元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏の証言

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2010/08/07(土)
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第343海軍航空隊は、日本海軍の航空隊。1945年2月1日開隊。紫電・紫電改の戦闘機と偵察機の彩雲から編成された。司令は源田実大佐。

概要

1944年(昭和19年)中盤、サイパン、グアムで相次いで日本軍が玉砕し、絶対国防圏が破られた事で米軍による本土空襲が避けられないと判断した日本海軍は本土防空部隊の設立に着手する。かかる情勢の中で、343空は、本土周辺空域の制空権を回復しようと、戦闘機出身の軍令部作戦課航空主任であった源田実大佐の着想によって創設された。大戦末期、海軍最新鋭の局地戦闘機紫電改を独占配備、また、優秀な搭乗員を擁した本航空隊は敗色濃厚で全般的に劣勢な日本本土防空戦のなかにあって活躍した。

1944年12月25日に横須賀基地で開隊。3個戦闘飛行隊(戦闘301、戦闘701、戦闘407)を編成。定数は各48機で、編成と同時にそれぞれ松山、大分、出水各基地で練成に入り、1945年(昭和20年)1月末までには3飛行隊全部が松山に集結した。中には戦闘701飛行隊長・鴛淵孝大尉、戦闘407飛行隊長・林喜重大尉、戦闘301飛行隊長・菅野直大尉、磯崎千利大尉、坂井三郎少尉、宮崎勇少尉、松場秋夫少尉、本田稔飛曹長、杉田庄一上飛曹、武藤金義等ベテラン搭乗員がいた。元搭乗員の宮崎氏は配置されたときに「ラバウルにいた搭乗員たちがごろごろいるのに驚いた。」と証言している。さらに戦闘401飛行隊(飛行隊長 浅川正明大尉)が編入され、若年搭乗員の練成飛行隊として、徳島基地へ分遣された。

343空の特色は、邀撃の効果を高めるための事前情報入手を重視して、艦上偵察機彩雲を装備する偵察第4飛行隊(飛行隊長 橋本敏男大尉)を付属したことである。その他にも、編隊空戦の重視、空中無線電話の改善等当時の海軍戦闘機隊の中にあっては画期的な運用法を行った。

1945年3月19日、F6F、F4U、SB2Cから編成された米艦上機160機に対し紫電改及び紫電54機が迎撃し、58機撃墜という大戦果を報じた。なお米軍側の記録における343空と交戦したと思われる部隊の損失は、空戦による被撃墜8機、帰還途中の墜落・不時着が計2機、損傷しつつ帰還できたものの廃棄処分となった4機と判明している確実な数値としては総計14機であった。一方米軍側は撃墜50機を報じたが、実際の343空側の損害は偵察機彩雲1機を含む被撃墜15機、地上での被撃破5機と、同様に戦果を過大に誤認していた。 現実には互角(戦力差を考えると日本側の勝利)の過大な戦果報告ではあったが、損害を伏せた「58機撃墜」の報は圧倒的多数の米軍機に苦杯を飲まされていた日本戦闘機隊にとって吉報となった。なお、このときの空戦で未帰還となった彩雲のうち1機は、高知県津野町の上空において敵機に体当たりを試み自爆したものである(現在、自爆地点に彩雲の慰霊碑が建立されている)。

米軍が沖縄に上陸すると菊水作戦に参加。航続距離が短く沖縄本島まで往復することが出来なかった紫電改は、奄美大島付近にて特攻隊の前路哨戒や制空戦闘を実施した。

4月からはB-29による本土空襲が激化し、来襲するB-29・P-51の迎激戦を開始。

4月21日のB-29迎激戦において、戦闘407飛行隊長・林喜重大尉が未帰還・戦死。 

6月2日にはウィリアム・ハルゼー率いる機動部隊の艦載機の攻撃に対し343空は21機で出撃、計170機の敵機のうちF4U戦闘機の部隊と戦い34機撃墜(米軍側損失記録では4機)を報じる。

7月24日の呉軍港空襲では米艦載機16機撃墜(米軍側損失記録では4機)を報じる。しかし、戦闘701飛行隊長・鴛淵孝大尉、戦闘301・武藤金義少尉などを失う。

8月1日は屋久島に飛来したB-24・P-51の戦爆連合を迎撃したが、菅野直大尉の搭乗する紫電改が機銃の暴発による機体の損傷から未帰還となる。菅野大尉を失ったことで源田は深く落ち込んだという。

こうして大戦末期の日本軍としては勇戦した343航空隊であったが圧倒的物量で襲い掛かる米軍に対しては厳しい戦いを強いられ、終戦の8月頃には稼動機体は20機程度にまで低下していた。

1945年(昭和20年)8月9日、長崎県大村基地で登山訓練中、長崎市への原子爆弾投下を目の当たりにした源田司令をはじめ隊員たちは「3発目の原爆投下は必ず阻止する」として体当たり攻撃も辞さない決死隊を結成し、志賀淑雄飛行長等の指揮官クラスが錬成を開始するも、8日に北九州上空でP-47NとB-29からなる戦爆連合を24機をもって迎撃したのと、12日に試験飛行に上がった紫電改1機がP-51に撃墜されたのが、最後の戦いとなった。 編成から終戦までの6ヵ月の間に約170機の撃墜を主張(米軍側損失記録判明分では40機程度)、自らの戦死・未帰還は74名であった。

由来

343航空隊の名称は「呉鎮守府所属基地航空隊で、常設された戦闘機部隊」を意味している。通称は剣(つるぎ)部隊。士気を高めるため、各飛行隊に新選組(戦闘301)、維新隊(戦闘701)、天誅組(戦闘407)、奇兵隊(偵4)、極天隊(戦闘401)の通称を付し、隊舎の前に幟を立てるなど闘志も強調した。

精鋭部隊との評価について

一般に「ベテランばかりを結集した精鋭航空隊」と言われているがそれは適当ではないと考える人もいる。これは坂井三郎少尉を教官配置としたり、武藤金義少尉を横須賀航空隊から強引に引き抜いたり、他の部隊が戦闘行動中に訓練に専念したりするなどの事から、戦後に言われ始めた事である。搭乗員の錬度で言えば他の203空や302空等の戦闘機隊と大差は無かった。紫電の運用指導のため松山基地を訪れた坂井三郎少尉の「実働機を遙かにしのぐ廃棄された紫電が山と積まれていた」という証言や、各パイロットの飛行時間及び練習飛行隊卒業日時から類推されるように、 343空のパイロットは一握りのベテランを除くと未熟な新人がかなり含まれており、一般に伝えられる「手練ればかりを集めた」との評価は事実と隔たりもあるのだが、司令である源田実大佐がベテラン搭乗員を指名転属させたり、他の航空隊が新人搭乗員を十分な練成期間も無しに実戦投入している中、それなりの期間訓練を行った後に実戦参加させた事により戦果が拡大し「手練ればかり」といわれたのである。

また対戦した米軍パイロットの報告では、日本海軍にしては珍しく二機一組の編隊空戦を行う熟練者たち、と認識されていた。B-29の搭乗員であった爆撃手のウイルバー・モリス氏の証言によると「彼らの攻撃は猛烈だった。12機編隊のB-29の場合、1機あたり6門、あわせて72門の機銃が火を噴く。たちまち「弾の壁」ができるんだが彼らはそこを突き抜けて攻撃してくる。あまりに接近してくるので、搭乗員の顔が見えた。素直に言うが、あんな勇敢なパイロットはほかにはいない。」と語った。

大戦果を挙げたとされるが、米軍との記録と食い違う事例が多く、ハッキリとした戦果は不明(日米両軍とも残っている記録が不十分)。ただし、従来言われて来た程の戦果を挙げたわけでは無いようである。もっとも、質量共に圧倒されていたこの時期にこれだけの戦闘力を発揮したのは瞠目に値し、敵側からも攻撃精神旺盛な特別な存在として報告され一目置かれていたのは事実で、米軍第38機動部隊指揮官から各空母航空隊司令官に宛てた、九州南部上空にて高性能機を装備した練度の高い戦闘機隊に警戒せよという異例の機密通達が残されている。

備考

* 一時、343空に対し連合艦隊司令部から特攻攻撃の要請があったが、志賀飛行長が拒否し続けた為最後まで行われる事はなかった。戦後、志賀が残した証言によれば、度重なる特攻拒否に業を煮やした源田が隊舎を訪れ、志賀に特攻を受け入れさせようと圧力をかけたという。志賀が「わかりました。それでは特攻編成の最初の一番機には、私がお供をしますから、あなた自身が出撃してください」と言うと源田は顔面蒼白になり以後、二度と特攻攻撃の話を持ち出すことはなかったという。

初代・第343海軍航空隊

なお、この第343海軍航空隊(剣部隊)は2代目である。初代の第343海軍航空隊(通称:隼部隊)は、当初最初の局地戦闘機装備部隊として編成されたが、紫電の生産遅延などによる機材不足から、零戦装備の航空隊として1944年初頭に内地で編成され、マリアナ諸島方面に進出・展開したが、同年6月~7月にかけてのマリアナ諸島攻防戦で、米軍との戦闘や米軍機の空襲などにより玉砕、解隊した。ちなみに、浜松基地に保存されている零戦は本隊所属機である。

さらに詳しく → 第343海軍航空隊



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