ダライ・ラマ14世 亡命の経緯

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2010/07/27(火)
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ダライ・ラマ14世(1935年7月 6日(チベット暦5月6日) - 、在位1940年 - )は、第14代のダライ・ラマ。インドのダラムシャーラーに基礎を置くチベット亡命政府ガンデンポタンの長である。法名はテンジン・ギャツォ(チベット文字:བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་; ワイリー方式:Bstan-'dzin Rgya-mtsho)。

チベット民族のあいだで尊敬されている宗教指導者であり、チベット仏教のほかの教派を超えて大きな影響力を持つ。また、チベット仏教のゲルク派の最高位の仏教博士号(ゲシェ・ラランパ)を持つ僧侶でもある。チベット仏教の全宗派の伝統の教えを継承し研鑚を積んでおり、教え・実践両面のすべての領域における最高の権威者(チューキ・ゲーポ;法王)として広く認められている。その他の称号にフランスパリ名誉市民、名誉博士(ニューヨーク州立大学バッファロー校)がある。

来歴

生い立ち - 少年期

1935 年7月6日、チベット北部アムドのタクツェルの小さな農家にて、9人目の子供として生まれた。なお、生家は小農ではあったが、地主に従属する小作人というわけでもなかった。貴族階級でもない。わずかな土地を人に貸し、自分たちでも大麦、ソバ、トウモロコシなどを栽培しており、ゾモというヤクと牝牛の雑種を5~6頭、80頭あまりの羊やヤギ、2~3頭の馬、2頭のヤクを飼っていたという。生家はチベットならどこにでもあるなんの変哲もないありふれた民家だったという。

幼名はラモ・ドンドゥプ(Lha-mo Don-'grub)と名づけられた。これは「願いを叶えてくれる女神」という意味である。長男のトゥブテン・ジグメ・ノルブはすでに高僧タクツェル・リンポチェの化身として認められていて、有名な僧院クムブムで修行をしていた。他にも18歳年上の姉としてチェリン・ドルマなどがいた。見知らぬ人を少しも怖がらぬ子だったと、母親は後に語ったという。

3歳になるかならないかという頃、ダライ・ラマの化身を見つけるためにチベットの政府が派遣した捜索隊が、さまざまなお告げに導かれてクムブム僧院にやってきた。お告げのひとつは、1933 年に死去したダライ・ラマ13世の遺体が埋葬前の安置期間中に頭の向きを北東に変えたこと。他には、高僧が聖なる湖で湖面にAh、Ka、Maのチベット文字が浮かび上がるのを「視た」、続いて、青色と金色の屋根の3階建ての僧院とそこから一本の道が丘につづいている映像を「視た」、そして最後に変な形をした「樋」のある小さな家を「視た」ことだ、という。僧は"Ah"は地名アムドのアだと確信して捜索隊をそこへ派遣したという。

"Ka"の文字はクムブムのKに違いないと思ってクムブムにやってきた捜索隊は、クムブムの僧院が青くて3階建てであることを発見しその読みが正しかったと確信したという。捜索隊は付近の村を探し回り、やがて屋根にこぶだらけの杜松が走っている民家を見つけた。

捜索隊は身分を隠していたのにそこに含まれていたセラ僧院の僧を「セラ・ラマ」と呼んだという。また、ダライ・ラマ13世の遺品とそれそっくりの偽物をいくつかその子供に見せたところ、いずれも正しい遺品のほうを選び「それ、ボクのだ」と言ったという。上にあげたようないくつかの確認の手続を経てさらに他の捜索結果も含めて政府が厳密に審査した結果、この子は3歳の時に真正ダライ・ラマの化身第13世ダライ・ラマトゥプテン・ギャツォの転生と認定され、ジェツン・ジャンペル・ガワン・ロサン・イシ・テンジン・ギャツォ(聖主、穏やかな栄光、憐れみ深い、信仰の護持者、智慧の大海)と名付けられた。

1939 年の夏、ラサに向けてチベット政府の捜索隊らおよび両親や兄弟らとともに3ヶ月かけて移動。ダライ・ラマの夏の離宮であるノルブリンカ(宝石の庭園の意)に入った。1940年冬、ポタラ宮殿に移動し、チベットの精神的指導者の座に正式に就任、ラサのジョカン寺で剃髪式、見習い僧の式が行われ、ダライ・ラマとしての手ほどきを受け始めた。ロブサン・サムテン(1つ上の兄)とともに読み書きの勉強から開始。お経の授業も開始。さらに、精神的(宗教的な)指導者としての教育と同時に、世俗的(一般社会の)指導者としての教育も受け始めた。そういった時間以外はその年齢の子供らしく活発に遊んで過ごした。 8歳の時には兄ロブサンは私立学校に行き、ダライ・ラマは一人で教育を受けるようになった。姉と一緒に過ごし、ロブサンや母が時々通ってくる、という生活を送る。毎年春先にノルブリンカに移り、半年後の冬の始まりとともにポタラ宮殿に戻る、という生活を20歳まで繰り返した。少年時代にラサには10人ほどのヨーロッパ人が住んでいて、その中の一人ハインリッヒ・ハラーを兄ロブサンが連れてきたことで、互いに知り合うことになった。

チベット亡命政府の長として

1950 年に中華人民共和国の人民解放軍がチベットを制圧、全域を自国に併合し、その後に発生したチベット動乱後にインド北部ダラムシャーラーにガンデンポタン(チベット亡命政府)を樹立した後は、同政府の長としてチベットの高度な自治権の存在を訴え、チベット人に対して中華人民共和国の中国共産党政府が行った様々な人権侵害行為についての批判などの活動も行っている。

また、ガンデンポタン(チベット亡命政府)の長としてだけでなくチベット仏教の指導者としても、アメリカ、ヨーロッパ諸国、日本を始めとする世界各地をたびたび訪れ、仏教の智慧に関する講演、宗教的な対話に関する講演も活発に行っている。

最近の取材では、高齢になったこともあり、ガンデンポタン(チベット亡命政府)の政治的な指導者から引退することを表明している。ガンデンポタン(チベット亡命政府)のサムドン・リンポチェ首席大臣に、その政治的な指導者としての地位と権限を譲る意向を述べている。

中華人民共和国との関係

中華人民共和国政府の外交との関係

ダライ・ラマ14世の訪問先が中華人民共和国と国交がある国の場合、訪問先の政府に対して、"一つの中国"を掲げている中華人民共和国国務院(=中華人民共和国政府)から外交ルートを通じて抗議が入るのが通例である。また、中華人民共和国国内でのダライ・ラマ14世の著書や写真の保有・持込は、治安当局の取締対象になる可能性が高い。

中華人民共和国国務院は、ダライ・ラマ14世が2008年開催の北京オリンピックを妨害しようとしていると非難した。中華人民共和国国務院の懸念する通り、ダライ・ラマ14世に追随する亡命チベット人による北京オリンピックへの6ヶ月間抗議運動がインドで発生したり、ダライ・ラマ14世を支持する組織の要請を受けてイギリスのチャールズ皇太子が北京オリンピックの開幕式を欠席するなどの事態が実際に起きている。

2008年の動乱

2008 年3月15日、中華人民共和国チベット自治区ラサ市でチベット族が漢族を襲撃し、暴徒化したチベット族が商店を略奪・放火する暴動が発生、治安当局が催涙弾等で制圧した(→2008年のチベット動乱参照)。第6代国務院総理温家宝は、「暴動はダライ・ラマ14世の組織的な煽動によるものだ」と非難し、ダライ・ラマ14世に対して「チベット独立を放棄し、台湾(中華民国)を不可分の中華人民共和国の領土と認めること」を条件に中華人民共和国国務院とダライ・ラマ14世との平和的な対話を呼びかけた。

これに対してダライ・ラマ14世は、暴動が自身の策動によるとの国務院の見解を否定し、事態を収拾できなくなった場合はガンデンポタン(チベット亡命政府)の最高指導者の地位を辞任することも表明するとともに、中華人民共和国国務院との平和的な対話再開に前向きな姿勢を示している。この動乱における中国共産党によるチベットでの処置について、ダライ・ラマ14世は「文化の大虐殺(en:cultural genocide)に等しい」と述べた。

インターネットでの規制対象

中華人民共和国国内では、中華人民共和国国務院のフィルタリング技術により、インターネット上でのダライ・ラマ14世に関する議論が制限、統制されている。2009 年2月に、Twitterに、ダライ・ラマ法王事務所を称するOHHDL(Office of His Holiness the Dalai Lama)名のtwitterアカウントが作られ、2万人ものフォロワーを集めたが、偽物と判明し、利用規約への違反としてtwitterよりアカウントが停止となる規制対象となった。

現在は、OHHDLの情報リンクページとしてOHHDLInfoが復活しており、6万人(2009年7月)以上のフォロワーに対して、関連情報を提供している。同様に OHHDLInfoは、6万人以上のフォローをすることにより、ダライ・ラマ関連情報を求める人同士が相互参照できるようになっている。2010 年2月には、ダライ・ラマ14世本人が正式にTwitterのアカウントを取得したと報道された。

チベット独立を巡って

2007 年10月17日に行われたアメリカ合衆国議会黄金勲章授章式のスピーチで、「チベット自治区は中華人民共和国の一部であり、あくまでも高度な自治を求めているのであってチベット独立の考えはない」ことを表明した。

さらに詳しく → ダライ・ラマ14世  チベット動乱



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タグ : チベット問題 チベット動乱 ダライ・ラマ 中華人民共和国 CIA 亡命

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