昭和天皇と、1901年-1945年までの世界各国の歩み

航空兵器・陸上兵器・海上兵器・銃器・戦争・紛争・歴史・革命・テロ・事件・軍事動画・ニュース(報道)・社会情勢・政治運動・評論・講演など、軍事関連の情報を公開しています。宗教・思想・経済・政治的なものも少しアリ

広告
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010/09/14(火)
*



















昭和天皇(しょうわてんのう、1901年(明治34年)4月29日 - 1989年(昭和64年)1月7日)は、日本の第124代天皇(在位 : 1926年(大正15年)12月25日 - 1989年(昭和64年)1月7日)。諱は裕仁(ひろひと)。幼少時の称号は迪宮(みちのみや)、お印は若竹(わかたけ)。

概要

神話上の天皇を除くと、歴代天皇の中で在位期間が最も長く(約62年)、最も長寿(87歳)であった。大日本帝国憲法の下では「國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬」する立憲君主制の天皇として、終戦の国策決定などに深く関与した。1947年(昭和22年)に施行された日本国憲法の下では「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である天皇として「国政に関する権能を有しない」ものとされた。しかし占領期にはGHQ総司令官ダグラス・マッカーサーとの会見などにより、独自の政治的影響力を保持した。主権回復後には、象徴天皇として、精力的に皇室外交を行った。また、天皇としての公務の傍らヒドロ虫(ヒドロゾア)・変形菌(粘菌)などを研究し、生物学研究者としての業績もあげた。

生涯

少年時代

1901年(明治34年)4月29日、東京府東京市赤坂区青山(現、東京都港区元赤坂)の青山御所(東宮御所)において、明治天皇の皇太子嘉仁親王(後に践祚して大正天皇)と節子妃(後の貞明皇后)の第一男子として誕生。同年5月5日、称号を迪宮(みちのみや)、名は裕仁(ひろひと)と命名された。産まれたとき、身長は51cm、体重800匁(約3000g)であったという。

生後70日の同年7月7日、御養育掛となった枢密顧問官の川村純義(海軍中将伯爵)邸に預けられた。1904年(明治37年)11月9日、川村伯の死去により、弟の淳宮(後の秩父宮雍仁親王)とともに沼津御用邸に移った。1906年(明治39年)5月からは青山御所内に設けられた幼稚園に通い、翌1907年(明治40年)4月には学習院初等科に入学し、学習院院長・乃木希典(陸軍大将)の厳格な教育を受けた。

皇太子時代

1912年(明治45年)7月30日、祖父・明治天皇が崩御し、父・嘉仁親王が践祚したことに伴い、皇太子となる。元号が大正と改元された後の同年(大正元年)9月9日、皇族身位令の定めにより陸海軍少尉に任官し、近衛歩兵第1連隊附および第一艦隊附となった。翌1913年(大正2年)3月、高輪東宮御所へ移る。1914年(大正3年)3月に学習院初等科を卒業し、翌4月から東郷平八郎総裁(海軍大将)の東宮御学問所に入る。1915年(大正4年)10月、陸海軍中尉に昇任。1916年(大正5年)年10月には陸海軍大尉に昇任し、同年11月3日に宮中賢所で立太子礼を行い、正式に皇太子となった。

1918年(大正7年)1月、久邇宮邦彦王の第一女子・良子女王を皇太子妃に内定。1919年(大正8年)4月に満18歳となり、同年5月7日に成年式が執り行なわれると共に、貴族院皇族議員となった。1920年(大正9年)10月に陸海軍少佐に昇任し、同年11月4日には天皇の名代として陸軍大演習を統監した。1921年(大正10年)2月28日、東宮御学問所修了式が行われる。大正天皇の病状悪化の中で、同年3月3日から9月3日まで、軍艦香取でイギリスをはじめ、フランス・ベルギー・オランダ・イタリアのヨーロッパ5カ国を歴訪。同年11月25日、20歳で摂政に就任し、摂政宮(せっしょうみや)と称した。

1923年(大正12年)4月、軍艦金剛で台湾を視察する。同年9月1日には関東大震災が発生し、同年9月15日に震災による惨状を乗馬で視察し、その状況を見て結婚を延期した。同年10月1日に御学問開始。同年10月31日に陸海軍中佐に昇任した。同年12月27日には、虎ノ門付近で狙撃されるが、命中を免れ命を取り留めた(虎ノ門事件)。1924年(大正13年)に、良子女王と結婚した。1925年(大正14年)4月、赤坂東宮仮御所内に生物学御学問所を設置。同年8月、戦艦「長門」で樺太を視察。同年10月31日に陸海軍大佐に昇任した。同年12月、第一皇女・照宮成子内親王が誕生。

即位と第二次世界大戦

1926年(大正15年)12月25日、父・大正天皇の崩御を受け、葉山御用邸において践祚して第124代天皇となり、昭和と改元。 1927年(昭和2年)2月7日に大正天皇の大喪を執り行った。同年6月、赤坂離宮内に水田を作り、田植えを行う。同年9月10日、第二皇女・久宮祐子内親王が誕生。同年11月9日に行われた名古屋地方特別大演習の際には、軍隊内差別について直訴を受けた(北原二等卒直訴事件)。

1928年(昭和3年)3月8日、久宮祐子内親王が薨去。9月14日に赤坂離宮から宮城内へ移住した。11月10日、京都御所で即位の大礼を挙行。1929年(昭和4年)4月、即位後初の靖国神社参拝。9月30日、第三皇女・孝宮和子内親王が誕生した。1931年(昭和6年)1月、天皇・皇后の御真影を全国の公私立学校へ下賜する。3月7日、第四皇女・順宮厚子内親王が誕生する。1932年(昭和7年)1月8日、桜田門外を馬車で走行中に手榴弾を投げつけられる(桜田門事件)。1933年(昭和8年)12月23日、待望の第一皇男子・継宮明仁親王(現:今上天皇)が誕生し、盛大な祝賀を受ける。1935年(昭和10年)11月28日には、第二皇男子・義宮正仁親王(後の常陸宮)が誕生した。

1937年(昭和12年)11月30日、宮中に大本営を設置。1938年(昭和13年)1月11日、御前会議で「支那事変処理根本方針」を決定する。1939年(昭和14年)3月2日、第五皇女・清宮貴子内親王(後の島津貴子)が誕生する。1941年(昭和16年)12月1日に御前会議で対米英開戦を決定し、12月8日に「米国及英国ニ対スル宣戦ノ布告」を出した。1942年(昭和17年)12月11日から13日にかけて、伊勢神宮へ必勝祈願の行幸。同年12月31日には御前会議を開いた。1943年(昭和18年)1月8日、皇居吹上御苑内の御文庫に移住した。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲を受け、3月18日に被災地を視察した。5月26日の空襲では宮城に攻撃を受け、皇居宮殿が炎上した。8月10日の御前会議でポツダム宣言の受諾を決断し、いわゆる「終戦の聖断」を披瀝した。8月14日の御前会議でポツダム宣言の無条件受諾を決定し、終戦の詔書を出した。同日にはこれを自ら音読して録音し、8月15日にラジオ放送により国民に終戦を伝えた(玉音放送)。9月27日に、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーをアメリカ大使館へ初めて訪問。11月13日に、伊勢神宮へ終戦の報告参拝を行った。また同年には、神武天皇の畝傍山陵、明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵にも参拝して終戦を報告した。

「象徴天皇」として

1946年(昭和21年)1月1日の年頭詔書(いわゆる人間宣言)により、天皇の神格性や「世界ヲ支配スベキ運命」などを否定し、新日本建設への希望を述べた。2月19日、戦災地復興視察のため横浜を訪問(1949年(昭和29年)まで全国各地を巡幸した)。1947年(昭和22年)5月3日、日本国憲法が施行され、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(1条)と位置づけられた。6月23日、第1回国会(特別会)の開会式に出席し、勅語で初めて「わたくし」を使う。1950年(昭和25年)7月13日、第8回国会(臨時会)の開会式に出席し、従来の「勅語」から「お言葉」に改められる。1952年(昭和27年)4月28日に日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効し、同年5月3日に皇居外苑で行われた独立記念式典で天皇退位説を否定する。また同年には、伊勢神宮と神武天皇の畝傍山陵、明治天皇の伏見桃山陵にそれぞれ参拝し、日本の国家主権回復を報告した。10月16日、初めて天皇・皇后がそろって靖国神社に参拝した。

1971年(昭和46年)、皇后と共にイギリス・オランダなどヨーロッパ各国を歴訪。1975年(昭和50年)、皇后と共にアメリカ合衆国を訪問した。帰国後の10月31日には、日本記者クラブ主催で皇居「石橋の間」で史上初の正式な記者会見が行われた。

1976年(昭和51年)には、在位五十年記念事業として、立川飛行場跡地に国営昭和記念公園が建設された。記念硬貨が12月23日から発行され、発行枚数は7.000万枚に上った。1981年(昭和56年)、新年一般参賀にて初めて「お言葉」を述べた。1986年(昭和61年)には在位60年記念式典が挙行され、神代を除く歴代天皇で最長の在位期間を記録した。

1987年(昭和62年)4月29日、天皇誕生日の祝宴を体調不良から中座する。以後、体調不良が顕著となり、特に9月下旬以降、病状は急速に悪化し9月19日には吐血するに至った為、9月22日に歴代天皇で初めて開腹手術を受けた。病名は「慢性膵臓炎」と発表された(後述)。同年12月には公務に復帰し、回復したかに見えたが体重は急速に減少しており、1988年(昭和63年)9月以後、容態は再び悪化した。8月15日、全国戦没者追悼式が最後の公式行事出席となり、日本各地では「自粛」の動きが広がった(後述)。

1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺癌)により崩御(87歳)。神代を除く歴代の天皇で最も長寿であった。同年(平成元年)1月31日、今上天皇が、在位中の元号である昭和から採った昭和天皇と追号した。2月24日、新宿御苑において大喪の礼が行なわれ、武蔵野陵に埋葬された。愛用の品100点余りが、副葬品として共に納められたとされる。

さらに詳しく → 昭和天皇



ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論
(2009/06/04)
小林 よしのり

商品詳細を見る
関連記事

タグ : 昭和 天皇 第124代天皇 裕仁 第二次世界大戦 太平洋戦争 大東亜戦争 日露戦争

この記事へのコメント
URL:
Comment:
Pass:   
この記事のトラックバックURL
http://gunjimania.blog108.fc2.com/tb.php/1673-744001b8
 この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

 | Copyright © 軍事マニアクス - Military Maniacs All rights reserved. | 

 / Template by 家族 ペット 自分史 ブログ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。