以降、ソビエト連邦消滅による北方脅威の減少によって日本本土で大規模地上戦が起こる可能性は減少したものの、中国の台頭による先島諸島等での島嶼部防衛・北朝鮮のテロリズム対処やゲリラの遊撃(つまり、従来からの「北の脅威」論は撤回されていない)、また阪神・淡路大震災以降に特に活発になった災害派遣、海外派遣など、陸自の任務は一層増えており、北方重視であったこれまでの配備を見直して全国的な変革が現在も行われている。

国土防衛

日本は四方を海に囲まれた島国であり、海上交通路(シーレーン)を封鎖されては国家の存立も危うくなる。また日本の防衛基本方針は専守防衛であるために、外国からの侵攻を受けた場合は、まず海上自衛隊、航空自衛隊が主体となって洋上での戦闘を行う事が想定されている。そのため陸上自衛隊は、その後にある「絶対防衛力」と位置づけられている。標語である『Final Goalkeeper of Defense』はこれを表している。

一般に先進国の国防において最も費用の掛かるのが人件費(給与、糧食等)であり、日本も例外ではなく、自衛隊全体の人件費だけで防衛予算の45%を占める。そして、隊員を圧倒的に多く抱えるのが陸自(15.5万人)であり、海自(4.2万人)、空自(4.6万人)を大きく引き離す。他方、陸海空の予算比は概ね4:3:3 でしかなく、このことから陸自は予算の大半が人件費であることが分かる。装備の維持費等を差し引くと、ますます装備の調達予算がないのが現状である。よって、陸上自衛隊は「貧乏自衛隊」と自嘲する風潮もあるといわれる。現在の規模は15万人程度であるが、設立当初の見積もりなど一説には「日本全土を適切に防衛するには陸自25万人が必要」という意見もある。時に防衛予算からみて「海自、空自を重視し陸自は縮小」といった意見も見られるが、島国である日本にとっての現在の陸上自衛隊の存在は「潜在防衛力」であり、「実際の本土での戦闘」ではなく、「確固たる陸上部隊が存在すること」による「上陸侵攻の抑止」を第一の任務としている。(つまり、適切な規模の陸上戦力の存在を担保として、はじめて我の海空戦力が有効な能力を発揮し得る、という考え方でもある。)

防衛任務のため、正面装備として戦車・装甲車やヘリコプターなどを保有しており、これらの装備は毎年8月に実施・一般公開される富士総合火力演習や各地の駐屯地祭りなどで公開されている。三自衛隊中唯一、陸上自衛隊は航空学生制度がなく、ヘリコプターのパイロットは陸曹航空操縦学生として陸上自衛隊内から採用している。

最近では、(列島国家の宿命とも言える)遠方の離島への侵攻に対する「上陸侵攻の抑止」任務が重要性を増しつつある。また、国内に潜伏する工作員(主に北朝鮮によるものが想定される)によるゲリラ・コマンド攻撃、あるいはテロリズム等に対する抑止力として重視されつつある。近年テロの脅威が高まっているため、日本が大規模テロや特殊部隊による攻撃などを受けた場合、防衛出動または治安・警護出動の命により陸上自衛隊が最優先で防護する「重要防護施設」(原子力発電所・石油コンビナート・政経中枢地区など破壊されると甚大な被害が出るおそれが高い施設や、国民への情報伝達ルートや通信手段を確保する放送・通信施設など)が全国に135箇所指定されており、各方面隊に担当施設が割り振られている。

なお、「対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約」により、2003年(平成15年)2月8日までに、訓練用など一部を除く全ての対人地雷の廃棄を完了した。また、2008年(平成20年)12月にはクラスター爆弾禁止条約に署名したことで、保有するクラスター爆弾を新型爆弾の調達中止も含め全廃する。

災害派遣・民生協力

陸上自衛隊は、主に大規模災害に際し、救援活動に派遣される。自衛隊法において主たる任務目的とはされていないが、世界有数の災害発生国である日本で、半世紀にわたる災害派遣を経験し、多くの有事対処を行ってきた。近年の例では、新潟県中越地震では、孤立集落から多くの被災者をヘリコプターで救出し、新潟スタジアム前に野外炊飯セットを設置し、毎食多数の被災者に食事を提供した。地震、台風、水害、雪害、火山活動など多種多様な災害に対応し、「有事」経験を積んできた陸上自衛隊は、世界の軍隊の中でも、災害対処能力が高い部隊といえる。

その為、スマトラ島沖地震やパキスタン大地震において、被災国からの要請により、海外に緊急出動する機会が増えている。災害出動以外にも、各種マラソン大会やさっぽろ雪まつりなどの「民生協力」にも力を入れており、これらは副次的な業務ではあるが、一流の能力と実績を保持している。

海外派遣

国連平和維持活動や紛争復興、上記のような災害援助のために日本国外に派遣される事がある。PKO協力法等によって自衛隊の海外派遣は一般的な任務となり、また国際連合要請以外にも時事立法による派遣が恒常化しつつある。陸上部隊として海外派遣の中心を担う事とされている。

さらに詳しく → 陸上自衛隊
外部リンク → 防衛省・陸上自衛隊



砂漠色の自衛隊―陸上自衛隊ヤキマ派米訓練全記録 (DENGEKI HOBBY BOOKS)砂漠色の自衛隊―陸上自衛隊ヤキマ派米訓練全記録 (DENGEKI HOBBY BOOKS)
(2010/03)
不明

商品詳細を見る
関連記事

タグ : 自衛隊 陸上自衛隊 防衛省 JGSDF 陸上自衛官

この記事へのコメント
URL:
Comment:
Pass:   
この記事のトラックバックURL
http://gunjimania.blog108.fc2.com/tb.php/1710-b39b30e7
 この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

 | Copyright © 軍事マニアクス - Military Maniacs All rights reserved. | 

 / Template by 家族 ペット 自分史 ブログ