殺戮の大地(The Killing Fields) - カンボジアで何が起きたのか

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2010/09/21(火)
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『キリング・フィールド』(The Killing Fields)は、1984年制作の米国映画。ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)の体験に基づく実話を映画化したもの。1984年のアカデミー賞において、助演男優賞・編集賞・撮影賞の3部門受賞。

カンボジア人助手のプランを演じたハイン・S・ニョールはカンボジア出身の医師で、実際に4年の間、クメール・ルージュの元で強制労働に就かされた経験を持つ。演技は素人であったが、この作品でアカデミー助演男優賞を受賞した。

あらすじ

アメリカ人ジャーナリストのシドニーと、現地の新聞記者であり通訳でもあるプラン(カンボジア人)はカンボジア内戦を取材している。しかし、カンボジア内戦はポル・ポト率いるクメール・ルージュが優勢となり、アメリカ軍が撤退を開始する。この時、シドニーはプランの一家をアメリカに亡命させようとするが、プランは仕事への使命感から妻子のみをアメリカに逃がし、自分はカンボジアに残ることを決意する。そして、シドニーとプランは取材活動を続けていく。

やがて、カンボジアは完全にクメール・ルージュに支配され、シドニーたちはフランス大使館に避難する。シドニーや他社の記者は、外国人であるから帰国により逃れることができるが、カンボジア人であるプランは逃げることができない。そこで、シドニーらはパスポートを偽造してプランをアメリカに亡命させようと画策する。ところが、粗悪な印画紙に焼き付けたために、偽造パスポートの写真の画像が消えてしまい、プランを逃すことに失敗する。そのためプランはフランス大使館を出ることを余儀なくされ、クメール・ルージュの支配する集団農場へと移送されてしまう。

集団農場では、人は特別な理由もなく銃殺されていく。農場への往復の際に荷馬車に乗っていただけで銃殺され、作業が緩慢という理由だけで銃殺される。また身分を隠していた元教師、元医師たちは、「クメール・ルージュは君たちを許す」という嘘にだまされて、身分を明かしてしまい、その結果、銃殺されていく。

プランは集団農場から脱走を図る。その途中、プランが目にしたのはおびただしい人の白骨だった。プランは脱走に力尽き行き倒れてしまうが、別の集団農場の幹部に助けられ、その幹部の身の回りの世話をすることになる。

一方、シドニーはプランの行方を捜すが一向に消息をつかめない。ピューリッツァー賞を受賞した際に、カンボジアで取材仲間だった記者にプランを見捨てたと非難され、自責の念に駆られていく。

プランは、拾われた幹部に親身に扱われるが、元新聞記者であった経歴を隠そうとする。身分が明らかになると、元教師、元医師たちのように殺されてしまうかもしれないからだ。しかし、その努力も甲斐なく、BBC放送を隠れて聞いているところをその幹部に見つかってしまい、インテリであったことがばれてしまう。ところが、幹部はプランを銃殺せず、プランに自分の信条を話し出す。その幹部は、「カンボジアを愛しているが、クメール・ルージュのやり方は間違っている」と言う。そして「自分に万一のことがあったときは、自分の子供をつれて外国に逃亡してほしい」と地図と金を渡す。しばらくして、クメール・ルージュの銃殺をやめさせようとしたためにその幹部は殺されてしまう。

プランは幹部の子供を連れて他の仲間たちと国外への逃亡を図る。プランらは、幾多の苦難に遭いながら隣国への逃亡に成功するが、幹部の子供は途中で地雷によって死亡してしまう。その逃亡先の難民キャンプでプランは、シドニーとの再会を果たす。

賛否

この映画が公開された直後、本多勝一は政治的で差別的な内容であるとして、映画への批判を行なった。本多はかつて、ポル・ポト派寄りの記事を書いたことがあり、ポル・ポト政権時代よりシャンバーグの批判を行ない虐殺行為についても懐疑的であった。しかし1985年の2本の記事においてはポル・ポト派の虐殺を認めている。この映画については、カンボジア大虐殺の背景や全体状況がまったく描かれていないため、観客にカンボジア情勢を誤解させるような曖昧な表現が多いこと、シャンバーグが他のカンボジア人の救出に尽力せずプランの救出のみを考えており差別的なことなどを挙げて批判している。そして、この映画に感動するのはカンボジア情勢に無知な人々だとして記事の表題にもしている。

本多と同じ朝日新聞出身である井川一久は、この映画(および原作)の欠点として、ポル・ポト政権による殺戮と文明破壊の実態を極めて不十分(せいぜい2,3割)にしか伝えていないこと、クメール・ルージュについての背景説明がまったく描かれていないことをあげながらも、現実に起こったことを非常に不十分ではあるが伝えており、かなりのところまで歴史の真実に迫ろうという意思があった。シャンバーグとプランの関係についても当時のインドシナの外国人特派員の中では最上に属する友情関係だと思うとしている。また、この種の映画が日本では1度も制作も企画もされなかったのに対して、米国でそれが可能だったところに米国の文化構造の健やかな一面を見たとも述べている(この点については、本多も同様のことを述べている)。一方、産経新聞出身の古森義久はこの映画を絶賛している。

それから20年余り後、カンボジアを取材しポルポトに対して1970年代と90年代末の2度会見し、その死に立ち会った戦場カメラマンの馬渕直城は、著書『わたしが見たポル・ポト』(集英社、 2006年)の中でアメリカとベトナムを強く批判し、ポル・ポト派に寛容な立場を取っている。そうした批判の一つとして、この映画で描かれた内容についても、事実と異なっていると批判している。馬渕は実際の現場体験では、映画で描かれている激しい市街戦やポル・ポト政権による殺戮がなかったと主張している。また馬渕はシドニー・シャンバーグ、ディス・プラン(著書の中ではプロンと表記)と面識があり、シャンバーグが人前でプロンを罵倒したり突き飛ばしたりするような人物でふたりの間に友情は見られなかったと主張している。また、プロデューサーのパットナムが映画上映後、事実との違いを批判され「この映画は政治的なことが主題ではなく、シャンバーグとプロンの友情物語として見てほしいと語っている」ことも書いている。馬淵はこの映画を本多同様現地人蔑視の作品と位置づけており、娯楽作品として情報が流れて行き、やがてそれが真実としてまかり通ってしまう怖さ、映画にカンボジア人が参加し、結果としてカンボジア人蔑視を助長してしまった点が大きな問題だと主張している。

さらに詳しく → カンボジア内戦  クメール・ルージュ  キリング・フィールド (映画)


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