B-17 フライングフォートレス (Boeing B-17 Flying Fortress)

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2010/09/18(土)
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B-17は第二次世界大戦時のアメリカ陸軍航空隊の主力大型爆撃機。アメリカ合衆国、ボーイング社の製造。「4発大型爆撃機は鈍重なので夜間爆撃にしか使えない」という当時の常識を破った画期的な高速爆撃機で、愛称はフライングフォートレス(Flying Fortress=空飛ぶ要塞)。この爆撃機が沿岸防御用の要塞の延長として空を飛んで敵艦隊を迎撃するという事からこの愛称がついた。よく言われる、火力と防御力からこの愛称が付いたというのは誤りである。

開発の経緯

1934年にアメリカ陸軍は、当時の主力爆撃機マーチンB-10(双発機)の後継機として、航続力と爆弾搭載量を2倍に強化した『多発爆撃機』を国内航空機メーカーに要求した。

これに対しボーイング社は以前から社内で開発していた、発動機4基を有する大型機の基本設計を元に、試作機モデル299を完成させた。1935年の制式機の選定では、モデル299はライバルのダグラスB-18(DC-2の改造型)に比べて、圧倒的な高性能を示し、B-17として採用された。

しかし、その高価格が災いし、初年度の発注量はB-18の133機に対し、B-17は13機と非常に少なかった。この傾向は1939年の第二次世界大戦勃発まで続いた。しかし、開戦後にB-18の性能では実戦で役に立たないことが明らかとなり、B-17の大量生産が開始された。

なお、モデル299は日本陸軍も大型機開発の技術資料として購入を検討したが、やはり高価格がネックとなって断念している(モデル299は量産型と比べて、高価なわりには攻防速いずれも不十分で、無理して買うほどの機体ではなかった)。

ちなみに第二次世界大戦に参戦する以前のアメリカは孤立主義的傾向が強く、このような高性能の爆撃機を保有する事については議会・納税者からの反対が根強かった。そのため「敵国を攻撃するための兵器ではなく、アメリカ本土防衛のための兵器である。」という言い訳の為に空飛ぶ要塞と命名されたのである。列車砲の代替兵器として、アメリカの長大な海岸線で敵上陸軍を阻止迎撃するという名目であり、正確には「空飛ぶ沿岸防塞」に近いニュアンスである。

技術的特徴

当時の常識は、「4発大型爆撃機は低速で運動性が悪く、敵の反撃の少ない夜間爆撃にしか使用できない。」という第一次世界大戦以来の発想が支配的であった。ボーイング社は この常識を覆すべく画期的な4発昼間爆撃機を作り上げた。

突起物の無いスマートな機体
B-17の機体ラインは非常に滑らかな曲線と直線で構成されている。後期型は機銃多数を装備してかなりごてごてした外観を有するが、機体ラインそのものは流麗である。

爆撃機として世界最初の排気タービン
排気タービン式過給器は、エンジン排気という余剰エネルギーを利用して、エンジン内に大量の空気と燃料を強制的に送り込む装置。空気の薄い高空でピストンエンジンの出力を確保するのに必要不可欠であったため、B-17の高空性能も大幅に改善された。ドイツや日本(零戦等)では実用化が遅れたため、高空から侵入するアメリカ軍爆撃機の迎撃に非常に苦労した。なお、現在は自動車にも使われている(ターボチャージャー)。

豊富な防御火器
試作機で機銃5丁、後期型のG型では実に13丁のブローニング 12.7 mm 機関銃を装備していた。

優秀な防弾装備
機体主要部は防弾が施され、優秀な防弾能力・耐久力を持っており、小火器での撃墜は困難であったとされる。しかし、この装備が有効なものとなるのは太平洋戦争突入に前後して生産の開始されたE型からであった。それ以前は、イギリス空軍の爆撃機のハンドレページ ハリファックスと比して劣るような内容であったものの、E型以降は強化された装備、密集編隊による防御火力の濃密化によって撃墜されにくくなり、それと併せてノルデン式爆撃照準機によって正確な投弾が可能であった。(但し、“正確な投弾”は理論上の話であり、実際は補正外の風や敵の投弾妨害によってあまり命中精度は良くなかったとも言われている)

活躍

欧州戦線

アメリカ軍の主力爆撃機として活躍。イギリスを基地とした対ドイツへの昼間爆撃に従事。護衛戦闘機が充分でなかった1943年頃までは、ドイツ迎撃戦闘機により多数の損害を出しながらも、ルール地方などドイツの工業地帯を爆撃した。B-17の編隊は密集隊形で濃密な防御砲火の弾幕を張り、ドイツ戦闘機隊の攻撃を妨害し、逆に撃墜することもしばしばだった。1944年以降は、P-51戦闘機が護衛機として本格的に使用され、B-17の損害は減少した。

夜間爆撃を担当したイギリス軍のランカスター爆撃機と共に、ドイツの継戦能力を削ぐ立役者となった。B-17とランカスターは、第二次世界大戦中に各々約60万トンの爆弾を投下したといわれている。

太平洋戦線

主にアメリカの植民地のフィリピンや、同じ連合国軍のオーストラリアに配備され、開戦から戦争中期まで活動したが、同時期は連合国軍が日本軍に対して劣勢だったこともあり、ヨーロッパ戦線のような活躍は出来ず、日本陸軍に完全な形で鹵獲された機材も複数存在した。

なお、鹵獲された機体は現地で訓練に使用されたほか、内地に送られ研究対象にされたり、羽田飛行場での鹵獲機展示会で展示された後、全国を巡回展示されたものもあった。

日本海軍の主力戦闘機であった零式艦上戦闘機隊が「最初にてこずった」機体となったが、日本陸軍によって鹵獲された機体を教材に訓練を重ねた結果、接近戦に持ち込み撃墜することが増えた。ガダルカナル島攻防戦の第一線にあった第6航空隊隊長小福田少佐は、零戦対B-17の対決を以下のように記している。

「一般的にいってB-17とB-24は苦手であった。そのいわゆる自動閉鎖式防弾燃料タンクのため、被弾してもなかなか火災を起こさなかったことと、わが対大型機攻撃訓練の未熟のため、距離の判定になれず、遠距離から射撃する場合が多く、命中弾が得にくいからであった。
(中略)
撃墜はしたが、それは主として零戦がしつこく、しかも寄ってたかって敵機を満身創痍という格好にしたり、またわが練達の士が十分接近して二〇ミリ銃弾を十分打ち込んだり、または勇敢な体当たりによるもので、尋常一様の攻撃ではなかなか落ちなかった。(後略)」


なお、南東方面ではポートモレスビーを主たる基地として出撃し、ラバウルやブイン等の日本軍根拠地に対する爆撃のほか、洋上哨戒にも活躍した。しかし、航続距離や爆弾搭載量に優れるB-24が揃ってくると、1942年から1943年にかけてB-17装備部隊は順次B-24に改編されるか他方面に転出していき、戦争後半には偵察や救難などに従事している機体を除きB-17は姿を消した。

生産数

B-17各型の合計生産数は12,731機。そのうちボーイングによるものは6,981機、そのほかに3,000機がダグラス、2,750機がロッキード傘下のベガエアクラフトによって製造された。

諸元

B-17G型

* 全幅 31.6 m
* 全長 22.6 m
* 総重量 25 t ~ 29 t
* エンジン ライト R-1820-97 1200馬力4基
* 最大速度 426 km/時
* 航続距離 5,800 km(最大)、3,219 km(爆弾2,722 kg 搭載時)
* 乗員 10名
* 武装 ブローニング M2 12.7 mm 機関銃13丁、爆弾2720 kg ~ 4900 kg

さらに詳しく→ B-17 フライングフォートレス



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